第3話 さよなら
幸代は陸夫を捕まえようと躍起になっていたが、ついに見失ったので舌打ちをした。
いったいどこへ行ってしまったか? 隣家にでも駆け込まれたら厄介だから、どうにかしたいものだけれど。
そうしていると、じゃりっと音がした。
「そこね!」
顔を出してみれば、傘を二本構え、自転車に跨った陸夫がいる。
「陸夫! 一緒に暮らそうよ」
「人殺しとは暮らしたくない! おまえは化け物だ! 人を殺して、平気そうな顔をしているんだから、おまえは化け物なんだ! そんな奴と一緒に暮らすなんて‥‥‥それって、ありえないでしょうよ!!」
「どうしてそんなことを言うの!! 母親に向かって!!」
「俺の母さんはお前に殺されたよ!!」
陸夫はペダルを踏み締めて、逃げ出した。
道路に出ると、幸代は倉庫にもう一台自転車を見つけ出し、追いかけた。そして、幸代は「お仕置き!」と叫んでぶつかった。
陸夫は道を転がって、肘や膝に擦り傷を作った。
「うう、ううう‥‥‥」
陸夫は何とか立ち上がろうとするが、幸代はその肩を押さえつけた。
「もう逃げないでね、陸夫」
「いやだ、いやだ、いやだ」
しかし、抗えない。
陸夫は捕まってしまった。
それから陸夫は一文字組やくざたちの死体を埋めるのを手伝わされ、そして二人で暮らすことになった。
学校に通うことを認められず、外に出させてもらえず、陸夫は家に監禁状態だった。
幸代のことを「お母さん」と呼ばねばならず、呼び方を間違えると顔面を平手打ちをされた。
恐怖で支配された陸夫の心は、とても脆くなっており、死にたいとすら思わなくなり、幸代が持ってくる飯を食い、幸代と風呂に入り、幸代と眠る毎日を過ごしていくばかりの人形のようになっていた。
昭和十一年。六月二十六日。金曜日。その日の夢のなかで、不思議な男が現れた。首のない男だった。
陸夫は脳の内側で「母が殺した人だ」と理解した。
その首無しの男は泥のように汚い嗄声で「物部幸代を殺せ」と言った。陸夫はその声に導かれるままに、眠っている幸代を自分が着ていた服で絞め殺した。
ジタバタと暴れた際に胸を殴られ、骨が折れてアザが出来たが、一時間もすれば治ってしまっていた。
「なんだ‥‥‥これは‥‥‥?」
不思議な感覚だった。まるで、自分の身体ではないように、軽く‥‥‥しなやかに動くことができた。
母の死骸を風呂場に運んで、そこで幅の広い包丁で解体してみようと思ったが、日が昇っているのが小窓からわかったから、やめた。
荷物をまとめて家を出た。
久しぶりの外は朝日を浴びるのにふさわしい天国のように思えた。
「てんごく‥‥‥」
極楽。
「そうだ‥‥‥もし、もし‥‥‥俺にそれがふさわしいなら‥‥‥俺はこれから、この天国を生きてみようと思うよ。健やかなる時が過ごせますように‥‥‥」
陸夫は家に火をつけてから、歩き出した。




