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アマルが14歳となる年の夏、婚約者のバイラムは皇都の学園に入学する事となった。
淡いピンクやパープルのユーストマの花が咲き乱れる庭園で、寂しさにアマルの茶色の瞳に涙の膜が張る。
「アマル。たった3年だよ?」
優しく恋人の手を握り、ガゼボに誘導するバイラム。
普段人生2周目感を出して来るアマルであるが、愛する男の前では常に人生1周目の乙女である。
少し突き出した唇と、悲し気に下がった眉毛。
美人の定義に全くかすりもしないアマルであるが、そんな彼女の甘える仕草は、バイラムにとってはとても愛らしく見える。
「アマル。僕は、愛する君に苦労はさせたくないんだ。だから勉強をして、立派な後継者になって、君がいつだって好きな事だけをしていられるような男に、なりたいんだ」
真っ黒な髪に真っ黒な瞳のバイラム。
彼の真剣な瞳は真っ黒な長いまつ毛に覆われ、アマルはドキドキとする。
中肉中背で人好きのする、人畜無害な顔をしたバイラムの、この瞳がアマルは一番好きなのだ。
アマルの平凡な茶色の瞳にも熱が籠り、それに気づいたバイラムは頬を少し赤くしながら愛する少女に優しくキスをする。いわゆる小鳥キッスである。
閉じていた瞳をゆっくりと開いたアマル。
「もう。そんなチウで満足するような子供じゃないのに」
そんな呟きを聞いたバイラムは顔を真っ赤に染めて、ガゼボから立ち上がり花壇に行ってしまった。そして高速でユーストマの花冠を作ると、横に来たアマルの頭に被せてあげる。
「こ、これ以上進んだら、僕が止められなくなるからね。僕たちの結婚は、まだまだ先なんだから」
そう言ってアマルから目を逸らすバイラム。
アマルは彼の腕に絡ませるようにして、手を繋いだ。二人の間に隙間を作らないように。
「好き」
「僕も、・・・好き」
二人の視線の先には、風に揺れるユーストマの花々だけ。
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「と、いうわけでお父様。今年も私を皇都に連れて行ってくださいませ」
「どういうわけ???」
甘いひと時を過ごした日のディナーで、アマルは今年も仕事と社交で皇都に行く父親に、自分も連れて行ってくれるようにせがんだ。
話の前後がわからない子爵は頭の中が”?”である。
「バイラムが学園に入学するのですから、入学式を観覧しないと!」
「え? 入学式を見に行くの? 卒業式じゃないよ?」
「分かっていますよ」
「え? 新入生代表でもないのに? 見に行くの?」
そんな父娘が険悪になる前に助け舟を出したのは子爵夫人。
「そうね、そろそろアルタンも皇都デビューしないといけないし。
今年は皆で社交しましょう」
夫人がアルタンに笑顔でそう伝えると、今年6歳になるアルタンが嬉しそうに笑う。
「え? あの美味しいクッキーが食べられるの?」
「食べられますよ。あなたのお姉様は皇后様の薬草室の顧問を務めていますからね」
そう。
第一皇子毒殺事件を解決後、アマルと皇后は文通友達となり、皇帝が不調をきたした時には、アマルが手紙で問題を解決してから、アマルは皇城の薬草室の名誉顧問となったのだった。
そうして皇都に向った子爵家。
子爵が皇都の邸に着いた途端に皇后から大量のクッキーが届けられて、アルタンはご満悦だった。
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「ではやはり、皇帝陛下の不調も毒の影響でしたのですね」
アマルの言葉に皇后は小さく頷く。
皇城の奥、皇宮のさらに奥にある皇后の為の庭園。西側諸国から手に入れた真っ赤な薔薇が咲き乱れた庭園のガゼボで、アマルは皇后とお茶をしていた。
カヤ帝国の美人の定義は、アーモンド形の目、高い鼻梁、そしてふっくらとしながらも大きな口。
つまり彫りが深く圧倒的な、華やかな顔が美人なのである。
体形はグラマラスで、はちきれんばかりの胸とお尻。それに反比例して絞りあげられたウエスト。
そんな美の定義ど真ん中にいる皇后が、真っ赤な薔薇をバックに、美しい所作で紅茶を飲んでいる。
くすんだ金髪は、皇后の母親が外国人だからで、そのさらさらで美しい髪がカヤ帝国の女性の憧憬の的である。
「今回の件で何とか犯人を捕まえたかったのに、どこにも証拠が見つからなくてね」
「闇の魔力を使った痕跡は見つからなかったのですか?」
「ウムトの時には1度で一気に毒を体内に入れられたみたいだったけど、あなたの話だけでは魔法士を動かせずに後手後手に回ってしまって、見つけられなかったの。
だから今回はすぐに魔力痕を調べたけど、どうも少しずつ注入されていたみたいで、魔力痕は途中で分からなくなってしまっていたみたい」
魔力痕とは魔力を使った時の痕跡で、大掛かりな魔法なら1日ほど残り、魔力を使った人間を特定できる。しかし魔力痕を追えるのは特訓をした魔法士のみ。
今回の様な微量の魔力では1時間ほどで消えてしまう為、皇宮を出る前に魔力痕は消えてしまったのだ。
「あの女は離宮に住んでいるからね」
忌々しそうに目を細めた皇后。
美人の睨み程恐ろしいものはない。だけどアマルはどこ吹く風だ。現在、人生2周目モードの様だ。
「しかし自分が狙われた事により、皇帝も重い腰をあげられたのですね?」
アマルがそう言うと皇后は一転、満面の笑みをアマルに向けた。
何も説明していないのに、アマルが皇家の事情に気付いているようなのが、皇后は気に入ったのだ。
公爵家の出身で美の頂点にいるような皇后は、学生時代から男子生徒にとっての高嶺の花であった。
それは当時皇太子であった皇帝にとっても同じであった。
皇帝が学生の3年間、周りを牽制しながら彼女に愛を乞うたのは有名な話。
しかし第一子を産んだ後に皇后がもう妊娠出来ないと知った議会が、世継ぎが一人では心許ないと、当時まだ皇太子であった皇帝を諭し、何とか議会が選んだ側妃を娶らせたのだ。
そんな背景から、誰もが皇帝の寵愛は皇后にのみ与えられていると思われているが、事実は違う。
ほとんどの人間は知らないが、知っている者は知っている。
たとえば、人間の言動を注意して見る事が出来る人物だとか。
たとえば、皇帝の私財の流れをよくしっている、皇室御用達の商団の幹部だとか。
嫌々娶ったはずの側妃をその後、寵愛している皇帝を。
皇后を深く愛しながらも、側妃を手放せずにいる皇帝を。
「男は高級料理であっても毎日では飽きるという、我儘な生き物ですからね」
アマルの人生何週目(?)な発言に、皇后がお腹を抱えて笑ったのは言うまでも無い。
「おねぇさま」
そこに、皇城の侍女と手を繋いでやってきたのは、アマルが目に入れても痛くないほど可愛がっている弟のアルタン。
「どうだった? 薬草室は?」
「はい。すばらしいざっそうの数々でした」
皇后の質問に満面の笑みで応えるアルタンは、アマルにそっくりなふわふわの茶色い髪に、茶色いくりくりお目目の男の子である。
アマルにそっくりな顔で薬草を雑草というアルタンに、皇后はまたお腹を抱えて笑った。
「アルタンは目が節穴の父にそっくりなのです。未来の子爵領が不安で仕方がございません」
そう言いながらも弟が可愛いアマルは、自ずからアルタンを抱っこして椅子に座らせ、手を拭いてあげる。
姉に手渡されたクッキーを、目をキラキラさせながら頬張るアルタンを、皇后は目を細めて眺めていた。
「仲がいいのね」
「もちろんです。アルタンは私のたった一人の弟ですから。この子が立派な当主となって、あの美しい子爵領を継いでいくのが私の人生の夢でございます」
いささか大袈裟な夢ではあるが、皇后はアマルが愛情深い女性だから、そんな風に思うのだろうと結論付けた。
その後のお茶会は、アルタンを含めて他愛もない話をした。
そして帰る頃、おもむろにアマルが皇后に願う。
「皇后陛下、どうか、第二皇子殿下を注意深く見ていて下さいませんか?」
アマルの身を弁えぬ望みに、側にいた侍女の眉間に皺が刻まれる。いかに皇后から寵愛を受けていようと、アマルの望みは一線を越えていた。
「何故か?」
皇后の静かな問いに、アマルは頭を下げて理由を口にする。皇后の口調がプライベートなものから公式なものへと変わったからだ。
「ウムト殿下のたった一人の弟君ではございませんか。
母親があの様な人柄だと、第二皇子殿下も辛い思いをしているかもしれません。
どうか、母親の罪を、子供にまで背負わせないでくださいませ。
もし第二皇子殿下が辛い生活を強いられていたならば、救えるのは皇后陛下だけかもしれません」
アマルはそのまま顔を上げずに、ただ皇后の言葉を待った。
「あい分かった」
皇后のその一言でアマルは顔をあげると、心の底から幸せそうな笑顔を向けた。
皇后は改めて、アマルの愛情深さに目を触れた。
そしてそれを、惜しいとも思う。
その愛情が、自分の息子に向いてくれていたら、息子の代は安泰であったであろうに、と。
そう、出会いが遅すぎた事が悔やまれて仕方が無い。
(だけど、この子が味方になってくれただけでも僥倖だと、感謝せねば)
多くを望んではいけない。
皇后は、この少女の存在も知らずにいたかも知れない事を思うと、今に感謝するのであった。




