国王転生 〜俺は国王としてここで生きていく〜
目が覚めた時、天井は金色に輝いていた。否、厳密には黄金を思わせるような装飾が施された天蓋が、自分の視界を包み込んでいた。
「……これは、まさか……」
記憶の断片が脳裏をよぎる。あの事故。止まらなかった車。ぶつかった瞬間の衝撃。そして、意識が闇に沈む感覚。
そして今、自分は——
「……王、陛下……!」
駆け寄ってくる老齢の男性。白髪交じりの口髭。豪奢な衣服。肩にかけられたサファイアのブローチ。
「意識を……お戻しになられたのですね! よかった、本当によかった……!」
彼の瞳には、滂沱の涙が浮かんでいた。
(……そうか。これは、転生……)
戸惑いと混乱の中で、確信だけが胸に刺さる。これは夢ではない。己の肉体は異なり、周囲の風景も現実離れしている。だが、感触は明瞭だ。生きている。間違いなく、別の人生が始まっている。
そして、彼の言葉。『陛下』。
(つまり……俺は、この国の王だと?)
戸惑いを押し隠しながら、ベッドから身を起こそうとした。が、体が思うように動かない。だが、それも無理はない。目の前の男が言うには、数日前に毒を盛られたのだという。
「まだ、毒の影響が体内に残っております。どうか、無理をなさらず……」
「……毒、か」
知らず口から出た低い声は、少年のものだった。十代後半——十八か十九といったところだろう。鏡もないのに自分の顔が頭に浮かぶ。これは、この身体の記憶か、それとも前世の感覚か。
「……お前の名前は?」
「は、はいっ! 私は宰相・ルドベック・アイゼルと申します。陛下がご即位された折より、お仕えしております」
「ルドベック……なにが起きている?」
すると、彼の表情にかすかな陰りが差した。語りにくい真実なのだろう。それでも、国王としての記憶がない今、知らねばならぬ。
ルドベックは、周囲を気にしつつ語り出した。
「陛下は、御父上であられる先王グランレイ陛下の崩御により、三か月前に即位なされました。しかし、それをよしとしない者たちが……宮廷の内外にて、陛下の命を狙う動きが……」
「それで、毒を?」
「はい。陛下にお仕えする侍女の中に、反逆者の手先が紛れていたようで……。今はすでに処罰いたしましたが……」
(即位三か月で暗殺未遂。……前途多難どころじゃないな)
王宮で毒殺が行われるほどの混乱。自分が王となってしまった国は、いま正しく危機に瀕している。
「その……陛下。失礼を承知で申し上げますが……毒による高熱で、何か記憶に障りはございませんか?」
(……うまいな。これは、記憶喪失として振る舞えという含みか)
少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。少し、朧げだ。自分の名前も……」
「! な、名前までも……」
ルドベックは顔を強張らせた。だが、すぐに思い直したように神妙な面持ちで跪いた。
「それでは、改めて。陛下、今ここで新たな御名を名乗りください。貴方の名が、この国の希望となりましょう」
(……そういうことか)
転生後、最初に名乗る名——それが、この世界における「自分」となる。
前世の名は置いていこう。あれは、あの世界で終わった人生だ。
少し考え、そして口を開いた。
「……ならば、俺の名は——ユリウス・ディア・ルクレインだ」
この世界で、俺はこの名で生きていく。
国王として。
*
ユリウス・ディア・ルクレイン王は、即位からわずか三か月で暗殺未遂を受けたが、奇跡的に生還した。
その知らせは王都中に広まり、民たちは安堵と混乱の入り混じった空気の中にいた。
一方で王城では、すでに動きが始まっていた。
「このままでは、王権の威信が揺らぎます。今こそ、粛清を断行すべきかと」
そう進言したのは、軍務長官レオン・グラディア。筋骨隆々の軍人でありながら、冷静な判断力を持つ男だ。
「いや、それでは反発を生むだけだ。まずは内政の安定が先だ。民心を得るためにも、開かれた政治を——」
これは文官長・セラフィナ女伯爵。毒舌家だが、頭脳明晰。なぜかユリウスを試すような目で見てくる。
(おそらく、前の王とまったく違う俺の言動に戸惑っているんだろうな)
ユリウスは、前世で経営者だった。中小企業ながら、人を束ね、収支を管理し、機能する組織を動かすことに長けていた。
その知識と経験を、この国で使わない手はない。
「……王命だ。まずは商業都市ラーデンの税率を見直せ。現状では商人たちの負担が重すぎる。代わりに貴族への課税を検討しろ」
「なっ……! それは貴族連中の反発を——」
「構わん。連中が真にこの国を想うなら、応じるはずだ。拒むなら、それだけのことだ」
会議室が静まり返る。
この少年王は、ただの子供ではない。誰もが、そう直感した。
(この国は腐っている。なら、王が変わるしかない)
かつての世界で成し得なかった改革と理想。それを、今ここで——新たな人生で、実現するのだ。
(なら、まずはこの腐敗の根を断つ。裏切り者を見つけ出し、王の威を示せ)
ユリウスは、静かに立ち上がった。
「反逆者を、全てあぶり出す。——協力してくれるな?」
その目は、冷たく、そして強く燃えていた。
―――――――――――
朝の光が、大理石の床を淡く照らしていた。
王宮の会議室——かつて先王が多くの決断を下したその部屋に、ユリウスは一人、立っていた。
玉座に座ることはしなかった。
あれは、権威を示すための椅子であって、思考を深めるにはふさわしくない。椅子の背に手をかけながら、目の前の机に広げた報告書の束を見下ろす。
毒殺未遂から三日。宰相ルドベックの迅速な動きにより、侍女への尋問と捜査は進んだ。
「……黒幕は、やはり……?」
「はい、陛下。第三王弟殿下——エルネスト殿下の名が、複数の証言に上がっております」
ルドベックが静かに報告をする。エルネスト。王家の血を引く若き貴族。先王の庶子でありながら、母方の貴族家の後押しを受けて王位継承権を主張していた男だ。
「奴は、いまどこに?」
「……王都北区のエルファリード邸に籠もっております。昨夜より、使用人の出入りも止まり、不穏な気配が」
まさか武装蜂起でも企てているのか。ユリウスは軽く舌打ちした。まだ手の内を明かすには早い。
だが、待つつもりもなかった。
「軍を動かす。城郭の外周を封鎖しろ。特に北門。エルネストが逃げれば追え。無抵抗なら拘束し、連行。抵抗するなら……殺しても構わん」
ルドベックの目が一瞬だけ見開かれたが、すぐに深く頭を垂れた。
「はっ、謹んで拝命いたします」
(あの手の貴族は、見逃せば増長するだけだ)
この国は、貴族と軍の私物化により、王の威厳が地に落ちていた。形だけの即位式。老臣たちの操り人形。毒殺という結果は、むしろ当然だったのだろう。
だからこそ、今この瞬間が正念場だった。
ユリウスは椅子から手を離し、立ち上がる。
そのまま歩き出し、扉を開けた。
廊下の先では、先に召集した六名の高官が立って待っていた。
軍務長官レオン・グラディア、文官長セラフィナ女伯爵、内務卿グレイ=アドモア、財務長官の老貴族フェルム、そして法務大臣と聖教庁の司祭代理。
全員が一様に緊張した面持ちを浮かべていた。少年王の突然の招集。それが意味するものを、各々が理解していた。
「お集まりいただき、感謝する。……早速本題だ。王弟・エルネストの謀反が明らかとなった。これより彼を拘束する」
一瞬、空気が止まった。
セラフィナが唇を開く。
「……確かな証拠を、掴まれて?」
「証言。物証。金の流れ。動機。そして、今も邸宅に籠城中」
「……わかりました。王命に異を唱えるつもりはありません」
セラフィナは、何かを納得したように微笑んだ。
「それと同時に、王命をもって本日より改革を開始する。まずは、以下の布告を城下に伝えよ」
ユリウスは、懐から羊皮紙を取り出した。徹夜で書き上げた政策方針。今の王政を根底から変える、戦略の第一手。
「内容は——
一、王政の権限を王のみに集約する。
一、全貴族の徴税権を一時停止。新たな監査制度を創設する。
一、すべての民に対し、商業活動の自由を保障する。
一、反逆者に関しては、公平な裁判を行い、王自らが判決を下す。
……以上だ」
法務大臣が目を丸くし、財務長官が蒼白になり、レオンが小さく唸った。
だがユリウスは一切ひるまなかった。
「民のために国がある。貴族のためではない。これを実現するため、王として責任を果たす」
「……そのお言葉、確かに承りました」
レオンが深々と頭を垂れ、他の者たちも順に跪いた。
王が、王たる所以は、力でも血統でもない。覚悟だ。
そして、その覚悟を示す時が来た。
*
日が傾き始めた頃、王宮の中庭に、緊急の布告を知らせる太鼓が鳴り響いた。
集まった臣下と護衛兵、使用人たちの前に、ユリウスは自ら姿を現す。
若き王は、一切の装飾を纏わず、白と青の礼装のみを着ていた。王冠も剣も持たぬ。
ただ、真っ直ぐに前を見て立っていた。
「聞け。これは、王の命だ」
声が、中庭に響いた。
「この国は今、危機に瀕している。腐敗と堕落が蔓延し、貴族は民を搾取し、王はそれを黙認していた。だが、それはもう終わりだ」
ざわめきが走る。
「この国の主は、王ではない。——民である。王は、民のために生き、民のために決断し、民のために剣を振るう」
ユリウスは、右手を高く掲げた。
「今日この日より、この国は変わる。名ばかりの貴族は粛清され、民の声は宮廷に届く。そのために、俺は王として、立ち上がる」
その瞳には、熱が宿っていた。
誰よりも真っ直ぐに、誰よりも真剣に——
「俺の名は、ユリウス・ディア・ルクレイン。この国の第十七代国王にして、民の盾であり、剣だ」
数秒の沈黙。
だが、その場にいた全員が、その言葉を心に刻んだ。
兵士たちが、一斉に膝をつき、剣を地に叩きつけた。
「ユリウス陛下、万歳!」
続いて、臣下たちも膝をついた。
「国王陛下、万歳!」
その声は、やがて城壁を超え、城下へと届いていった。
*
夜、王宮の一室。
ユリウスは、長椅子に腰を下ろしていた。灯火の光が、彼の横顔を照らしている。
ドアがノックされ、ルドベックが入ってきた。
「……終わりました。エルネスト殿下は投降。抵抗の意思は見られず、拘束されました」
「そうか……処遇は、明日発表する」
「承知しました」
ルドベックは、少し黙った後、尋ねるように言った。
「……まるで別人のようです。いや、実際に記憶を失われた陛下に、私が言うのも妙ですが……」
「俺は、俺だ」
ユリウスは、窓の外を見やる。
遠く、星空の向こうには、かつての世界があるのだろうか。
あの人生は、失敗ばかりだった。努力は裏切られ、人は去り、最後は何も残らなかった。
だが、ここでは違う。
力がある。命がある。可能性がある。
「俺は……この国を守る。生まれ直したからには、今度こそ最後までやり抜く。王として」
その背に、もう迷いはなかった。
少年王ユリウス・ディア・ルクレインは、この日確かに「国王」として歩み始めた。