8. 聖女も魔女もクソッタレ。
聖女は魔人の核である石から魔力が漏れるのを抑える力を持っている。
人間にとっては特にありがたい存在ではないが、尊ばれるように”聖女”という称号が与えられた。
では魔女とは?
”魔”の女。”魔”の人である魔人と関わりがあるというのは分かる。
でも私はなにか特別になりたいとはクソほども思っていなかった。それなのに──
「魔女は魔人にとって探し求めてやまない存在。手にしたい存在だ」
幽霊男さん、とっても嬉しくない情報をありがとう。死人は黙っていてくれていいんだけど。
「サリー、すごいね!」
「黙ってて」
額に落ちてきた巻き毛をバサッと後ろによけながら、強く言い放つ。
馬鹿犬がキュウゥンッと肩をすぼめてこちらを上目遣いで見てくるけど、今はとりあえず静かにしていて欲しい。
はあっとため息を吐いて、額に手を当てたまま低い声で尋ねる。
「それは、ガヴェルがこうなった理由と関係しているのよね?」
「ご名答ですね。あなたの力がどういう影響をもたらすのか。彼の状態がすべてを物語っています」
皺皺の頬を上げて枯れ木老人が笑う。
筋肉の塊は自分の名が呼ばれて、何があるのだろうと目を輝かす。ステイしていろ、ステイだ。いいな?
そんな馬鹿犬の周りには、昨日見たような魔力のは漂っていない。
薄っすらと輝いて立ち昇るあの靄は、消え行く命の灯火そのものだった。
それがすべて今はガヴェルの体の中に納まっている。枯れ木老人の話によれば、おそらく体内に核ができ始めているとのこと。
話をつなぎ合わせれば、クソほど簡単に答えが出た。
「魔女には、魔力そのものに干渉できる力がある。魔人を生き永らえさせることも、命を奪うこともできる。だから、魔女」
奇跡を起こす存在が聖女ならば、その魔人特化型と言えばいいのか。……くだらない。
でもそんなくだらない話でも、男たちはそれぞれ顕著な反応を見せた。
枯れ木のような老人は、隙間の目立つ歯を見せて笑った。。
幽霊よりも生気のない男はまるで値踏みするように私を見つめ、
そして筋肉の塊男は立ち上がって――
「サリー! すごいね!」
「だああああ!」
太い両腕が私の胴をがっちり掴み、天井スレスレまで投げ上げられる。
味わったことのない浮遊感に、お腹の奥がギュッと絞られた雑巾のように苦しい。
体を縮こまらせる前に、ボスッと私の体は筋肉に包まれる。
安心したくないのに、バクバクと踊る鼓動がこの中は安全だと、そう判断してしまった。
ここについてまだ一日も経っていないのに、間違ってるだろう。落ち着け、自分。
すぐには平静を取り戻せない心臓をなだめて、ガヴェルの左右の耳をひっぱる。
「痛いよう」
「急に人を投げるからでしょ、馬鹿」
「でも楽しいでしょう?」
「楽しくないし。早く、降ろして」
いったい私は、何度、こいつの腕に抱え上げられなければならないのか。
数えるのも嫌になる。
ため息を吐くと、息がガヴェルの髪をふわりと揺らす。
赤い瞳を細めて嬉しそうにふふっと笑う。早く、降ろしてくれないかな。
「サリーは大事な人だから大事にしないと」
「別に大事にしなくていいから」
魔女という貴重な存在で、魔人にとっては保護対象、もっと言えば捕獲対象だろう。
これが魔人側に知られたら私はどうなるのか。
この場所からどこかへ連れ去られるのだろうか。連れ去られた先で、魔人たちにこの力を貸すのだろうか。
それが良いことなのか、悪い事なのか、判断ができない。
魔人のことも、自分の力のことも知らなさすぎるからだ。
ガヴェルの左耳をくいくいっと引っ張る。なんだこのもちもちは。
牛の乳しぼりのようにムッキュムッキュと揉みながら考えをまとめる。
「皆さんは、魔人や、魔力のこもった石、聖女に関して知識を持っているほう、なのよね?」
言葉遣いを丁寧にしようとして、今更だと普通に話す。
ニコラスはおそらく王族の立場から、魔人についての噂以上の真実を把握している。
ボードン爺はニコラスの主治医であり、魔力が人に及ぼす影響なども研究していそうだ。ガヴェルの核を作ろうとしていることからしても、魔力や魔人について詳しいだろう。
ガヴェルは護衛、兼、人体実験の被験者ってとこだろうか。
響きは悪いが本人に悲壮感はないし、ここにきて体調が良くなったのであれば一旦良いということで納得しよう。
「そうですね、サリー殿のおっしゃる通り、我々はそのような使命を帯びてここにおります。他にもローザンヌを含め、我々の下で働く者たちがおりますが、この場所での我々の役割を知る者はここにいる私たちが全てです」
ドン爺の言葉に、ガヴェルの耳で遊ぶ手を止める。
いけないいけない。家でも犬の耳掃除しながら考え事するのが癖だったのがここでも出てしまった。
長く伏せた耳の奥から耳カスの塊を出した時には爽快感があったものだ。あれと同時に考えがピカッとまとまったのだけど。
ガヴェルの耳では期待ができそうにもない……耳カスも少なそうだし。
「いくつか、教えてもらえる範囲で、教えて欲しいことがあります」
「あ、サリー、痛い痛い痛い」
よっこいしょっとカヴェルの耳を引っ張りながら腕から降りる。なんでこんなに床が遠いの。
ガヴェルはさすがに耳は弱いのか、降りる私に合わせてかがんでくれた。ううん、”くれた”という言い方は正しくない。
だって私が好んでガヴェルの腕に乗っていたわけではないのだから。
目の端でニコラスがフンっと小さく鼻を鳴らすのが見えた。
私の言い方が、先ほど王家の秘密だと質問に答えるのを突っぱねた彼への当てつけだと思ったらしい。
なんとも心の狭い男。生憎だが正解だ。私は嫌味を言えるチャンスは逃さない。
「ここに来てから何度も出てきた”魔力のこもった石”って長ったらしい名前、通称か仮称みたいなのはないの?」
早くこれを聞いておくべきだった。いたずらに会話の文字数がかさむじゃないか。
私の最初の質問があまりにも簡単すぎて意外だったのか、男性陣――ガヴェルを除く――は数度瞬きをしてからお互いの顔を見た。もちろんガヴェルを除く。
コホンと小さく咳ばらいをし、ニコラスが代表して答える。この誰が答えるのかっていうのは順番なのか。それとも内容によるのか聞きたい。
そうすれば誰に質問を投げればいいのか分かるのに。
「石には名前が付けられている。通称は魔魂石だ」
「魔人の魂が込められた石……趣味が悪い名前ね」
「数代前の国王が決めたと聞く」
「あら、素敵なご趣味」
組み合わせた両手を顔の横にくっつけ、わざとらしい笑顔を作る。
ニコラスの額がピクリと動いたようだが気にしない。わざとだし。
「通称ってことは、他にも名前があるの?」
「ああ。教会が保管している石、主に聖女が持つ魔魂石は”聖魂石”と呼ばれる」
「魔を入れないことで、魔人に関わる石だと分からないようにしている?」
「それもある。あとは聖女となる人物の魂を見分けるためという意味も込めている」
「こじつけね」
腕を組んで、フンっと鼻息を飛ばす。
ニコラスの幽霊のような顔が千年の恨みを抱いた怨霊のように歪んだ。
ここら辺が引き際か。
それにしても聖魂石、か。クッソ姉さまを聖女とした石だ。
私はもっとこの石について理解を深めるべきだ。だって魔人の持つ魔力と石、そして私の力は絶対に関係している。
クッソ姉は聖女の務めを全く理解することもなく、贅沢できるならばと話も聞かずに王都に行った。
結局聖女の名はハリボテだったとしても、私はそんな無責任なことはしたくない。
魔女であることの意味をきちんと理解したい。
「ドン爺……ガヴェルの中に石ができつつあるっていうのは本当?」
視線をボードン爺へと向けると、彼は目を細めたままゆっくりと頷く。
「この体の変化はその影響っていうことだけど、仕組みを教えてもらっても?」
「ええ。今までガヴェルは自分で魔力を作ることもできず、体内に一時的に取り込むことはできても全て放出してしまっていました。あの筋肉は漏れ出る魔力が途中で肉体に影響を及ぼしていたと考えられます。ですがサリー殿の力により、体の中に魔力を維持できることができ、石ができた結果、肉体も魔力の影響のない状態に戻ったということかと」
「そう……」
地味に長い説明にこめかみに指先を当てる。
しかし、あのバカでかい筋肉は魔力が放出される副作用によって、膨らんでいたということか。
体内に石ができれば、魔力が放出されることもなく、命にも影響はない。
石が成長すれば、いずれは自分の力で魔力を作ることができるようになるのだろうか。
成長は、可能なのか。もし、石が成長せずに壊れてしまった場合はどうなるのか。疑問が次々と浮かぶ。
いつの間にか下がってしまっていた視線を上げ、ちらりとガヴェルを見る。
なぜ、そんなにキラキラした目でこっちを見る?
今はあんたのことを真剣に話している最中なのだが?
「……ガヴェルの核はこれからどうなるとか、何か分かる?」
これまでずっとガヴェルを見てきた人なら何か分かるのではないか。そんな期待にもならない思いを乗せて、ドン爺へと質問を投げる。
彼は薄い笑いを浮かべたまま、風に揺れる枯れ木のようにゆらりと首を傾けた。
「そうですねぇ……とりあえず、数日、ガヴェルとサリー殿には一緒に寝てもらって様子を見るべきかと」
期待した私が馬鹿だった、クソッタレめ!