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6. 気づけよ、クソッタレ。



 もぞもぞと布団が動く。

 また勝手に犬が布団に入り込んできたのか。

 布団が臭くなるし毛もつくからやめろと言ったのに、馬鹿犬め。

 肌に触れるくすぐったさに肩を揺らす。

 手を伸ばし、わしゃわしゃと毛をかき混ぜる。朝ごはんはもうちょっと先。


「サリー?」


 私の名前を呼ぶ声がする。いつの間にうちの馬鹿犬は天才になったのか。

 ちゃんと「ワン」も言えなくて、「ワッフン」と間抜けな吠え方しかできない馬鹿だったのに。

 偉い偉い。褒めてあげる。


「サリー、くすぐったい。でも、もっとして?」

「ん、分かった。偉い偉い」

「僕、偉いの?」

「偉い」


 ふふふっと笑うと、同じように「んふふっ」と笑い声がする。

 鳴き声、変じゃないか?

 違和感から手が止まる。


「サリー? もう終わり?」


 おい、待て。待て待て待て。

 体がぎくりと強張った。

 直後、バネのように飛び起きる。

 文字通り、体をベッドから跳ね上げ、布団を跳ね飛ばして。


「うわぁ!」


 突然の私の動きに上がる驚きの声。

 人間の声。決して犬のものではなく……。

 そしてそこにいたのは──


「……だれ?」


 考える前に声が出た。

 目の前にいた男に全く見覚えがない。

 本物の犬でも、偽物の馬鹿犬であるガヴェルでもない。

 そこにいたのは、脳と耳にまで筋肉が詰まってそうな肉の塊とは違った。

 鍛え上げられた、第一線で剣を振るう剣士のような引き締まった体をしている男。

 もっとも、男爵領にそんな男はいなかったので、あくまで物語から思い浮かべる姿だけども。

 しいて言えば、私に罪状を告げに来た騎士隊長がこんな体つきをしていた気がする。

 まじまじと男の体を眺めたりしていないけど。


「さりー? なんでそんな悲しい事言うの?」


 へしょりと男の眉が下がる。

 喋り方は筋肉馬鹿犬とそっくり。

 ベッドから体を起こし、じっと、というか、じとっとこちを見てくる男。

 朝の光が黒い髪の奥深くに横たわる赤銅の色を浮かび上がらせる。

 うっすらと潤む瞳にも、ワインよりも鈍い赤。

 なんでか分からないけど、家族の誰よりも私を慕っていた犬に似た純粋な目。

 この目を、知っている。


「ガヴェル?」


 そして、馬鹿犬の名を呼ぶと――


「サリー!」

「ぐうぇぇえ!」


 大喜びしてとびかかってくるのだ。クソッタレが。

 筋肉の塊男が、筋肉鎧を纏った男にやや縮小されても重みはさして変わらない。

 押し倒され、ベッドに再び転がった自分にのしかかってくる体。男の、体だ。

 焦るべきだろうか。恐怖や羞恥を感じるべきだろうか。

 重すぎる肉布団とベッドに挟まれながら、薄く目を開けて朝の柔らかな光に照らされた天井を見上げる。

 そこになんの感情も湧かない。冷静な自分をさらに冷静に見つめている気分だ。


「どいて」


 ベチベチと可動域が制限された手を動かしてガヴェルの体の一部を叩く。

 一体どこを叩いているのかも分からない。なぜ手に触れる感触が服ではなく素肌なのかも知りたくない。

 さらに言えば、いつ寝たかを覚えていない自分がいる場所がどこなのかも追究したくない。


「サリー」


 満面の笑顔のまま、ガヴェルは起き上がり、ひょいっと私の体を引っ張り起こした。

 ああ、服は着ているな。私も、ガヴェルも。

 ただガヴェルは元々の筋肉を覆う大きさの服を着ていたためか、肉量が減ってダルダルになってしまっている。

 胸元を隠せ。女性ではないが、だがその露出面積は宜しくない。

 しまえしまえ。ダルッとずれている服の襟を整えると、昨日しがみついていた首の太さがすっきりとしているのが良く分かる。

 物語に出てくる闘技場にいる怪物のような筋肉男から、期待の新人の剣闘士になったような変化。

 どっちも見たことがないから想像しかできないけど。


「体に異常は?」

「無いよ! 元気」

「でしょうね」


 変化に気づいていないんだろうな、これは。

 さっさとドン爺に見せるべきだろう。

 昨日、食事の時に少しは話せるかと思っていたのに、いつの間にかいなくなっていて話せなかった。

 全てはガヴェルのせいだ。

 ため息を吐き、髪に手を当てる。旅の支度のまま洞窟に行き、食事に行き、そして寝た。

 男爵家でも毎日風呂に入れていたわけではないが、少しでも清潔にしたい。


「体を綺麗にしたいんだけど、どこか水を使えるところは?」

「みんな川の上の小屋を使うよ。そこで川に入るの」

「じゃ、そこに連れて行って。あ、タオルは?」

「僕のを貸してあげる」


 脳裏で、犬がドロドロになったお気に入りの毛布を咥えて引きずってくる光景が流れる。

 まさかそんな状態のタオルを持ってくるとは思いたくないが、きっとガヴェル用以外にもタオルはあるはずだ。


「そこはローザンヌさんに聞いてみる」

「うん」


 素直に頷くガヴェルを押しのけ、ベッドから足を下ろす。ご丁寧に靴と靴下は脱がされていた。

 厳格な貴族社会に浸かっていたわけではないが、これはもう結婚は無理だな。

 そもそも囚人としてこんな機密ばかりの辺境に送られていて、結婚をまだわずかにでも願ってしまう自分に呆れるけれど。


「ロジママはこの時間は食堂だよ」

「朝の忙しい時間に邪魔するのは避けるべきね」


 仕方がないがまだしばらくはこのままか。

 手でサッと服の皺を伸ばし、ついでに腕のあたりに鼻を当てて嗅ぐ。埃っぽさ以外は感じられない。


「サリー? 何か匂うの?」


 ベッドから同じように降りたガヴェルが突如後ろから首筋に鼻をあって息を吸い込んだ。

 すっと耳の後ろに風が通る。


「いい匂い」

「やっめい!」

「あっ!」


 思わず振り上げた手の甲がガヴェルの顔面に直撃した。いわゆる裏拳だ。

 バチンッと当たった私の手も痛い。


「ううう」

「行くよ」


 そういえばうちの馬鹿犬も良く人のスカートに頭を突っ込んでスンスンと嗅いできた。

 あそこまで変態ではないが、ガヴェルもしつけをしっかりしないと同じ事をやらかしそうで怖い。

 肉の塊から筋肉鎧男になったガヴェルを引き連れ、途中の手洗いによって多少の身だしなみを整えてから食堂に向かう。

 その間、たびたび私を抱き上げようとするガヴェルの手との攻防戦があったのは記憶から削除しておく。

 そこにはすでに昨日顔を合わせた三人ーー枯れ木老人、幽霊、そしてローザンヌがいた。

 それぞれ、ガヴェルの変化を目にして思い思いの反応を見せた。

 真っ先にドン爺が立ち上がり、あの薄気味悪い笑みを消した真剣な顔でがしりとガヴェルの両腕を掴んだ。


「ドン爺、おはよ」

「これは、何が?」


 なぜガヴェルの両腕を掴んだ状態で私に顔を向けて質問するのか。まあ、気持ちは分かるけど。


「朝起きたらこうなってました」

「夜の間に変化を?」

「おそらく。本人は体の異常もなく、変化にも気づいていない様子です」


 当てにならないガヴェルの代わりに私が説明する。そんな義理も責任も私に無いはずだが、どのみち私に聞き取りが回ってくるのは必然だ。

 上下に顔を動かし、ドン爺はガヴェルの腕をつかんだままぐっと目を細めた。


「核が出来上がりつつあるのかもしれない。すぐに検査を」

「僕! お腹空いた!」

「では食事の後に」


 駄々っ子の発言により朝食後に予定が決まる。間違いなくこれに私も付き合わされるのだろう。

 早く川で水浴びしたいのに。


「サリーさんのほうに不調は?」

「全くありません」

「それは良かった」


 薄笑いを顔に張り付けなおし、ドン爺は何かに納得するように頷く。

 こちらとしても変化に自分が関わっているかもしれないという予感はある。

 クッソ面倒だが自分に何かしらの力があるのならば把握しておかなくてはいけない。

 曲がりなりにもクソ姉が聖女とかいうクソな存在だったのである。

 自分の予期しないところでクソなゴタゴタに巻き込まれるのはもう十分だ。

 ガヴェルに連れられ、昨日も座った私の席に腰を下ろす。

 ガヴェルの左隣は枯れ木の様な医者、ドン爺。

 もしガヴェルが昨日の肉の塊のままだったら、視界を阻まれて見えなかったかもしれない。

 今もギリギリ見えるか見えないかだ。

 そんなドン爺のさらに左手、上座に当たる場所には幽霊男であるニコラス。

 彼は青白い生気のない目のまま私を見つめていた。著しい変化があったガヴェルではなく私を。

 そして乾いてひび割れた唇を動かし、消えそうにか細い声で告げた。


「君は、魔女か」



 んなわけあるか、クソッタレ。



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