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5. 食事は静かにするものだ。



 最初に入った建物が見えると、外に枯れ木老人とエプロンをつけた女性が立っていた。

 幽霊はもう休んだのだろか。おそらく幽霊は夜になると休むものだ。ここの幽霊に限っては。


 私はぐったりとカヴェルの腕に乗せられたまま。

 もう抵抗する気力もない。

 ガヴェルの足で数分で駆け抜けた距離は私の足では果てしなかった。

 畑仕事をして基礎的な体力はある方だけど、あんな洞窟の奥から戻ってこれるわけがない。

 主人をお気に入りの場所に引っ張っていきたいと興奮する馬鹿犬のように、人語を理解するはずなのに全く聞き分けのないガヴェルに抵抗する気力などもう皆無だった。

 いいんだ。ここでの私の存在意義もプライドも塵に等しいのだから。


「やっと帰ってきたか」


 ため息を混ぜ込んだ一言をドン爺が呟く。

 私は全く悪くない。悪いのは、この脳にも耳にも筋肉が詰まっている男である。


「サリーと洞窟行ってきた!」

「まあ、そんなことだろうとは思っていた。夕食は取っておいたから食べて休みなさい」


 そう言って枯れ木のような老人は建物の中に入ろうと踵を返す。

 その背中に向かって私は慌てて声をかけた。


「すみません! 私は囚人なのですが、そのご飯は私も食べていいのでしょうか?」


 足を止めたドン爺はガヴェルの腕に座ったままの私を見上げて肩をすくめる。

 私は断じてこの状況に甘んじているわけではない。この駄犬が下ろしてくれないのだ。

 もう建物に着いたのだからそろそろ私も懐かしい地面と触れ合ってみたい。

 決して筋肉の塊の椅子に座ることをこのでいるわけではないのだ。

 そもそもこの男との付き合いはそっちのほうが……


「それはこっちのローザンヌが準備をしている」

「食事と、あと部屋は準備しておいた。囚人とは言っても女だからね。あたしの部屋の隣だよ」

「えー、僕、サリーと一緒に寝たい」

「絶対、いや」


 何が嬉しくて筋肉男と一緒に寝なくてはいけないのか。

 そんな顔をするな。数十秒で餌を食べつくして空っぽになった餌入れに呆然とする犬か。

 そんな悲しそうな目で見つめられても私は妥協しない。餌のお代わりはない。

 おやつはあるかもしれないけど。


「とりあえず、お腹が空いた」

「そうだね!」


 そのまま建物に入ろうとするガヴェルの肩をドスドスと軽く握った手で叩く。

 クッソ硬い。筋肉の塊といえど、もっと柔らかい部分もあるはずだろう。


「手を痛めるよ」

「だったら降ろして」

「でもころんじゃうよ」

「こんな平らな場所で転ぶわけないでしょう」

「本当に歩ける? サリー、軽すぎるよ。骨だけで歩けるの?」

「女性に対して失礼」


 こんな話をしている間にガヴェルはずんずんと建物内を進む。

 食堂の場所など知らないからどのみちガヴェルに案内してもらわなくてはいけなかった。

 だが案内だ。物理的に運ばれたいなどとは一瞬たりとも考えたことなどない。


「ごはん!」


 一階端にある大きな扉を開け、ガヴェルがクッソ元気な声を上げながら進む。

 ちょっと低くなった扉の上部が迫り、私は咄嗟にガヴェルに体を寄せてその太い首にしがみつく。

 喜ぶな、馬鹿犬。

 食堂に入るとふわりと料理の香りが漂ってきた。焼いた肉の香ばしい脂と、優しい煮込んだスープの香り。

 くうぅぅんっと情けない犬のような音が鳴った。

 私の、お腹からだ。


「ロジママ! 早く!サリーが死んじゃう!」

「死ぬか、馬鹿!」


 羞恥で顔を赤くしたまま、勢いよくガヴェルの頭を叩く。

 思ったより手触りの良い、赤銅をにじませた黒の髪がサラリと流れた。

 悔しい。私の髪よりサラサラじゃないか。私のふわふわの金の巻き毛は旅の間に見事にぺっしゃんこだというのに。

 思わず叩いた手をそのままに髪を引っ張ってみる。


「何ー、サリー。痛いよー」

「こんなのなんのダメージもないくせに」


 それとも筋肉の塊でも頭皮は弱いのか。ツンツンと引っ張るとクスクスと笑う。

 ついでに私の手に押し付けるようにして頭をぐりぐりと揺らしてくる。お風呂に入れたばかりの馬鹿犬のようだ。

 お風呂嫌いで暴れまくって、乾かすと言っても逃げて、それで最後疲れたとアピールするようにすり寄ってくる馬鹿犬。


「早く席に着きな。こっちは片づけが滞ってんだ」


 後ろからついてきた先ほどの女性から冷静な指示が飛ぶ。

 そうだ。食堂だ。馬鹿犬のせいで忘れるところだった。


「ロジママのごはんは美味しいけど、いつも怖いから気を付けてね」

「……いつになったらあたしの名前はローザンヌだってのを覚えるんだい」


 不機嫌な表情のまま厨房に入って行こうとするローザンヌ。

 しまった。名前をまだしっかり聞いてもいなかった。


「ローザンヌさん。ご挨拶が遅れてすみません。今日からお世話になります、サリーと申します」

「挨拶ならちゃんと立ってすべきでないかい?」

「そ、そうですよね。ちょっと、早く、降ろして」

「だめ。椅子まで連れてく」


 クソッタレ! 人の言葉をちゃんと理解しろ、馬鹿犬!

 いい加減叩くことにも疲れ、深い溜息を吐く。

 流れた空気がくすぐったかったのか、筋肉馬鹿犬男は目を細めた。


「あっちだよ。僕の席。サリーは隣」

「勝手に決めないで」

「座るの辛い? 膝の上の方が良かった?」

「隣で」


 断る。誰が、膝の上で食べるか。あほか。

 ずんずんといつも座っているだろうテーブルの元に進む駄犬ガヴェル。

 食堂自体広くはない。十人か十五人入ればいっぱいになる。そりゃ、そうか。こんな秘匿された場所。

 そんなに多く住んでいるとは思えない。

 今のところ会ったのは最初の荷下ろしで三人、建物に入ってガヴェルを含む三人、

 そして食堂でローザンヌ。七人。そこに私が入って八人だ。

 今後私はローザンヌの部下になる可能性が高い。

 ちゃんと挨拶をしたいのに、このアホの! せいで!

 ため息を押し殺し、ガヴェルの腕から木のシンプルな椅子に移る。この間、床に足を下ろしていない。

 クソ、恥ずかしい。


「僕、こっちね」


 そうにこやかに告げてガヴェルが腰を下ろす。

 ギッと木の椅子が小さな悲鳴を上げた。強度をもう三倍は強くするべきじゃないか?

 テーブルの端から一つあけた席がガヴェルの定位置らしい。その右隣りが嬉しくもないが私の席に決まった。

 もっと遠くが良かった。でももしローザンヌの元で働くことになったら、食事時間はずれる可能性もある。

 そう、それに賭けよう。


「まったく、とっとと食って、とっとと寝な」

「ロジママのご飯、美味しいよ。僕、こんなに元気になったもん」


 馬鹿犬のセリフに、ローザンヌが巨大な皿をテーブルに置きながら首を左右に振る。


「こんな馬鹿みたいにでかくなったのにあたしは関係ないよ。喋るより食うのに口を使いな」


 ふんっと鼻を鳴らして去っていくローザンヌ。

 働き者のすっと通った背筋が頼もしい。ぶっきらぼうでいて温かみがある。

 ぜひあんな女性になりたいものだ。私はどうしても悪態が先について格好良くできない。


「サリー、食べないの? あーんする?」

「するか、馬鹿」


 私の計画が上手く進まないのは、この馬鹿犬がすべて悪いと思い始めている。


 


 ローザンヌの料理はすべて美味しかった。

 こんな町から遠く離れた場所で食材は限られているだろうに、野菜や干し肉などを使って深みのある味わいがある料理ばかりだった。

 ただ、一緒にいた筋肉の塊であるガヴェルのために用意された量だったため、私には多すぎた。

 元々男爵家では料理人もおらず、胃の弱い父親のために薄味の料理を食べていたし、

 旅の間もいつも疲れが抜けず、もともと薄い肉がさらに落ちてしまった。

 残った料理は、お代わりをもらった馬鹿犬みたいに全身で喜びを表現したガヴェルがすべて平らげた。

 山のような料理が消えうせ、綺麗に空になった皿はある種の美しさがある。ちょっとだけ褒めてあげよう。


「サリー、あとちょっとだよ」

「ん……」


 温かなスープが体に染みわたり、血液がゆったりめぐっているのを感じる。

 幸せだ。でもこんな些細な事で幸せを感じる自分に虚しさも覚える。


「サリー? もう寝るの?」

「あんたら、食べ終わったならとっとと出ていきな」

「ん~、サリー寝ちゃった。僕、連れてくね」


 椅子から抱き上げられて浮遊感を覚えたのを最後に、私の記憶はぷっつりと途切れた。



次回投稿は週末を挟んで月曜10時です。

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