4. 深い穴の中で命のレースを。
「僕、ガヴェル。十七歳」
「じゅうなな!?」
「うん。あ、あと二つ月が出たら十八歳」
「十八……」
筋肉の塊のような腕に囲われ、私はぱかんと口を開けた。
同時に開いた両目には、覆うように分厚い左の手のひらが目の上に当てられている。
今私は、壁沿いに腰を下ろした男の胡坐の上に座っている。
腰に回されたこの男──ガヴェルの腕は力は入っていなくっても逃げられる気がしない。
実際、床に座ろうと体をちょっと動かしただけですぐに膝上に戻された。
畑仕事で地面に座ることなど慣れているのだから、放して欲しい。
男の膝の上に載っていることの方がクソ大問題だ。
「何食べたらこんなにでかくなるんだか」
「あ、僕、魔人が半分なんだって」
「半分。親が片方魔人?」
「そう。お母さんが魔人って聞いた」
「ふーん」
暗闇の中、ガヴェルの声が耳と体に響く。
知らなかった。こんなに近くで触れ合っていると声は皮膚を通しても伝わってくるんだ。
クッソどうでもいい知識だ。
「サリー、目、大丈夫?」
「目も頭も痛い。クラクラする」
「そっか。大変だね」
「あんたのせいだけどね」
のほほんと、全く大変だと思ってなさそうな声が返ってくる。
急に大量の魔力を見続けたからか、突然鼻血が出た。それをガヴェルに舐めとられたことは記憶から抹消した。
何もなかった。そう、私の鼻から流れた血は、犬が舐めただけだ。以上。
鼻血はすぐ止まったけれど、目の奥は痛いし、頭も痛い。くらくらと眩暈に襲われた私を支えて座らせてくれたのはこの男だ。
原因もこの男なのだけれども。
それにしても、こんな極秘を聞いてもいいのだろうか。
魔人と人間のハーフなど聞いたことない。
生殖能力や繁殖の仕方が同じだとは知らなかった。もしくは魔人の持つ魔力のごり押しの奇跡なのかもしれないが。
「僕の体、ずっと弱かったのにここに来たら元気になった。だけどニコはどんどんちっちゃくなっちゃった。魔力のせいだって」
「魔力が足りなくて弱ってたってこと?」
「んー、ちょっと違う」
「ちゃんと説明して」
パシリと男の硬い太ももを叩く。
何が嬉しいのか、「へへへ」と笑って私を囲う右腕に力を込めた。本当に、理解できない。
とりあえず犬と思えばいいのか。ちょっと、だいぶ頭の足りない犬。
「うまく言えないけどいい?」
「そこは頑張って」
「ええ~」
ええ~じゃない。少しは頭を使え。頭を。でかい体を制御するために、そこそこでかい頭しているだろうが。
ぽすぽすとほぼダメージ皆無なのを分かっていててガヴェルの足を叩く。このままだと私の手が痛くなりそうだ。クソッタレ。
ん~ん~と唸る声と振動が触れ合った体から伝わってくる。
旅の疲れと洞窟内のひんやりした空気、背中を覆う温もりと視界を覆う暗闇。
男爵家の屋敷の布団はしょぼくって、重さが乗っているだけだった。
でも今体を包んでいるのはもっと極上の布団だ。丁度良い温かさと重み。
「ん~、魔力は、魔人の命と同じなの」
「……命」
「そ。魔人の中にある心臓みたいな核から魔人の体を作ってる」
「人間の血液みたいなものってことね」
「そうそう。いっぱい漏れちゃうとだめなの」
依然大きなガヴェルの左手で両目を覆われたまま、先ほど見た光景を思い出す。
この男の体から立ち上っていた魔力。それは本来ならば体の中にないといけないものではないのか。
魔力が絶えず体から漏れ続けているのは……それは人間にとって血を流し続けていることに等しいのではないのか。
寒くないのに体が震えた。そんな私をあやすようにガヴェルがゆらりゆらりと揺れる。やめろ、酔うだろが。
「大丈夫なの?」
「ん、僕?」
「そう。魔力が漏れているってことでしょ」
「多分? ここにいると全然苦しくない」
子供の頃、体が弱かった時は胸が痛かったり呼吸がしづらい時もあったと言う。
でもこの場所に来て一年もたてば体調不良は無くなり、二年たったら急激に体が成長したらしい。
成長しすぎだ。それに脳みその成長を忘れるな。忘れていることにも気づいていないのか。
「僕は本物の魔人じゃないから、魔力を作る核がないみたい。そうドン爺が言ってた」
「ドン爺。あの枯れ木みたいな」
「そうそう。ポキッと折れちゃいそうなのに元気で面白いよね」
「クソほども面白くない」
「え~」
私の答えにクスクスと笑って体を揺らす。背中がくすぐったいから笑うな。
核がない……つまり、この男はこの土地から離れたらいずれ体の中に取り込んだ魔力を失い、
体調不良を起こし、衰弱してしまうのだろう。
魔力への拒否症状がある幽霊男も辛いだろうが、こいつもそこそこ酷な人生を歩んでいる。
私の同情は何の糧にもならないだろうが。
持て余した虚しさを押し付けるように、男の膝をパシパシと叩く。
「ここは、何? なんで魔力があるの?」
虚空に投げるように質問を重ねる。
魔力が魔人の体の核から生まれるのならば、ここに漂う魔力は一体何か。
そして、男たちが探し求める魔力が詰まった石とは──
「ここは、お墓だよ」
内容と相反するクッソ明るい声でガヴェルは言った。
反射的に跳ねた私の体を押さえるようにガヴェルの体の重みが増す。
後頭部に押し当てられた彼の額。
ちょっとだけぐずるような、甘えるような仕草。やっぱり犬だ。
「魔人は年をとると核が崩れて、魔力を体の中に保てなくなるんだって。ゆるく、ゆっくり空気に溶けてなくなる。ここはそんな魔人のお墓。いつ死んだのかも分からないけど」
私の耳近くに寄せられた唇が動くのが伝わる。
潜めた声が直接鼓膜を揺らしてこそばゆい。
「僕は、死んじゃった魔人さんのおかげで生きてる。きっとこれからも、そんな場所を探して生きていかなくちゃいけないって」
「それも、ドン爺が?」
「うん。核を、えーっと、ぎ、ぎ、擬人的に作れればどうにかなるかもとかどうとか」
「疑似的。人工の核を作るなんて、途方もないし、需要もないでしょうね。研究材料としては面白いでしょうけど」
「面白いならいいね」
こちらの言いたいことを分かっていない馬鹿犬が笑う。
せめて自分に関係することはちゃんと覚えろ。
疑似的に魔石を作る。つまりは魔力を生み出すような石は見つかっていないということ。
いや、あてはある。
体の中から魔力を生み出す核が、ある。
でもそれは──
「魔力を持った石は、ない?」
「無いよ……欲しかったら、魔人を捕まえて生きたまま体の中から」
「分かった。分かったから」
全てを聞かずに話を遮る。
一つ一つ、疑問を、懸念を、不信を拭っていく。
ガヴェルは魔力があると元気。
魔力石はない。
魔力が漂うのはこのあたりだけのようだ。ここに来なければ魔力への拒否反応は出ないはず。
であるならば──
「ニコ……ニコラス? って人は、どうしてあそこまで弱ったの?」
「んー、んー、ね。内緒、できる?」
左手が下ろされ、瞼の覆いが外される。
気温は変わらないはずなのに、目のあたりがひんやりする。
ゆっくりと瞼を上げると、もうあの靄は見えない。
今も周囲に漂い、この男からも立ち昇っているだろうあの魔力。
文字通りの命の火。
見ようと思えば見えるだろう。でもしばらくは見ないふりをしておこう。
「秘密は守る。そもそも言う相手なんていないし」
「ん~、多分ね、誰か、近くにいるよ」
「誰か?」
「そう、魔人さん」
薄暗い洞窟の中。必要以上にひそめられた声が告げた。
とろんと微睡みに誘われていた意識が覚醒する。
そうか。いるのだ、魔人が。
死の近づいた、魔力の核が壊れた魔人がこの近くに。
だからあの幽霊男はどんどん衰弱していっている。
魔人がすべて魔力になって消えるのが先か。
幽霊男が本当に幽霊になるのが先か。
まるで命を懸けたレース。
クソッタレにもほどがあるだろう。