2. 罪人は馬車に乗って。
私が送られることになった開拓地は、クソ田舎な男爵領からさらにクッソ離れていた。
まあ、逃げ出してすぐに帰れるような場所には送らないだろうとは思っていたけど。
馬車がたどり着いた場所に、逃亡者を防ぐための柵はなかった。
ただここから離れることは無理だろう、と馬車の荷台から過ぎていく景色を見て思った。
──もっと早くから気づくべきだった。
歪みそうになる唇を噛んで、自分の鈍感さを嘆く。
未開の土地? 開拓? そんなものがどこにある?
大陸の情勢が安定して数百年。
各国が我が物と定義づけた国境線に変化はない。
それは私の住むこの国も同じだ。だから国境線を越えた場所に未開の土地などない。
では国内か?
開拓が必要な山や森はある。でも人が住む場所から遠く離れたところを開拓してどうなる。
街道や交易に人手が必要な場所は多くある。それらの優先度を下げてまで開拓すべき場所など思いつかなかった。
「なるほど、ね」
壁のように切り立った崖の間を縫って馬車は進み、やがてゆっくりと谷の奥底で止まる。
頭上に覆いかぶさる岩山を見上げ、思わず笑いが漏れた。
「あの岩を爆破させれば証拠隠滅は簡単そう」
私の呟きに、兵士がぎょっとした顔をする。
視線を頭上から前に戻すと、やたらとしっかりした造りの木造の建物の中から数人男たちが出てきた。
私を出迎えるためなどではなく、この荷馬車に乗っている物資が目当てだ。
私の想像通り、一人は御者と荷物の確認をし、他の男たちはさっさと荷物を運び始めた。
「私も手伝えばいい?」
「いえ、ここの責任者に挨拶が必要ですので一緒に来てください」
兵士の手を借りることなく荷台から地面におり、先ほど男たちが出てきた建物に向かう。
見る限り周囲の環境は清潔に保たれている。
谷の合間にある限られた土地だが、川も流れているし畑もある。艶々な野菜がいくつか見えた。男爵家の畑より実りが良さそうだ。
つまり自給自足はある程度できている。食料の物資は肉や酒か。
畑を抜け、たどり着いた建物には紋章などない。
当たり前だ。あってはならぬ場所に紋章など掲げていたら脳みそに詰まっているのはクソどころか蛆だ。
兵士の一人が場所を尋ねることなく建物の中を進んでいく。
迷いない足取りを見ると、彼は何度かここに足を運んだことがあるのだろう。可哀そうな方の兵士は私と同じく初めてといったところ。
今後罪人の護送は彼が担うのだろうか。可哀そうに。
こんな秘密を知ってしまったら、明るい将来などなさそうだ。
「失礼します。囚人を連れてきました」
罪人ではなく、囚人か。
私自身は罪を犯していないのだから囚人になるような覚えもないのだけど。
あのクソ姉さまを生み出した家と言うだけでそんなにも罪深いものか。
思考がさまよっている間に部屋に通される。
執務室というよりかは十人以上が集まれる会議室のような作り。
床は絨毯も引かれていないむき出しの板のまま。並べられたいくつかの机も天板と足があるだけの簡素なものだ。
サッと中を一瞥する間に、証書が一人の男に手渡された。
部屋にいたのは三人の男。
やたらごつい肉の塊、白髭をはやした枯れ木老人、そして今証書を受け取ったのは不健康が服を着た状態を具現化した生き物。
「元聖女の妹であり、元男爵家令嬢サリー……か」
証書の中身を読み、全く出ていないかすれた声で人の名を呼ぶ。途端、幽霊に背中を撫でられたような悪寒が走った。
温かい声を出せとは言わない。感情をこめろとも言わない。せめて、その積年の恨みで眠りにつけない怨霊のような声はやめて欲しい。
視線がこちらに向いた。骸骨でももうちょっと澄んだ目をしているのではないかと思うほどに淀んでいる。骸骨に目がないというのは分かっている。今のはあくまで例えだ。クソほども面白くないけど。
心の中の煩い自分を押さえ、私はゆっくりと口角を上げる。
「お初にお目にかかります。元ヒューズ男爵家が次女、サリーと申します」
ボロボロになったスカートの両端を摘み、足をひいて頭を下げる。
ここまで一緒に行動していた兵士が驚いたのか、体を揺らした。失礼な。これでも元貴族令嬢。多少のマナーぐらい覚えている。
バ母様とクソ姉さまのせいで披露する場などなかったけれど。初披露がこんな国家機密級の採掘場だなんて、なんてクソッタレ。
「……その挨拶は今後不要。マナーなどくそほどにも役に立たん」
「至極同感ですわね」
乾いた声が告げた内容に、心の底から同意しつつ体を起こす。
落ちくぼんだ眼光は淀んでいて、本当に見えているのかと疑いたくなる。
枯れ木のような老人のほうがもうちょっと生命力のある目をしている。
「体力があるようには見えんが」
「清貧な生活を送っておりましたので多少見目は悪いですが、田畑や家畜の世話は慣れております」
目を細めたまま応える私に、男はどうでもいいというような息を吐いた。
こっちこそ、そちらが何を思ってもどうでもいい。
それから手元の証書にサインをし、兵士に手渡す。これで彼らの任務は完了だ。
「ここまでご苦労様でした」
しっかりと頭を下げる。何ならさっきの挨拶よりも丁寧に。
兵士たちはわずかに身じろいだ後、礼を取って部屋を出て行った。
名を名乗ることもなく、無駄話をするわけでもなかった。
だが長い道のりの間、私への気遣いや一定の配慮を示してくれた。ただの囚人に過ぎない娘に。
ま、行き先がこんな場所だから同情もあったのだろう。
「魔の谷──本当にあるとは思わなかった」
彼らの足音が十分に遠ざかってから呟く。
途端、部屋の空気が変わった。
肉の塊な巨男は獰猛な笑みを浮かべ、
枯れ木老人はカサカサと葉擦れのような笑いを立て、
幽霊のような男はため込んだ呪詛を吐くように口をゆがめた。
さあ、クソッタレども、新しいエサを楽しむがいい。
部屋の中に走った異様な緊張。
意外にもそれを最初に破ったのは、枯れ木のようなジジイだった。
「嬢ちゃんは、どうしてそう思ったのかね?」
喉奥でヒッと笑う音が鳴る。
何が楽しいのか、クソじじい。
「元貴族の女を修道院などに押し込むのではなく、労働役に課したところから変だと思ってた。開拓する場所なんてないし、こんな谷に押し込むのには理由がある。それに──そっちの人」
そう言って顔を幽霊よりも生気のない男に向ける。
「明らかに健康を害してる。何かの中毒症状か、拒否反応ってところ? 医者もいるっぽいのに治らないのは、それが普通の病気じゃないから」
順番に男たちを見る。
それぞれ、ここで担う役割も大体想像がつく。
そして私がここに呼ばれた理由も。激しくクソッタレな理由に。
「考えられるのは、ここの谷が持つ特性が、人間のものに起因していないから。ってことは魔人関連しかない。あ、言っとくけど、私に魔を無効化する力なんてないから」
私の言葉に、枯れ木と幽霊が暴風にさらされたかのように大きく揺れた。
図星か、クソッタレめ。
この世界で魔力を持つのは魔人たちのみ。
地の底に住み、地下で発展した独自の文化を持つ。時折地上に出てきて多少人間を小突いてからかうこと以外、特に関わりもない。
それでも人は怯える。
その対抗策として人に担ぎ上げられるのは聖女という存在。
聖女が聖女とされる理由。
それは魔力が効かないというただそれだけのこと。
魔人の持つ魔力を無効化する力がある人間は男でも女でも尊いとされるのだ。
あのクソッタレなクソ姉さまが、そんな尊いわけがないのだが。
「生憎、そこのお坊ちゃんを真っ当な人間に戻すのは私には無理。最善策は、とっとと魔人が好むっていう魔力がこもった石の採掘はやめて、ここから逃げ出すことね」
ヒラヒラと手を振る。
自分に価値があるように見せることもできた。だがそれはこの状況を見るに悪手だ。
恐らく枯れ木ジジイはたぶん医者。
肉男はたぶん護衛か魔力のこもった石の採取担当。
そして幽霊男はこの場の責任者であり、国政に関わる人物。
一番尊い家系図のどこかに引っかかる立場だろう。
その人物が死にかけているのに、時間を引っ張っている余裕などない。
それに、私は自分の命や他人の寿命を賭けの対価に差し出すようなクソな性格はしていない。
正直者が馬鹿を見るなら、ここで馬鹿をさらけ出してとっとと用済みの烙印を押してもらおうじゃないか。
「……ニコラス様、やはり」
「ここを出るのは無理だ。私が魔力に耐性がない事が明らかになってしまう」
ああ、ほら、クソッタレな理由が飛び出した。
魔力への耐性がないことは、つまり魔人に対して圧倒的に弱い立場になる。
せめてハリボテの均衡を保ちたい人間、厳密に言えば人間を治める立場の人たちにとって弱点となる。
そして一人見つかれば、他にもそのような人間がいるのではないかと考えるのは自然。
それが人々に広まって同じ弱点を持つ人が多く見つかれば、魔人への恐怖がさらに増すことになるだろう。
だって耐性のない人たちにとって、魔人は致死性の病原菌に等しいから。
クソッタレな事情と矜持のために命を犠牲にする。本当にクソとしか言えない。
哀れだ。こんなところで石の採掘なんて任務を与えられなければ、自分の体の欠陥も知らず、長生きできただろうに。