26. みんな、さようなら。
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フレーシャの服と核は、それぞれローザンヌとニコラスの手に渡った。
ローザンヌは覚悟をしていたようで、服を受け取った後、私とガヴェルに向かって深く頭を下げた。
対して核を受け取ることになるとはこれっぽっちも思っていなかったニコラスは、ガヴェルがぞんざいに差し出した核を見て激しく動揺し、直後どこかに勢いよく走り去っていった。
その後姿を見送ってから、ローザンヌやガヴェルと顔を見合わせていると、すぐにニコラスは王族らしからぬ騒々しい足音を立てて戻ってきた。
そのニコラスの手には四角い箱。
「宝石箱?」
明らかに箱だけでも一財産どころか、十人以上を生涯養えそうなほど金銀宝石で装飾されている。
ニコラスは呼吸を荒げたまま、箱のどこかしらをいじって蓋を開けたと思ったら、上下さかさまにひっくり返した。
途端、宝石や金貨がガチャガチャガチャッと音を派手な立てて床に散らばる。
「ひっ!」
「あ~あ」
「これに! この中に! フレーシャ様の核を!」
「あ、うん」
悲痛な悲鳴を上げるローザンヌと、「やったよ、こいつ」という思いを乗せてため息を吐いた私。
ニコラスに指示され、ガヴェルは赤いビロードだけが敷かれた空っぽの箱に核をポンッと転がす。
しばらくそれをじっと見つめて、ニコラスは胸元から取り出したハンカチーフで核を丁寧に宝石箱の中央に設置し、そっと蓋をしめた。
宝石箱を胸元に抱きしめ、陶酔するように深呼吸するニコラス。
その時のニコラスの表情は……いや、もう何も言うまい。あれは見てはいけないものだ。
気まずさから、ローザンヌと同時にニコラスの顔から視線を逸らす。
とりあえず、魔王。残念だけど、確実に、ニコラスが生きている間はあの核は魔王の手には渡らない。
それがガヴェルの狙い通りだったのかは知らないけれど、あの場で私たちにできる最良の判断だったと確信した。
それから数度、辺境の秘められた谷から王都へと書簡が運ばれ、気が付けば私がここに来てから二年近くの月日が経っていた。
予定していた時刻通り、辺境に来るには上等な、でも王族が乗るにはしょぼい馬車が二台、屋敷の玄関前に寄せられる。
屋敷前で待機していた使用人たちが、次々と二台目の馬車に屋敷から運び出した荷物を積み込んでいく。
それを横目に見ながら、私は隣のガヴェルに声をかけた。
「ガヴェルは手伝わなくていいの?」
実際、昨日まで大きな荷物の移動などは手伝っていたはずなのに。
なぜ今日は手伝わないのかと問えば、
「僕、今日からこの場所の一番偉い人だから、下働きしてるとこを他の人に見せるなって、ニコが」
との答えが返ってきた。
ちらり、とガヴェルの肉の壁の向こうでほぼ見えない、幽霊から歩く骸骨程度には人間に近づいてきたニコラスを見る。
今日旅立つ彼に代わって、ガヴェルがこの王家直轄地の代官の地位につく。それに合わせて、なぜか私まで代官補佐の職が与えられた。罪人からずいぶんな昇格だ。
「ニコラス殿下、準備が整いました」
使用人と共に馬車や荷物の確認をしていた兵士が近づき、ニコラスに向けて報告をする。
その声と雰囲気に覚えがあり、ついじっと兵士を見つめた。その視界が暗闇に覆われる。
「サリー? 何であの兵士さん見てるの?」
「……私がここに来た時に一緒だった兵士の人だなと思って」
「ここに……も、もしかして、数週間ずっと馬車で一緒にいた人!? ま、まさか、サ、サリー?」
「ちょっと、馬鹿な妄想とかしないでよ!?」
目の前の手を引きはがし、ガヴェルの手の甲の皮を思いっきり引っ張る。硬い筋肉ばかりなのに皮膚は本当によく伸びる。
全く、男性なんて興味ないのに──ガヴェル以外は。そろそろそれを理解してくれないのか、この馬鹿犬。
それか私の方が愛情表現を……もう少しだけ素直に出してみるべきなのかも。
ガヴェルが変ないちゃもんを付ける前に、兵士は報告を終えて一礼してニコラスの前から去っていく。
「ではな」
仰々しい挨拶もなく、ニコラスは両手でしっかりと鍵のかかった宝石箱を持って馬車に乗り込む。
王族であり、魔力に耐性のないニコラスがこの地を訪れることは二度とないだろう。
そして私とガヴェルはここで生きていく。
それでも別れを惜しむような感動的な言葉はない。魔人と魔女とをつなぐ責任者はニコラスだから今後も付き合いは続いていくのだから、これでいいのだ。
ゆっくりと、騒々しい音を立てて走り出した馬車を見送る。
きっと、これがこの地にいた者たちの最良の別れだ。
「さ、行こうか」
「うん」
ガヴェルの差し出した手に自然と自分の手を重ねて歩き出す。
一緒に見送りに出ていたローザンヌもその後に続きながら、「ガヴェルが代官ってことは」と呟く。
その声に二人同時に振り返れば、
「ガヴェル様って呼んだ方がいいのかい?」
と真面目な顔なのに、どこかからかいを含んだ目で尋ねた。
「え~、やだやだ。そんな風に呼ばないでよ、ロジママァ」
ガヴェル様……あまりにも似合わない呼称に笑いそうになる。
ローザンヌも同じことを思ったようで、
「そうだね、人の名前をちゃんと呼べない代官なんて、敬う必要もなさそうだ」
と結論した。
ローザンヌの態度は私が魔女だと知っても、ガヴェルが代官となっても変わらない。
そう考えると、私がこの地に初めて来た時から全く変わっていないのはローザンヌくらいか。
枯れ木老人ホードンは自らの強欲から命を落とし、フレーシャは魔人としての長い生を終え、幽霊より生気のなかったニコラスは徐々に健康を取り戻して王族として復帰、脳みそまで筋肉が詰まったような岩男だったガヴェルは多少筋肉量多めくらいの体型になったついでに代官となり、私は罪人から魔女兼代官補佐となった。
こんな変化とは無縁に見える辺境で、変化が多すぎではないか。
なんとなく面白くなって、二人の会話に混ざる。
「ね、ローザンヌ。私もロジママって呼んでいい?」
「なんだい、あんたまで」
「その方が親しみがあるかなって」
「うん、いいよ!」
「あんたには聞いてないよ」
「ガヴェルには聞いてないし」
二人同時に発した言葉に、ガヴェルはきょとんとした後に笑い出す。
つられてローザンヌと私まで気が抜けたように笑いあう。
これからここで三人、ゆっくりと変わらない日々が始まる。
こんな始まり方もいいだろう。
壁のような岩山に囲まれた辺境で、笑い声がこだまするように響いた。




