25. 旅立ったものから、旅立つものへの土産。
私たちの心の籠らない反応に、魔王は長いまつ毛を伏せて嘆息する。
ガヴェルは手の中でコロコロと核を転がして遊んだ後、「うん」っと何か決意したように大きく頷いた。
「これ、ニコに渡しておく」
「……なんでだ?」
きつく眦を上げる魔王に対して、ガヴェルはことさら無邪気な笑顔を返す。
「だって、おじさん、教会の石を勝手にもらっちゃったんでしょ? だったら、代わりにこれをどうぞってニコから渡してもらおうかなって」
なるほど。それは確かに正論。ガヴェル、良い意見だ。グッドボーイ。
最善は魔王が持っている聖魂石と、フレーシャの核をこの場で交換し、ニコラス経由で聖魂石を教会に戻してもらうことだけど……そうなると、クソ姉の罪が軽くなるとか。考えるだけで嫌だな。
でもニコラスならフレーシャの核をやすやすと魔王には渡さない気がする。教会にも渡さない気がするけど、そこは気づかないふりで。
「魔王の存在は、必要なのは僕も分かる。ニコラスっていう、魔力に対して免疫がない人がいるのは初めて知ったし、魔法っていう存在も人間には恐怖に映るもの。どこかで人間と魔人に軋轢が生じた時、魔王は必要だよ。でも、今じゃないのは魔王も分かるでしょ?」
すらすらと淀みない言葉がガヴェルの口から紡ぎ出される。
数か月間かけてガヴェルの成長を徐々に受け入れてきたけれど、いまだに違和感が激しい。
盗み見るようにして確認した魔王は、ガヴェルの意見に同意とも理解したとも取れるように一つ頷いただけだった。それから手にした聖魂石を上着のあわせから懐に戻し顔を上げた。
「今のところは、それでいいだろう。私の核は少なくともあと数百年は問題ないはず。人間との関係を見るには十分な時間だ」
なんだ。思った以上に魔王は今の核のままで支障ないのか。
私が安堵している間に、魔王がまた何か別の物を懐から取り出した。あの軍服風の上着はだいぶタイトな作りをしているように見えるのに、ずいぶんと色々入れていられるものだ。
そんな他所事を考えていた私の前に、一通の封筒が差し出される。
これは……どこか見たことがある。
というか、この封筒、どう考えても男爵家で使っていたものに見える。
「えっと、これは?」
誰か、男爵家ゆかりの人からの手紙だろうか。
家族の誰か……父親とか。
だが私の甘えたような考えは即座に否定された。
「お前が聖女に宛てた手紙だ」
「ああ……あれか」
罪人となり、貴族の身分もはく奪され、辺境送りになると決まった直後で、激情に任せてクソ姉に積年の恨みをこれでもかと込めて書いた手紙。
自分でもう一回見るのも嫌なくらい、禍々しい感情がこもっている。
それにしてもなぜこれを魔王が持っているのだろうか。
手紙に手を伸ばしもせず、魔王に視線だけで問いかける。
「聖女の元に届いたが、一回読んで『恋人にも読んでもらえって書いてある』と言って渡された」
「恋人に? そんなこと書いたっけ?」
記憶がない。まったく、これっぽっちも。
首を傾げる私の手に、魔王は無理矢理に封筒を押し付けてきた。止めようとしたガヴェルの手が宙を彷徨う。残念、やっぱり魔王の方が色々上なようだ。
とにかく嫌々受け取ったそれを開き、癖の強い自分の字を素早く目で追う。
ああ、もう、本当にアホな事ばかり書いている。
「あ……」
確かに、手紙の中ほどに魔王が手紙を読むことを想定している文があった。
──男爵領に戻ってきても、他人の土地なのでそこで何を言っても無駄だということだけ、クソが詰まっている脳に叩き込んでおいてください。
──クソなのですぐ忘れると思いますが、せめてクソ聖女を恋人にしたクソ馬鹿大魔王がこの手紙を読んで理解してくれることを願っています。
解釈のしようによっては、恋人にも読んでもらえと言っているように取れないこともない。
でもクソ姉は結局魔王の恋人ではなかったのだから、この文は余計だったということ。
真上から手紙を覗き込むガヴェルから隠すように便箋を素早く折りたたみ、封筒に戻そうとして中に何かが入っているのに気付いた。
封筒を傾け、滑り出てきた軽い重みを手のひらで受け止める。
ストンッと音もなく転がったのは──ネックレス。
小さな赤い石がついている以外、これと言った特徴はない。
でも十年近く身に着けていたから分かる。これは、私の、いや、私のものだったネックレスだ。
「なにこれえ? 魔王からサリーにプレゼント?」
ジトッと耳の奥に残りそうな粘着質な声でガヴェルが尋ねる。
馬鹿。そんなものじゃない。
「これは、私が家に置いてきたやつ」
「正確には、家の礼拝堂の像につっこんであったやつだ」
「サリーの? え、魔王、サリーの家に行ったの? ずるい!」
「……あそこはもう私の家じゃなくて、他の誰かの家になってるから」
「それでもサリーが育ったところでしょう? いいなぁ、見てみたい」
「そんないいところじゃないわよ」
クッソ田舎で、人の住む土地より畑のほうが広くて、人口より家畜が多くて、娯楽なんて人の噂話くらいしかない場所だった。
一番の噂の提供者は土地を治める男爵家だったのだけれど。
他人の土地となった男爵領に戻ることもできないし、戻る必要もない場所だ。
それより、なぜこれを魔王が持っているのか。
つい先ほども浮かべた疑問が再び込み上げ、今度は自分から口に出した。
「なんでこれを見つけたの? そもそも、なんでわざわざあの屋敷に?」
先ほどの口ぶりでは、魔王がこれをあの礼拝堂から見つけてきたようだった。
なぜ魔王が私の屋敷に行ったのだろう。
もしかしてクソ姉の故郷を見たかったとか?
ところが魔王は私の乏しい想像力とは違う答えを出してきた。
「聖女から渡された手紙から不思議な気配を感じ、聖女の妹に会ってみたくなって屋敷まで行った。もうすでにいなかったが礼拝堂から同じ気配を感じて見に行ったら、そのネックレスがあった。今考えれば、魔女の気配だったんだろうが」
「魔女の……」
ネックレスのチェーンを掴み、ぷらりと目の前で揺らす。
何の気配も感じないけれど、魔人だったら気づくのだろうか。
そんな私の顔の前に、ズイッとガヴェルの顔が押し出された。
「ん~、少しだけ、サリーっぽい感じ?」
鼻をクンクンさせて匂いを嗅ぐガヴェル。
思わず私もスッと鼻から息を吸う。
……何も匂わない。さすがに十年以上身につけていたからといって、体臭が金属に染み付いたりしないはず。恐らく魔女特有の存在が持つ何かだろう。なんなのかは私自身にはさっぱり分からないけど。
「あの礼拝堂からもわずかだが魔女の……元をたどれば創造神に通じる気配があった。お前はあの場所の歴史を聞いたことは?」
「何も……家族もあそこに行く人はいなかったから、たぶん誰も知らないと思う」
「そうか。過去に魔女の力を持ったものがいたのかもしれんと思ったが……聖女と魔女が同じ家族から生まれるなど奇跡だからな」
しょぼい田舎貴族でしかなかったあの男爵家に、大それた歴史などない。
ニコラスに聞いて調べてもらうことも可能だろうけど、期待はできないだろう。
それでも魔王は一度調査を依頼すると言い、その話は終わる。
わずかな表現しがたい沈黙の後、微かな音を立てて魔王は私たちに背を向けた。
「私は行く。魔人に会ったら、魔女の存在を伝えておく。彼らのことは頼んだ」
「分かってる。言われなくてもそうするつもりだし」
「ニコが取り持ってくれるから、魔王は気にしなくていいよ~」
私たちのやっぱり心のこもらない返事に、魔王はなぜか小さく笑って、やっと私たちの前から去って行った。
本当に、良く分からない人だった。厳密には人ではないけれど。
そしてもう一人、人ではない上に、言動が理解不能な存在が隣にいる。
ガヴェルは、雨が続いて外に遊びに行けない犬よりもジトッとした目で私を、正確には私が手にしているネックレスを見ていた。
「……何?」
「それ、どうするの?」
「どうするのって……せっかく戻ってきたんだし、付けようかと」
「やだ!」
最後の「思ってる」を言う前に、ガヴェルが全力で否定する。
なんでそんなに嫌がるのかと尋ねようと私が口を開く前に、ガヴェルが怒涛の勢いでしゃべりだした。
「だって、それ、魔王が持ってきたやつだよ。元々サリーのでも、ずっと魔王の、む、胸のところにあって、それが、そ、それが……サリーのむ、むむむむむむむむ、ぅ、ね、のところに……あああああ、ダメったら、駄目!」
……阿呆か?
ネックレスは首元を飾るもので、胸は関係ないし。そもそも魔王が勝手に持ってきたけど。これは私が過去として捨てたものなのに。
ぽかんと口を開けた私を見て、ガヴェルは「なんで分かってくれないのぉ」と情けない声を出す。
いや、でもその理論は理解できない。
確かに言われてみてちょっと気持ち悪いなとか思ったけど、でもそこまでこだわるものでも。
そこまで考えて、私はネックレスをズイッとガヴェルの目の前に掲げた。
首を傾げるガヴェルに、私もガヴェルと似たような理論で返す。
「だったら、ガヴェルがこれを付けてて。それで、そうね……魔王がこれを持っていたのが半年くらい? それ以上の時間ガヴェルがつけてて、もう大丈夫だと思ったら、私に返して?」
「……いいの?」
「いいから言ってる」
深く頷くと、ガヴェルは体全体で喜びを表した。
つまり、嬉しさのあまり私を抱き上げて全力で抱きしめた。
ガヴェルの知識は増えたかもしれないけれど、知恵がついたかは疑わしい。
そんなことを薄らいでいく意識の中、私は再認識したのだった。
ちなみに、私のネックレスはガヴェルの首には短すぎて付けられなかった。
よってネックレスはローザンヌの作った小袋に入れられ、頑丈な革紐でガヴェルの首にかけられることになるのだった。




