24. 残された不完全で完璧なもの。
「いったか」
焦点の合わない目を虚空に向け、魔王はつぶやく。それから視線が私が抱くフレーシャの服に向けられた。
仰々しいほどに派手な赤い瞳が、伏せられたまつ毛の奥に隠れる。
魔王も悲しいのかと、彫像のような白い顔を見つめた。
その私の両目の前に、大きなガヴェルの手がかざされた。
「ガヴェル?」
首をひねるようにしてガヴェルを見上げると、なぜかブスッと不機嫌な顔。
なんなんだ、突然。
「あんまり、見ないの」
「……えっと?」
「サリー、ああいうのがタイプ? やたらキラキラしてるやつ」
「えーっと、キラキラしてる人は、クソ姉のとりまきにいっぱいいたから、あんまり好きじゃない、かな?」
「そうなんだ! 良かった! おじさん、サリーのタイプじゃないってよ!」
最後、魔王に向けて告げて鼻で笑うガヴェル。
威張るな、おい。魔王も呆れてるじゃないの。
ため息を吐いた後、こちらに歩を進める魔王を見て、すかさずガヴェルは私をかばうようにして前に出た。
私は胸元にフレーシャが残した服を抱いたまま、二人の様子を見守る。
表情を崩すことなく、必要以上にゆっくりと、魔王は私たちから一メートルもない距離まで近づいてやっと足を止めた。
その目がガヴェルの胸元に向けられ、私の心臓が騒々しく暴れる。
えぐりだされた核と、倒れこんだガヴェル。
眠って意識の戻らない姿、普段より体温が低くなった肌。
もうあんなガヴェルは見たくない。
私が不安に圧し潰されそうな中、二人の男たちは平然と会話を始めた。
「核は変化したか?」
「おかげさまでね」
「ああ、そうだ。私のおかげで半端ものではなくなったのだ。感謝するがいい」
「へー、若者に手を差し伸べて、お優しいおじさんだね。ドウモ」
小指を耳の穴に入れ、耳クソでもかきだすかのようにほじりだすガヴェル。
緊張感が全くないな、この二人。
呆れながら魔王を見ていると、彼の眼差しが地面に向けられた。
吸い寄せられるようにその先を追う。
そこは、ほんのついさっきまでフレーシャがいた場所。
「それ、持って行っていいか?」
長く、整った指が地面を指す。
魔王が言う”それ”が何か分からず、私の目は地面の上をさまよう。
先に”それ”を見つけたのはガヴェルだった。「あ」と小さく呟き、魔王を警戒するように私を一歩下がらせてから、地面から何かを拾う。
「これのこと?」
「ああ、それだ」
体を起こしたガヴェルの中指と親指に挟まれた”それ”は、小さく見えるけどおそらく私の拳ほどはある。
無理矢理割ったような歪な形をした……透明な石?
まじまじと見つめ、その正体に気づいてはっと顔を上げる。
「これって、まさか、フレーシャの体に入っていた核?」
「そうだな。今となっては屑石にすぎんものだ」
魔王の眼差しが細められる。記憶の奥底を思い出すような、そんな目つき。
その表情を見ながら、私はフレーシャがこの場所にたどり着いた時に教えてくれたことを思い出す。
──三人で割った。
これは、フレーシャの核であり、そして魔王の核と同じ石だ。
「なんで、これが欲しいの?」
純粋にフレーシャの思い出として持っておきたいだなんて、魔王が言ったとしても信じられない。
眉を寄せ、魔王を睨むようにして尋ねる。
恐らくガヴェルも同じような目を向けたのだろう、魔王はすっと視線をフレーシャの核から逸らした。俯いた拍子に流れる銀の髪は、魔王の仕草を全て芝居っぽく見せる。
「そう威嚇するな。そうだな……」
そう言って、魔王は今日も纏っている堅苦しい軍服風の上着の懐に手を入れ、奥から何かを取り出した。
そして広げられた手のひらには、ガヴェルの手の上にあるフレーシャの核によく似た石。
元々の魔魂石は三つに割られた。消去法で、魔王の手の上の石の元の持ち主を即座に思い至る。
「ちょっと、それって」
「兄の核だ」
「簡単に言うけど、それ、教会の持ち物のはずでしょ?」
「そうだな。だが、聖女が喜んで差し出してくれたぞ?」
「あんの、クソ姉!」
思わず、低い声が歯の間から漏れ出る。
何にも考えず、ホイホイと魔王に望まれるままに渡したんだろう、あのクソ姉は。
顔が良い男の気を引こうと、貧乏男爵家に金などあるはずもないのに高価な贈り物を買おうとして私とたびたび言い争いになったことがある。
本来ならば当主であるお父様が止めるべきだけど、ヒステリックに泣き叫ぶ姉にすぐ負けてしまうので私が代りをするようになったのだ。
ああ、本当にクソな思い出ばかりが蘇ってきた。
「よくあんなクソ姉と付き合おうとか思ったね。頭、大丈夫?」
いらないおせっかいだとは思うけど、心配になる。
クソみたいな姉と付き合える異常な時点で、魔王の評価は地の奥底を突き抜けている。
「久々に聖女が見つかったからと聞いて教会に見に行ったら、やたらと気に入られた。こちらとしては付き合っていたつもりはないが、”あなたについていく”とか言ってしばらく付きまとわれてたのは事実だ」
「あんの、クッソ姉!」
「サリー……」
魔王の恋人になって聖女の任を捨てたと聞いていたけど、そもそも恋人として認識されていなかった!
あほすぎるクソ姉の言動に頭痛を覚えつつ、相手にされていなかったという事実に口元が歪む。
ああ、なんて嫌な性格をしているんだ、私は。
軽い自己嫌悪に陥りそうになり、微かないら立ちを言葉に乗せて魔王に向ける。
「じゃあ、あなたは恋人でもない相手からその石をもらったってこと?」
「そうなる。だがそのおかげで、お前の姉は教会が王族から預かっていた貴重な聖魂石を盗んだうえに紛失したとして、生涯罪人としての労務が課されている。それを聞いてどうだ?」
「ははは! ざまぁみろ!」
「サリー……」
反射的に拳を握りしめて叫んだ私に、ガヴェルから可哀そうな子を見るような眼差しを向けられる。
しまった。魔王の卑怯な手に引っかかってしまった。
口元を押さえ肩を揺らして笑う魔王に、冷たい目を向けてももう遅い。
なんかもう色々取り繕うのも馬鹿らしいくなってきた。
ため息を吐いた私をガヴェルが引き寄せ、魔王に再び確認する。
「それで、兄ちゃんの核があるのに、さらにフレーシャの核が欲しいのはなんで?」
「三つそろえば、石が完成する」
「完成させたら、どうなる?」
畳みかけるようなガヴェルの質問。
魔王は淡々と答えた。
「私が魔人でいられる期間が延びる」
「……どうして、そう言える?」
「もともと、石は一つだった。それを三つに分割したのは、一人の魔人で持つには大きすぎる石だったからだ。だが石の力は弱まりつつある。兄は石の限界より先に魔人としての生を終えたが、フレーシャの石は限界を迎えてしまった。私の石もいずれ力を失うだろう」
魔王の、石を持たない方の手が、腹部よりわずか上に当てられる。
あの場所に、彼の核である魔魂石があるのだろう。
「三つの欠片を再び一つの石としてつなぎ合わせれば、私を魔人として維持する期間が延びるはずだ」
強い、赤い瞳がまっすぐに私たちを見つめる。
やろうと思えば、魔王は力づくでガヴェルの手からフレーシャの核を奪えるはずだ。
ガヴェルの核を、奪ったように。
なのにそれをしないということは、私たちに判断をゆだねているということ。
今になって、なぜ?
「魔王は、永らえた命で、どうしたいの? 魔人は死ぬのを恐れたりはしないでしょ? だって魔力に戻るだけだもの」
魔王から完璧な回答は期待していない。ただの素朴な疑問。
魔王にとって正解でも私には不正解である可能性もあるから。
私の疑いの眼差しに魔王は僅かに首を傾けて、覚えの悪い生徒に言い聞かせるような口調で答えた。
「私は魔王である。魔人たちがその生を全うし、旅立つのを見守る義務がある」
「へー……」
「大変だねぇ」
ガヴェルと二人、揃って全く心のこもっていない相槌を返した。




