23. 蛍のように、煌めいて。
魔王が去り、ガヴェルの核が安定してからさらに三ヶ月ほどが経った。
私たちは今、屋敷の玄関に並んで立ち、死にそうな顔の幽霊男、ニコラスと向き合っている。
死にそうな顔になっている原因は肉体ではなく、精神的ダメージからだ。
「フレーシャ様……」
「くどい。お前はさっさと中に入れ。それからもう二度とこの地に来るな」
「ですが」
しおしおとした様子の成人男性ニコラスの前に立って、尊大な発言をしているのは五歳にも満たない幼女姿のフレーシャ。
ついに今日、彼女が旅立つ日がきた。
元々魔力が減少していたのに、魔王とのゴタゴタでさらに魔力を消耗してしまったフレーシャ。
その後は人間の形を保つのもやっとで、「もう長くはない」と聞いていた。
それでも少しでも長くここにいてくれたのは、ガヴェルと私、そしてニコラスの今後のことを思ってだ。
「ここにはガヴェルとサリーがいれば十分。お前は王族として、生を終えたい魔人たちに秘密裏にこの場所と二人の存在を伝える役目を全うしろ」
「はい、畏まりました」
情けない顔を無理矢理引き締め、ニコラスは重大な任務を与えられたかのように厳かに頷いた。
実際、これがフレーシャから与えられる最後の命令だ。
そして私とガヴェルはこの地で生きていくと決めた。もちろん二人だけではない。
ローザンヌも引き続きここに残ると言ってくれているし、他の労働を担ってくれる使用人もいる。
ただ、決定権のトップにはガヴェルが立つことになる。
心配だ。本当に、ガヴェルで大丈夫なのか。
かといって、私はやりたくないし、他に適任はいない。
王族をずっとここに置いておくわけにもいかないし。仕方がない事だと一応納得はしている。
「では、行くぞ」
「うん、おいで、フレ」
小さく縮んでしまったフレーシャを、ガヴェルが片腕で軽々と抱き上げる。
その隣を私は歩く。見送る側として、ちゃんと自分の足であの場所まで行きたいから。
ガヴェルに運ばれて駆け抜ける道を、ゆっくり、周りの景色を心に焼きつけながら歩く。
三人で進むこの道を、二人で戻ってくる。
そう考えるだけで心が押しつぶされそうになるのを、深呼吸で胸を膨らませて紛らわせた。
通いなれた崖の前に立ち、フレーシャが指示した坑道の奥へと迷うことなく進む。
目指すべき場所が分かっているかのように、フレーシャは入り組んだ道の先をガヴェルに示す。
「その……場所に、こだわりがあるの?」
「ないな。しいて言えば、核となる石を見つけた場所に近いところか」
「あ、なるほど」
魔力が石を核として魔人としての形を取った、その場所へ──産まれた場所に還る。
何を言ってフレーシャを送り出せばいいのか、ここ数日ずっと考えている。
でも家族を含め、希薄な人間関係しか知らない私には手向けにふさわしい言葉を持っていない。
人の死別とは違う。
魔女として、魔力を昇華することのできる存在として、私は何を言えば──
「フレ、ここ?」
「ああ。降ろしてくれ」
悩み続けている間に、目的地に着いてしまった。
ガヴェルの腕から下ろされた五歳児姿のフレーシャは、小さく息をついてあたりを見回してから私を見上げた。
幼くなってさらに人形っぽくなった、整いすぎた顔の細い眉が寄った。
「何て顔をしている」
一歩私に近づき、フレーシャは私の顔を見上げて口角を歪ませる。
情けない顔をしているだろうと自覚のある私は、言い訳を口にしそうになって止める。
最期の大事な時間に、ふさわしくないような気がして。
「お前が悔やんだり悲しんだりする必要はない。むしろ魔女としての役目を押し付けた私を恨めばいい」
「そんなこと、しない」
魔女の力を得たのは私が、どうあがいてもしょうがない事だった。
いつの間にか自分に備わっていた力を捨てたくとも、捨てられるはずもなく。
知らないままでいても気持ちが悪いし、目を背けてもしょうがない。
だったらとことん力について理解して向き合うしかないじゃないか。
そしてフレーシャは、魔人のことも魔力のことも全く知らなかった私を導いてくれた。
大切な師であり、おこがましいかもしれないけれど友人だと思っている。
それに何より、今から魔女の力をフレーシャに使うことは私が魔女として成長するために不可欠。
魔魂石の限界がきた魔人が、元の魔力に戻ることよりも昇華されることを望んだ時、彼らを魔女の力で問題なく昇華させられるように。
肩の力を抜き、ついさっきのニコラスのように無理矢理に表情を引き締める。
「魔女として、フレーシャの願いを叶えられるなら、嬉しい、から」
「そうか……私も、サリーが魔女で良かったと思う」
「僕も」
僅かに両目を猫のように細めるフレーシャと、顔全体で笑顔を作るガヴェル。
暗く静かな坑道内で二人に笑顔を向けられ、腹の奥が落ち着かない。
「そ、それで、次はどうすればいい?」
「そうだな……さっさと終わらせてもいいが……」
この場を取り繕うように発した私の問いに、フレーシャは逡巡してあたりをぐるりと見回す。
それからおもむろに数歩進み、しゃがんで地面に触れた。
「もう、何百年も前に、まだ魔力だった私と、兄と……魔王となったあいつは、地下をさ迷うのに飽きて、魔人になるための石を探してこのあたりを漂っていた」
「魔王も?」
「ああ。そうか。言ってなかったな。魔人は人の腹から生まれるわけではないから、兄と私は血はつながっておらん。私たちはここで、石を見つけ、同じ石を分け合ったのだ。私と、兄と、魔王でな」
綺麗な大きな石を見つけた。
でも魔人一人で抱えるには大きすぎて三つに割った。
一つは王族に寄り添った兄が。
一つは歴史の傍観者となったフレーシャが。
一つは魔人の王となった魔王が。
「いずれ、魔王の石にも限界が来るだろう。その時にあいつがどんな判断をするか分からんが、魔女の力を求めたら助けてやってくれ。お前たちに悪いようにはせんだろう」
「そう、信じたいけど、ちょっと微妙かも」
「僕、あいつ、嫌い」
私たち二人の反応に、フレーシャが呆れたように肩を揺らして笑う。
それから「私もあいつのことはどうも気に食わんから、ま、嫌なら放っておけ」と呟く。
そんなぞんざいな扱いでいいんだ、魔王。
いや、考えてみればあのクソ姉さまを恋人にしようとした時点で、阿呆確定だった。
つまり丁寧に対応する必要は今後もない。よし、それでいい。
「サリー、手を」
フレーシャの小さな両手が差し出される。
まるで抱っこをねだるような仕草にほっこりする。私は緩く笑みを浮かべ、ゆっくりと地面に膝をついた。
丁度、私たちの視線がまっすぐに交差する高さだ。
「サリー、膝、痛くない?」
「大丈夫」
横でそわそわとするガヴェルを無視して、フレーシャの手を取る。
ガヴェルはどうしようか迷った末、私の横に窮屈そうに腰を下ろした。よし、そこでステイだ。
「このまま、いつものように魔力の昇華に集中すればいい。核が壊れかけている魔人はそれだけで核から切り離され、ただの魔力になる」
「はい」
「怖れることはない。お前の力は神と通ずる。心地よい。我らを源に導く力だ」
「……はい」
震えそうになる私の手を、フレーシャの体温の低い手が心を落ち着かせる。
深い穴の奥だからか。ひんやりと、どこか涼やかな空気が流れる。
いつもガヴェルと手をつなぐ時とは違う、力が流れていく。
ガヴェルと手をつなぐと、とても温かい。それはガヴェルの体温のせいだけじゃないと思う。陽だまりで微睡むような、温かい毛布にくるまった安心感のような感じ。
フレーシャと手を繋いで、徐々に力が働きだす。
暑い日に小川に足を浸すような、ひんやりと冷たく爽やかな流れだ。
「ああ、心地よいな」
思わずといったようにフレーシャが息を吐く。
彼女が苦しんでいないのを見て、私も全身の力を抜いた。
「サリー、悪いが最後に頼みがある」
手をつないだまま、私は目だけでフレーシャに言葉の続きを促す。
「私の服を、ローザンヌに届けて欲しい。それから、ありがとうと伝えてくれ」
「分かりました」
承諾すると、フレーシャは顔全体を綻ばせて笑った。
鮮やかで、そして何の心残りもないというような笑顔だ。
「サリー、ガヴェル、感謝する」
「……はい」
「フレも、ありがとう」
涙をこらえ、ただ頷いて短く答えるしかできない私をガヴェルの腕が支える。
徐々に、フレーシャは魔力に還っていく。
輪郭がほどけ、初めて魔力を見た時に見た霞のような光があたりを舞う。
儚い一生を精一杯に生きた蛍のようだ。
魔人の生涯とは全く異なるのに、その姿が重なるのはなぜだろう。
消えていく。
フレーシャの小さな体も、艶やかな銀髪も、強い意志を宿した赤い瞳も、薄く弧を描く桃色の唇も。
繋がった指がほどけていく。
しっかり握っていたはずのフレーシャの手が。
存在がほどけて、空気の中に広がっていく。
温かで、冷たい何かがあたりを包み込む。
朝露が葉を濡らすように、私の頬を雫が伝い落ちた。
重い顔を上げれば、透き通りそうに儚くおぼろげな輪郭だけを残したフレーシャが笑う。
笑みを描いたままの口元が、「ありがとう」と言った気がした。
地面に落ちたフレーシャの服を一つ一つ拾い上げ、畳んでいく。
まだ温もりが残っているようで、胸元に抱きしめてから顔を上げた。
鼻をすすって頷いた私に、差し出されたガヴェルの大きな手。
重ねた指先から感じるフレーシャとは正反対の力強さに、どうしようもなく安心する自分がいる。
ガヴェルは私を側に引き寄せ私の両肩を包むように抱きしめた後、突然誰もいない坑道の先へと低い声をあげた。
「ねえ、そろそろ出てきたら?」
「……ガヴェル?」
もぞっと顔を動かし、ガヴェルの太い腕が覆っていた視界の向こうを見る。
ゆらり、静かに岩陰から進みだしたのはーー銀色の長い髪と、鮮やかな赤い目。
「……魔王」
一体何しに来たんだ、クソッタレ。




