1. 罪人になりました。
最後の一文字までしっかり心を込めて書き、サッと目を通してから便せんを畳む。
肩から零れ落ちたふわふわとまとまりの悪い巻き毛を後ろに払い、手紙を入れた封筒を封をせずにそばにいた兵士に渡した。
おそらくこの後検分されるんだろうから、これが正しい。
「どうぞ」
私が差し出した封筒を見て、兵士の顔が引きつった。私の顔と手紙の間を彼の視線が行き来する。
「えっと、本当に、この内容で出すんですか?」
実際に私が手紙を書いているところを見ていたというのに、信じられないという顔。
またか。
小柄で髪がふわふわで目も大きい私は、心の優しい大人しい女だと思われがちだ。
だがあのクソ姉に鍛えられたおかげで、手に負えないこの髪の毛のように私の根性は曲がりに曲がりまくっている。
見た目で判断されるのは姉の取り巻きがこの屋敷に来なくなって以来、本当に久しぶり。なんとなく懐かしい。
いや、あのクソな日々を懐かしむなど、私も急に罪人となって精神がおかしくなっているのかも。
「最後だから心からの言葉を包み隠さず書いたの」
ずいっと手紙を兵士の胸元に押し付けると、彼は慌てて受け取る。
どっちみち書き直している時間もない。
それに時間があればあるほど、臓腑の奥底から沸き上がる悪感情を手紙にしたためてしまいそうだ。
ため息と共にもう他人となった存在への怨念を吐き出し、部屋を見回す。
「荷物は持っていけないんだった?」
「宝飾品などの持ち出しは許可されていませんが、あちらでの生活に必要なので服などはある程度は許されています。ですがすべてこちらで後ほど検分させていただきます」
行った先でも物資が多くはない可能性がある。そうなると、服ぐらいは自前で調達して来いということか。
しかし検分ということは、下着やらなにやらすべてこの兵士に見られるのだ。
貴族として全く役にも立たない矜持などとっくに捨てたけど、さすがに女は捨てていない。でも文句を言える立場でもない。
なんとも言えない顔で愚痴を一つこぼす。
「まあ、そっか。罪人だもんね」
私の呟きに兵士の視線が申し訳なさそうに下がった。
この兵士、この仕事に向いてないな。
まあそもそも、こんな辺鄙な田舎まで来て、それから罪人を引っ立てて、もっと未開の土地まで護送する仕事を押し付けらている時点で、こっちが同情する。
この兵士が一緒に来た隊の一部は、隣の子爵領で今後の男爵領の扱いなどを王都から来た役人と共にまとめているはず。
やっぱり可哀そう。
幼い頃からクソ姉さまに嫌な事ばかり押し付けられてきたこの私が、自信をもって憐れんであげよう。
「移動中の服は? 囚人服とかに着替えたりとかするの?」
「ええっと……おそらくそのままで問題ないかと」
「そ、良かった」
兵士が私の服装を頭から爪先まで確認して目を逸らす。
こっちは罪人なんだから横柄にしてもいいのだろうに、それができないからこんなところに……いや、もうやめておいてあげよう。
だが目をそらしたくなるのも分かる。
町人というか、平民の針子でも遥かにまともな格好をしているだろう。
食料となる野菜を育てるため、農作業をしやすい服装を選んでいると言えば聞こえはいいかもしれない。
だが現実を包み隠さず言えば、あのクソ姉のせいで金がないのだ。
聖女になると言ってここをクソ姉が去ってから、残った服は領地運営資金のために二束三文で売った。
たまに男爵領内で、そのおさがりのおさがりくらいになり果てた姉の服を見たりする。
私が手元に残したのは数着。それも畑仕事と家事でどんどん薄汚れて雑巾寸前。
ふわふわとしたプラチナの巻き毛を耳にかけてため息を押し殺す。
子供の頃に妖精のように可愛らしいと言われていた容姿も、貧乏と忙しさで心と同様荒み切っている。
まあ、ちょっとでも綺麗にしようとするとあのクソ姉が「私がブサイクだと言いたいんでしょう」とか訳の分からない言いがかりをつけて顔を覆って泣き始めるから面倒になってきてやめた。
クソ姉がいなくなっても整える気が起きなかったのは、もともと私がそういうのに興味がないからだろう。そんな暇がなかったというのもあるけど。
しまった。もう他人なのに、またクソな存在のことを考えてしまった。
「さて、最後に一か所だけ、行きたいとこがあるんだけど、いい?」
「日暮れ前に隣村に行きたいのですが」
「大丈夫。敷地内の礼拝堂に行くだけだし」
「それでしたら問題ありません」
頷く下っ端兵士に礼を告げ、がらんどうで人も家具も少なくなったぼろい屋敷から庭に出る。
すると庭で飼っていた家畜を引き取りに来たご近所さんと目が合い、同情たっぷりの眼差しで見つめられた。
そんな目をされるのは姉がいなくなって以来だ。つまりすべてクソ姉が悪い。ああ、クソな過去の存在だ。
「みんな、元気でね」
「サリー様も、お元気で」
毎朝バタバタと騒がしい鶏も、今年の冬に絞める予定だった豚ともおさらばだ。
ひらひらと手を振り、屋敷の裏側に回る。
そこからさらに小径をたどり、木々の間に現れたのは滑らかな石で作られた礼拝堂。
いつの時代にできたのかも分からない。私が最初に見つけた時は、もっと汚らしかった。
苔や積もった落ち葉、蜘蛛の巣に覆われた礼拝堂に通い、色々なうっぷんを発散させるために磨き上げたらこんなにも輝く石が出てきた時には驚いた。
扉も何もない石の入り口に手を当てて、中を見回す。
正面には、大人の女性の半分ほどの高さしかない像。ゆったりとした衣服を頭からつま先まで纏っているため、顔どころか性別すら分からない。
体を覆う衣の滑らかさとは対照的に、つま先から続く台座は大地の山々を現すかのようにごつごつとしている。
クソ姉さまは全く興味を示したことがなかったが、私はここが好きだった。
いや、クソ姉さまが興味を示さなかったからこそ、ここが私の逃げ場だったと言うべきだろう。
僅か四人ほど入ればいっぱいな礼拝堂。おそらく男爵家だけが利用する目的の場だ。
もっともお父様もバ母様もクソ姉さまもここに足を運んだことはなかったけれど。
そんな狭い場所を通り過ぎ、像の隣にどすっと勢いよく腰を下ろした。
それから頭をそっと像に寄せる。
目をつむる前、あの可哀そうな兵士が驚いた顔をしているのが見えた。
「ここに来るのは、最後だから。いつも、愚痴聞いてくれてありがとね」
暗い視界の中、深く吐いた息と共に言葉を吐き出す。微かに森林の爽やかな香りが鼻腔を通った。
家の中で私の言葉を聞いてくれる人はいない。
お父様の口から出るのはため息か悲観的な言葉。
バ母様の口は絞殺される直前の鶏よりも煩い金切り声。
クッソ姉さまの口は形だけは良くても中身が腐ったザクロの様な汚物だけ。
家畜ですらギャーギャーとうるさく私の声を遮る。
「あー、せいせいした」
心臓の裏側から、良く分からない熱がこみ上げる。
一つ、熱い雫がぽたりと転がる。
家族はばらばら。領地もなくなり、戻ってくる家もない。
男爵令嬢のサリーは、これから罪人のサリーだ。
十九歳。行き遅れの原因はもちろんクソ姉さまのせい。
一瞬、聖女に妹がいると王都で噂になったらしいが、私に注目が向くのを嫌った姉が酷い噂を流したとか。
あ、それでこの屋敷に来た兵士たちの視線が微妙だったのか。ごめんなさいねぇ、こんなんで。
でも姉が裏切り者となった今、その妹がブスだろうが悪女だろうがあんたたちには関係ないだろうに。
いつまでも続きそうな苦い記憶を振り切って立ち上がり、首にかけていたネックレスを外す。その先には付いているのは名前も知らぬ赤い宝石。
ただの屑石だろうからと、クソ姉が興味を示さなかったのだ。
それを像の台座の隙間に押し込める。罪人になってしまったから貴金属は持っていけないし、この家を思い出す何もかもを手放してしまいたかった。
「神様でもなんでもいいから、とりあえず、これからの人生はほどほどでよろしく」
荒れた手でいい加減に頬を擦る。
神様がもし見守っていてくれて私の人生がコレだったなら、今後は何も期待しないでおくべきだ。
私は、私の力で、何もないところで何も持たずに生きていく。
見てろ、クソッタレ。