15. 結局魔王もクソッタレ。
ガヴェルが肺の奥底まで空気を入れるように、深く長く息を吸う。
それに合わせてゆっくりと周囲の魔力が動くのを目で追う。
私が初めてこの地に来た日、この洞窟に連れてこられた見た光景と同じ。
淡く光る霞はフレーシャの話を元にすればこれは純粋な魔力だ。体を保つための核が摩耗し、人としての形を失った魔力。
今は体を失ったつかの間の死を味わっていて恍惚とした夢うつつ状態なんだろうと、情緒も何もなくフレーシャは言い放った。
いいのか、それで。
元々魔人に対して固定されたイメージはなかった。だけどこの失望をなんと表現すればいいのだろう。
「サリー、集中しろ」
「はい」
フレーシャに言われ、ガヴェルの周りにある魔力を呼び寄せる。
魔力を制御する訓練のためにこの洞窟に通い始めてすでに一週間ほど。
ちなみに、お年寄りなドン爺はさすがに毎日遠くて足元の悪い場所には通えず、しばらくお留守番だ。訓練が終わった後、ガヴェルやフレーシャの体調の確認をしてもらっている。
なんとなくだけどガヴェルも私もわずかにコツをつかんできている。
最初に洞窟に来た時には眩暈や頭痛がした。あれは、周囲の魔力を私が無意識に取り込み、彼らを昇華させていたかららしい。
勝手に人の体の中を通るな、クソ魔人ども。
文句を言いたくとも、彼らはすでに彼らが望んだ永遠の眠りについてしまった。
私はこのまま魔力を昇華させていっていいのだろうか。そうしたらいつか魔人はこの世界から消えてしまうのでは。
「サリー、集中を」
思考がさまよい、集中力が散っていく。
フレーシャの声に堂々とため息で返し、私は思い浮かんだ考えを彼女に投げかけた。
すると彼女は「今更か」とあきれたように呟き、続けた。
「今のこの地は、当初神が望んだ形と違う。土地を耕し、増え広がり、生を楽しむべきは人の子ら。もともと魔人は神の計画にはいなかった。それが消えてなくなるのは良い事ではないか」
「この地に残りたいと思う魔人がいる可能性は?」
「無いとは言えないな。実際、そういうだろう魔人を知っておる」
フレーシャの無感情な視線が私の顔を上を通り過ぎ、また逸らされる。
それに対して私が訝しんで声を出す前に、彼女は言葉を続けた。
「魔人の王はおそらく死を望まない。ああ、あくまで今のところはという意味だが」
「魔王……」
魔人の王、魔王。
そうか、そういう存在がいた。クソ姉さまの恋人。
聖女認定されたクソ姉が王都で出会い、立場を捨ててついていった相手。
クソッタレな姉の恋人がどんな存在だったかなどすっかり忘れていたが、魔王だった。クソが。
「だがなぁ」
常にフラットでぶれない話し方をするフレーシャの声が揺れる。
声音に混ざるのは、どこか欝々とした疲労感?
「あれはめんどくさい奴だからなぁ」
「はぁ……」
即座に納得する。
クソ姉の恋人になりたがるような相手だ。
自分が常に一番という過剰な確信を持っていて、その思いのままに行動するクソ姉を選ぶような馬鹿だ。
というか、めんどくさいの一言で済むのか?
「そもそも魔人は王など必要がない」
「え?」
「魔人は自分勝手な奴らだ。好きなことをして各地に散らばっておる。私の兄やガヴェルの母の様にな。私を含め、一か所に魔人で集まり、国を、王を必要とする魔人などおらん」
「えっと、それじゃ、今の魔王はどういった経緯で魔王に?」
「自分で勝手に名乗っておるだけだ」
「はああ!?」
なんだ、そのクソみたいな理由は。あ、クソ姉の相手だからクソか。しまった、そんなことも気づかないとは。私までクソになる。
「あいつの考えはこうだ」
そう言ったフレーシャの小さな指が、クソ魔王の理解しがたい思考を整理するように言葉に合わせて揺れる。
「魔人は、人と同じ生と死を望んでいる」
ちょっと待て、ガヴェル。
私たちは話をしているんだ。相手にされなくて寂しいからって私の両手を取って振るな。フレーシャの話に集中させろ、馬鹿犬。
「だから、人を理解するために、人と同じ営みをすべきだ」
一瞬意識が逸らされた間も、フレーシャの淡々とした声は続く。
ガヴェルの手から自分の手を取り戻すのを諦め、視線を彼女の整いすぎた人形のような顔に向ける。
魔人が死を望み、それを成し遂げるために人の営みを模倣しようとするまでは分かった。
コクリと頷くと、フレーシャの指が空中の次の場所を指さす。クソ魔王のクソ理論の次のステップを。
ガヴェル、私の手まで動かさなくてよい。じっとしていろ。ステイ。
「人と同じく集い、国を作り、王を立てるべきだと。そう言って奴は、ある日自分を魔王だと名乗り始めた」
「……あほ?」
「言っただろう、めんどくさい奴だと」
幼い見た目の彼女の小さな口から、人生に疲れ切った老人のような長い溜息が漏れる。フレーシャが実際生きてきた年齢分の実感がこもったため息だ。
しかし、人のように死を迎えたいという魔人たちの中、なぜクソ魔王は死を望まないのか。
眉間に皺を寄せた私の額にガヴェルの太い指が迫る。
ぐりぐりぐりぐりと頭が前後左右に揺れるほど、眉間の皺を揉み伸ばされた。痛い。逆に跡がつくだろうが、馬鹿。
「揺れる。揺れるから! 分かったから、やめて」
「サリーの可愛い顔は笑ってた方がいいよ」
「か、可愛いとかいうな、馬鹿」
「……話を、続けても、いいか?」
変化がないはずのフレーシャの声が、少し低く聞こえたのは気のせいだろうか。これはすべてガヴェルのせいだ。
分厚いガヴェルの体を押しのけ、フレーシャに向き直る。体ごとは無理でもせめて、顔だけでも。
「あのあほの考えを理解しようとするのは無駄な努力になるが。理論として考えるのなら、魔王は人の営みを真似たい。人の営みとは、生を受け、生涯の相手を見つけ、そして次世代を残す。それで――」
そこでちらりと視線が私に向く。これは、嫌な流れだ。
生涯の相手、次世代……そして最近の魔王の行動。それは、つまり――
「お前の考えている通りだ。魔王はお前の姉、聖女を相手に定めた。少なくとも他の人間よりは魔人と相性はいいだろう。少なからず、次代が魔力を体内にためておけるように母親が努力すれば、ガヴェルのように常に魔力を必要とすることはない」
「……あのクソ姉がたとえ自分の子供のためだとしても、そんな努力をするとは思えないんだけど」
「話を聞く限り、そのようだな」
クソ姉は、そんなことをしないだろう。
そもそも、子供を自分の体の中で育てようとすら思わないかもしれない。
いつも自分が美しくあるためだけにクソのような努力だけはしていた人だ。
何千人といる人間の中で、魔王は最も不適格な人物を選んだ。聖女の力があったとしても、母親にはならない。
知らず、手を額に当ててため息を吐く。
クソ姉が無理なら、魔王は次の手を考えなくてはならない。そうなれば、狙うべき次の相手は――まさか。
「魔王も、他の魔人と同じで私の存在を必要とするということ? 全く別の意図で」
「そうなるだろうな」
クソッタレ!
死を求める魔人たちはすぐに私の元に来ないだろう。
あくまで、人間の老衰のように自然にまかせて、核の限界が来たらこの地を訪れるくらいだ。
この墓場に私がいなければ、私がいるところを目指すまで。
魔王はどうだろうか。あのクソ姉の本質、本性をいつ理解するのか。そしていつ、クソ姉に見切りをつけるのか。
「ガヴェル、魔王が来たらサリーを取られるぞ」
「嫌だ、サリーは渡さない」
「そもそも私はあんたのものじゃないけど」
突然、ガヴェルを煽るような発言をしたフレーシャの意図が分からない。
私の呟きを完全に無視して、フレーシャは私の後ろでガルルルと喉奥を唸らせるガヴェルに冷めた目を向ける。
本当に犬か。
「だから早く魔力を自分の第三、第四の手足として使えるようになれ。でなければサリーを失うぞ。私ならばあいつをある程度抑えられるが、私がいなくなった後はお前がその役目を果たせ」
「うん、分かった」
「私は、そんな守ってもらわなくても」
私はいつだって一人で立ってきた。
クソ姉のせいで、私は娘でも妹でもなく、ただの屋敷の住人だった。
誰に守ってもらうこともなくここまでやってきた。だから優しさも温かさも要らない。必要がなかったものを押し付けられても困る。
「サリーはずっと僕といないと。僕、サリーがいるとずっとポカポカだから」
訳の分からないことをガヴェルがまた口にして、ぎゅっと私を後ろから抱き込む。
ポカポカって、ただこうやっていつもくっついているからじゃないのか。
本当に、馬鹿。
言い表せない不確かな感情が湧いてきて、流されてしまいそうになって咄嗟に触れあったままのガヴェルの指先を握る。
んふふふっと情けない犬みたいに鼻を鳴らして、ガヴェルは私の両手を握り返した。




