13. 始まりと終わりを求めた結果。
「遥か昔、魔人は人の形をしておらず、ただの魔力の塊だった」
おとぎ話を語るような口調で、フレーシャの話は始まった。
昔々、神は大地を創造する際、力の一部を用いて大地を広げ形作った。
そして神がすべての作業を終えた時、力の一部は神の元に戻ることを拒み、この地に留まることを選んだ。
大地の奥深くから、この地の行く末を見ていたいと、そう望んだ。
「それが魔力の始まりだ。神から離れて自我を持った力」
魔力は地の底から増え広がる人々の営みを見ていた。
地を耕し、命をはぐくみ、そしてまた地に戻っていく人々の生を。
「それを見た魔力は、自分たちも終わりと始まりを感じたいと思い始めた」
「終わりと始まり?」
「そうだ。永遠に漂うだけではなく、人のように生まれて死ぬことを望んだ」
なんと、贅沢な。
長く生きたいと、それこそ永遠に生きたいと願う人間もいるのに。
ない物ねだりと言われればそれまでかもしれないが。
「魔力は人と同じように生きるため、体を作ることにした。大地の中にあった特殊な鉱石を用いて」
「鉱石? まさか、それが魔人の体の中にある核となる石のこと? 確か、魔魂石?」
「その通りだ。魔人の力の源とされるが、それは正しくない。石はただの石。だが魔力同士をくっつけてる役目を持っている。料理で言うつなぎのようなものか」
「つなぎ……」
フレーシャが料理について口にしたことと、魔魂石の役割がただのつなぎと言われたこと、どちらに驚くべきか。
迷ったすえ、スンッと顔から表情を消して続きを待つ。
フレーシャは小さな手で自分のみぞおちあたりを押さえ、話を続けた。
石を繋ぎの媒体として魔力を具現化し、肉体を得た者たちは、自らを”魔人”と名乗るようになった。
そして長い月日の間道具を使い続ければ壊れるように、核となる魔魂石と魔力の結びつきが弱くなると魔人は望んだとおりに生の終わりを体験できた。
しかしすぐに気が付いた。それは本当の終わりではないのだと。
「え?」
人は死んで土に還れば全てを浄化され、忘れる。感情、記憶、体を構成していた全てを。
だが魔人は核となる石の寿命が尽きた時、ただの魔力となって漂い出て元の状態に戻る。また同じように魔人の形を取ろうと思えばとれるのだ。
それは魔人たちが望んだ死の形ではなかった。
「なんとも……贅沢な悩みだの」
一緒に話を聞いていたドン爺が皮肉を言えば、フレーシャはふっと小さく笑って目を細める。
「まあな。私もそう思う。だから、兄のあの状態はある意味、魔人にとっては羨ましいものなのだ。愛する者のために、魔力を失って消え去る。その終わりを体感できるのであれば」
「あの石、教会が聖魂石と呼ぶ石に、お兄様の感情や記憶などは残っていないんですか?」
魔力自体に意志があるとすれば、そこに残された感情などはどこへ行くのか。
ある日突然、聖魂石が意志を持ってしゃべりだすとか……あほな光景が頭に浮かぶ。何故かそれに向かってギャンギャンとわめいているクソッタレな姉の姿も。
「残ってはおらん。石を体から取り出して肉体を失った時点で、魔力に宿った意思は散る。石自体に兄の魔力を増やす力はない。そうだな。焚火を放っておけばいずれ木を燃やし尽くして消える。あれは魔力は残ってはいてももう消えるだけのものだ」
こめかみに指先を当て、フレーシャの話を整理する。
魔力には意志がある。そして肉体を得るためには特殊な鉱石──魔魂石が必要である。
魔魂石に魔力を繋ぎとめる力が無くなると、魔力は石から離れる。だが魔人として生きていた間の意志が消えることはない。
魔人が望む死を迎えるためには、まだ魔魂石が力を持っている間に肉体を失うこと。そうすれば肉体が消えると共に魔力、すなわち魔人の命や意志も消える。
ここまでを理解して自分を納得させるように二、三度頷き、顔を上げる。
「魔人の魔力と、聖女や魔女と呼ばれる存在はどう関わってくるんですか?」
「いうなれば、ニコラスとは真逆の存在と言えるだろう」
傍のテーブルに置かれたナッツを摘み、ボリボリと子気味の良い音を立てるフレーシャ。
そのテーブルのすぐ横の床には、ガヴェルが胡坐をかいてせっせとナッツの殻を剝いている。
フレーシャの語る厳かな神話の間も続くバギョン、ベギッという音。
空気を読めとは言わない。そんなことをガヴェルに求めても意味ない。
ガヴェルは綺麗な形のまま剥けた大きいナッツに目を輝かせ、自慢げに私の手に乗せた。
ナッツは食べ過ぎると吹き出物が出るからこれ以上いらないんだけど。
指先でナッツを摘んでガヴェルの口元に持っていく。赤いワインのような目がとろりと溶けて、カパッと大きな口が開いた。
綺麗な白い歯が並ぶ口の奥に、ポイッとナッツを投げ入れる。ボリボリと軽快な音。
満面の笑顔を浮かべるガヴェルはおやつをもらってご機嫌な犬にそっくりだ。あるはずのない尻尾がぶんぶんと勢いよく振られる。
私たちのやり取りを見るフレーシャの目が半分閉じられた。
……今、私は何をしていたのだろうか。
「ワシの考察としては、ニコラス様のお体は魔力に敏感に反応しすぎているかと。体調が崩れやすくなり、食欲が落ち、神経過敏になり睡眠が減っております」
「まさにその通り。おそらく魔力を異質なものとして拒絶しているのだと考えている」
ドン爺が説明するニコラスの症状。確かにそれが長期化すれば、幽霊のように生気がなくなるのも納得だ。
では、真逆の存在となる聖女や魔女はどうなのか。
「対して、聖女と魔女はそれぞれ魔力への耐性が備わっているが、微妙に違いがある。聖女……一番最近ではお主の姉だが、魔力をはじく。その特性ゆえ、兄の魔石、ああ、聖魂石に触れても拒絶反応は起きず、ずっと握っていれば魔力を魔石に留めておくことができる。まあ、お主の姉はその務めを全く果たしていなかったようだが」
フンっと鼻で笑い、フレーシャは温いジュースを飲み干した。
顔立ちは完璧なほどに整っているのに、所作は田舎の子供よりも乱暴だ。それでいて立ち振る舞いには貴族や王族の品格があり、目には感情のひとかけらすら浮かばない。
とてもアンバランスに見える。
「魔女はその逆だ」
「逆?」
バギョッと足元で破壊音がする。
ガヴェルが太い指で砕いた殻の中からナッツを摘み、皿に盛られたナッツの山に加える。
バランスよく乗ったことに満足して、次の木の実に伸ばされた彼の手をそっと上から抑える。今だけは、静かに、話に集中させてほしい。
待て、手をつなぐな。嬉しそうにするな。別に話の内容に緊張してるわけじゃない。
キュッと柔らかく絡められた指に安心なんてしないし。
「私も実際に魔女に会うのは初めてだ。だからその力に触れたのは昨日が初めてとなる。お主の手に触れて、魔女の存在が魔人にとってはなぜ重要なのかやっとわかった」
言葉の途中、フレーシャは自分の小さな手に視線を落とす。
指を曲げ伸ばししてそこに自分の手が本当にあるのだと確かめるように、手の甲を顔の前にかざした。
つられるように、私も自分の手を見る。ガヴェルの大きな手に覆われて、自分の手は少ししか見えない。
貴族として生まれたのに家の掃除、家畜の世話や畑仕事で荒れた手は、ポカポカとした温もりに包まれている。
武骨な手の中、かすかに見える私の手は細くて華奢で頼りない。
私は、そんな存在じゃないのに。弱くなんてないのに。勘違いをしそうだ。
「魔女は、人間であるにもかかわらず、体に魔力を宿すことができる者。魔力を受け取り、体内にためることのできる器。鉱石とは程遠い、力のある器。魔女に取り込まれた魔力は昇華され、本当の死を迎える」
フレーシャの顔が上がり、薄い赤の瞳が輝く。
生命を感じられないと思っていた彼女の完璧すぎる顔。その瞳に生気が灯っただけで、華やかな大輪の花のように美しさを増した。
「魔女は、魔人にとっての希望なのだ」
フレーシャは幼い顔立ちそぐわない妖艶な笑みを浮かべる。
その中に渇望に似た狂気が垣間見えて、私は思わずガヴェルの手を握りしめた。




