12. 師となり弟子となる。
「もっと魔人の力を理解しろ。魔力を無駄にしている」
「僕、魔力使ってないよ」
「無意識すぎて分かっていないだけだ」
「んー、分かんない」
「阿呆、少しは考えろ」
幼くも厳しい声に、ガヴェルの「ふぅぅぅん」と情けない半泣きが聞こえる。
半覚醒した意識の中で、「ガヴェルだから仕方がない」と相槌を打つ。
「魔力は魔人の命の源。せっかく魔女がお前の中に戻したその魔力、無駄にするのか?」
「嫌だ。ちゃんと使う」
「ならばちゃんと魔力の使い方を学べ」
「分かった。教えて」
「たわけが。それが人にものを頼む態度か」
「教えてください。お願いします」
「やだね」
「なんで!?」
クッソ面白くもない喜劇が枕元で続く。
最後のガヴェルの半泣きの叫びが耳に痛い。
ほっと息を吐き、目を開けば思った通りの光景が広がっていた。
ベッドに横たわる私を、寄り添うようにしてが後ろから抱え込むガヴェル。慣れたくもないけど、もう慣れた。
そして反対側の椅子に座り、私の手を握っているのは畑で会ったあの子供。確か名前は──
「フレーシャ、様?」
「様はいらん」
「サリー、起きた!」
赤い目を潤ませてガヴェルが私の顔を覗き込む。近い、近い近い。近すぎ。
迫る顔面をグイッと手で押しのけ起き上がると、ぎゅうぎゅうと体を囲う筋肉の檻。いつもの温かさと息苦しさと重み。
そしてもう片方の繋がった左手から、じんわりと、何かが自分とフレーシャの間を移動している。
手をじっと見降ろしていると、体にかかる重みがズシリと増した。
「サリー? 大丈夫? もっと寝る?」
「重い。あと、まず言うことあるでしょ」
「あ、うん。ごめんね、サリー。サリーが壊れやすいの忘れてた」
「壊れやすいんじゃなくって、あんたが馬鹿力過ぎるだけだから」
右手でガヴェルの手の甲の皮をつねる。
どこもかしこも硬い筋肉の男でも、手の甲の皮は面白いほどに伸びた。
「あ、痛い。なんかちょっと、痛くないけど、痛い」
「痛くしてあげてるの」
筋肉男のガヴェルに対しては、こういうちまちました攻撃のほうがいい。
たとえるなら、指の先に刺さったトゲとか、目に入ったまつ毛とか、そういう無視できない痛みのようなものだ。
いてててて、と悶えるガヴェルに多少留飲が下がった。
ぽんぽんとでっかい手を撫でて顔をあげれば、フレーシャのまっすぐな目と目が合う。
左右対称の完璧に作られた顔は美しいのに、ただ石像の口だけが動いているように見えて違和感が激しい。
ああ、そうか。目だ。
喜怒哀楽が出すぎるほど出ているガヴェルの目とは真逆で、感情どころか命さえ感じられない目をしている。
「あなたは、魔人?」
「そうだ。死にかけのな」
あっさりと認めた。しかも聞くつもりのなかったことまで。
あの幽霊男ニコラスの態度からするに、この魔人は今まで王家に近いところにいたのだろう。
王家に近い魔人……それで思い出すのは、聖女判定に使われたという聖魂石。魔人の中から取り出された命の源。
聞いていいのだろうか迷い、一度開けた口を閉じる。
フレーシャは小さく鼻を鳴らし、どんぐりのように丸い、でも光のない目で私に向けた。
「なんだ。聞きたいことがあるなら聞け」
「いいんです?」
「ごまかしても無駄だろう。私とニコラスのあの状態を見れば明らかだしな」
「ニコラス様とは、お知り合いなんですよね?」
「ああ、あいつが産まれる前からだ。今の王家は……私の兄が愛した女の末裔だ」
「末裔?」
では王家には魔人の血が入っているのだろうかと思った私の考えを読み、フレーシャは首を左右に振った。
「兄は、王の子供を身ごもったのにないがしろにされていた女に恋をした。だから王家には兄の血は入っておらぬ。まあ、兄は、なんというか……あれだ。横恋慕の当て馬という奴だ」
「うわぁ……」
「それと、聖女判定の石は兄の核だ」
「う、わぁ……」
知りたくなかった。
王家の人に恋して、それなのに命の要となる核をささげるとか、逆にやばすぎる代物ではないか。
凄い純愛の末、あの核が残ったのかと思っていたけど、横恋慕の当て馬……あの時に感じた私の怒りを返せ、クソッタレ。
「ヨコレンボ? アテウマ?」
「知らなくっていい言葉」
「分かった」
頷いたガヴェルの顎がごつんと頭頂部に当たった。地味に痛い。
もう一度ぐりっと手の甲をつねって仕返しだ。
「他に聞くことは?」
「えっと、そうですね……」
言いかけて言葉を止める。
彼女が魔人であり、長い長い年月を生きてきて王家に近い立場にいるのであれば、この状況よりもっと広い視野での知識があるはず。
繋がれた手をしっかりと握り聞きたいことを口にした。
「聖女とは、魔女とは、そして魔女の力とは魔人にとって何なのか。教えてください」
赤い目がゆっくりと閉じて、数秒の沈黙の後にまた開かれた。
そして告げる。
「お前たち二人に教えるのはいいが……明日からにしておこう。──私が、私でいられる間に」
長い溜息と共に呟きが聞こえた。
私を囲うガヴェルの腕がピクリと動いた後、力が込められる。
対照的に、ずっと私の手を握っていたフレーシャの小さな手が離れた。
強く握られていたわけでもないのに、止まった血がまた流れ出すようなチリチリとした痛みを覚えた。
‡ ‡ ‡ ‡
「サリーはここね」
私を丁寧に慎重にそうっと食堂の椅子に降ろしたガヴェルは、「そのままそのまま」というように両手を上下に振りつつ一歩離れる。
微動だにしない私を見て満足げに息を吐き、それからさも重要な任務を遂行したかのように額の汗を拭って私の左隣の席に勢いよく座った。はずみで安っぽい木の椅子がギシギシと悲鳴を上げている。
それからテーブルに料理が並べられた後、ニコラスが憔悴しきった顔で口を開いた。
「目が覚めたか」
相変わらず聞き取りにくい声だ。
カスカスでボソボソのリンゴですらもっとましな音を出す。
そういえば意識を失う前、彼もあの場にいたのだった。ちらりと伺った顔色はいつも通り幽霊よりも生気がなく、状態が悪化しているか判断できない。
「ご心配おかけしました」
「フレーシャ様のご様子は?」
私の形ばかりの謝罪に続いて、間髪入れずに届いた質問。私の具合などクソほども興味がないと。
クッソむかつくが、おそらく私がこの地に呼ばれたのは……ニコラスが私を呼んだのは、彼女のためだ。
あの時、フレーシャがニコラスから距離を取ったことからして、ニコラスは彼女には避けられている。
当然だ。ニコラスは魔力と相性が悪いのだから。
「普通? と言っても普段の彼女を知らないので、普通の人のように見えたとしか言えませんけど」
「今は、何歳に見えた?」
「おそらく、十歳くらい?」
「もう、そこまで……」
なぜ、彼女の見た目の年齢を聞くのか。
訝しく思いながらも答えた私に、ニコラスは驚きを隠そうともせずに目を伏せた。
そんな彼の横で、枯れ木老人ホードンが肉料理を切り分ける手を止めて悲しみの滲んだ声で告げた。
「一年ほど前にお会いした時には、十八歳ほどの可愛らしいお嬢さんでしたが……」
その発言もさることながら、その歳で分厚いステーキ。喉に詰まらせるのではないかと心配になる。
フレーシャは一年で八歳近く若返っている。であるならば、彼女は魔力を失うと共に外見が若返っているということになる。
「魔人は、魔力を失うと若返るんです?」
「正確に言えば、魔力を失うと若返るのではなく、維持する体を小さくして魔力を消費する速度を少なくするために、魔人自らが容姿を変えているんです」
「んな非常識な」
頭が痛い。
つまりフレーシャのあの姿は本物ではあるが、実年齢からは程遠いと。
まあ、あの喋り方と王家と関わりがありそうな様子からは分かっていたが、自分で変えられるなんて。
ガヴェルの体が一日で激変したことといい、魔人や魔力という存在の非常識さを改めて思い知らされる。
と、私のプレートに次々と切り分けられた肉が山のように積み上げられているのに気づいた。
「ガヴェル? 私、こんなに食べないから」
「食べないと元気になれないよ?」
「気を失ったのは元気がなかったからじゃなくって、あんたが私を絞め上げたからでしょう」
「でもお肉食べたら強くなれる」
「なれないし、なる気もない」
「あ!」
山積みの肉が乗った私の前のプレートと、半分ほどの肉が残ったガヴェルのプレートを素早く交換する。
こちらもすでに切り分けられているから、食べやすいし丁度いい。
ガヴェルは肉が増えたことに喜ぶべきか、もう一度私に渡すべきか迷って結局大人しく自分の前の皿から食べ始めた。
「フレーシャ様は、他になんと?」
肉ではなく、周囲の川で捕られた魚のムニエルをナイフとフォークで器用に食べながら、ニコラスがちらりと視線をよこした。
私は肉を口に入れようとしていたフォークを一旦下ろし、彼女に告げられた内容を正確に伝える。
明日以降、私に魔女の力について説明すること。ガヴェルも同様に魔力の使い方を学ぶこと。
それから、聖女選定に使われる聖魂石は彼女の兄のものであると教えてもらったこと。
ニコラスは表情を変えることもなく一つ頷き、そして、こう告げた。
「くれぐれもフレーシャ様にご迷惑をかけることがないように」
彼の視線が私の隣のガヴェルに置かれた後、私へと横移動する。
つまりガヴェルがあほなことをやらないように見張れと。
私はニコラスと同じようにガヴェルを横目で見て返す。
「ガヴェルの基準はフレーシャ様じゃなくて、私なので、フレーシャ様が私に害意を示さなければ問題ないでしょう」
目が覚めた時の二人の様子からして問題はないだろうけど、ガヴェルはフレーシャより私の方を優先する。
だから大変に、心から申し訳ないが、ガヴェルが大人しくできていられるかどうかは、私よりもフレーシャの態度による。
それにニコラスも思い至ったのか、チッと舌打ちをした。王族が舌打ち。いいのか。
ああ、でもフレーシャも似たように舌打ちをしていた。そんなところを真似したくなるほどフレーシャ大好き人間なのか、この人は。
口に入れた肉から程よくにじみ出る脂を楽しみながら、男へ感じた旨味が搾り取られたスープのガラみたいな同情と一緒に飲み込む。
「ニコラス様、是非私もその場に同席して、ガヴェルの核の変化を記録に残したいのですがよろしいでしょうか?」
「ああ、いいだろう。ドン爺がいれば安心だ。私の代わりにフレーシャ様を頼む」
幽霊が掠れたため息を吐き、枯れ木が揺れるようにドン爺が頷いた。
医師であるドン爺がガヴェルの変化を見守ってくれるのはいいことだ。
ガヴェルはなんだか不満そうに「サリーがいるだけでいいのに」とかぶつぶつ呟いている。それは私が嫌だ。
この地に着いた初日に知った事実。
命を失いつつある魔人が息絶えるのが先か、ニコラスが魔力への拒否反応で死ぬのが先か。
フレーシャの命の火が消えるまで、彼は恋い慕う相手に近づくことはできない。
魔人と人間。種族の違い、寿命の違い、立場の違い。
それらすべてを取っ払っても、彼があの魔人と一緒になることはないだろう。
「私も、私の力のことは知りたいので、できる限りフレーシャ様の教えに従うようにします」
「そうしてくれ」
その言葉で夕食の場での難しい話は終わりとなった。
印象に残ったのは、食事が終わって食堂を出ていく時、私たちに向かって深々と頭を下げたローザンヌの姿だった。




