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クソッタレ人生のお供は馬鹿犬くらいが丁度いい  作者: BPUG


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11. こんな子供がこんなところにいるわけない。



 その子供と初めて喋ったのは、ガヴェルが珍しく外向きの用で出かけるニコラスの護衛として不在の時だった。

 気が付けば畑で作業をしていた私のすぐ近くに来ていた。


「ここにいたら魔人が来る。さっさと出ていけ」


 深くかぶったフードの下から、尊大な声がする。

 十歳ほどの子供特有の高い声からは性別は分からない。

 ジョウロを持った私を見上げる目は睨んでいるように鋭い。迫力はないけれど、簡単に無視はできない目。


「私、囚人だから、勝手に出ていくことは無理なんだけど」


 ジョウロを傾けて、伸び始めた芋の苗に水をやる。

 すると、チッと高い音が聞こえた。

 え? 今、この子、舌打ちした? 私に向かって?

 驚いて手が止まる。

 ジョウロの先端、ハス口からさあっと細かな水が散って足元を濡らす。


「仕方がないな……力技でいくか?」


 口元に指先を当て、子供が呟く。

 俯いたフードの下、見えているのは血色の悪い薄い唇だけ。

 なんだ、この子。

 一歩、二歩と畑に足を踏み入れ、私に近づいてくる。

 私は両手でジョウロを抱えなおし、その子供の歩みをじっと見つめる。

 上手く表現しにくいけど、立ち振る舞いがここ最近見慣れてしまった貴族のようだ。

 決して十歳やそこらの子供が身に着けるような所作ではない。

 曲がりなりにも木っ端な貴族だった私でさえ、あんなに綺麗な歩き方はできない。

 たった数歩。畑の中を進む子供の動きに見とれている間に、目の前にその子供は来ていた。


「……あんた、魔女だな」


 そばで声を聞いて分かった。この子は女の子だ。

 そして質問ではなく断言するセリフに、私は何の不信も抱かずに頷く。


「チッ」


 このクソガキ、また舌打ちした。

 ぴくりと、眉を震わせる。

 ローザンヌの親戚で事情のある子どもだと聞いているから、ちょっとひねくれて態度が悪いのかもしれない。

 私が何とか心の中で折り合いをつけようとしている間、子供はフードの下からじっと私を見上げている。

 その瞳が、フードの影の中からでも赤く光っているのが見えた。

 赤い目。

 ガヴェルの重厚なワインの色より、さらに赤い瞳。


 どきりと心臓が跳ねる。

 思わず体を後ろに引こうとした、それと同時、子供の両手が伸びて私の腕をつかんだ。

 手に持ったジョウロが大きく揺れて、水がはねる。

 冷たい手。痩せた私の腕に回り切らない指。小さい手だ。

 十歳よりも幼いのかもしれない。


「出してみろ」

「え?」

「魔女の力を使ってみろ」


 子供が顔を上げる。フードが僅かに後ろに下がり、赤い目が露わになった。

 光を受けて煌めく赤。クランベリーのように艶やかな明るい赤だ。


「ほら、ぼさっとしてないで力を使え。魔女」

「な……にを。私は自分の意思で力はつかえな」

「チッ」


 私の言葉の途中で再度響いた舌打ち。

 イラッとして、体を後ろに大きくひいて子供の手を強引に振り払う。

 ジョウロからこぼれた水が盛大に畑の上に広がり、ぽたぽたと私の両手を濡らした。


「なんなの、あんた。失礼でしょ」


 子供だからとか関係ない。

 眦を引きあげ、厳しい目つきで子供を見下ろす。

 だが子供は全く私の方を見もせず、自分の胸の前で広げた両手を凝視したまま固まっていた。


「ちょっと?」


 顔をしかめて声を上げる。まったくしつけのなっていないこの子供。

 何の用でここに来たのか知らないけど、私が相手する必要なんてないだろう。

 そう思って離れようとしたとき、子供顔が勢いよく上がった。


「すごいな!」


 フードがばさりと落ちる。

 露わになった顔に、息を飲んだ。

 太陽の下で煌めく赤い両目。銀色の緩やかに波打つ長い髪。

 クソ性格の悪い姉でも、顔だけは良かった。

 その姉を十五年以上見ていた私でも驚くほど美しく整った顔。

 神様というものが存在するなら、その愛情を一身に受けていそうなかんばせ。

 その完璧な造形のなか、完熟前の酸っぱいチェリーのような薄い色の唇が動く。


「お前、すごいな! 本物だ!」


 どんな大倫の花よりも美しい笑顔が花開く。

 その満面の笑みに見とれている間に、再度両手が強い力で握られた。

 あまりの勢いに私の体がガクッと揺れる。


「ははっ、はははは! すごいな! 触れるだけで分かる。お前、本物だ」


 両目を爛々と輝かせた子供が、私を見上げて声を上げる。

 狂気にも似た表情に、私は手を掴まれたまま一歩足を引いた。

 だがその手を引く子供の指がぐっと私の肌に食い込む。


「いっ」


 ピリッと肌を走った痛みに顔が歪む。

 でももう一歩、この訳の分からない子供から離れようと腕を強くひいた。

 それにより、食い込んだ子供の爪がガリッと深く私の肌を傷つける。

 痛みに奥歯に力が入る。眉を寄せて痛みに耐えてながら、再び口を開いた。その時――


「サァァァァリィィィィーーーーーー!」


 太陽が一瞬陰る。

 見上げる間もなく、頭上から落ちてくる存在。

 息を飲む前に、体が浮かぶ。

 硬い、すでに慣れてしまった腕の感触。

 直後、ズンッとした衝撃と共に畑の土が舞い上がった。

 私の手から離れたジョウロが遥か彼方に吹っ飛ぶ。

 その視界の端、小さな体が人間にはあるまじき速さで後ろに飛びずさった。

 舞い上がる土埃が、子供の周りだけを避ける。明らかに、おかしいだろ。


「お前! サリーをいじめるな!」


 ガヴェルが私を腕に抱きあげた状態で叫ぶ。

 いや、馬鹿。いじめられてなどいない。

 ちょっと考えをまとめる時間を――そう思っている間にも事態は進み続ける。


「フレーシャ様!」

「っ来るな!」


 普段の弱弱しい幽霊のような様子からは、考えられないくらいの大声でニコラスが叫ぶ。

 やせ細った体で駆け寄ろうとするのを、フレーシャと呼ばれた子供が拒絶した。

 王族のニコラスが敬称をつける存在。

 ガヴェルの腕に持ち上げられたまま、目でニコラスと子供を追う。


 凍り付いたように立ち止まったニコラス。

 そして警戒する猫ように姿勢を低くして、いつでも逃げられる体勢を取るフレーシャ。

 ああ、これか。これが全ての原因なのかと、納得してしまった。


「サリー、大丈夫?」

「あ、うん。全然問題ない」

「でも、血が出てる」


 片腕に私を抱えたまま、私の腕を取って、あろうことか血の滲む傷口に唇を――


「馬鹿!」

「ぎゃ!」


 馬鹿犬。舐めようとするな、バカバカバカ。

 ガヴェルの手から腕を引き抜き、これ以上馬鹿をされないようにぎゅっと守るように組む。

 私に叩かれた鼻っ面をガヴェルはコシコシとこすり、目を潤ませた。

 痛いはずもないのに、その顔に弱い私は言葉に詰まる。

 しょぼんと私を見上げてきた馬鹿犬を思い出す。

 豚に喧嘩を売るな、じゃれつくなと言っても懲りない馬鹿犬を叱ったときの顔だ。

 私たちがこんなやり取りをする間も、ニコラスは悲愴な顔をして、フードをかぶりなおした子供を見つめている。

 ニコラスこそ、ご主人に捨てられた犬のようだ。

 側に行きたい相手に拒絶され、足を踏み出せずにただその場で立ち尽くすしかできない。


「フレーシャ様……」


 胸元のシャツを掴み、急に動いたことで乱れる息を整えようとする顔は蒼白。

 ふらついた体を使用人の男が支える。

 本来ならばあれはガヴェルの役目なのではないか。

 ちらりと見たガヴェルは、私と目が合ったことに喜ぶばかりで、一歩も動く気配はない。

 いいのか、それで。……いいのだろうな。


 視界の端で、小さな外套の裾が揺れる。子供のような姿のその人は、踵を返しながら赤い目で私をちらりと見た。


「魔女、あとで会いに行く」


 私の返事を待たずに去っていくその後姿を、私はガヴェルに抱えられたまま見送る。


「はぁ……」


 十分に小さくなった背中から視線を下し、深い溜息をつく。


「サリー? いじめられた? 大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「え!? どこか痛い!? ドン爺のとこ行く!?」


 慌てて走り出そうとするガヴェルの耳を思いっきり引っ張る。


「痛い! サリー、痛い!」

「馬鹿!」

「なんでぇぇ」


 涙目でこちらを見るガヴェル。

 その目を見つめたまま、クイッと顎で周囲を示す。


「あ……」


 辺りを見回し、ガヴェルの顔がしょぼんっと情けなくなった。尻尾があったらだらんと垂れていることだろう。

 畑に乱入してきたガヴェルのせいで、順調に育っていた苗がぐちゃぐちゃになってしまっている。


「植えなおすわよ」

「ごめんなさい」


 素直に謝るガヴェルの耳から手を放す。

 そして、多分、私はどうかしていたんだと思う。

 たぶん一気に色々あって、冷静じゃなかったんだ。

 だから、私はガヴェルの手触りの良い赤銅の髪をそっと耳にかけてあげた。

 指先を通るサラサラの髪は相変わらず綺麗だ。


「でも、助けてくれてありがとう」


 勢いよく、ガヴェルの顔が上がる。

 キラキラと輝く目が、一度だけ行った夜会で華奢なグラスに注がれたワインの様に輝く。

 しまったと思った。余計なことを、言ってしまったと。


「サリーーーーーーーー!」


 馬鹿犬が、力加減も忘れて私を抱きしめる。

 くはっと、声にならない空気の塊だけが口から洩れた。


 ああ、空が青い。私はこんなところで死ぬのか、クソッタレな人生とおさらばだと思ったが最後、意識がふっと遠のいた。



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― 新着の感想 ―
色々なお話を読んできたつもりでしたが、サリーはその中でもダントツの波乱万丈さを持っていると思いました。
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