9. 魔女は畑にいる。
ドン爺の答えを聞いた私の反応が恐ろしかったのかは分からない。
だが彼は慌ててたように言葉を続けた。
「今のままではなんとも言えないのです。彼の中に余っていた魔力、余分な筋肉になっていた魔力が凝縮されて固まったということまでは予想できます。大きく育てるには、もっと魔力がいる。魔力を体に取り込み、核にすることが重要なのです」
「ガヴェルは、あの坑道に通って魔力を集める必要があるってこと?」
「はい。そしてなるべくサリー殿と行動し、できれば触れ合っている時間を持つのが良いでしょう」
「あえて聞くけど、私の力は、触れ合っていないと効果がないの?」
「断言はできませんが、これまでの聖女様の力を見る限り、その可能性が高いでしょう」
パシュワールは言葉の最後をニコラスに向けると、幽霊はカクリと頷いた。
つまり四六時中、可能な限りこの馬鹿犬と一緒にいて、さらには触れ合っていろと。
どんな拷問だ。
いや、囚人としてここに来たのだから、拷問を受けるのは間違っていないのかも。
しかしすでに罪が決まった囚人に対して拷問するのは過剰ではないか?
何が間違いで何が正解なのか。痛み始めた頭をフルリと振ると、横から能天気な馬鹿犬がふざけたことを口にする。
「それじゃ、僕がずっとサリーを抱っこしてあげるね!」
「いらんわ」
遊ぶのか、遊ぶのかと目を輝かせる馬鹿犬にぴしゃりと言い放つ。
そんなショックを受けた顔をしないで欲しい。これはあんたの命がかかってるのに、何で本人はそんなにものんきなのか。
「他に、何か気を付けるべきことはあるの?」
これ以上無理難題、あるいは苦行を押し付けられてはたまらない。
それでも自分の役割を放り出すことはしたくない。それではあのクソ姉と同じことになる。
室内を見回した私に、ドン爺がまず一つ注意事項を上げた。
「ガヴェルの核が安定するまで、どれくらいかかるか分かりません。不必要にそばを離れないようにしてください。ガヴェルの核は、例えるならば固まり始めたゼリーのようなもの。崩れやすく、温度変化によってはまた元の状態に戻ってしまう。そして崩れたら、万全な状態の核の形になることはないでしょう」
なんでそんなにゼリーの状態について詳しいのか。
研究者っていうのはゼリーも作れて当たり前なのだろうか。
あのうすら笑みの真ん中にパイをぶつけてやりたい。もったいないからそんなことしないけど。
パイじゃなければそのあたりに飾ってある重そうな花瓶。男爵家に置いてあった欠けてくすんだ土の花瓶よりはるかに高そうなやつ。
枯れ木をぶった切る勢いでぶつけたらスッキリする気がする。
目をキラキラと輝かせるガヴェルを視界から外し、生気のない幽霊ニコラスを見る。
「ガヴェルの普段の仕事は私の警備だが、この地では必要がない。ローザンヌの手伝いを二人でしてくれ。畑の世話が足りていないと言っていたから丁度いいだろう」
「分かりました」
「分かった!」
ガヴェルと二人でいる必要があるならば、二人でできる仕事を割り振るのは道理にかなっている。
他にもローザンヌの手伝いでできることがあればやろう。でかいガヴェルがいれば役に立つはずだ。
そうして到着二日目の濃厚で長い話し合いは終わった。
――んなでかいのが視界に終始いたら邪魔だ。外行きな、外。
ローザンヌのごもっともな発言により、私とガヴェルは今屋敷の前と裏の畑を見て回っている。
この畑の世話は他の下男たちもしているので、やることは多くない。
ただそろそろ野菜の植え替えの時期だそうで、収穫の済んだ野菜を抜いて土を作り直すのだとか。
「そんなことしたらサリーが倒れちゃう」
「倒れないし」
男爵家では自分で野菜も育てていたし、家畜の世話もしていた。
これくらいで倒れるわけがない、と何度言ってもガヴェルは聞かない。
「足元気を付けてね。抱っこしようか」
「いらない」
触れ合っている時間が長いほうがいいらしいが、さすがにずっと抱っこされるのは勘弁だ。
それにそんな状態では仕事もできないと、妥協に妥協を重ねてさらに妥協した結果、今私はガヴェルと手をつないでいる。
ごっつくって大きな手に握られた私の手は、まるで幼い迷子の手のように小さく見える。
「何か、力が出てるって感じる?」
「サリーの手?」
「うん、そう」
頭一つ分よりさらに上にあるガヴェルの顔を見上げる。
彼はうーんと何度か首を左右に振って、「分かんない」と元気に答えた。
あれか。うちの馬鹿犬が命令をしても首を傾げるのと一緒か。そうか、そうだろうな。
「でも体中があったかくってホカホカして幸せだよ」
「そりゃ、どうも」
そのホカホカが、体中を魔力がちゃんと巡っているという意味だということを理解しろ、クソッタレ。
嘆息しつつ、畑から少し離れた場所に道具を取りに行く。
今日は残っている苗を抜く作業が主になる。
大きな葉っぱはそのまま土に混ぜるため適当に落とし、太い根や茎をガヴェルの押す手押し車に乗せる。
これは乾燥させて焚きつけに使ったり、家畜の餌にするそうだ。
そびえたつ崖に囲まれたこの場所では、何一つ無駄なものはない。食料であれ、人材であれ。
だから、その人影を見た時、不思議に思った。
「あれ? 子供がいる?」
引っこ抜いた茎で山盛りになった台車を押すガヴェルの横を歩いていたら、小さな人影を見つけた。
花壇の隅にうずくまる、ぶかぶかの外套を着た子供。
「あ」
隣のガヴェルが小さく声を出した。
その声に反応するように、子供が勢いよく立ち上がった。かと思うと、ちらりと私とガヴェルを見て走り去ってしまう。
ぽかんとしたままピョコピョコとフードが揺れる後ろ姿を見送っていると、ガヴェルがぽつりとつぶやく。
「ロジママの子だよ」
「ローザンヌさんの?」
思わず聞き返す。先ほどの子供は十歳くらいに見えた。
ローザンヌは五十歳は超えているようにも見えた。歳がいってからの子供なのだろうか。
「あ、子供っていっても、知り合いのお友達の家族の子だったかも」
「ああ、そういうこと」
それは……つまりほぼ赤の他人の子供だろう。
こんな場所に子供がいるのには理由があるのだろうと、なんとなく察しが付く。
ローザンヌがどんな経緯であの子を引き取り、さらにここに来ることになったのかは詮索すべきではないが、面白い話ではないということくらい分かる。
だって、私がここに来た経緯もクッソ面白くもない話だからだ。
まあ、くだらない秘密は多い場所だが、それを除けばここはいい場所かもしれない。
余計な詮索も、噂話も、嘲笑もなければ、比較され貶められることもない。
屋敷に響く金切りバ母様の金切り声も、終始陰鬱で暗い泣き言ばかりをこぼすお父様の声も聞こえない。そしてそれらはここに来るよりもずっと前に切り捨てたものだ。
「……薄情なのかしらね」
「はくしょん? サリー、風邪? 抱っこする!?」
「いらないから」
荷車を押す手を止め、私へと体の向きを変えたガヴェルを押しとどめる。
聞き間違いにもほどがある。耳から脳につながっていないのではないかと心配になる。
ふうっと息を吐いて、心に沸き上がりつつあった嫌な気分を押し出す。
続けて息を吸い込めば、刈り取ったばかりの草の香りが鼻をくすぐった。
ここを片付けたらもう一度同じ作業に戻らなければ。
「行くわよ」
「うん!」
元気な返事。脳裏に上機嫌に木の枝を咥えて後ろをついてくる馬鹿犬の姿が浮かぶ。
あの子が人間になったらどんな子だろうかと思ったことがあるが、今はその妄想を後悔する。
馬鹿犬は犬のままでいた方が幸せだ。下手に人間になんてなったらさらに手が負えない。
そんなことを思いながら、終始ご機嫌なガヴェルの隣をゆっくりと進んだ。




