第一話 契約
雨が止みそうで止まない。ひたすら小雨が続いていて、傘を忘れた私は今にも止みそうな雨を眺めつつ、何気に高校の昇降口で小一時間空を眺めていた。
別に濡れるのが嫌なわけじゃ無い。極力目立ちたくないだけだ。小雨といえど、この中を走って帰れば当然濡れる。少しでも早く帰ろうとすると、当然走る。雨の中走る高校生など珍しくないかもしれないが、それでも人目には触れるだろう。するとそれを見た人は、こう思う筈だ。
『……ドラマの見過ぎじゃね?』
そう、雨の中、走って帰る高校生。ドラマではよく見る展開。そんなドラマに影響されたバカな高校生だと思われたくない。いや、分かっている、私の事など誰も気にしていない。誰も私が雨の中走って帰る所など、意識してみているわけがない。
しかしそれでも気になってしまうんだ。
私は人目が異常に気になる年頃。何せ高校生なのだから。
「あー、傘忘れた」
「入ってく?」
そんな私を空気扱いしつつ、一組のカップルが一緒の傘に入って帰宅していく。
決して羨ましいわけでは無いが、絶滅すればいいのにとは思う。決して羨ましいわけではないが。
あぁ、なんで雨なんて降ってるんだろう。早く止んでほしい。それか、降るならもっと激しく降ればいいのに。そしたら諦めも付いて、図書館にでも籠るのに。今は今にも止みそうな中途半端な雨。止んだ瞬間に帰れる、と私はずっとここで待ち続けている。
「はぁ……」
自然と溜息が出た。そういえば溜息を吐くと幸せが逃げるとか何とか。それなら私は一体これまでどれだけの幸せを逃がしてきたんだろう。少しは感謝してほしい。幸せ達よ、お前達を逃がした私に少しは敬意と言う物を……
「待った?」
と、その時私に話しかけてくる男子生徒が一人。
……誰だ?
「……えーっと……」
「ごめんごめん、ほら、帰ろ」
「え、あの……どちら様……?」
すると男子生徒は強引に私の手首を掴み、自分の傘の中へと入れてくる。
マジで誰だ、この生徒。
いや、普通に怖い。このまま私、どこに連れていかれて……
「……ごめん、合わせて……俺の腕に掴まって」
「は、はい?」
「なんか奢るから」
何か奢る。その甘い言葉に……そう、決してその男子生徒がちょっとイケメンだったからではなく、なんか奢るというワードに釣られたんだ、私は。そしてそのまま言われた通り、私は男子生徒の腕に自分の腕を絡めるように。
すると視線を感じた。数人の女生徒が、正門の所で固まってこちらの様子を伺っている。
やばい、あの女生徒達は……上級生だ。ブレザーのタイの色で分かる。紫のラインが入っているのは三年生。ちなみに私はまだピカピカの一年生。
腕を組みながら、その女生徒達を通り過ぎる。すると自然に耳へと女生徒達の囁き声が聞こえてきた。
「誰? あの子……」
「下級生? 何で……?」
「うざ……要さんに手だしてんじゃねえよ……」
きっと最後のは警告だろう。というか要さん? この男子生徒は要さんと言うのか。中々にイケメンだ。高身長で、腕も引き締まってて、真面目そうで何処か遊んでます感がある。少し開いた襟元がそう感じさせるのだろうか。
そしてしばらく歩いて、駅前へと向かうバス停まで来ると、ようやく私は要さんの腕を放した。すると要さんは小さく息を吐きつつ……むむ、今のは溜息か? 幸せが逃げるんだぞっ、溜息は。
「悪いな、変な事に付き合わせて……」
「はぁ……あの、一体何が……」
「ほんとゴメン。まあ甘い物でも食べながら……いや、他の生徒居るな……」
まあ、この時間帯、買い食いしてる生徒なんてごまんといる。
私もあまり目立ちたくないから……行くなら隣の市までいく勢いで遠出しないと……
「……俺の家でもいいか?」
「……はい?」
いいわけないだろ! こちとらうら若き女子高生なり!
「パンケーキくらいなら作れるけど」
「いきます」
※
女子にはパンケーキを食べさせておけばいい、そんな風に男子が喋っているのを教室で盗み聞きしていて、私は「そんなわけないだろ、舐めてんのか」と心の中で思っていた。
だが今、私は全力でその言葉に肯定せざるを得ない。目の前には要先輩手作りの、とても美味しそうなパンケーキ……もうホットケーキにクリーム盛っただけの物だけど、その香りが物語っている。このパンケーキは絶対美味しいと。
「どうぞ。涎たれてるぞ」
「これは失敬……いただきます」
ジュル……と涎を拭いつつ、ナイフとフォークでパンケーキ……いや、もうホットケーキを食べる私。ちなみにパンケーキとホットケーキの違いは何かと聞かれたら、私はこう答える。ロブスターとオマールエビの違いと同じだと。ちなみにロブスターはフランス語でオマールって言うだけで、基本同じエビだ。
一口、パンケーキを頬張る私。瞬間、口の中に広がる控え目な甘さと、ふわふわの生地。そして生クリームが言い感じに絡み合って……なんかグルメレポートみたいにしようと思ったけど、作者の力量ではこのくらいが限界なので勘弁してほしい。つまり美味しい。
「ご満足いただけたようで……」
先輩は私の感想を聞く前に、にこやかな笑顔でエプロンを脱いで畳む。
なんて家庭的な男子なのだろう。というかこの家、アホみたいに広いけど先輩一人しか居ないのか?
「あの……先輩のご両親は……」
「ドラマ風に言うと海外出張……現実的に言うとフランスに飛ばされた……かな」
「飛ばされた?」
「親父が新しい子会社の立ち上げのために行かされてね。母親もそれに付いて行ったんだ」
ふむぅ。
「先輩はついていかなかったんですね」
「まあ、俺はフランスでやっていく自信は無いし……」
成程……私もフランスの学校に突然通えと言われたら、迷わず一人でこっちに残ると言うだろう。もう高校生なんだし不可能ではない。ちょっと寂しいけど。
そのままパンケーキを食しつつ、先輩の話に耳を傾ける私。
「ところでさっきの事なんだけど……悪いな、本当に。実は数日前に……同級生の女子に告られて……」
ふむふむ。
「それ断ったら、なんかあの女子グループに、事ある毎に付け回されて……」
ああー。まあよくある事だな。なんであんないい子振るの?! というアピールしつつ、実は自分も要先輩を狙っていて、さりげなく主張したいけど他にも同士が居るからとりあえず牽制し合ってたらそうなったみたいな……。
「で、もう彼女いるって嘘ついちゃって……」
ほむほむ。
「それで咄嗟に君があそこにいたからつい……」
なるほど。
「つまり……私が先輩の彼女役って事ですね」
「……随分、アッサリとしてるね。こんな事に巻き込まれたのに」
「まあ、分かりやすく言うと……私はどうせなら男に生まれたかった系女子なんで」
「えっと……つまり?」
「女同士の駆け引きめんどくさい」
成程……と納得してくれる先輩。
そう、男子なんて喧嘩しても、殴り合えばすぐに仲直りする生き物だ。
しかし女子は一度喧嘩したらもう一生仲直りする事は無い。表面上仲直りしても、心の中ではずっと引きずっている。
【注意:個人差あります】
しかし私が先輩の彼女役か。まあ明日登校したら……たぶん私の下駄箱に何かしら嫌がらせが……いや、考えすぎか。今は超便利なSNSがあるんだ。きっとその中で私の愚痴やらなんやらをぶちまけて満足してくれるに違いない。
「ほんとゴメン。責任はとるから」
「……先輩、それどういう意味か分かってます?」
「……パンケーキ好きな時に食べさせてあげる」
「大正解」
うへへ! このパンケーキはもう私の独り占めじゃぁ! 私ってば友達いないし、なんかこういう他人の家に遊びにくるのも久しぶりで結構楽しいかもしれない!
「えっと……じゃあ私は先輩の彼女役を学校で演じればいいってことで?」
「……いや、流石にそこまでは……そんな事したら虐めの対象に……」
「別に構いませんよ。所詮、重要なのは最終学歴なんで。高校卒業してなくても大学出ればいいんだし」
「随分余裕だな。君……頭いいんだな」
「まあ、学年で十位以内には入っているぅ。ちなみに私は君じゃなくて……こういう者です」
胸ポケットから生徒手帳を出して、まるで名刺交換のように差し出す私。
先輩はそれを受け取りつつ、名前を確認。そこには遡上 璃子と書いてある。
「遡上さん……あぁ、入学式の時に代表で挨拶してた……」
「それ……思い出させないで下さい……マジで嫌だったんですから……」
うぅ、私の黒歴史……。中学の時に調子に乗って生徒会長とかやってたから……。
その生徒会長も元々はどうしても生徒会に入りたいって言う幼馴染について行ったらやらされただけだし……。
「成程、君を彼女にしたら俺も恨まれそうだな……」
「誰にですか」
「色々……」
と、その時……一瞬空が光った……と思ったら滅茶苦茶雨が降ってきた。
げ。マジか。
「……滅茶苦茶降ってきたな。タクシー呼ぶか」
「いやいやいやいや! お金ないっす!」
「出すに決まってんだろ。心配するな、仕送りならちゃんと……」
「そ、そんなの悪いですから……あ、あるいて帰れます!」
「そうか、頑張れよ」
「酷い!」
「じゃあタクシーを……」
「いやいやいやいや!」
そんなやり取りを数回くりかえした後……なんか知らんけどその日は先輩の家にお泊りすることになりました。