お出掛け
一時間後。
中庭にも陽光が差し込む頃合いに、最初に授業を受けた東屋を覗くと、今朝言っていた通り、ユキノが紅茶を飲みつつ庭に咲く花々を眺めていた。
「ん、あ、二コラ、お風呂はもういいんですか?」
「十分すぎるくらい堪能してきました」
こちらに気付き微笑みかけてくるユキノに苦笑して返す。
ニ十分くらいで出ようと思っていたのに、結局こんな時間。どうやら自分は相当なお風呂好きに生まれ変わってしまったようだ。
「ふふ、気持ちいですもんね、二コラも飲みますか?」
穏やかな笑みのままユキノが軽く指を振れば、ティーポットはひとりでに浮かび上がり、どこからともなく現れたティーカップに注ぎ口を傾け、それと同時テーブルの真ん中に現れるクッキーの並べられた白い皿。
まだ少し不思議に感じるその光景を眺めつつ首肯すれば、これまたひとりでに椅子が引かれたユキノの対面に腰を下ろす。
まるで魔法のよう…といっても本当に魔法だが、毎日見ていてもやはり楽しい光景だ。
「今日はいつもより少し長めでした?」
ユキノが言うのはお風呂のことだろう。二人しか住人のいない館だ、お互いの生活リズムだとか、それこそ普段どれくらいお風呂に入っているかなんかは自然と把握できる。
「えぇ、まぁ…ちょっと考え事をしてたので」
「考え事?」
クッキーを手に取りながら小さく首を傾げたユキノに、紅茶を一口飲んでから再び口を開く。
「はい、そういえばまだこの館から出たことないなって」
「あぁ…」
なんとなしに考えていたことを口にしただけだったが、ユキノの反応はどうも微妙だ。
僅かにその柔和な表情が強張り、クッキーを口に運ぶ手も一瞬だが止まったように見えた。
とはいえそれを深く追求しようという気はあまりない。館の外への興味と言うものは確かにあるが、別に今すぐ外に出たくてたまらないと言うわけでもなければ、食や衣服への関心も急を要するようなものでは無い。
何かしらユキノに外へ出せない事情があるのならば、これ以上この話を続けるつもりは無かった。
「気になりますか?」
しかしこちらの思考とは裏腹に、ユキノはそこで話を終わらせたりはしなかった。
「…まぁ、そうですね、街とかあるのかなとか、館の周りってどうなってるのかな、とか、いろいろ」
僅かな沈黙の後に投げかけられた問いに、素直に答えてよいものか逡巡した後、紅茶を一口飲んでから選んだ返答は偽りのない方。
「そうですよね…うーん…」
「それに…服とか、見てみたいですし」
カップに口をつけながら小さく呟いたその言葉を、ユキノは聞き逃さなかったようだ。
小さく俯いた顔を上げ、ちょっとだけ意外そうな目を向けられる。
ていうか、服とか見てみたいなんて、言葉だけを捉えれば完全に女の子のソレではないか。別に女の子であることに忌避感があるわけではないが、それにしても染まるのが早すぎはしないかと自身にツッコミを入れたくなってくる。
「あ、あと、街で食材とか買えたら私ご飯つくれますしっ?」
意識した途端になんだか気恥ずかしくなって、視線を逸らしながら付け足したもう一つの理由もまるで言い訳のようになってしまった。
ちらっとユキノの表情を確認すると可愛らしいものでも見るような笑み。顔が熱くなるのを感じた。
「ま、まぁっ、別に興味があるってだけで絶対必要ってわけじゃないですし、そもそもまだここに来て一週間程度ですからこの先いくらでも機会はありますし」
己を落ち着けるために紅茶を呷り、クッキーをかじってから一呼吸。
その様子を微笑みながら見つめていたユキノは、また少し真面目な表情に戻ってから、口元に手を当てぶつぶつと小さくなにか呟き始めた。
この一週間で分かったことだが、これはユキノが深く考え事をする時の癖らしい。
普段はふわふわとした可愛らしい女の子なのに、こうしている時はとても格好よく見えるから不思議だ。これがきっと『顔がいい』と言うやつなのだろう。
ともあれこうしている時はあまり話しかけないほうがいいと言うのもこの一週間での学び。今は彼女が何かしらの答えを出すまで紅茶を楽しむことにしよう。
「まぁでも…うぅん…王都はそう遠くはない…し…」
そよ風に乗って小さなつぶやきが聞こえてくる。
王都だなんてまたファンタジックな名称だ。是非ともお目にかかりたいものである。
「もうすぐ王女の即位三百年の式典だっけ…うーん…人多そうだけど…」
この世界の平均寿命は恐ろしく高いのだろう、前世で三百年も経ってたら四代は変わっている。
果たしてこの世界の人間が長寿なのか、それとも他の種族なのか、もし街に行ったなら歴史書なんかも探したいところだ。
「ううん…興味を示しているし…引き留めるのも変だし…」
それにしても随分真剣に検討してくれている。そこまで大事に考えないといけない程の案件なのだろうか。大切に思われているのならありがたい限りだが。
「まぁ…代わりをしてもらったりもあるだろうし…」
「今なんか不穏な事聞こえたんですけど」
「ぇあっ!?き、気のせいじゃないです!?」
邪魔をしたくはなかったが、聞こえた言葉にたまらず声を上げると、びくぅっと大袈裟なリアクション。これがちょっと小動物的で可愛い反面、怖がらせているようで申し訳ないために普段は声を掛けないようにしているのだ。
「と、とりあえずっ、きめましたよっ」
誤魔化すように視線を逸らしながら無理やり話を続けるユキノ。まるでさっきの自分を見ているようだ、繋がっているのかわからない血のつながりを感じる。
「行きましょう!外!人が多いところは苦手ですけど…二コラのお洒落のためですしっ!」
「ちょ…っ」
さっきのことを掘り返され、再び熱くなる顔。この子は可愛らしい顔をして結構怖いことをしてくる。
「はぁ…それで、その街ってどうやって行くんですか?」
これ以上つつかれてはたまらない。とりあえずさっきのは一旦置いておこう。
…似たようなことがつい最近あった気がする。
「んー、だいたいは歩いてですかね、そんなに遠いわけでもないですし」
ただ…と、ユキノがポケットから取り出したのはいつもの魔法陣。
「このままの格好では行けないですから」
ユキノが魔法を発動すれば、それまで纏っていた簡素なワンピースは光の粒子となり溶け消え、入れ替わるように暗い色のローブが小さな体を包み込む。この世界に転生した初日、ユキノが着ていたものだ。
館の中では二人ともそろってワンピースを着ているが、さすがに外に出るのにこんな薄着ではいられない。
それにしてもユキノのそれは少し重装備なのではなかろうか、フードを被ってしまえば背丈くらいしかわからない。
「はい、二コラ」
次いで渡された魔法陣。ユキノのように着替えるための魔法なのだろう。受け取って魔力を流すとやはり身に纏っていたワンピースと入れ替わるように自分の服装が組み変わっていく。
「…ん?」
しかし二コラが纏ったものはユキノのような地味色ローブではなかった。
確かにシルエットは似ていたものの、二コラはローブではなくフード付きのポンチョ、色は白を基調にしており、全身すっぽり覆われているユキノと違ってこちらの丈は腰までで、その下には青色のスカートが覗いている。
ポンチョもスカートもところどころ花の刺繍が施されていたりと、ユキノの物に比べ随分と可愛らしく、お洒落、かつどこか現代的だ。材質は馴染みない感じがするし、総じてファンタジックな格好であることは違いないのだが、全く想定していなかったかわいい服に、今すぐ鏡を確認したくなる。
「これ…」
「お母さんが昔着ていた服です、やっぱり似合ってますね」
着替えと同時に履かされていたブーツをコツコツと鳴らし、椅子から立ち上がって自分の格好を見下ろしていると、微笑みながらユキノが教えてくれる。
「お母さん小さくないですか…?」
「その服も魔法がかかっていて、着る人にピッタリのサイズに変わるんですよ」
さすが魔法。何でもありだ、便利すぎる。
「ただその魔法お母さんにしか使えなくて、他に同じ魔法がかかってる服もわからなかったのでそれしかないんですけど…大丈夫ですか?」
「え?はい!可愛いし、好きですよ?」
きっとユキノ的にこの服装は受け入れ難いのだろう、ユキノが街に着ていく服が地味色ローブなあたり、可愛らしい恰好を人前でするのは苦手と見える。
それ故に自分が好まない格好を私にさせるのが不安だったようで、気に入ったと聞いてほっと胸を撫でおろし、安心した様子をにじみ出させていた。
対してこちらは前世男なのに可愛い服に舞い上がって大丈夫なのだろうかという思考が一瞬脳内を過ったが、それはもう気にしない、好きにすると決めたこと。染まってる?大いに結構。思うままにはしゃいでやろうじゃないか。
「それじゃああとはこれと…」
言いながらユキノが出したのはまたも魔法陣のメモ。今度は小さなバッグが出てきた。
ブランド物のような高そうな革製でありつつ、凝った装飾は施されていない、物を入れるためだけに作られたかのような肩掛けの鞄。
「それは?」
「見ての通りですよ、ただこれはとある生き物の皮で出来ていて、見た目以上に物がたくさん入るんです」
「へぇ…それって魔法を掛けたとかではなく?」
「はい、もともとそういう性質を持った生き物なので、加工自体に魔法を用いることはあっても、『見た目以上に物が入る』っていうのはこの鞄そのものの性質です」
どうぞ、と鞄を貸してくれるユキノ。
試しに中を覗き込むと全く何も見えず、おそるおそる手を入れてみれば、手は闇に包まれて見えなくなってしまった。
「ほー…」
ゲームで言うところのマジックアイテムのようなものだろうか、つくづく前世の常識が役に立たない世界だ、面白い。
「ふふ、二コラは何に対しても反応が新鮮で面白いです」
「それ馬鹿にしてません?」
「してないですよ、可愛いですっ」
ユキノの言葉にジト目で返せば満面の笑みで反撃を受けそれ以上何も言えなくなる。別に何かを競おうだなんてつもりはないが、どうにもこの子には勝てそうにない、きっと実年齢は前世と足しても敵わないくらいあるんだろう。
「今なにか失礼なこと考えませんでした?」
「なんっ…にもかんがえてませんよ?」
「……だといいですけど、その鞄二コラが持ってますか?」
「え?あ、そうですね、荷物持ちは任せてください」
「別にそんなつもりで言ったんじゃないんですけど…」
そんな他愛もない会話を交わしながら着々と進む外出の準備。
カップとポットは厨房へと飛んでいき、クッキーのお皿もまたどこかへ姿を消していく。
そんな全自動片付けを見送って、最後にユキノが出したのは小さな巾着袋、ジャラっと聞こえる金属音は、中にお金が入っていることを示していた。
「さ、それじゃあ行きましょうか!『王都カルディア』へ!」