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異世界魔女の世話係  作者: こと
第一章:お世話係と叡智の国
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二コラと草太の葛藤

「お風呂って気持ちいんですねー…」

「……はい」

「温かいお水に体を浸しているだけなのに、なんだかふわふわして…」

「……はい」

「これなら毎日お風呂したくなりますー…」

「……そうですね」

「ところでなんで壁を見つめてるんですか?」

「えー…っとそれはぁ…やんごとなき事情がありまして……」

「……?」

 後ろから聞こえるちゃぷちゃぷという水音をなるべく意識しないようにしながら、目の前のタイルをじーっと見つめる。せめてシミでもあればそれを数えられただろうが、ユキノが魔法でなにもかも綺麗に洗い流してしまったためにそんなものどこにも見当たらなかった。

「あ、もしかして恥かしいんですかー?」

「あ、い、や…そういうわけじゃなくて…」

 からかう様な口ぶりで近付いてくるユキノの気配。

 恥ずかしい恥かしくない以前にユキノの方を向いたらアウトなのだ、いかに自分が今美少女の姿をしていようと、ユキノとそう変わらないくらいの女の子であろうと、結局のところその中に居るのは二十六の成人男性三隅草太。二コラとして振舞おうなんて決心もこの特殊な状況では全く役に立ってくれない。 

 違うんです先生、恥ずかしいとかそんなんじゃなくて、私の中の草太の倫理観が警鐘を鳴らし続けているんです。

 いっそそんな風に説明できればいいのにとすら思うが、そんな話をしたところで草太って誰だよってなるのがオチである。これで草太としての意識が暴走して楽しんじゃうようならまだ救いようはあったかもしれないが、残念ながら三隅草太はつまらない男だ、十歳ほどの少女の裸体に興奮する趣味なんてないどころか、そもそも女性の裸体にそこまで興味がない。

「じゃあなんでこっち見ないんですかー」

「それは…えぇと…」

 ではなぜユキノの方を見ないかと誰かに問われたとするならば、『それが普通だから』と答えるしかない。

 現時点で自分の知る“普通”と言うものはもう欠片も残っていないかもしれない。なんせ前世が男、その記憶を引き継いでいるとはいえ女の子として、魔法と言う概念が存在するかなりファンタジックな世界に転生してしまっているのだから。

 この状況ではもはや何が普通かなど問うだけ無駄かもしれないが、そうなってくると自分自身の考え方に縋るしかないわけで、そしてその自分自身の考え方というのは二コラとしてたった二日動いただけの記憶からではなく、二十六年生きていた三隅草太の経験から形作られている。

 二コラとして生きていこうと決めたのなら、草太の経験なんて捨て去るべきなのかもしれないが、どれだけ薄っぺらくて無個性な人生だったとしても自分に根付いてしまった経験はそう簡単に抜け落ちない。たった二日演じただけの女の子には二十六年の人生は覆せないのだ。

 いっそ草太の意識なんて無くなってしまえばいいとすら思ってしまう。こんなのあっても邪魔じゃないか、あんななんの面白みもない水みたいな人生。無駄な価値観だけを私に植え付けていって、本当に嫌になる。

「……?」

「どうしたんですか?」

「あ、い、いや…」

 今少し、変なことを考えた気がする。

 自分の人生、つまらないとは常々思ってはいたが、それを無駄だとか嫌だとか思ったことは一度も無かった。というか自分の人生に対して何かしらの感情を抱くことがまずなかった。ただつまらないなーという感想があっただけ。いつ終わってもよかったくらいには無関心だったはずだ。

 じゃあ今抱いたのはなんだ?二コラとしての意識かなにかが自分とは別の所で芽生え始めているのか?それとも二コラとして生きる上で無意識に邪魔と判断していたのだろうか?

「二コラ、今難しいこと考えてますね、しかもあんまりよくないこと」

「えっ?」

 膝を抱えてぐるぐると思考を巡らせていると、さっきまでとは調子の違うユキノ声にそれを言い当てられて顔を上げる。

 それと同時、顔の横に伸びてきたユキノの白い手。こちらに見せつけるように、黒い葉っぱがつままれている。

「気付いてないかもしれないですけど、これが二コラの身体から出ていたんですよ、何かわかりますか?」

「えっ、あ、葉っぱ…?」

「見た目はそうですね、これは二コラの魔力です。魔女…特に未熟な魔女は感情に左右されて魔力を発露することがありますから。魔力属性を確認した時と同じように、魔力単体をそのまま出せば属性に応じた形で出てきますし、何を考えていたかまではわからないですけど、この葉っぱからはあんまりいいイメージは受けないですよ?」

「あ……」

 はっと見下ろせば自分の周り、お湯の上にユキノの手につままれたものと同じ、黒い葉っぱがいくつも浮いている。

 まさかこんなもので自分の逡巡が露呈してしまうとは、やはりこの世界…というよりはこの身体と言うべきかもしれないが、自分の知る普通はまったく通用しない。

「ていっ」

「わっ!?」

 身体の周りにぽこぽこ出てくる葉っぱを眺めていると、不意にユキノに体を掴まれて、半ば無理やりユキノのほうへと向けられる。

 ほんの一瞬感じた冷気。きっと魔力も使っていたのだろう。抵抗する隙すらあたえてもらえず、視界に映り込んだのはユキノの子供っぽい、慎ましやかな体。

 健康的な範囲で細い肢体、子供らしい、まだ凹凸の少ない体に濡れた白い髪が張り付いて、奇妙な艶めかしさを演出している。

 そしてその体から流れるようにお湯の中に落ちた白髪は、二コラの髪と一緒になってお湯の中で揺蕩い、僅かな青と緑がステンドグラスを通した光に照らされていた。

「ちょっ、な、なにを…」

 慌てて手で自分の視界を塞ごうとすれば間髪入れずユキノに抑え込まれ、小さな水しぶきがちゃぷんとお湯の中に帰る。

「ふむ、ほんとに恥ずかしかったわけじゃないんですね」

「え…?」

「だってほら、葉っぱ消えましたし」

 ユキノに言われて周りを見れば、確かにさっきまで浮かんでいた黒い葉は跡形も無く消えている。きっと唐突かつ強引なユキノの行動にさっきまで巡らせていた思考を吹き飛ばされてしまったせいだろう。

「ほんとはもうちょっと慎重に…って思ってたんですけど」

 なにをだろうか、と首を傾げているとユキノは手を離し、壁面に背を預けるようにして隣に座る。

「多分ですけど、二コラは…二コラとして目が覚めるより前の記憶がある。違いますか?」

「えっ、あ、えっと…」

 いきなり核心を突いてくるユキノの言葉。

 こちらをじっと見つめる青い瞳は、本当にこちらの中をすべて見透かしているのではないかと思えてしまうほどに澄んで見えた。

「…はい、その、あります」

 その瞳を見ていると、なぜだかその事実を隠そうとしていたことがものすごくどうでもいいことのように思えてきて、深く考えないまま、首を縦に動かしていた。

「その記憶が、どこの誰のものかまでは聞かないですけど、きっと……その記憶の最後は、自分の死ぬ瞬間ですよね…?」

「そんなことまでわかるんですか…?」

 確かにその通り。三隅草太の最期の記憶は迫る電車に塗りつぶされる自分の視界だ。

 体感としては二日とちょっと前、まだ記憶に新しいその光景は今でも鮮明に脳内に蘇るが、それでなにか不快な感情を抱いたりはしない。その証拠に黒い葉は出てこなかった。

「んと、二コラの身体について、説明するべきかもしれないですね、急に話すと混乱しちゃうかもと思ってゆっくり慎重に…って思ってたんですけど」

 ほんの少しだけ不安げに揺らいだ瞳は『話しても大丈夫ですか?』と尋ねているようだった。

 いまさら何を言われたところでもうこれ以上混乱が深まることなんてないだろう。それに自分の…二コラの起源についてはもっとも気になっていたことの一つ。どうせ草太は死んだのだ、二コラについて、自分自身について理解を深めればさっきのような迷いもきっと無くなってくれるだろう。

 じっと見つめるその視線に首肯で答えると、ほんの一瞬目を伏せてから、ユキノが口を開く。

「二コラは、私が魔法で作った魔女の身体に、降霊術で魂を定着させた…いわば人造生命体、ホムンクルスやゴーレムのようなものなんです」

 今明かされた衝撃の事実。恐る恐ると言った様子で話してくれたユキノに、自分が返した言葉と言えば。

「はぇー……」

 ただそれだけ。

 自分でもきっと間抜けな顔をしているのだろうなぁと思いながらユキノの言葉をかみ砕いて頭の中で巡らせる。

 人造生命体。なるほど、魔法が普通に存在する世界ならばそういうこともまぁ、あるのだろう。

 で、この身体が造られたもので、そこにまた別の魔法で三隅草太の魂を埋め込まれていたというのだから、目が覚めたら女の子でしたという現象にもなるほどそういうことだったのかと納得できる。魔法だの人造生命体だのは当然前世では存在しなかったし驚くべきなのかもしれないが、それはもう少し前に受け入れた話なので自分的には今更驚く話でもないし、そんなわけで取り乱すでもなんでもなくただなるほどなぁという納得だけが出てきて今のような薄い反応になってしまった次第。

「えっ…と」

 そのこの上なく場違いに違いない二コラの反応に対し、ユキノも若干驚いた様子を見せたが、平和な反応だったためか安心したようで、ほぅ、と息を吐いてから言葉を続ける。

「それで、もしかしたらその、自分が死んだときのことを思い出して…よくない事を考えていたのかな…って思ったんですけど」

「あ、全然、前世めちゃくちゃ退屈してたんで死んだときのこととか思い出してもなんも思わないです」

「あ、そ、そうですか…」

 じゃあ何故…?とでも言いたげに首を傾げるユキノに、どう説明したものかと頬を掻いて苦笑する。

「その、まぁ、前世の自分と、二コラとしての自分をどう扱えばいいかわかんなかったというか、二コラとして振舞おうとは思っていたんですけど、こういう状況になってみるとついつい前世の考え方みたいなのが顔を出してきて…」

 お湯の中で手足を伸ばし真っ白い天井を見上げる。

 あれやこれやと色々考えていたが、結局いまの自分は二コラ・スティリア。

 ユキノに創り出された女の子である自分がユキノとお風呂に入ったって誰も咎める人なんていないし、自分が恥ずかしいわけでも何でもないのだから、むしろずっとユキノの方を見ないように気を付けていたことの方が不自然だったかもしれないな、と考えを改める。

「それについては…どうするかは二コラの自由です、どんな二コラでも、私にとって二コラは二コラですから。」

 横から聞こえてきた言葉は二コラと草太の葛藤に答えを出してくれるようなものでは無かったが、一つ、区切りをつけてくれた。

 前世を知っている人物なんてこの世界には一人もいない。

 そして二コラとして生れ落ちてまだ二日しかたっていない。

 いまからどんな振る舞いをしようと、それが二コラだから、自由に振舞ってもなんら問題はない。

 別に何か背負い込んでいたわけでもないのに、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。

「その、まだ二日目で聞くのはおかしいかもしれないですけど…」

 途端弱々しくなったユキノの声音に視線を落とすと、目を逸らしてもじもじとしながら不安そうな様子を体いっぱいに滲ませている女の子の姿があった。

「なんですか?」

「え、えと、前世がその、退屈って言ってたので…今はどうなのかなって…」

 なんとなく、ユキノの思っていることが分かったような気がした。

 退屈な人生が終わったところで、また起こしてしまって申し訳ない。

 でももし今の人生が楽しいなら嬉しく思う。

 多分だが、今のユキノはそんなことを考えているのだろう。もじもじしながら時折不安げにこちらに視線を寄越す姿は、そんな思考を物語っているようだった。

「楽しいですよ、魔法とか魔術とか、前世じゃ触れることも無かったですし」

「ほ、ほんとですかっ?」

 ざばっと体を起こしてこちらに詰め寄るように顔を近づけるユキノ。その表情には安堵と喜びの感情が浮かんでいる。

「今嘘つく理由なんてないですよ…」

 近い近いと押し返しながら答えると、ユキノはふにゃふにゃとした笑顔を浮かべて再度お湯の中に身を沈める。

 ふわぁとお湯の中に漂うユキノの綺麗な白髪を眺めながら、そういえばお湯に髪の毛をつけてはいけないとか聞いたことがあったなとふと思い出す。

 …今更どうしようもなければユキノや自分の長い髪の毛をどうまとめればいいかもわからないのでこの件は保留としておこう。今はじめて自分の前世が女性でない事を悔やんだかもしれない。

「そろそろ上がりましょうか、魔女がのぼせるかどうかはわかんないですけど、ずっとお湯に浸かっててもふやけちゃいますし」

「そうですねー…」

 既にふやけていそうなユキノに声を掛けると、ゆったりした動作で立ち上がってちゃぷちゃぷと扉の方へ向かう。

「あ、そういえば、ユキノが私を創った?理由ってなんですか?」

 その後ろについていきながら、不意に気になって聞いてみると、ぴたりとユキノが動きを止めた。

「ソレハマタコンドニシマショウカ」

「なんでそんなカタコトなんですか」

「きょ、今日はもう色々話しましたしっ!それについてはまた明日とかあさってとかそんな感じで!はい!」

 明らかに不自然なユキノの反応に思わずツッコめば、反論の隙も与えずまくしたて、さっさと脱衣所の方へ消えてしまう。

 一人が寂しかったからとかそういう理由かと思っていたが、今の反応からしてそうではないようだ。

 唐突に漂い始めた不穏な空気に薄ら寒いものを感じつつ、せめて平和的な目的であることを願いながら、二コラも浴場を後にした。

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