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異世界魔女の世話係  作者: こと
第一章:お世話係と叡智の国
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お風呂掃除戦闘記録

 一つ、失念していたことがある。

 単純なことだ。

 この館の住人であるユキノがお風呂を知らないのなら、そのお風呂が綺麗に掃除されているわけないじゃないか。

「身体より先に…」

「お風呂掃除…ですね…」

 扉の先にあった広い脱衣所。光を放つ水晶のような不思議な物体が照明になっているその部屋は、床に埃が積もり、壁に備え付けられた棚には蜘蛛の巣が張っている。鏡が曇っているのは汚れのせいか、微妙に開いた奥の引き戸から漂う湿気のせいか。

「以前ここに来たのは?」

「三年くらい前ですかね…」

「掃除は?」

「してないです…」

 そりゃあこうもなる。カビが生えてないだけ奇跡だろう。

 浴場を見るのが今から怖い。

 その感想はユキノも同じようで、二人して奥の扉に目を向けた後、顔を見合わせる。

「いきます…?」

「いきましょう…」

 足元の埃をユキノが魔力で押しのけて道を作り、その後ろにくっついて扉の前へ。

 薄く開いたその引き戸の奥からは、濡れた空気と共に湿り気のあるいやな臭いが流れ込んでくる。

「……」

「……」

 そーっと二人そろって覗き込んだその中は、まさに目も当てられないという表現が相応しい有様だった。

 脱衣所と同じく発光する水晶に柔らかく照らされた浴室はとても広く、この館にふさわしい大浴場と言えるだろう。

 床と壁はタイルで覆われ、奥には学校のプールを彷彿させるほどに広い浴槽。

 そして向かい側の壁面上部にはステンドグラスがはめ込まれ、色付いた陽光が水面でゆらゆらと反射する。

 これだけなら、これだけなら素敵な大浴場だった。

 そろって顔を引っ込めて引き戸を閉める。

「先生、あれはだめだと思います。」

「私もそう思いました。」

 大きな浴槽には緑色に染まって藻のようなものが浮かんだ水。

 壁面のタイルにへばりついた緑色をしたなにか。

 そして床面のあちこちにもっさり生えた苔。

 一目見てわかった。

 ここはもうお風呂じゃない。

「……あれの掃除、私がしますね」

 しかしユキノの意見は違うようだ。

 あの救いようが無さそうな浴場の惨状を担当するつもりらしい。

「え、いや…でもあれもう一回使えるようにするの何日かかるかわかりませんよ…?」

「私は魔女ですよ?あんなの魔法で洗い流せばいいだけです。それよりも…」

 再び引き戸の向こうを覗き込むユキノ。

「あれ、わかります?」

 ユキノが指差したのは奥にある浴槽。その大きさと内容物のせいでオフシーズンの学校のプールを思い出す。

「浴槽ですか…?」

「じゃなくて、あそこに入ってるものです」

「え、汚い水…?」

「あれ、スライムですよ」

 スライム。

 スライムと言えばRPGではおなじみの雑魚敵。キングとかメタルとか無駄にバリエーション豊かなぽよぽよ跳ねる経験値だ。

 つまりあれは浴槽いっぱいの経験値ということだろうか。

「は、はぁ、スライム。スライムですか…へぇ…」

「なんか反応薄いですね、スライムを侮っちゃだめですよ、どこにでも出てくる可能性がある上に斬っても叩いてもすぐくっついて簡単には退治できないんですから。」

「え、じゃああれヤバいやつですか?」

「そこそこヤバいやつです」

「へえ…」

 確かに物理が通用しない不定形のモンスターなんて冷静に考えたら相当な脅威だ。スライムは弱いなんて先入観で挑んだら返り討ちに合いそうではある。

 ありえそうなのはスライムに飲み込まれて窒息死とか。体の中に入ったら掻き出すこともできないだろうし、一度飲み込まれてしまえば脱出なんてできるはずもないだろう。

「でもなんでこんな、お風呂場なんかにスライムが…?」

 確かにどこにでも湧いて出てくる印象はあるが、さすがに家の中に普通に出てくるなんてのは見たことが無い。だいたいは野外とか洞窟の中とかを歩いてたら唐突にエンカウントするイメージなのだが。

 しかしそこもやっぱりゲームでしか通用しない話で、ゴキブリみたいに普通に家の中に出てきたりのかもしれない。街に行けばゴキジェットならぬスラジェットが置かれている可能性もある。

「スライムというものは魔力が一か所に集まった結果、実体とある程度の知性を獲得したものなんです、数か月前からこの館の魔力の流れが妙だなとは思ってたんですけど…たぶんここでこっそり館の魔力を吸って成長していたんでしょうね、普通人の居るすぐ近くには出てきませんが、この館には私しかいなかった上この近くを通ることもなかったので発生しちゃったのかもです」

 さすがにあの黒かったり茶色かったりする馴染み深い害虫ほどの神出鬼没さは無かったらしい。あのスライムはこの館のスケール故のものだそうだ。

 しかし裏を返せば廃屋等には普通に居るかもしれないということだろう、子供の遊び場に困りそうな世界である。

「二コラがいなければ気付けませんでした、ありがとうございます」

「え、あ、いえ…?」

 こちらに向き直りペコリと頭を下げるユキノ。

 ただの偶然に感謝をされても少し困ってしまう。お風呂にスライムがいる可能性どころかスライムがこの世界に居ることすら考えていなかったというのに。

「で…えと、どうするんですか?倒すんですか?」

「まぁそうですね、このままじゃお風呂使えませんし」

 たとえスライムがいなかったとしてもこの汚れ具合では今日中にお風呂に入ることはできないだろうが、さっき魔法で洗い流すと言っていたように魔女様にかかればこれくらいは一瞬なのかもしれない。

 ならばこのままお手伝いさせてもらおう。スライム相手にどうすればいいかなんてわからないけれど、たぶん少しくらいはできることもあるはずだ。

「あ、二コラは入っちゃだめです」

「なんでぇ…?」

 しかし出鼻を挫かれてしまった。二コラ悲しい。

 まさに今浴場に踏み出そうとしていた自分を静止したユキノは、スライムを指差して少しだけ険しい表情を作る。

「魔力の扱いをちゃんと覚えてからじゃないと、たぶん一瞬で捕まって飲み込まれて窒息です」

「わお」 

「まぁ見ててください、これも勉強の内ですよ」

 ユキノの口ぶりからして魔力を十全に扱えれば問題ないということだろうか、先生に任せるしかないようだ。

 半歩後ろに下がってユキノを見守る。

 ユキノはその様子を見てニコリと笑うと、一歩。浴場の中へと足を踏み入れた。

 ギラリ、浴槽の汚水…もといスライムの中で何かが光る。

 それに気が付いた時にはもう、幾本もの苔むした緑色の触手がユキノの目の前まで迫っている。

 いつの間に。そんな思考を巡らせる間にも浴槽から伸びた触手はユキノの身体に触れ―――

「バースト」

 ユキノの声と共に、瞬間的に吹き抜けた突風。

「おわっ」

 鋭く冷たいその風に煽られ、扉の前に居た二コラの小さな体はいともたやすくバランスを崩した。

「あっ、ごめんなさい、ある程度方向は指定したつもりだったんですけど」

 しりもちをついたまま、ユキノの声に顔を上げると、その奥では触手達がぴたりと動きを止めている。

 何が起こったのか。その理解が追い付くよりも先に、動きを止めた触手達が中ほどで折れ、床の上に落ちてバラバラに砕け散った。

「凍ってる…?」

 床の上で粉状になってキラキラと輝いているスライムの残骸。その周りには冷気の影響か、白いもやが漂っていた。

「はい。私の魔力属性、冷気って言ったじゃないですか、それをそのままぶつけたんです」

 半液体のスライムだ。凍らされたらひとたまりもないだろう。

 ユキノが視線を浴槽の方に戻すと、おとなしく浴槽に収まっていたスライムがその巨体を盛り上がらせ、ユキノの方へ再度腕を伸ばしていた。

 その様はまるで海坊主。頭と言うべきか、盛り上がった巨体の頂点近くに灯った二つの光がスライムに威圧感を与え、見る物の恐怖心を煽る。

「バースト」

 しかしその巨体も、手を翳したユキノの一言と共にぴたりと動かなくなる。

 さすがに触手と違って砕けはしないが、こうなってしまえばスライムにできることなど何もないだろう。

「まぁこれだけだとただ魔力をぶつけただけで勉強になりませんし、ここからちゃんと見ていてくださいよ」

 まったく怖気づく様子も見せないユキノは、巨体に向けて手を伸ばしたまま、先生らしくこちらに声を掛けてくる。

 ここからがこの授業の本編、魔法のお披露目だ。

「光属性魔法陣、五重展開」

 ユキノの手の先、直径二メートルほどはありそうな魔法陣が、スライムに向けて五つ、等間隔に連なる。

「上級攻撃魔法…」 

 次いでユキノの手に握られたのは光にそのまま形を与えたかのような、僅かに輝きを放つ槍状の魔力の塊。

「バーストッ」

 先ほどから何度か口にしているその文言と共に投げ放たれた魔力の槍は、魔方陣を一つ通過するごとにその輝きを増していく。

 一つ、二つ、三つ、四つ。

 五つ目の魔方陣を通過し、薄暗い浴場を照らす程の輝きを持った光は、凍り付いたスライムの中心に深々と突き刺さる。

 

 ギエエエェェェ―――ッ

 

 耳をつんざく様な叫びはスライムのものか、凍った体の中に、その光を乱反射させながらひび割れる体。

 破片を散らしながら巨体が浴槽でのたうち回る。

 その絶叫にユキノが空いている方の手で片耳を抑えながら、スライムに向けた手をグッと握りしめると、突き刺さった光の槍はその光量をさらに増して視界を塗りつぶし―――

 その後には、スライムの巨体はその場から消失していた。

「はぁ、今のが光属性、等級分けすると上級にあたる対単体用の攻撃魔法です」

 くるりと振り返ったユキノに消耗した様子は無い。それこそ少し厄介な掃除を済ませた後のような様子で、浴場から出てくるとその扉を閉める。

「魔法陣ひとつ毎に威力を増加させ、光の属性を付与する魔方陣を五つ。光っていう属性はさっきのスライムみたいな不浄の存在には特に強く働きますから、覚えておいて損は無いですよ」

「は、はぁ…」

 正直あんなゲームの必殺技みたいなのをいきなり出されてもできる気なんて全くしないが、いずれは自分もああいう魔法を扱えるようになるんだろうか。ちょっとかっこいいじゃないか、早くも忘れかけていた男心にドストライク。ワクワクしてくる。

「あ、あの先生、さっきの『バースト』っていうのは?」

 魔力を放ったり魔法を放ったりするときにユキノが口にしていた言葉。おそらくは呪文のようなものだろうが、前世でも聞いたことのある単語。爆発するだとか破裂するだとかなんかそんな意味合いを持った英単語だったと記憶している。

「あぁ、あれは私が魔法や魔力を扱う時に自分にとっての合図にしている言葉ですよ、何か自分の中でこれと決めた言葉を魔法や魔力を扱うときに口にすると、その操作が安定するんです。例えばこんな感じに」

 ユキノが閉じた浴場への扉に手を翳し、再度バーストと口にすると、その向こうから大量の水が流れるような騒音が聞こえてくる。

「ちなみにその言葉の意味って…」

「さぁ、よくは知らないですけど、祖母のメモに書かれていた単語で、なんとなくピンときたからそれ以来自分の合図にしているんです」

 ならば偶然の一致か、それとも前世の世界と何かしらのつながりがあるのか。

 単語が一つ前世と一致しただけならばまだ判断はつかないが、今後同じように前世と一致する言葉が出てくれば偶然とは言い難い。

 それが重要な事かどうかはさておいて、頭の隅にでも置いておこう。

「二コラもなにか自分の合図を決めておくといいですよ。さっ、ここの掃除もしてお風呂にしちゃいましょう」

 ユキノがぱんぱんと手を叩いて話題を切り替える。授業はこれでおしまいのようだ。

「でもこの大量の埃どうするんです?箒とか持ってきた方がいいですか?」

「ああいえ、面倒なんで集めて燃やしちゃいましょう」

 言うが早いかユキノが手を広げると、ユキノの目の前に集まるように不自然な風が吹く。

 四方八方から集まってきた埃は、ユキノの魔力に持ち上げられて空中で丸い塊に。

「バーストっと」

 そしてあっけなく燃やし尽くされてしまった。

 こんな光景某有名な魔法ファンタジー映画で見たような記憶がある。掃除用具が勝手に動いたり椅子がひとりでに片付けられたりとかそういうやつ。改めてほんとに魔法の世界に来ちゃったんだなぁと実感させられる光景。

 さっきのやたらカッコイイ光の槍よりもこっちの方が魔法っぽさを感じた。

「えっと、浴場のほうは…?」

「そっちは今聖水で上から下まで洗い流してるので、終わったらもう新品同然のピカピカですよ」

 さすが魔女の掃除、スケールが違う。

「さ、それじゃあ二コラ」

「はい?」

 近くの棚に近寄りながらユキノが呼びかけてくる。

「服を脱ぐんですよね、服はこの棚に置いておけばいいんですか?」

「あっ、ッスー……はい、そう…です……」

「……?」

 スライムとの戦闘ショーですっかり頭から抜け落ちていた。自分は今からユキノと一緒にお風呂に入らないといけないのだ。

 二コラにとっては、ここから先が闘いだ。

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