ユキノの授業その1『魔力』
「間に合いました…?」
「間に合いました…」
幸いトイレは厨房の近くにあったため惨事にならずに済んだ。
この身体でのトイレは初体験だったし、本来はもっとこう、戸惑ったりするものなのかもしれなかったが、そんな余裕すらもなく、ユキノの「扉しめちゃうとまた変なとこに繋がっちゃうかもしれないので開けたままでもいいですか」などという問いにも半分くらい聞かないではいと答えていた。
おかげで一部始終を見られてしまうことにはなったがこっちは命がかかっていたのだ、今になって少し恥ずかしくなってきたが過ぎたことは仕方がない。
「ホントもうダメかと思いましたよ…」
あと数分でもユキノが遅かったら取り返しのつかないことになっていた気がする。
人間我慢しすぎると意識が遠くなるのだと学んだ貴重な経験だった。二度としたくない。
「あはは…まぁ間に合ったのなら何よりです、ところでそのタオルは…?」
「これは…」
「もしもの時のために…?」
「違いますよ!?」
「ふふっ、冗談ですよ」
意外と茶目っ気のある子だ。
「それじゃあ行きましょうか、いろいろと説明しないといけないこともありますし」
「あ…その前に…」
手を引いて案内を再開しようとするユキノを引き留める。
「その…あのトイレなんですけど…」
「はい?」
「えっと…」
細部にこそ微妙な違いこそあれ、トイレ自体は見慣れた洋式だったため使い方がわからないという即死トラップにノックアウトされることもなかったのだが、その微妙な違いという点で少し困ったことがあったのだ。
「…どうやって流すのか…わからなくて…ですね……」
それが水の流し方。
せめてぱっと見てわかるような仕組みならよかったのだが、ボタンもレバーも見当たらず、壁に備え付けてあった手のひらサイズのパネルのようなものは唯一それっぽかったものの、手をかざしてみても無反応、触ってみても無反応、押し込むこともできなければ当然引っ張ることもできなかった。
それであきらめて一旦出てきたという次第だ。
「あ、そっか、それもそうですね」
不思議そうな顔をしていたユキノだったが、それを聞くと納得した様子でトイレの方へ戻っていく。
「これはですねー」
言いながらユキノが触れたのは壁のパネル。
自分が触ったときはなにも起こらなかったというのに、ユキノが触れた瞬間ごぽごぽと音を立てて水が流れ始める。
「えっ、な、なんで…?」
何か見落としていたことでもあっただろうか。試しにユキノの真似をしてパネルを触ってみるもやはり何も起こらず、つい首を傾げてしまう。
「ふふ、これは魔力式トイレといって、魔力を流すことでそれを水に変換して流してくれるものなんですよ、私が作ったんですよー?」
得意気な表情のユキノだが、トイレの仕組み以前に気になるワードが出てきたためにそれどころではなくなってしまった。
「魔力…?」
そういえば扉の話をしているときも魔法がどうとか言っていた気がする。
それ以前に、昨日寝落ちる寸前ユキノが魔力が馴染むみたいなことを言っていた。
まぁどっちのタイミングでもそんなの気にしている余裕なんて欠片もなかったわけだが。
「そう、魔力です!そのあたりも説明しますよ、ついてきてください」
「は、はい…」
魔力という概念がある。
これはもう異世界転生確定…しかも結構なファンタジー世界に産まれてしまったようだ。
「一気に説明しちゃうと混乱するでしょうし、簡単なことからゆっくりお話ししますね」
ユキノに連れてこられたのは扉ガチャ中に一度引いた庭園のような場所。
生垣の緑を抜け、薔薇のアーチをくぐった先にある西洋風の東屋にはすでにお茶会の用意がされており、そこで色々と話を聞くことになった。
「よ、よろしくおねがいします」
もうすでに混乱ばかりの身からすれば今更なにを言われようと変わらない気もするが、ここから先聞かされることは間違いなく大事なこと。これは真剣に聞いておかねばならない。
「まずは魔力について、これは私たちの命にも関わることなのでとっても大事です」
「命ですか…」
「はい。まず魔力というのは魔術を扱うために必要なエネルギーで、私たち魔女にとっては生きるために必要なものでもあります」
「まってまってまって今魔女って言いました?」
「いいましたよ?」
それがどうかしたのかと言いたげな表情のユキノだが、こちらはいきなり驚愕の事実を叩きつけられたのだ、スルーなどできるわけもない。
「ていうか私達…?私も魔女なんですか…?」
「はいっ、仲間ですね!」
驚愕の事実その二。
ファンタジー世界に転生したと思えば体は女の子、おまけに魔女と来た、こういうのにありがちなチート能力があってももう驚かないぞ。
「まぁそこについてはまた後で説明しますから、まずは魔力です」
「あ、はい…」
やっぱり順番みたいなものがあるのだろう、今はユキノの話を大人しく聞くしかない。
ユキノが空中に手を伸ばすと、指先に光が灯り空中に線を描いていく。
「魔力というのは誰もが持っているものではあるのですが、その保有量には個人差があります。」
ユキノの指先がまるっこい人型を二つ描くと、その横にメーターのようなものが現れた。
片方の人型についたメーターは短く、もう片方のメーターは長くなっている。これがつまり魔力量を表しているのだろう。
「魔力が少ないと当然強力な魔術が使えなかったり、そもそも魔術を行使できる回数に限りがあったりはしますが、魔女以外の種族はたとえ魔力を使い切ってしまったとしても疲れるだけで、しばらく休めば少しずつ回復します」
短いほうのメーターが空になると、人型がうずくまり徐々にメーターが回復し始める。
このメーターという形で表されると理解がしやすい。要するにゲームで言うMPだ。魔法職はMP上限が高いほうが向いているのは当然と言えば当然のことだ。
だがまた一つ気になる言葉がでてきた。
「魔女以外って言いましたけど、魔女は使い切るとどうなるんですか?」
「死にます」
「死ぬぅ!?」
あっさり言い放ったユキノに悲鳴にも近い声を上げる。
どうやら私は産まれながらにして究極のハンデを背負わされているようです。魔法使えるなんて面白そうな世界じゃないかなんて思っていたけど撤回します。私魔法使いたくありません。
「はい、死にます。さっきも言った通り魔女にとって魔力は生きるために必要なもの、生命エネルギーのようなものです。それが空っぽになるということは命が尽きる事と同じ。魔力が少なくなってきた時点で他の種族よりも激しく疲弊したり気を失ったりしますし、その状態でさらに魔力を消費すれば体が結晶化して二度と戻らなくなってしまうんです。」
「結晶化…」
随分と恐ろしい話だ。電車に轢かれるのとどっちがマシだろうか。まぁ結晶と肉片で言えば肉片のほうが悲惨だ。まだ魔力切れで死ぬ方が綺麗に終われるだろう。
「ちなみに体がどんどん結晶に置き換えられていくのは想像を絶する痛みで、完全に置き換わるよりも先に痛みで死んでしまうそうですよ」
「こっわ」
魔力が切れて死ぬ方が悲惨だった。何があっても絶対に魔法は使わないと心に誓った。
「まぁ安心してください、魔女は他の種族と比べて魔力の量も多ければ回復もとても早いですから。」
「どれくらい…?」
「んー…」
不安になって思わず尋ねるとユキノは顎に指をあてて考える素振りを見せる。
「そうですね…」
そしてさっきの人型の横にさらにもう一人追加する。こっちは魔女っぽいとんがり帽子付きだ。魔女のイメージってこの世界でも一緒なのか。
「こっちの長いのが人間の一般的な魔術師だとしたら、私は…」
魔女の人型の横に出てきたのは一般的な魔術師の二倍ほどの長さがあるメーター。
「だいたい二倍…?」
「あ、まだですよ」
そこからさらにユキノが指を振るとそのメーターが横に何十本も並ぶ。
「まぁ私だとこれくらいです。私はちょっと特殊なので、さすがに普通の魔女はここまでは無いと思いますけど、二コラでも多分……全力で魔力を放出し続けたとしても四十日は持ちますよ、安心してください」
「えぇ…」
命に直結するからか、その量は文字通り桁違いらしい。
魔女に産まれてよかった、魔法を覚えたらいっぱい使おう。
「でもそれだけ魔力があるなら、魔力が枯渇するなんてことめったに起こらないのでは…?」
「まぁそうですね、でも魔術の上位に位置する魔法の中には私の魔力の半分くらいを持っていくようなものだって存在しますし…それに魔女は他の種族よりも魔力と密接に関わっているので、感情などに影響されて魔力が暴走することがあるんです。」
「ひえ…」
「ですので、魔力の扱いはしっかり勉強しましょうね」
「はい…」
なんだろうか、学校の先生にうまく丸め込まれたときのような気分だ。
「あ、魔術と魔法って別物なんですね?」
「そうですよ、魔術というのは習得の難しさや習得までの期間にばらつきこそありますけど誰でも使えるもののことで、魔法は使える人が極端に少なくて、魔術と比べて威力や効力が明らかに高いもののことを言います。」
「ふむ…」
「ちなみに魔法を扱える人のことを『魔法使い』、魔法は扱えないけど魔術は扱えるという人を『魔術師』って呼ぶんですよ」
「へぇ…それってやっぱり魔法使いのほうが魔術師に比べて魔力量が多かったりするんですか?」
「そうですね、さっきと同じように表すならこれくらいです」
魔女の人型の横にもう一人追加。魔女と同じ長さのメーターが十本並んでいる。
「あ、でもやっぱり魔女よりは少ないんだ…」
「当然ですよ、私たちは命という対価を支払っているんですから」
確かに、命がかかっている以上その魔力量が周りと比べて桁違いというのは道理といえるだろう。
対価を支払えば強化されるなんていうのはアニメやゲームでは当たり前のように存在するルールだが、この世界にもそのルールが適用されているのかもしれない。
「さて、魔力の基礎の基礎、魔力量と魔女が魔力を失うとどうなるかについて話しましたけど、ここまで大丈夫ですか?」
「大丈夫ですっ」
まるで教師のようなユキノの言葉に思わず背筋を正して返事をする。
内容が内容だからか、前世の機械的にやっていた勉強と違って話を聞いているだけで楽しい。
たった二日ではあるが、限りなく退屈だった前世と比べればすでにかなり濃い人生を歩んでいる気がする。
「ふふっ、まるで生徒さんですね、それじゃあ次は実践も交えた授業です。それが終わったら今日はひとまずおしまいですよ」
ユキノも同じことを考えていたようだ。少し得意気な表情で胸を張り、教師の真似事をするユキノの様子に思わず笑みを浮かべる。
「それで先生、実践ってなにをするんですか?」
「魔力を実際に出してみましょう、そのついでに魔力の属性も確認しますよ」
「魔力の属性…?」
「はい、魔力には人それぞれ決まった属性があるんです。ほとんどの場合自然に存在する物で、水、炎、風、土の四属性が圧倒的に多いですね」
先ほどの四つの人型のメーターがそれぞれ青、赤、緑、茶色に染まる。
「その四属性以外の属性が発現することもありますし、非常に稀ではありますけど『呪い』だとか『治癒』とかの変わった属性が出る場合もありますよ」
「やっぱり珍しいほうが強力だったりするんですか?」
そういうのはこう、特別な属性が発現して俺TUEEEEするのがお決まりの流れだと思うが、果たしてその法則は適用されるのだろうか。
「そうでもないですね、魔力の属性が特別だからといってその人に魔術の才能があるとも限りませんし、魔力量が少なければ特別な属性も意味が無いですし」
「あ、そうなんですね…」
現実は非情である。
だったら私は炎の属性とかがいい。かっこいいし便利そうだ。
「ちなみに先生の属性は?」
「私の属性は氷…厳密に言うと冷気です」
ほら、とユキノが手を出すと、そこから白いもやのようなものが出てくる。試しに触れてみるとひんやり冷たかった。ドライアイスを水に入れた時のようだ、どこか懐かしい光景である。
ユキノの属性が冷気、氷となると余計に炎の属性が欲しくなる。氷と炎の組み合わせってなんかいいじゃないか。
「楽しみって感じですね、じゃあまずは魔力を体から出す練習をしましょう、手を握ってください」
差し出されたユキノの手を握る。まだ少しひんやりしていた。
「少しくすぐったいですよ」
ユキノが言うとほぼ同時くらいに握られた手を通して何かが腕の中に流れるような、内側からくすぐられるかのような感覚が走る。
「んひっ、す、少しどころじゃなくくすぐったいんですけ…ひぁっ!?」
思わず変な悲鳴が口から漏れた。やっぱり私の声可愛いな。
しかしお構いなくその感覚はどんどん腕を進んで、背中やお腹、足先に至るまで、全身に広がってくる。
「ちょっ、まって、ひっ、ほんと、きつ、ぃぃいいっ」
全身をくまなく一気にくすぐられるなんて経験はしたことないが、たぶんこんな感覚なのだろう。
あまりのくすぐったさに声を我慢するどころか呼吸すらままならなくなる。
これ大丈夫?対象年齢上がってない?私達まだ子供ですよ?たぶん。
「もう少ししたら慣れてきますから、我慢ですよー」
この先生結構鬼畜かもしれない。
しかしユキノの言葉通り、そのまま数十秒でくすぐったい感覚は弱まり、代わりに全身に何か温かいものが通っているのを感じ取れるようになってきた。
「いい感じですね、そのまま体を通っている魔力に集中して、その流れを意識してみてください」
「は、はいぃ…」
既にこっちは息も絶え絶えといった感じだが、我らがユキノ大先生はまったく気にする様子が無い。
仕方がないので目を瞑り、ユキノに言われた通り魔力の流れというものに集中する。
「いいですよ、だいぶつかめてます。もう少しリラックスして…ゆっくりとその意識を広げるように……」
まるでマッサージを受けているようだ、くすぐったさもマシになってくれば、逆に気持ちいいとすら思えてくる。
身体の内に流れる温かいもの。
ユキノの手から流れ込んでくるそれは全身を巡り、やがて胸のあたりに集まっていく。
集まった魔力は、ふたたびそこから流れ出し体を巡り、ユキノの手の中へ。
まるで血液の循環のように、皮膚の表面に至るまで巡り続ける魔力。その魔力の旅路をすべて辿り終わったとき、ふっと、体が軽くなるような、それまであった何か重いものがなくなるかのような感覚がした。
「……はい、じゃあ私の魔力を抜くので、またくすぐったいですけど我慢してくださいね」
「わかりま…え?ひゅぁっ!?」
抜き取る時のくすぐったさは流される時とちがって瞬間的かつ強烈だった。ユキノ先生怖い。
「さて、これで自分で魔力を出すことができるようになったはずです。さっき感じた魔力の流れを思い出して、魔力が集まっていた場所から手のひらまで魔力を流してみてください」
流石にユキノもあまりの疲弊っぷりを心配してくれたのか、少しの間休憩時間を設けた後に次のステップに進むことになった。
「魔力を…流す…」
目を閉じ集中。
胸のあたりに感じる温かいもの。
そこから腕に繋がる経路を意識して、胸から腕に魔力を運ぶようなイメージ。
時々変なところに流れて行ってしまったりするが、なんとか手のひらに魔力を満たすことができた。
「それじゃあいよいよ魔力属性のお披露目です、そのまま押し出すようなイメージで魔力を手の上に出してみてください」
「わ、わかりました…」
さて、自分の属性は何になるのか。
今まさに魔力を放出しようとしている自分の手のひらを見つめ、えいっと力をこめる。
これで炎が出れば炎属性だし、土が出れば土属性と、とても分かりやすい判別方法なんだそうだ。
さて、二コラの今後を決めると言っても過言ではないかもしれない魔力属性、その手のひらに現れたもの。それは―――
「先生、草です」
「草ですね」
青々とした元気な草であった。綺麗に剪定された生垣たちに負けず劣らず立派に生えてくれちゃっている。
「いや、えぇ…草ぁ…?」
「草というか植物ですね、結構珍しい属性だと思いますよ?」
「強いんですか?」
「それはなんとも…」
「ですよね…」
やっぱり現実は非情であった。
草、もとい植物が私の魔力属性とのこと。
まぁ前世の名前草太だし、似合っていると言えば似合っているのかもしれないが、とにかく地味というかなんというか。
休憩中ユキノに聞いた話によると、魔力属性と一致した属性の魔術はとても扱いやすいらしいのだが、植物属性の魔術なんて存在するのだろうか。あったとしてもこう、ツタで捕縛とかそんな感じになるのではないか?正々堂々勝負とか出来なさそうな印象を受ける。
「ていうかさっき多いって言ってた属性に炎入ってましたよね」
「そうですね、四属性の中で比べても多いほうです」
「相性最悪じゃないですか?」
「魔力の属性だけでみればそうですけど、魔術を扱うときにはこの魔力を加工して別の属性にしたりもするので、そこまで心配しなくてもいいですよ」
「よかったぁ…」
貧弱魔女になってしまうかと危惧したが、そうでもないらしい。
だがそういうことなら俄然魔術について学びたくなってきた。魔女ならもしかしたら魔法も使えちゃったりしちゃったりするのかもしれないし、前世じゃ一度も得られなかった高揚感に胸が躍る。
「さて、今日はここまでです。魔術のお話はまた明日からにしましょう」
「えっ、もう終わりですか…?」
だがまるで思考を読んだかのようなユキノの言葉についしょんぼりとした声を返す。
「魔力放出の実践が終わったら今日はおしまいってさっきも言いましたし、それに初めて魔力を扱ったので、自分が思っているよりも疲れているはずですよ」
「そうですか…」
ユキノの言うことにも一理ある。というか魔女のユキノ先生が言うことには従っておいたほうがいいだろう。こっちは魔女一年生なんだから。
「まぁそうですよね、授業ありがとうございましたユキノせんせー、この後はどうするんですか?」
「この後ですか…んー、特にすることは…無い…かな?うん、特に何もないです!」
「そ、そう…」
そんな胸張って元気よく言うものだろうか。
まったく可愛いらしい子だ、庇護欲みたいなのをくすぐられる。こういうの小動物系って言うんだっけ。
しかしこの後の予定が無いならもう少し説明を聞いてもいいかもしれない、結局水槽の中で目覚めた理由とかはまだ聞いていないわけだし。
「あ、特に何もないなら…お風呂お借りしてもいいですか?」
そこでふと自分が昨日水槽から出てきて以来体を洗っていないことに気付いた。
というか二コラとして生を受けてからお風呂に入っていない。たとえ今まで気になっていなかったとしても一度気付いてしまえば拭いきれない気持ち悪さみたいなものがある。
「お風呂…?」
だがその言葉にユキノは首を傾げる。
「お風呂ってなんですか…?」
もう、声すら出なかった。