出会い
人気のない川辺に降り立ち三十分ほど。
王都の門へ続く道も一つにまとまり始め、まばらながら人通りも増え始めた。
「こんにちは」
「こんにちはー」
「……こんにちは…」
荷物を運ぶ馬車や、木籠を抱えた子供たち。甲冑姿の騎士に、冒険者と言うやつなのだろう、騎士に比べたら軽装ながらも武装した集団など、改めてここが本当にファンタジーの世界なのだと体感させてくれる人々。可愛すぎるとも思われた二コラの服装も、すれ違う人々の装いに比べれば、存外普通に思えた。
交わす言葉などせいぜい挨拶程度だが、すれ違いざまに聞こえてくる会話の数々――王女の生誕祭がどうとか、魔術学校の成績がどうだとか、次のクエストは何を受けるだとか。そういった前世では耳にしない話題たちは、当然のように前世で得られなかった高揚感を湧きたたせ、否が応でもテンションが上がってしまう。
「うぅ……」
対して、二コラの後ろに隠れるようにしてついてくるユキノは、そんな人々とすれ違う度に元気がなくなり、隊商と思しき一行と挨拶を交わす頃には、その声も消え入りそうなほど弱くなっていた。
「ユキノ?」
「なっ、なん…ですか?」
心配になって声を掛ければ、ユキノはその肩をっびくっと震わせ、いつの間にか掴まれていた袖が僅かに引っ張られる。
俯きがちに前髪の隙間から覗かせた青い瞳は、極力二コラ以外を視界に入れないようにしているようで…。
「もしかして…ユキノって人が苦手なんですか?」
僅かに上下に揺れる頭。
弱点など無いと思っていた先生の意外な弱み。
とはいえよくよく考えてみればそれは当然なのかもしれない。
森の奥、どう考えても人の営みから隔絶された環境で一人で暮らし、お風呂も知らないといった常識の欠け方。
恐らく、と言うか確実に彼女は今までの人生で誰かと一緒に過ごしたことがなかったのだろう。
「じゃ、じゃあなんで王都になんて…」
「二コラのため……」
なるほど、これが館でユキノが悩んでいた理由か。
小さな声で答えるユキノに、館で見せていたような魔女の面影はどこにもない。
その小さな体躯は余計に小さく思え、出来る限り二コラの影に隠れようとする姿はただの気弱な女の子である。
「帰りますか…?あの空飛ぶ魔法覚えて、また今度一人で来ますし…」
「大丈夫…っ、自分のためでもあるので…」
なるべく本人の意思は尊重したいものの、無理をさせたくはない。
この様子では王都につくころには泣き出してしまうのではと言うほどに怯えているし、辛い思いをさせてまで自分の用事に付き合わせたくは無いのだが、自分のためともいわれると、それはそれで無理に帰すのもよくないような気がしてくる。
ならばせめて少しは安心させようと袖をつかんでいた小さな手を握ると、強張っていた体からほんのわずかに力が抜ける。
「えっと、無理はしないでくださいね?」
本当にダメそうなら強引にでも連れ帰ろう、そうでなくともあまり長居はしないようにしなければ。トラブルは避けたいところである。
と、思っていたのだが。
「えっと…」
いよいよ王都の大門まで到達したはいいものの。
「検問…ですか」
「はい、現在王女の生誕祭へ向け警備を強化していますので、王都在住でない方に関しては身分を証明する必要があります」
「うーん…」
といった感じで、盛大に足止めを喰らっていた。
白銀の甲冑に身を包んだ騎士たちが門の横に待機し、道行く人たち一人一人に声を掛け、名簿らしきもの片手に人の出入りを管理している。
「ひとまずお名前を確認してもよろしいでしょうか?」
兜で表情はわからないが、自分たちに話しかける騎士に威圧的な感じはない。周りの騎士たちも含め丁寧な対応のようで、随分平和に見える。
が、ユキノにとってはそんなもの関係ないようで、二コラの後ろにピッタリ隠れ、服と一緒に髪の毛までしっかりつかまれている。ちょっと痛い。
「えっと、二コラ・スティリアです」
「……」
「あ、この子はユキノ・スティリア」
自分の後ろで小さくなっているユキノの分も含め名前を答えると、騎士のお兄さんは名簿に手を翳し、名前を探してくれている様子。
どうやらこの名簿は魔術で出来ているらしく、該当する名前を探し出して表示する機能があるようだ。
しかしこの名簿、まさか王都民全員分の名前が書いてあるのだろうか。魔術があるとはいえ名前を探すのはそれなりに大変だろうに、名簿の作成はそれとは比べ物にならないほど大変だったはず。いったいどうやって管理しているのだろう。役所でもあるのだろうか。
「お二人とも名前は無いようですね…王都民では無いようですが、お住まいはどちらでしょうか?」
「あっ、えっと…いだだだ」
騎士の言葉に素直に答えようとすると、後ろから引っ張る力が強くなり、言葉を遮られる。
ちらっと後ろを見てみれば、俯いたユキノの頭頂部が、小さく横に動いているのが見えた。
館のことは言うなということだろう。そしておそらく魔女であることも。
あんな森の奥で、しかも偽装までしていたのだから、話したく無いのは当然だろうが、検問をすり抜けられるような嘘をでっちあげられるほどこの世界に詳しく無いのも事実。
このままここで立ち往生するわけにもいかないし、何もしゃべらないでいると怪しまれるのは必至である。
「どうかしましたか?」
「えぇと…」
かといって「やっぱり帰ります」だとそれはそれで怪しい奴だ。
何か策は無いものか、見た目のおかげか騎士のお兄さんも今のところは心配してくれるにとどまっているが、あまり長引けばそれも警戒へと変わるだろう。
「ぁー…えっとぉ…」
「いやぁすまねぇな兄ちゃん、うちの子ら、楽しみだってんで先走っちまって」
と、急に騎士と二コラの間に割って入ったのは和装の男性。
四十代くらいだろうか、白髪交じりの髪をオールバックにし、大柄な体躯で紺の浴衣を着崩して、桜の花びらのような刺繍が施された羽織を肩掛けにしている。
羽織の下からちらと覗いたのは刀のようで、この場に似つかわしくない和の空気を纏った人物だ。
一瞬こちらに片目を瞑ってみせる男性。助けてくれるということだろうか。
「あなたは…」
「セイラン諸島から来た旅のもんだ。ほらよ」
騎士の言葉に男が差し出したのは銅貨のような物。
「後はオレに任せて、あんたらは休んでな」
騎士のお兄さんが銅貨を確認している間に、男が指差した先には大きな幌馬車。
男が信用に値するかはわからないが、今この場を切り抜けるには男の言うとおりにした方がいいのは確実で、万が一何かあったとしてもユキノであればぶっ飛ばしてくれるはずだ。
ちらとユキノを確認すると僅かに頷いているのが見えた。
男に小さく会釈して幌馬車へ。
二頭の馬が繋がれたそれは道中見かけた冒険者や行商人の物よりも目に見えて大きく、相当な長旅であったことが伺える。
その分しっかりした作りをしているようで、後ろに回ると簡易的ながら扉のようなものが設えられていた。
「お、お邪魔しまーす…」
ユキノを後ろに隠したまま、扉をそっと開け、中に入るとそこには先客が二人。荷物なのであろう木箱の上に腰掛けていた。
片方は背の高い女性。凛々しい顔立ちに短い茶髪で、顔だけを見れば美麗なイケメンと言った様子。助けてくれた男と違ってロングコートにブーツと洋装ではあるが、男と同じく刀を小脇に抱えている。
「やぁ、余計なお世話だったかもしれないけど、うちの姫様が助けてあげてってうるさくてね」
「うるさくないもん!」
女性の言葉に頬を膨らませるもう一人の先客。
ユキノよりも幼く見える女の子だ。深紅の瞳と背中の中ほどまで伸びる灰色の髪。袴にブーツ姿で、前世で言うところの大正浪漫とやらにあたる服装。
当然と言えば当然だが、こちらは武器らしいものを身に纏っておらず、ユキノのように強い魔力も感じられない。
「あ、ありがとうございます、正直あのままじゃどうしようもなかったので…」
「よかったね姫様、おせっかいじゃなかったってよ」
からかう女性に少女はそっぽを向いて頬を膨らませた。
そんな少女の様子に小さく微笑んでから、女性は再度こちらに向き直る。
「もう聞いてるかもしれないけど、私達はセイラン諸島から流浪の旅をしてるただの旅人だよ、君たちを助けたのはさっきも言った通り姫様のおせっかいだから、あんまり警戒しないでほしいかな」
苦笑しながらの女性の言葉は、依然二コラの背中に隠れたままのユキノのことを指しているのだろう。
「この子はちょっと人見知りが激しいだけなので気にしないだだだだだ」
また髪を引っ張って言葉を遮られる。しかも今度はかなり強めに。
後ろに目をやれば頬を膨らませたユキノ。拗ねているようだ。
「ははっ、そう言うことなら仕方ない、うちにも似たようなのがいるからね」
女性が目をやった先、木箱の後ろに赤いフードと暗い金髪が見えた。どうやら先客は三人だったらしい。
「私の名前はミライ、そこの拗ねてるのがヒメカで――」
「すねてないもん」
「そこに隠れてるのがベル」
ミライが旅の一行を紹介している最中、不意に後ろの扉が開く。今度はユキノだけでなく自分も少しびっくりした。
「んでオレがムラサメだ、驚かせて悪いな、このまま街の中まで馬車で入ってそっから宿を探すぞ、揺れるから適当なとこに座っといてくれ」
「あ、は、はい」
ムラサメの言葉に従って適当なスペースに腰を下ろす。なおも背中に隠れようとするユキノは自分の隣に座らせた。
「それで、よければ君たちの名前も聞かせてもらっていいかな?あとあそこで足止めを喰らっていた理由も」
ガタガタと馬車が揺れ始めて少し、不意にミライが聞いてきた。そういえば助けてもらったと言うのに自己紹介もまだであった。彼女たちならば問題は無いのではなかろうかとユキノの方を見ると小さな首肯。それを確認してから口を開く。
「私は二コラで、この子はユキノ。王都にはただ買い物をしに来ただけなんですけど、私達王都民じゃなくて、森の奥に住んでいるので名簿に名前が無かったみたいで…」
「森の奥!?どんなとこー!?」
二コラの言葉に食いついたのはヒメカだ。腰掛けていた木箱からぴょんと飛び降りて二コラ…ではなくユキノに駆け寄り隣に座る。
「あっ…えと…その…えっと…」
まさか自分が標的になるとは思っていたユキノは目を泳がせ答えに窮している様子だ。
「えと…き、木がいっぱいあって…」
しかし、助け船を出そうと口を開くより先に、ユキノが小さな声でしゃべり始めた。
自分よりも小さな子供が相手だから人見知りもマシなのかもしれない。
「ミライさん達はどうして旅を?」
なんとか会話は成立している様子のユキノ達はひとまず置いておいて、ふと尋ねてみると、ほんの少しだけ困ったような表情を見せるミライ。
「妹をね、探しているんだよ」
「妹…?」
「あぁ、私達は元々旅をしながらちょっとした人助けをしていたんだけどね、その中で私の妹が攫われてしまったんだ」
想像もしていなかった重い話に言葉が出ない。
ユキノが一人森の中で暮らしていたことといい、ミライの妹が攫われた話といい、やはりこの世界は思っていたよりも優しくは無いようである。
「妹が生きていることも、この国に居ることも分かってはいるんだ、見つかるのは時間の問題。だからそこまで心配しなくても大丈夫だよ」
「そう…ですか」
表情に出ていたのであろう、ミライが微笑みながらそう言うと同時、馬車の揺れが止まった。
『とりあえず宿を見つけたぞ、オレは馬車を止めてくるから、悪ぃがミライ、部屋取っといてくれ』
「りょーかい」
幌馬車の布越しにそんな短いやり取りがあった後、ミライが刀を置いて立ち上がる。
「まぁ、二コラ達も用心だけはしとくといいよ、この国が平和な国であることは間違いないけど、それと同時に攫われた人がここに流れ着いているのも事実だ、どこに何が潜んでいるかわからないからね」
ミライの言葉に薄ら寒いものを感じつつ、二コラもまたユキノを連れて馬車を降りた。
「えー!?もう通した!?」
「はっ、はい、セイラン諸島からの旅の者とのことでしたので…」
同時刻、王都の大門にて。
騎士と話しているのは一人の少女だ。長い黒髪と美しい顔立ち。そして、ハーフエルフの特徴である少し尖った耳。
「あっちゃー…そのパターンは想定してなかったなぁ…」
「あの、もしや何か問題が…?」
少しオーバーなリアクションを取る少女に対し、騎士が恐る恐る尋ねると、少女はこれまた肩を竦めオーバーなリアクションを見せる。
「んーん、別にこの国に問題があるようなことじゃないんだけどねー、私の個人的な用事みたいなものだよー」
「しかし、フィリア様の探し人となれば、我ら騎士団も…」
「大丈夫大丈夫、大したことじゃないし、一人で探すから、君たちは門番がんばってー」
フィリアと呼ばれた少女は小脇に本を抱え、ひらひらと手を振りながらその場を後にする。
果たして、彼女の個人的な用が、大したことじゃないなどあり得るのだろうか?
騎士は、そんな王女様の後ろ姿に敬礼をしながら、疑問に首を傾げるのだった。