短い旅路
新たな場所へと赴くのだ、新たな発見やそれに付随した驚きというものは、大なり小なり多く遭遇する物であろう。
しかしそれは、思っていたよりもずっと早く訪れた。
「……なんか、小さくないですか?」
「なにがです?」
「いや、館が…」
館から外へ踏み出して第一歩、そこに広がっていたのは深い森。木々の向こうに光は見えず、どこまで行っても木しか生えていない、まさに迷いの森と言って相違ない光景。
そして自分たちが立っているのはそんな森の中に開けた小さな丘。ここにだけは陽光が降り注ぎ、背の低い草花がそよ風に揺れている。
そんな中、丘の上に佇んでいるのは小さな小屋。
ほんとうに小さな、物置と言っても差し支えない程の物だ。
木組みで窓も無く、みるからにボロボロで、雨風をしのげるかも怪しい風体のそれは、とても人が住んでいるとは思えない代物。
「あれ?言ってませんでしたっけ、あの館はお祖母ちゃんが大昔ここにあった城を召喚してこの小屋に定着させたものですよ」
ユキノが指先で魔方陣を描きながら教えてくれる。
完成した魔法陣が発動すると、ただでさえ丘の上に無ければ見逃してしまいそうな小さな小屋は、空気に溶けて消えるように見えなくなってしまった。
「聞いたような…聞いてないような…」
どこかで聞いていたような気もするが、その他に留意するべきことが多すぎてそれが気のせいか否かもわからない。
「まぁ今聞いたから大丈夫ですね、さ、行きましょ?」
「…ユキノって結構大雑把な人なんですか?」
歩き出したユキノに問いを投げてみれば、返ってきたのは「さぁ?」とでも言いたげな肩を竦める動作のみ。
まぁその返事を見ればだいたいわかる。この子は結構大雑把な子だ。
そんな魔女の道案内、正直街に着けるのかとても不安になってくる。
「……道覚えてるんですか?」
「いえ?そもそもこの森に道なんてないですし」
「え?」
「え?」
お互いに「この人何を言っているんだろう」という表情をしたまま、ユキノが立ち止まったのは丘の外縁。
「そもそもこの森から出るのに道なんて要りませんよ」
言いつつ、また指先に光を灯したユキノは、手早くも複雑な魔方陣を描きながら、術式安定のため、その工程を言葉でなぞる。
「光属性、土属性複合、性質変化…形態付与魔法『天翼』」
完成した魔法陣に魔力を流すと、魔方陣からあふれた光はユキノの背中に集まって、真っ白い翼を形成した。
その姿はまさに天使、舞い散る羽はふわふわ漂った後に光に溶け消え、ユキノの周りを淡く照らす。
「すご…」
思わず漏れた声。
いまの自分には魔力を知覚することができる。
それ故にわかること。
この翼は濃密な魔力の塊だ。
維持するだけでも相当な魔力を必要とするだろう。
「ん、普段あんまり使わないですけど、上手くいきましたね」
どうやら翼の動きはユキノの意識と連動しているようで、何度か確かめるように翼を動かすと、ユキノは小さく頷いて、不意に背中側に周って抱き着いてきた。
「…え?」
「ほら行きますよ」
お腹のあたりに腕をまわされ、その上でしっかり魔力で固定までされれば、誰でも次に起こることはわかるだろう。
「あ、あの、ちょっまっ……」
バサッとひと際大きく羽ばたいた翼。
それと同時、二人の身体は一気に上空へと放りだされる。
「ぎゃああああああああっ!!!」
後に残った悲鳴も、木々の隙間に呑まれ、静寂へと還っていった。
そんな逆バンジーから約五分ほど。
二人の魔女は、広い森の上をゆったりと飛んでいた。
「絶対この魔法早く覚えて自分で飛びます」
「ごめんなさいー…」
ぽつりとつぶやいた言葉にユキノが申し訳なさそうにするのは、あの後もかなり無茶な加減速が続き、二コラがダウンしてしまったからだ。
回復魔法が無かったら今日一日はダメだったかもしれない。
そんなわけで今は二コラに優しい緩やかな飛行。これならば負担も少なく、景色を見る余裕まである。
「ふーん…なんか、結構普通な景色ですね」
眼下に広がる森を抜けた先は草原、その奥におそらく王都なのであろう城壁と建造物群が見える。
それ以外で言えば、左を向けば大河、右を向けば山脈といった調子で、ファンタジー世界定番の空飛ぶ島みたいなのはどこにも見当たらない。
「どんなの想像してたんですか…?」
「んー…こう、空飛ぶ島!とか、すっごいとげとげした山!とか、水晶で出来た谷!とかですかね」
「どれもこの国にはないですね…」
どうやらこの国以外にはあるらしい。
「あぁでも、『知恵の大樹』だったら、王都の奥にありますよ」
「ほう…?」
とてもファンタジックな名前が出てきた。神話とかに登場しそう。
「ちょっと高度上げるので、これ使ってみてみてください」
ユキノの魔力によってふよふよと目の前に漂ってきたのは魔法陣のメモ。手を伸ばして受け取って、ユキノがゆるやかに高度を上げている間に魔法を発動する。
出てきたのはガラス板のような魔力の塊。
どうやら望遠鏡のような魔法らしく、板を通した先が拡大して見える。
「ちょうど向いてる正面、奥の方ですよ」
言われた方向に板を向けると、王都の影のさらに奥、風に揺れる景色の向こうに、一本の樹が見えた。
形は普通の樹のように見える。太い幹に大きく広がった枝葉、青々とした葉は風に揺れ、木の全体が揺れ動いているかのよう。
「…あの木、なんなんですか?」
「『知恵の大樹』…この世界全体に根を伸ばして、世界中の歴史を蓄えることで成長する最古の樹です。世を戒める樹、『世戒樹』とも呼ばれています」
特徴的なのはその大きさ。
未だ遠目に見える王都。その広大な都市よりも明らかに広く、大樹はその梢を伸ばしている。
遠く霞むような距離にあるというのに「普通の樹」と認識できる時点で異常なのだ。
「そのうち行けますよ」
「え?」
「あの大樹の管理者にはその…色々とお世話になっていて、二コラは新しい家族ですから、いつかは挨拶くらいに行かないと」
ユキノの師匠、あるいは保護者みたいなものだろうか、
「それって…すぐじゃなくていいんです?早い方がいいような気もしますけど…」
「別に大丈夫ですよ、あの人にとって時間はあまり意味がないので」
「それってどういう…」
「恐ろしく長寿ってことです、少なくともこの国にあの人より長く生きてる人はいませんし、私にはまだわからない感覚ですけど、『永く生きておると時間なんぞ気にするだけ無駄に思えるのじゃよ』って言ってました」
これまたファンタジーでなければ聞けない話だ。この国一番の老人。それもきっと百歳とかじゃ済まない、時間がどうでもよくなるほど生きているというのだから、千とか余裕で越してしていそうだ。
「その人も魔女なんですか?」
「んー…魔法使いではあるんですが、魔女ではなくてエルフです」
「エルフ…」
これほどのファンタジー世界だ、居ないほうがおかしいのかもしれない。
エルフと言えば長寿の代名詞のようなもの。本当に千なんて余裕で越えているかもしれない。
「私達魔女も一応長命種ですから、そのうちあの人の言うことをもわかるようになるかもしれないですけど」
「へぇ、魔女の寿命ってどれくらいなんですか?」
「さぁ…寿命で死んだって言う魔女を聞いたことが無いので、わかんないですね」
「へー……」
おおよそ察してはいるが、多分この世界にも魔女狩りと言う文化が存在するのだろう。
そしてそれによって魔女は希少な種族となった。推測でしかないが、ユキノ自身他の魔女に関してあまり詳しく無いようだし、少なくとも魔女が希少な種族であることは間違いないだろう。
「…ちなみになんですけど」
「私の年齢は十五ですよ」
どうしても気になった質問は、先回りしたユキノの言葉で遮られた。
「若いのは見た目だけで、ほんとは老人なんじゃ、とか思ってました?」
「ちょっとだけ…そんな可能性もあるかもしれないなー程度には……」
とはいえユキノの言動はあまりにも若いというか…むしろ幼いと言えるほど。
確かにしっかりした子ではあるのだが、どうにも『背伸びした子供』のような印象が拭いきれない。
ほんとは何百歳と言うのも最初の内は考えていたが、一緒に過ごすうちにそのイメージは大きく変わり、今ではユキノの年齢を聞いても「思っていた年齢より上だった」という感想を抱くほど。
事実ユキノの見た目は十五と言うには幼すぎる気もするし、魔女が長命種と知らなければ十五歳と言うのも疑っていたかもしれない。
「まぁでも二コラより十五も年上なんですから、お姉ちゃんであることには変わりないですけど」
「でも私の方が背は高いですよ?」
「それは私がそういう風に作ったからですー!」
そんな他愛も無い会話にシフトしてしばらく。
王都の様子もはっきり見えるようになってきた。
巨大な円形に組まれた城壁の中、中心に聳え立つ王城らしき立派な建物から、放射状に道が延びている。
どうもその道路によって区画分けされているようで、まるでピザのように街の様子が分かれていた。
「なんか変な形の街ですね」
「そうですか?魔法陣っぽくて私好きですよ?」
ぽつりと零れた言葉を拾ったユキノには、変な形の王都は割と好ましく思えたらしい。
言われてみれば確かに魔法陣ぽくも見えるかもしれない。…円形であれば大概魔法陣に見えるとも言えるだろうが。
「さて、そろそろ降りましょうか」
「え、もうですか?」
ユキノが高度を下げ始めたのはまだ王都の手前。ここで降りても1㎞以上は歩くことになりそうだ。
「変に目立ちたくないですから、ちょっと歩きますけど大丈夫ですか?」
「それは全然、大丈夫ですよ」
二コラの返事に頷いて、ユキノはゆっくり旋回しながら着陸地点を探し始めた。
空から降りる二人の魔女。王都からその姿を見た人は少なくない。
しかしそれを見ても皆、少し大きな鳥くらいにしか認識していなかっただろう。
一人を除いて。
「おー?」
王都の中心に聳える城の上。
一人の少女が本を片手に腰かけ、二人の魔女を眺めていた。
「ふむん……」
そして本に目を落とし、二、三度ページを捲ってから立ち上がる。
「迎えに行こっかな」
そんな独り言と共に、少女は屋根を蹴り街へ飛び降りた。