ACT1 第五手
戦乱の世で栄華を極めた名門貴族ランスロット家。
圧倒的な武力と魔法の才。戦で武勲を残すことを何よりもの美徳とする一族である。
力あるものが上に立つことが必然と、血塗れた剣を振るう姿は鬼か悪魔か死神か。
末の男が15になった時点でランスロット家は古来より総督争いとして、ある『娯楽』を行う。
ルールはチェスとほぼ同じだがそこには大きな違いがある。
まず一つは駒が本物の人間であること。
もちろん装備や魔法も本物で、50×50四方の上で人間同士が殺し合いをするのだ。昔から決闘や死合というものは貴族の娯楽であった。
もう一つは『魔具』と呼ばれる一人ずつに配られる、いわば試合における『切り札』だ。
一枚一枚特殊な系譜でありその殆どが今は失われた禁術の力を持つ、ランスロット家の家宝である。
強すぎる力を使うには当然ながら『代償』があるが、それを含めた上で、いかにして戦うか。
ただ戦えればいいというわけではない。それだけの強大な力をいかにして手懐けるか。利用できるか。その力を見るための試合である。
無論例外はなく、今年も兄弟同士で血を流す時が訪れる。
「もう…決まっていることなんだよね…『フォルトゥナ』」
誰に聞かれることない呟きが、闇に溶けた。
*************
石造りの壁の冷たさで、青年は目を覚ました。
意識が浮上したばかりで全身がだるく、頭がまだふわふわしているような錯覚に陥る。緩く頭を振って起き上がろうとしたが、手首に引きつるような痛みが走り、自分の体が柱に括り付けられているのだと気付く。
あぁ自分は攫われたのかとゆっくり先刻の記憶が蘇ってくる。何か薬を嗅がされたのか、酷く頭が重い。ガンガンと耳元で鐘が鳴ってるような痛みに頬を汗が伝う。
「ようやく目が覚めまして?」
突然部屋の沈黙が破られた。小さな牢獄部屋の端から声がし、その声が暗い密室を反響する。未だ止まない頭痛に顔をしかめながら、青年は重い瞼を押し上げ、音の発信源を見た。
まず目に入ったのは磨き上げられた黒のヒール。銀の刺繍を縫いこまれたドレスは深い紅色で、幼い体格を補うようにふんだんにフリルやレースの装飾が施されている。裾のほうに銀糸で大輪のバラの刺繍が施されている。
この闇の中でも輝きを損なわない艶やかな金色の髪に、あぁそういえば彼女の母君は美しい金糸の豊かな髪をしていたなと思い出す。月明かりを受ける父親譲りの朝焼け色の瞳がその闇の中で酷く印象深く残っていた。
「やはり…君か。」
まるで従者の姿を認めたかのような自然さで、青年は椅子に座ったままの童女を見上げる。こうなることを予測していたかのような口ぶりと表情に童女は不愉快そうに眉をしかめる。
「随分と落ち着いてますのね。」
「お気に召さなかったかね。」
「無粋な殿方ですこと。」
幼い顔立ちに似合わない冷たい表情で、自分よりもずっと大きな青年を見下す。姿形こそ愛らしい少女だが、支配者のような冷徹な色と暴君のような威圧感を秘めていた。
大の大人でもこの童女に睨まれたら恐怖を覚えるだろう。
それだけの迫力を持っている童女の纏う空気を、少しも堪えた様子のない無表情で青年は見返す。
「無粋とはどちらのことだろうか?私をこんなところに監禁している人間の言葉とは到底思えないな。」
それどころか何処か小馬鹿にしたような冷たい嘲笑を浮かべる青年に、童女は一気に大きなアーモンド形の瞳を吊り上げた。
「どうやら自分の立場が分かってないようですわね。」
一瞬垣間見えた激情を、すっと冷たい色に染め上げ、童女は椅子から立ち上がる。そして椅子に立て掛けてあった馬乗鞭を持って青年に近づいた。一歩一歩童女が歩を進めるたびに、狭い箱の中にヒールの音が跳ね回る。
「アタクシ、無駄なことは嫌いですの。ですから一度だけ言いますわ。」
鞭の柄で青年の顎をくいと持ち上げると、口付けでもするかのような至近距離でそっと言葉を吐き出す。
「大人しく『魔具』を渡しなさい。そうすれば悪いようにはしませんわ。」
グッと鞭を持つ手に力が篭る。これを断ったら自分を叩くつもりなのだろう。幼いくせに歪んだ思考の娘だと痛む頭で青年は考えていた。
「…断る」
しかし迷いなき返答。それを聞くや否や仕方ないとでもいうように眉尻を下げて微笑んだかと思うと
――ビシッ!!――
青年の頬を一直線に灼熱が走る。次いでじりじりと焼けるような痛みを伴う感覚に、ミミズ腫れになってしまうなと胸中呟いた。
「出来損ないの『13番目』には勿体無い手札ですわ。あなたにはもっと似合いの手札があるでしょう?」
少なくとも、その手札ではない。そう言ってもう一度鞭を振り上げる。今度は額に当たった。
「その手札を使いこなせるのは、『A』であるこのアタクシ!」
ヒステリックに叫びながらまた鞭を振るう。胸に、大腿に、目の下に。
「…下らんな」
「なんですって…?」
愉悦に顔を歪ませていたアリスだったが、ふとドライツェンが呟いた言葉を拾い、怪訝そうに眉を寄せる。
「猿芝居も程々にしておくことだ、アリス。」
「何を…」
「本当にこの手札を欲しがっているのは『アリス』なのか、ということだよ。」
傷が痛み、気を抜けば顔を歪めそうになるが、気力で無表情の仮面をつける。対してアリスも先ほどの狂気染みた色は顔を隠し、冷たい表情に戻っていた。
「どういう意味かしら。」
「簡単なことだ。この誘拐はどう考えても君一人では成立しないのだよ。」
冷たいだけの表情が、少しだけ動いた。それを確認するでもなくドライツェンは言葉を続ける。
「おそらく君は今日オークションを訪れるのは私とエミリオの二人だと思っていたのだろう。エミリオと私の二人だけなら事は簡単だった。オークションが始まると同時、エミリオを『恋人』で操り私を攫ってしまえばいい。しかし実際はアルシオとマリアもついてきてしまった。」
アリスはマリアがついてきたことに相当焦ったはずだ。少なくともドライツェンがマリアを一人にするはずがない。間違いなくオークションにまで連れて行くだろう。
体は弱いがマリアは優秀な僧侶だ。マリアの至近距離で『魔具』などを使えば、『恋人』が発動する前に『抵抗』されるのは目に見えている。
「マリアがついてきた時点でオークションの最中に私を攫うのは不可能になった。つまり私を攫うチャンスは裏のオークションが始まる前になる。」
「………」
「いや、正しくはマリアが『馬車』から出る前だ。あの馬車は動く結界。あの中に入っていれば外からの干渉は受けないが、外の状況も分からない。つまりあの馬車に入っている間はマリアも『魔具』の発動に気づけないということだ。」
種明かしのようにドライツェンが言葉を紡ぐと、最初のうちは静かだったアリスの表情に変化が見られた。頬が僅かに強張り、少しだけ血の気が失せたように見える。
「大方私が飲み物を買いに行った際に『恋人』で干渉したのだろう。『恋人』の支配力は一度成功してしまえば絶対だからな。」
「…それで?」
「その後あたかも私を探しに行くかのように見せかけ、私を攫うようエミリオに『命令』した。が、またここで予想外のことが起こった。」
それがアルシオの存在だった。
怪しまれないよう馬車の中の二人に「ドライツェンを探してくる」と告げると、アルシオはマリアの存在を無視して「自分も探す」などと言い出した。それだけではない。アルシオは無意識にドライツェンが進んだ道筋を追っていたのだ。
『恋人』の支配力は確かに強いが、それでも目の届かないほど離れた位置からだと、どうしても簡単な指示しか出せない。かといって目の届く位置に行くのはアルシオがいる以上憚られる。ゆえにアリスにはエミリオを孤立させることしか出来なかった。
後にアルシオはふらふらと歩き回り、馬車に戻る。実を言うと、ドライツェンがアリスの存在に気付いたのはこのときだった。
アルシオはエミリオと途中までは『一緒に』ドライツェンを探していたのだ。『魔具』はその力が強ければ強いほど『残り香』も強いものになる。『恋人』ほどの能力であれば、ただ隣にいるだけでも『残り香』がうつってしまうのは想像に難くない。
「アルシオから話を聞いたとき君の計画は大方予想がついた。」
追い詰められたアリスが何をしでかすか分からないことが一番の不安だった。ゆえにドライツェンは『わざわざ』アリスに自分を『攫わせた』のだ。計画さえうまくいけばアリスは下手な行動に出ない。それは彼女の性格上間違いなかった。
のこのこ人気のない舞台裏に来たドライツェンをアリスか…いや、おそらくはエミリオが気絶させる。その後エミリオをアルシオたちの元に返したのだろう。アルシオの『残り香』にマリアが気付くのは時間の問題だ。だからあえてそうなる前にエミリオを返したのだろう。事態についていけてないエミリオが未だ混乱気味の二人の元に行けば事態がさらに悪化して多少の時間稼ぎにはなる。それにしたって荒い作戦だった。
「皮肉なことだがアルシオの命令違反が君の計画を掻きまわしたらしいな。」
あのときアルシオがついてくると言わなければ。マリアを連れて行くといわなければ。マリアを置いてドライツェンを探しに行かなければ。おそらく事態はアリスの筋書き通りだったのだろう。
…きっとドライツェンにとって最悪の事態に。
そう言って目の前のアリスを見上げると、彼女は肩を揺らして暗く笑っていた。突然のことに流石にドライツェンは驚きを隠せない。
「…ふ、ふふ…大したものですわね、その想像力…貴族を辞めて脚本家になったら如何かしら。」
「何がおかしいのかね」
ドライツェンの言葉に、俯いて天幕のように垂れていた金髪を持ち上げながらアリスが笑う。人を見下しきった嘲笑だった。
「貴方の言葉通りアタクシが貴方を攫ったとしましょう。でもその口ぶりではこの件はアタクシ一人で十分ではありませんの。」
言っていることが矛盾している…アリスはそう言いたいのだろう。確かにここまでならアリス一人でもなんらおかしくない。
アリスの嘲る表情に、やれやれといったように肩を軽く竦め、ドライツェンはアリスを見上げた。
「では逆に問うが…君は私をここまでどうやって運んできたのかね。」
「どうやってって…普通に、馬車でですけど。」
「では『誰の』馬車に『どのように』私を乗せて、一体『誰が』操ったのかね。」
そこまで言って聡明な妹は感づいたらしい。そうなのだ。ここが一番の肝。
一つ。気絶したドライツェンをアリス一人で運び込めるわけがない。
一つ。アリスの小さい体で、そのドレスで馬車を操れるとは思えない。
一つ。まだ幼く、女の身であるアリスが個人の馬車を持っているとは考えにくい。
つまり、アリスには間違いなく馬車の提供者…共犯者がいるのだ。
そもそも疑問に思うべきなのだ。『恋人』の能力は確かに『魔具』の所有者には発動しないが、それでも十分すぎるほど強力だ。
それなのにわざわざ危険を冒してまでドライツェンの『魔具』を狙うなど、どう考えても納得しがたい。アリスにはドライツェンを攫う『動機』がないのだ。
ここまできて気付かないほどドライツェンも愚かではない。共犯者の正体は想像がついた。
「アリス…君が庇っている共犯者というのは…君の肉親。『一番目』ではないか。」
マリアにとってのドライツェンに当たる人物。そしてドライツェンの腹違いの弟。
その名前をドライツェンが口にした途端、アリスの肩が跳ねた。
アリスは顔を俯かせて、怯えたように両腕で自分の体を抱いていた。最初と体勢は変わってなく、どう見てもドライツェンのほうが追い込まれているはずなのに、場を掌握しているのはドライツェンだった。
「確か…アインツの『魔具』は『聖杯』だったな…」
数ある『魔具』の中でも唯一の回復系。実質試合では持っていても何の意味もない…要は外れ札というわけだ。
「アインツには十分動機があるようだな。」
そう言って見据えればアリスの小さな体がびくんと体が大きく跳ねる。才能が有っても所詮アリス自身はまだ11歳の女の子なのだ。震える体が細くて何だかこちらが加害者のような気分になってくる。こっちは拉致監禁されて鞭で打たれてるのに理不尽だ。
アリスは心細そうにこちらを見上げ、真っ青な顔で唇を戦慄かせる。噛み締められて真っ白になったそれが震える声を上げた。
「ア、アタクシ…は…」
見ているこちらが可哀想になってくるほど怯えきった様子にドライツェンが口を開こうとした瞬間。
「何してるのかな?アリス…」
酷薄そうな声が室内に反響した。
えらく説明くさくなってすいません。文章力がほしい…。