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ACT1 第三手


「おいおい何だいこの差は。」



己を戒めている鉄枷と、反対側で椅子にしな垂れかかっている女とを見比べて、男はため息をついた。

「差別はよくないよ。どうしてあの人は拘束されてないのに俺たちはこんな重たいものをつけなきゃならないんだい?」

「女だからじゃないか?」

相変わらずの表情でぼやく男の独り言に、中年が静かに答えた。絶望が強すぎて諦めに達したのかもしれない。中年の顔は幾分すっきりしていた。

そんな中年の言葉を聞いているのかどうなのか、興味なさげにふぅんというと、虚空を眺める。

思案してたのかそうでないのか。

「でもなぁ。女の人でも強いのは強いよ?俺の知り合いに男を素手で三十人伸した人いるし。」

「そりゃ凄いな。だがあの女はおそらく娼婦だろう。アンタの言う力自慢なゴリラ女とは違うんじゃないか?」

「んー。ゴリラ…ねぇ?」

中年の言葉に意味深に答える男の顔は何がおかしいのかニヤニヤと笑っている。

「何がおかしい」

「いや、その言葉を本人に伝えたら何と言うかなと」

「馬鹿なことを。奴隷が自由に誰かと会話するなど許されるわけがない。」

「夢のない男だな。」

「結構だ。」


会話が途切れ、男はつまらなそうに周りを見回す。そこには檻、檻、檻。檻しかない。歩き回っているものは大体が仮面をつけ、黒のスーツと黒のネクタイ、黒のスラックスに黒のサングラスと一貫している。当然目の保養になるものなどありはしなかった。

「この暗闇の中でよくグラサンなんかかけてられるねぇ。」

「アイデンテティなんじゃないか?」

「わぁお。めんどくさ〜。」

ハッハッハと胡散臭く笑う男に、突っ込む元気もないのかため息をつく中年。






「………気楽なものだな」



小夜啼鳥ナイチンゲールが啼くように、静かながらも良く通る声だった。



それに驚いたとき、既に世界は暗くなっていた。自分たちの檻の前に誰かが立っているのだ。唐突に現れたその人物を振り返る。


そして檻の中の全員がその人物に見蕩れた。



線の細い、間近で見れば思わずため息の零れる端正な顔立ち。白磁の肌に、アッシュグレイの髪と涼しげなアメジストの瞳。

スラリとした細身の長身をさらにシャープに見せる漆黒のテールコートはどう見ても質のいいもので、純白のクラバットと対照的な深紅のクラバットピンが、妖しく光を放っている。


『な、なんて、場違いな…』


檻の中の全員の心がひとつになるのも無理がないほどにその存在は異端。




張り詰めた空気を纏う見目麗しい青年が、檻の前で腕を組んで立っていたのだ。




「…なんだろうか。」

不躾に自分を見る視線に対し、居心地悪そうに青年が呟いた。眉間に寄せられた深い皺は、元が綺麗だけに不必要な威圧感がある。正直言って怖い。

柵に一番近い…すなわち青年に最も近い位置にいた黒釉くろゆうの男が、おずおずと口を開いた。


「え、と…だ、誰?見たところグラサンブラザーズでもなさそうだし」

「…?ぐらさんぶれいかー?何だそれは。」

男の言葉に怪訝そうに眉を寄せる。さらにアップした迫力に、慌てて台詞を要約する。

「ええっと、つまり見かけない顔だってことだよ。」

「む、それはそうだろう。今来たところなのだからな。」

遠まわしに『Who are you?』と尋ねているわけだが、その言葉に青年は傾げていた首を戻して当たり前のように素っ頓狂なことを言う。

「うん。そうだろうね。そんな格好してたら目立つことこの上ないしね。で、キミは誰?」

面倒くさくなってストレートに聞いた。すると青年は無表情に一言「客だ」とだけ言った。


「客?じゃあ俺たちを買い取りにきたってコト?」

「まぁそうなるだろうな。」

「ふぅん」

その言葉を聞いて何事か思案するように虚空を眺めていた男は、不意に何か思いついたようにニヤリと口角を上げる。そして青年の姿を舐めるように見上げ、首に付いた値札を見せ付けるように摘むと、耳元で囁かれたら腰が砕けてしまいそうな低い声で囁いた。




「じゃあさ。キミ、俺のこと…『かって』みない?」




「…………何か言葉のイントネーションが怪しい気がするのだが。」



…果たしてその言葉は『買って』なのか『飼って』なのか。その答えは男のみぞ知る。


それはともかく突然そんなことを言われたにも拘らず、青年は表情をピクリとも変えない。無論しっかり刻まれた眉間の『ヒビ』もそのままだ。そんな青年を楽しそうに見上げる男は再び艶然と微笑んで再び問う。


「それで、お兄さん?答えは?」

「…生憎今は持ち合わせがないのでな」

「それは残念。」

肩を竦めると同時、纏っていた過剰な色香を霧散させる男に、檻の中の人間は無意識に入っていた力を抜いた。


「そういう台詞はもっと可愛らしい女性に言ってやりたまえ。」

呆れたようにため息をつくと、青年はくるりと踵を返した。

「あ、ちょっとお兄さん!」

男が呼ぶ声もそのままに、青年はさっさと奥に消えてしまう。舞台裏の奥はさらに深い闇になっており、黒衣の青年はあっという間に暗闇に溶け込んでしまった。



「…いやぁ、不思議な子だったねぇ」

「………アンタも十分不可思議だ。」

「え、そう?何、俺ミステリアス?」

すっかり調子が戻ってしまった男に、中年は寒気を覚える。この男はいったいどちらが本物なのだろう。その気の抜けた笑顔の裏に、とんでもない化け物がぽっかりと口をあけて待っているような幻覚を覚えた。

底知れぬ恐怖。それを誤魔化すように男の言葉に乗る。

「あんたはミステリアスって言うより胡散臭いだな」

「ひどいなぁ。」

へらりと笑うその顔が、いまはひどく気味が悪かった。







***********







少し時を遡り、軽食を取り終わったアルシオたちが、豪奢な馬車に乗り込んだところ。



「出発〜〜〜〜〜!!」



アルシオの元気な掛け声と共に、エミリオは馬鞭を鳴らした。

瞬間がたりと箱の中が揺れ、不安定な体制だったアルシオが、エルロットの方に倒れこんできた。それをエルロットは華麗な動きでひらりと避け、哀れアルシオはその形のいい鼻梁を強かに背もたれに叩きつけることになる。

「ぶぅぶぅ〜〜〜!!酷いです御主人様マスター!そこは優しく抱きとめてくださいよぉ〜!」

「生憎私に男を抱きしめる趣味はない。」

「ぶぅぶぅぶぅ〜〜〜〜〜〜!!!」

あっさり切り捨てる主の言葉にますますぶーたれながらアルシオは席に付いた。そんな様子を眺めていたフラウリッシュが、口元に指を添えてくすくす笑う。

「あー!お嬢様まで酷いですよぉ!」

「ふふ…ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「その台詞、笑う前に言っていただきたかったですぅ。」

赤くなった鼻を摩りながら、涙目で訴えてくるアルシオの頭をよしよしと撫でるフラウリッシュ。傍から見てればなかなか癒される光景が繰り広げられていた。


「そう言えば御主人様。向こうではどちらでお呼びしたほうがいいですかぁ?」

頭を撫でられていたアルシオが、途端顔を上げてこちらを見た。その鼻はまだ赤く染まっていて、少し間抜けだ。そんなことを考えながら、少しだけ思案すると、エルロットは薄い唇を開いた。


「…仮名かめいのほうだ。」

その言葉を聞いて、一瞬だけアルシオの顔から笑みが消える。だがあ、と言う前にころりといつもの笑顔に戻っておどけてみせた。

「はぁ〜い分かりましたぁ。てことは、やっぱりお嬢様も?」

「うむ」

長い足を組み替えながら、エルロットは頷いた。


彼らが言う仮名というのは、所詮コードネームのようなものだ。

ランスロット家の男は代々、末の息子が15になった時点で優劣順に数字が与えられる。また、フラウリッシュたち女姉妹もそれに倣い、優劣順でアルファベットが与えられている。

男たちはその数字を名乗り、女たちはその文字を頭文字にした名を名乗る。



エルロットに与えられた仮名は『ドライツェン』。ドイツ語で『13』という意味。

フラウリッシュに与えられた仮名は『マリア』。アルファベットの『M』を示す名。


ランスロット家は、最も優秀なものだけが己の誠名せいめいを名乗ることを許される。

つまり、今ランスロット家で誠名を名乗ることが許されているのは、家督のシュドナイ=ランスロットだけになる。

それ以外の『弱者』は、割り振られた『型』を名乗るしかないのだ。

エルロットもまた、誠名を名乗ることは許されない。こうして親しいものだけの間ならまだしも、外に出てしまった以上、『ドライツェン』として生きなければならなくなる。


面倒とは思うものの、こればかりはどうしようもない。

『強者』を求めるランスロット家にとって、自分などは何十番目かの『ドライツェン』に過ぎないのだから。


思考の海に沈んでいたエルロットの裾を、前に座っていたフラウリッシュが引いたことで、現実に引き戻される。はっと顔を上げると、小窓から外を指差す妹の姿が見えた。


「お兄様、あれが」


どうやら自分は随分と上の空だったらしい。

すっかり沈んだ空を背に、目的の建物がぼんやりと浮かび上がっていた。







**********






さて。



未だ互いに名前も知らない中年男性と男が心温まる会話をしていると、ふいに奥のほうが騒がしくなった。従業員用の入り口だ。何事かと、中年と顔を見合わせ聞き耳を立てる。するとこの場には酷く不釣合いな、幼い声が聞こえてきた。


「あのあの!人を見かけませんでしたかぁ?背が高くって身形のいい、すっごくかっこいい男の人なんですけどぉ!」

「こう…灰色の髪で、黒いテールコートを着た男性です。紅いクラバットピンをしてて…」

聴きなれない声が二つ。一つは底抜けに明るく、もう一つは物静かなもの。不思議なことにどちらも印象は酷く違うのにその声はまったく同じものだった。

「さぁて…見てないねぇ。」

次いで、先ほど司会をしていた男の声が聞こえてくる。子供相手だからか、少し優しい声になっていた。

「もぉ〜〜〜〜。どこいっちゃったんだろ〜〜〜?」

「そう、ですか…ありがとうございました。」

困り果てた様子の酷似した声たちが遠ざかっていく。どうやら人を探していたらしい。『背が高く』『端正な顔立ち』の、『黒いテールコート』を着た『青年』。




「そんなのいたら目立ちまくるよねぇ?」

「そうだな」

「『場違い』にも程があるよねぇ…?」

「あぁ」

自分と同じく聞き耳を立ててたらしい中年にへらりと笑いかけると、男前に頷かれる。しかし、その額にはうっすら汗が滲んでいる。檻の中の奴隷予備軍は皆してポカンと間抜け面をしている。そんな中、男もまたハハッと力なく笑った。






「…………あの子…迷子だったのか…。」








眉間にヒビを入れたひどく美しい小夜啼鳥の顔が、その檻の中全員の脳裏を過ぎったのは言うまでもない。





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