ACT1 第二手
「――お集まりの紳士淑女の皆様!長らくお待たせいたしました。
それでは、本日の目玉商品でございます!」
仮面で素顔を隠した中年男が、劇中の陳腐な台詞でも読むように高らかに声を張り上げるのを、男は人事のような表情で牢の中から聞いていた。
この大きな商品が終われば一先ず今日のオークションは終了だ。表向きには、だが。
この後、表の世界では少々風当たりのよろしくない商売が行われるのだ。
内容は、『人身売買』。
ある者は労働力を。ある者は見目麗しい妾を。またある者は臓器そのものを。
表立っては手に入れること困難な『人間』という商品を求めて。
今彼が放り込まれている檻の中には、彼と同じようなぼろ布を辛うじて身につけた人間が何人も押し込まれていた。大体がぐったりと倒れふすか、ただ酷い顔色をして震えているか、檻の柵に噛み付いて、必死に出ようとしているかで、何もせずただぼんやりしているだけの彼の存在は少し浮いている。
所詮この檻の中に入れられているのは、彼と同じく奴隷商に売り飛ばされ、今夜『買われる』者たちだ。その多くは、困窮な親や友人に売られたり、中には行き倒れたところを商人に拾われたりと、生への執着が途切れぬものばかりで〔まぁそれも仕方ないとは思うが〕怯えたり、抵抗したりと忙しない。
まだ『ヒト』としての感情を捨て切れていない彼らに、男は少しだけ目を細めた。
「いっそ俺みたいに空っぽになれれば楽なのにね」
男の年の頃は三十路半ばといったところ。背はさして高くない。
その割りに綺麗な筋肉の付き方をしており、痩せ過ぎず太過ぎずな引き締まった体。
存外しっかりした腕には、重々しい鉄枷が嵌められていた。
ガラス玉を彷彿とさせる虚ろな瞳は碧く、赤みがかった黒髪は水気がない。
やる気の一切が感じられぬ気の抜けた顔は、全てを諦めてしまったように感情の起伏が緩やかだった。
ふと横から聞こえてくる地鳴りのような呻き声に視線を流す。
こちらも男と同じく、節張った大きな手を封じる手枷を嵌めている。
俯いているので顔は分からないが、何となくくたびれた感じとすこし筋肉の落ちた体付きから、自分より少し年上の中年だろうと男は勝手に納得する。
その中年は、抵抗したときに殴られたのだろうか、所々青あざや擦り傷を作っていた。
何となく気まぐれに、男は隣で頭を抱えて沈んでいる中年男性に声をかけた。
「そんな唸ったってこの手枷は取れないよ。」
不自由な手をがしゃんと鳴らしてそう言うと、中年はがっと顔を上げた。
目の下に隈が出来ており不健康そうに見えるが、やつれてるわけではなさそうだ。意外と渋い顔立ちで若いころはモテたのかもしれない。
相手が身を起こしたので分かったのだが、中年は男よりも背丈が大きかった。が、筋骨隆々というわけではなくむしろ痩躯で、ひょっとしたら男のほうが体重があるかもしれない。
この場に不釣合いな男の表情を見て怪訝そうな顔をすると、中年は眉をしかめた。
「何だいきなり。今から奴隷として売り飛ばされるんだ。少しくらい絶望したって良いだろ。」
「人生生きてれば奴隷になることの一度や二度あるよ。気にしなさんなって。」
「…アンタ、分かってんのか。奴隷になったらもうそれは人間じゃない。物みたいに使われ、使い捨てされてくんだぞ。落ち込まないほうがおかしい。」
「死ぬよりいいんじゃない?」
じっとりとした目で言われるが、男は肩をすくめてやる気のない声を出す。
男の言葉を聞くと、不機嫌な顔で吐き捨てるように中年も言い返した。
「俺は嫌だ。そんな風に腐るくらいなら死んだほうがマシだ。」
「難儀な性分だね。」
「お互い様だろう。」
そんなふうに舞台裏でこそこそと話している間もオークションは進んでいく。
ハンマーの音、金額を名乗り上げる声、もう一声と煽る支配人の言葉。
それらの雑音は、檻の中の『商品』を追い詰めるには十分だった。
自分たちが『ヒト』でいられる時間が刻一刻と減っているのを理解し、中には発狂しそうなものもいるのに男は飄々としている。
それどころか暢気に欠伸など噛み殺しているのだから、流石に中年は呆れてしまった。
「長いね。こうしてるの飽きてきちゃったよ。」
「気楽な男だな。」
「ありがとう。」
「褒めてないぞ。」
明らかに場にそぐわない和やかな会話をしていると、最後の商品が落札したことを知らせる声が上がる。同時に檻の中の空気が凍りつき、誰もが瞳に絶望を映した。
ただひとり、黒釉の髪を持つ男を除いて。
******
時は少し遡って夕暮れ前。
エミリオが夕餉の買出しから戻ると、玄関の前には一台の馬車があった。
扉には玄関のノッカーと同じ鷹のような装飾が施されている。
間違いなく屋敷の主、エルロット個人の所有物だった。
馬ではなく、馬車を所有しているというところはさすが上流階級。
「おかえりなさ〜〜い!エミリオ!!」
「ただいま。ってアルシオ、その格好は…?」
エミリオを迎えた元気な声…アルシオに目を向けると、思わず呆けにとられた。彼の格好が、いつもの使用人服ではなかったからである。
桃色と白が幾重にも重ねられ、ボリュームがある裾に、腰も赤いリボンで締められ、手もレース柄の手袋で肘まで覆われていた。いわゆる社交界で着るようなドレスである。
エミリオの視線に気付くと、アルシオは裾を持ってその場でくるりと回って見せた。
「どうどう?似合ってる?アルちゃん可愛い?」
「あ、あぁ。良く似合ってるよ。」
「きゃ〜〜〜ん!もぉ〜〜!エミリオったら正直なんだからぁ!」
正直にそう言うと、アルシオは嬉しそうな顔をキャッと押さえてくねくねする。
傍から見たら確かに恥らう乙女だが、中身は立派に野郎である。
悲しすぎる現実から目を逸らしてエミリオはドアに寄りかかっていた主人に目を向ける。
「戻ったか」
表情こそいつも通りの彼だが、その格好はいつものスーツとは明らかに異なっていた。
黒を基本としたテールコートで派手な飾りは一切なく、細身の体をよりシャープに見せている。クラバットも普段のものより装飾が繊細になっており、小夜啼鳥のクラバットピンは艶やかな紅のものに変わっていた。
「もう出かけられるので?」
「うむ」
「かしこまりました。ただいま馬車の準備を…」
そこまで言って腰を折ると同時、屋敷のほうから愛らしい声。
「エミリオ〜〜〜!!御主人様〜〜!!見て見て〜〜〜〜!」
ふっと顔を上げると目に入ったのは珍しく驚いた表情の主。
視線の先を確認して、エミリオも目を見開いた。
「じゃ〜〜ん!!フラウリッシュお嬢様、コーディネートBYアルちゃん!!」
アルシオが押してきた車椅子の上に座る少女。
恥ずかしそうに白い頬を染め、照れ笑いにはにかむ花のような笑顔。
緩くウェーブのかかった豊かな琥珀色の髪に、大きな朝焼けの瞳。
この屋敷の主エルロットの妹であり、もう一人の住人フラウリッシュだった。
「どうですかぁ〜?お嬢様可愛くなったでしょう?ぐっどじょぶ?」
「……アルシオ。君は本気でフラウリッシュも連れて行くつもりか?」
眉間にヒビを入れたエルロットが腕を組んでアルシオを見下ろす。
どう見てもご機嫌とはいえないその表情を前に、アルシオはすっとぼける。
「ふぇ?違うんですか〜〜?」
「当たり前だ!フラウリッシュをあんな人ごみに連れて行けるわけがないだろう!!」
一喝。
鬼の形相でそう言うのは、決して意地悪で言っているわけではない。
事実エルロットの言った通りなのだ。
フラウリッシュは幼少のころ火事に巻き込まれ、全身に酷いやけどを負った。肌が酷く焼け爛れ、生き残ったことさえ奇跡に近い。今も顔の左半分を除いて、全身を痛々しい包帯が覆っている。以来ただでさえ弱かった体がさらに虚弱になってしまい、外出も出来ないのだ。
そのフラウリッシュを連れて行くなど、エルロットが許す筈もない。
しかしそんな主のお怒りもなんのその。
アルシオはすまし顔をして、さも他意はありませんとばかりに肩を竦める。
「でもでもぉ〜〜〜。お屋敷に一人ぼっちなんてかわいそうですよぅ。」
「だから君に留守を頼もうとしていたのだ。それを君が…ッ!」
「だってぇ。このお屋敷の金銭面を任されてるのは私ですからぁ。」
私が行かなきゃ、ね?と小首を傾げるアルシオにエルロットは唇を震わせる。
なるほど。とエミリオは内心理解する。
強引な屁理屈をこねて、生真面目な主人が悩んでいる間にこうして準備を進めたわけだ。相変わらず世渡り上手な弟である。
「っではエミリオ。留守を頼」
「言っておきますけどぉ〜エミリオがいなかったら馬車使えませんよぉ〜?」
いいんですかぁ〜?と聞くアルシオは完全に確信犯だ。
アルシオ=ロッター。敵に回すと恐ろしい少年である。
「ぐむむ…」
「大丈夫ですよぉ〜。お医者様から、馬車から出なければいいって許可は頂いてありますからぁ。」
なるほど確かにこの馬車は魔法で外と完全に隔離されている、いわば動く結界だ。この中から出なければ雑菌に触れることもないだろう。
それでも外に出るべきではない。きっとそれが医者の最大の譲歩なのだ。
「しかし…」
エルロットも迷った。彼とて妹に外を見せてやりたい気持ちはあるのだ。しかし妹の体を考えれば外に出すべきではない。しばらく一同は沈黙とワルツを踊ることになる。
「あの、お兄様…私も…行きたい、です…」
沈黙を破ったのは、おずおずと囁かれた小鳥のような声だった。
声の発信源は、フラウリッシュ。
きゅっと膝の上の手を握り締めて、健気にこちらを見上げていた。
そんな顔を見せられては、鋼鉄の意志を持つ主も揺るがざるを得ない。後一押し。
「御主人様。この広いお屋敷で、一番大切な人に置いてかれるのって、すっごく心細くなるの、知ってますか。」
アルシオも笑顔を引っ込めて、一言一言をかみ締めるようにそう言った。
双子だけあって、アルシオには珍しい真面目な表情は、エミリオと酷似している。
その言葉が、アルシオの本音を語っていた。
どれだけ横柄でめちゃくちゃな言動をしても、結局のところアルシオはフラウリッシュが大事なだけなのだ。
彼女が寂しい思いをしている。
アルシオにとってはそれだけで十分な『理由』なのである。
「御主人様。私からもお願いします。」
難しい顔をする主に真正面から向き合い、エミリオも懇願する。
自分たち以上に幼いフラウリッシュの心情を考えれば、少しくらいの我侭は言っても良いかもしれない。珍しくそんなことを思ったからだ。
「…今回だけだ」
六つの…否、五つの瞳に見上げられて、エルロットはしばらく眉間に皺を寄せて唸っていたが、顔を思いっきり横に逸らすとぽつりとそう言った。
その言葉を聞くや否やフラウリッシュは破顔し、アルシオはそっぽを向く主に抱きついて、エミリオはありがとうございます、と腰を折った。
「では予定通り、落陽と共に出発と言うことでよろしいでしょうか。」
「うむ。」
手帳をぱらぱらと確認していると、アルシオが服の袖を引っ張ってきた。
「ねーねー。ごはんはどうするの?」
「帰ってきてから。」
「えーーーーーーーーーー!!!!?」
手帳から目を逸らさずそう切り捨てるとアルシオが憤慨する。そんな様子に苦笑するフラウリッシュと、あきれるエルロット。
それはさておき銀時計を開いて時間を確認し、高速でタイムスケジュールを組み立てると、エミリオは燕尾服の裾を翻した。
「では急ぎ身支度を整えてまいります。あぁ、あと軽く摘めるものも用意しましょう。」
「やったー!エミリオ大好き!」
エミリオは屋敷の廊下を進みながら、踵を返す直前に目に付いたものを思い出した。
エルロットの黒いテールコートの模様。
黒のキャンパスには黒糸で装飾が描かれていたため、初見では気付けなかった模様は。
艶やかに咲いた、大輪のバラ。