アリス・フロム・???
「いんやぁ、力持ちの冒険者さんがいてくれると助かるわぁ」
「これで最後か?」
名も無き小さな村にて、古びた家からタンスを担ぎ運び出しながら大柄な男『ジェッド』は尋ねる。数分前から彼に「助かるわぁ」しか言っていないこの老婆には、文字通り荷が重いので手伝っているのだ。
「えぇ。えぇ。大きいのはタンスで最後。嬉しいわぁ。助かるわぁ。後でお駄賃をおげましょうね」
「これくらいなら別に。お代は結構だ」
「あらぁ、優しいのねぇ。助かるわぁ」
得意げになるわけでもなく、慈愛に満ちた笑みを浮かべるわけでもない。ジェッドは全くと言って良いほど表情が変わらない男だ。だがつまらない能面野郎かと言えば違う。今も無表情のまま、空いた方の手でお茶目にサムズアップしているわけだし。老婆と並んで歩く彼を、行商人が迎える。
「助かります~。すいませんね、うちにも力仕事担当はいるんですが」
「聞いたぞ、腰をやったんだろう。休ませてやれ」
「いや~すいません。ホント、すいませんね」
会話の片手間でルッポ車にタンスが積み込まれ、ちょうど満杯になったところだ。ちなみに噂の腰を痛めた運搬係も荷物同然に転がされている。
「いや~助かります、すいません。これで明日には出発できますハイ、すいませんねホント」
「タナトへ向かうと聞いたんだが……俺も同行して良いか?」
「ええハイ。……はい?そちらの方のお引越しと聞きましたが。あぁ護衛してくださるおつもりで?いや~どうでしょう、すいませんね。ウチもそこまでお願いする気はなかったし、流石に護衛という形になると依頼料とかのお話もしなきゃだし、そんなに余裕はないし。ハイ、ちょっと、すいませんね」
ここまで一息で話す行商人に、口下手なジェッドが返答する暇はない。確かに商人たちが移動中、盗賊や魔物から身を守るために護衛として冒険者を雇うというのはよくあることだ。成り行きで、冒険者側から自分を護衛としてつけないかと提案するのも珍しい話ではない。が、この村からタナトへは大した距離ではないし、住み着いている魔物も弱く少ない。べらべらと何やら言っているが、要するに断りたいようだ。
「金を取るつもりじゃないんだ。タナトへの道がわからないからついていきたい」
「あぁ~~~っ。そういうことなら、まぁ、構いませんよ。もしかして旅人さんで?」
「いや、普段はタナトに住んでる」
会話を聞いていた者の全員が「自分の家にも帰れないのか?」といったセリフを飲み込んだのを最後に、お喋りは終わった。そろそろ日が沈み始めようかという頃、ジェッドは小さな宿へと向かう。夕飯は何かと心を躍らせ、無表情のまま鼻息まじりに歩く姿はやや不気味だが、ここ数日の間で彼について知った村人にとっては微笑ましいものだ。そんななか、森の方からギャァギャァと魔物か何かの声が聞こえてきた。このあたりに気性の荒い生物はいないはず。だというのに村に声が届くほど近くにいるらしいことが少し気になり、宿で聞いてみることにした。
「なぁ、森の方が騒がしい。いつもこんな感じなのか?」
「へ?……あぁ、そういやそうだな……?どうしたんだろう」
少しばかり耳を澄まして首を傾げる受付の様子を見るに、どうやら普通ではないらしい。再び外に出ると、村人たちの数人が不安そうに立ち話をしているところだった。先ほど引っ越し作業を手伝った老婆もいる。
「おい婆さんたち。今日は早く帰った方が良い」
「あらぁ。やっぱりあっちの方、ヘンよねぇ。今日はみんなと一緒にお喋りしてたかったんだけど、怖いわねぇ」
怖いわぁ、お部屋にいましょ、などと口々に言って家に向かう彼女らとは反対に、ジェッドは村の出入り口へ向かう。
「あんら、ジェッドさん。お宿はこっちよ」
「それはわかってる。俺は森をちょっと見てこようと思う」
「えぇぇ、危ないわよぉ」
「安心しろ。これくらいのことは何度もやってきた。それに、自慢じゃないが……」
そう言うと親指で自分を差し、
「この手の仕事をやって、俺は今まで一度も死んだことが無い。だから大丈夫だ」
堂々と胸を張る。当人は心配かけまいと自らの丈夫さをアピールしているつもりなのだが、下手くそなジョークでどうにか和ませようとしているように聞こえる。真面目にこういうことを言い出す辺りから察してもらえただろうか、彼は少々頭が弱いのだ。
「あらあらぁ、そんなこと言っちゃって……。気をつけるのよぉ」
言わんとすることは伝わらなかったようだが、無理に引き留められるようなことはなく出入口の簡素な門をくぐる。脇から茂みへと足を踏み入れ、とりあえず声がする方へ真っすぐとかき分け進む。時折息をひそめて方向を確認し……今まで進んでいた方向とまるっきり逆方向へ折り返すのを何度か繰り返して数十分ほど。森の奥の開けた空間にたどり着いた。
「っっア”ァ”======ッ!!」
ひときわ大きな鳴き声が響く。動物ではなく魔物だろうと確信させる、やや人間味のある不気味な声だ。音がした方へ急ぎ足で向かうと、そこには一人の少女が地べたに這いつくばっていた。
「っ、おい!」
もし魔物に襲われた遭難者であれば一大事だ。元凶の存在を確認するため辺りを見渡しても、不気味なことにそれらしい姿は何も無い。一瞬そのことに違和感を覚えるも、今は彼女の保護が最優先だ。すぐ行く、と叫び駆け寄ると、顔を上げた少女と目が会った。まだ意識はあるとジェッドが少し安堵したその時。
「あっ…………ィィイ、ギャアアアァァっっっ!!!」
少女は硬直した後、急に伸びあがって絶叫する。驚いたジェッドが足を止めている間に彼女は反対側の茂みへ逃げ出そうとするも、バランスが上手くとれずによろけてしまう。すぐ地に手をつくと同時に2度目の叫びがこだました。周囲の空気を震わす叫びは、間近で聞く者におぞましい不安感を植え付ける。精神を削る怪音、それを一見可愛らしい少女が発しているという異常な状況。正義感など放り出して逃げても仕方のない場面だろう。
「イイいや、ヤ!や”あッァー-------!!」
「落ち着け。魔物に居場所がバレる」
「ぐむ、フグーっ!」
……が、たまたま近くにいた男がどんくさかったのが幸いした。村まで届いていた声の主が彼女であることに全く気付かないまま、安全を確保するためやむなしと大きな手で口を塞ぐ。
「ぐぐ、ウゥゥンンンンン!!」
「静かにすれば大丈夫だ」
「う……!ふギュ……!……!」
(凄い力だ。将来は冒険者だな)
子どもらしからぬ力で少女はジタバタと抵抗する。彼女が乱暴にジェッドを振り払った先で大きく地面が抉れたことに彼はまるで気づかず、思いがけない威力によろけた態勢を立て直しつつも少女の動向に注視する。暴れる彼女を全身で受け止めつつどうにか抑え込むこと数分。落ち着いてきたのか一帯が静寂に包まれる。
「……辺りにはもう何もいないな」
少女が平静を取り戻し、危険な存在は去ったと判断して手を放し向き合う。目の前にいる子どもがその危険な存在であることには、相変わらず気づいていないようだ。
「近くの村に案内する。名前を教えろ」
「ア……あ、あり……ありす」
「アリスな、わかった。少し待て」
近くの手頃な木の枝に飛び乗り、そこから樹上へ。もう日が沈みつつある頃、自分が出てきた村の明かりを探す。
「よし、多分あっちだな」
当然来た道を彼が覚えているはずがなく、こうして遭難しかけることもたまにある。その場その場を力技でどうにかするのがジェッドのやり方だ。木から飛び降りてアリスを担ぎあげ、草や枝からかばいつつ再び茂みをかき分ける。
「あのあ、……あの。ごご、めんなさい」
「平気だ。子どもなら4、5人まで運べる」
「ちがう、くて」
「まず宿でゆっくり休もう」
どもるアリスの身体は今も震えたままだ。パニックからいったん落ち着いたばかりの子どもの相手を丁寧にしているつもりだが、その後の会話もなんとなく嚙み合わないまま二人は村へとたどり着く。宿の人々は新たな来訪者を温かく迎え、アリスは空いていた部屋に泊ることになった。
次の日。村へとやってきたアリスの噂があっという間に広まっていく中、タナトへ引っ越す老婆を乗せたルッポ車をジェッドは見送りに来ていた。
「あらぁ、それじゃあジェッドさんは一緒に来ないってこと?」
「あぁ」
一晩経ってもアリスはどこか落ち着かない様子だった。会話も不得意なようで意思の疎通にも時間がかかる。保護してきた身として、彼女の精神が安定するまではこの村で休ませ、面倒を見てあげることにした。
「幸い予定は決まってない。しばらくここにいても大丈夫だろう」
「そう、優しいわねぇ。でもタナトで待ってるお友達は心配しないかしらぁ……」
「そうだな。あそこのギルドにはデカい掲示板がある。職員に事情を説明して、貼りだすように頼んでもらえると助かる。」
「えぇ、それくらいならお安い御用よぉ。いっぱい助けてもらったからねぇ」
そんな雑談を、アリスはジェッドのすぐ後ろで聞いている。
「ご、ごっ…………めん、なさい」
シュンとした様子で呟き、うつむく。精一杯声を絞り出すアリスに、老婆は声をかける。
「ジェッドさんは優しくて強いから、まだ小さいアリスちゃんはいっぱい頼っていいのよぉ」
「うむ」
「は、はい。……ふ、ふふ」
無表情のまま両手でサムズアップし見つめてくるジェッドに、少し気がほぐれたのか笑みを浮かべる。笑っていれば『可憐な少女』という言葉が真っ先に思いつく端麗な容姿。そんなアリスに周囲がホッコリしたところで、ルッポ車はタナトへと出発した。
「アリスは何処から来たんだ?」
「アリスは。……ア、アリスたちといたよ」
「?」
「親……お父さんやお母さんのことを教えてくれ」
「おかあさん、おかあさんもアリス。アリスと、あと、カミサマ」
「?」
「カミサマってのはどんな人だ?」
「カカミサマは……ん、んん…………カミサマなの」
「ふーむ……」
(父がカミサマ、母はアリスで友人もみんなアリス……いや、流石にそれはなさそうだ)
宿に戻った後に何気ない会話をしつつ、アリスの素性ついて聞いてみた。しかし、いずれも要領を得ず理解しがたい内容だ。ただでさえ考えるのが苦手なジェッドは少し困ったが、まぁ今すぐわからなくとも大丈夫だろうと話題を変え、好きな食べ物や思い出話など当たり障りのないことを聞く。しかし、彼女のことを知るつもりで振った話題にまともな返事は得られず、気づけば自分自身の話になってしまって上手くいかない……。そんなこんなでコミュニケーションは一見難航している様子に見えるが、聞く側に回ったアリスが楽しそうに笑っているのは確かなことだ。ジェッドもそれに気づいたため、無理に軌道修正するようなことはしなかった。
「腕っぷしには自信があってな。冒険者一筋だ」
「冒険者……?」
「いろんなことを手伝う仕事だな」
「タナトという街に仲間がいるんだ。あいつらは学園に通いながら冒険者もやっている凄いやつだ」
「すごい、んだ」
「あぁ。俺と違って魔法が得意な二人だ」
「…………それで、彼女はそこに置いて来たんだ。互いに愛していたのは確かだが、本当にどうしようもなくてな。送り出された時には大泣きした」
「……さ、寂しい?」
「うむ。だがいずれ俺が連れ出してみせる。約束したからな」
自分が受けてきた依頼やそれをともにした友人、わけあって離れた地で過ごす彼女の話。アリスは、自分の知らない世界の話に興味津々だ。お喋りの中でアリスについてわかったことと言えば、『単なる世間知らず』では済まないほど世の中のことを知らないということくらいで他は何も。それでも気長にやればいいだろうと、数日間はずっとその調子だった。
「あ、あの、おじさん。手伝います」
「お?あぁアリスちゃんか。じゃあこっちをお願いしようかな」
初めは拒んだが、次第にアリスはジェッド以外の村人とも話すようになった。平和な村の空気は素性のわからない子どもにも優しく、1週間ほど経てば宿の簡単な仕事を自分から手伝うようにもなった。
「今日もお手伝いか。偉いぞアリス」
「あっ。ジェッドさん。おは、よ……へへ」
ジェッドに撫でられて笑うアリス。仲のいい兄妹のような微笑ましい様子は村にとって日常になりつつある。しかし今日だけは、少しアリスの表情が強張っていた。
「ジェッドさん…………その。お話したいの」
「いいぞ。俺も手伝うから終わったらな」
「うん……」
またいつものお喋りだと思い同じ部屋で向き合って座る。そこでようやく、ジェッドはアリスが普段と少し変わった様子であることに気づいた。
「大丈夫か?体調が悪いなら言った方が良い」
「あっ。あっいや、ちがうの」
「そうか、よかった」
「その……私。わたっ私、た、多分もう……………………」
そこでうつむき、少しの間黙ってしまう。おずおずとジェッドの方を見るとハッキリと目が合った。
「もう?」
「その、もう、大丈夫だよ」
「大丈夫ってのは……」
「ジェッドさんは、ほら。タナトに帰るんだよね。私は…………もう大丈夫」
「あぁ……そうか」
実のところジェッドは『アリスの調子が良くなるまで面倒を見る』こと、裏を返せば『アリスの調子が良くなったらタナトへ帰る』ことを、ここ数日は完全に失念していた。確かにいい加減戻らなくてはならないし、アリスはもうここの村人と仲良くやっていけそうだ。しかし、彼女の様子から寂しがっているのかもしれないと考えたジェッドは提案する。
「そうだ、アリスも来ないか?」
「わ、私は…………その、ここにいる。えと、村の人を手伝いたい」
「そうか……立派だな、アリスは」
それからまた少しお喋りした後、ジェッドはこの村を発つことに決めた。泊めてもらい、良くしてもらっているこの村にアリスは恩を返したいのだろう────なんて立派な心意気かと感心していたが……アリスの目は少しだけ泳いでいた。
後日、ジェッドが出発する日。雨に降られてはいるが、なんであっても小雨決行の彼にとっては関係のないことだ。
「いいかジェッド、お前さんが途中でくたばることなんざ無いのはわかってるが迷子にはなんなよ。3日も掛からず着くはずだ」
「ちゃんと地図を読むのよ。なくさないでね」
「また来てね~」
アリスと村を歩いている中、口々に声をかけられる。すっかり人気者になったジェッドはひとりひとりにまた来る、と告げて出入口まで真っすぐ進み、振り返った。
「じゃあまたな、アリス。そのうち会いにくる」
「……うん」
最後に頭を撫で、村へ背を向けて歩き出す。
「っ、ジェッドさん!」
普段とはまるで異なるアリスの必死な声で呼ばれたジェッドは、ちょっと驚いたように振り返った。
「忘れ物か?」
「わた、私、ジェッドさんが…………、好き」
「えっ」
「私を、いっぱい助けてくれたジェッドさんが、好き。みんなが好きなあなたが。私はア、アリスだけど、でもカミサマよりも、ずっと、あな、あなたが好きだよ」
溢れる言葉の勢いと今にも泣きだしそうな表情から、流石の彼もどうやら本気で愛を告げられていることに気づいたようだ。歩み寄り、アリスと目線が真っすぐ合うようにしゃがむ。
「……前にも話したが、俺には既に最愛の人が──」
「わかってる!でも、でも、ぉ…………」
「……そうか。すまない、ありがとう」
「これ、これで、おしまい。おしまいだかっ、らっ、ら」
アリスはジェッドを両手で強く押す。相変わらず怪力は健在だが、それ以上におかしな点に気づく……おい、とジェッドが声をかけた瞬間、アリスの腕が滴った。ボタボタと音を立てて指が先端から崩れ落ち、黒い水たまりを作り出す。
「これは……」
「わわた、わたしは、アアアリスは、もう…………さよなら」
話しながらアリスの身体は表面からだんだんと溶けるように変化していき、ボコボコと膨らみ始める。可憐だった口元を覆うべたべたのゲルから触覚のような何かが一対伸び、もはや何処が口なのかもわからない。両足は地面の水たまりと同化して膝で歩いているかのようになっているが、それでもジェッドが見上げなくてはならないほど大きな背丈にまで変貌した。
「……アリス?」
一部始終を見ていた多くの村人は突然のことに言葉を失い、目を覆った。真正面から彼女を見据えるのはジェッドだけだ。そんな彼にアリスは、異様に大きく変形して半分も指が残っていない片腕を伸ばし────愛おしそうに、頭を撫でた。
「ぁりぐゎ、とぉ」
いつの間にか強くなっていた雨音以外にはもう何も聞こえない。アリスは手を放すと茂みへ、身体の一部を零しながら消えていった。彼女が残した形跡も、次第に雨に流され失われていく。立ち尽くしたままその様子を見守った後、ジェッドはタナトへ向かうべく踵を返した。
アリス、アリス、地底のアリス。天使になれず、神に愛されなかったアリスの壊れた出来損ない。そんなモノに居場所などなく、愛など育めるはずもない。そんな彼女に、ほんの一時だけでも笑顔で過ごせる時間が最後に与えられたのなら────彼女はそれだけで自身を幸せだと思った。ジェッドとアリスが出会った森の深部にて、雨に打たれながらアリスは、やがて、完全にその姿を失った。
アリスちゃんについてのお話でした。Twitterにて数度呟きましたが、かなり特殊な境遇のキャラクター。彼女の設定について興味がある方はぜひ覗いてみてください。実は、恋愛要素がガッツリ入ってくる話を考えついたのは初めてなんですよね。上手く書けているかちょっと怖い……。
ジェッドもアリスも、いずれ別の話に登場するであろう大事なキャラクターです。別々の登場になるとは思いますが、今後をお楽しみに~。