幼馴染で同級生の毛利さんには角が生えている。
最近ラブコメがわからない
戦国時代、まだ人権が曖昧で人を区別する境が曖昧だった時代。
ある一人の夫婦が、周囲の反対を押し切り結ばれた。
夫は人。
対する妻は……鬼。
人と鬼の夫婦。
誰もが鬼を恐れる時代に、彼らは愛を育み子孫を残した。そうして時間が移ろい変わり現代。
その人と鬼の血筋は脈々と受け継がれ続けていた。
毛利さんは、その末裔。
つまり鬼の血を引き継ぐ人だった。
戦国時代より系譜される鬼の特徴は、思わず恐れるほどの逞しい体躯に形相を思い浮かべるほどの憎々しい顔。
そして、特徴的な角だった。
毛利さんの頭には、主張の強い二本の角が生えていた。
戦国時代から早数百年ほどが経とうとしているのに、鬼の血は未だ薄れる様子はないらしい。
毛利さんはかつてからその容姿を理由に周囲から煙たがられていた。そして僕も、特に毛利さんとは関係もなく周囲から煙たがられていた。というか、虐められていた。人というものはいつだって弱い人間を見下し、虐めることで自己を保つものなのだ、という教訓はそんな辛い小学校時代に学んだことだった。
弱い僕は虐めに対してただ泣くばかりしか出来ず、その時のことは本当に辛かったことを今でも覚えている。
ただそんな僕を虐めの魔の手から救ってくれたのは、他でもない毛利さんだったのだ。
「あんた達、そんなみっともないことしていると……殺すよ?」
腐った女子の方が言うよりも数倍の迫力を持った言葉だった。暗黒微笑を見せる毛利さんに恐れをなした虐めっ子達が去った後、夕暮れ沈む校庭で、毛利さんはゆっくりとこちらを振り向いたのだった。
殺される。
当時の僕は、助けてもらったにも関わらずそんなことを思っていた。周囲同様、毛利さんのことを誤解していたのだ。残忍無慈悲な鬼だと、誤解していたのだ。
「まったくもう」
呆れたように腰を下ろした毛利さんは、うんざり顔で僕のTシャツに付いた土を払ってくれていた。
「こ、殺さないの?」
「殺されたいの?」
「いやまったく全然」
「じゃあ言うな」
程よく土を払った後、毛利さんは立ち上がり、僕に手を差し伸べてきたのだった。
「ほら、立って」
「……うん」
その時の僕には、毛利さんのことがまるで魔王を討ちに行った勇者のように……勇敢な戦士に見えたのだった。
それから僕は、一匹オオカミを気取る毛利さんに付きまとった。
あの日の恩を忘れた日はなかったから、いつか彼女の隣に立てるようになりたいと思って、彼女にうんざりされながら付きまとったのだった。
しかししばらくすると、毛利さんも少しずつ僕に気を許してくれるようになったのだった。そうして僕達の間に友情が芽生えていった。
毛利さんは世間体を知らない人だった。
他人と違う容姿をしているだけで、周囲は毛利さんをまるで売国奴のように扱い、畏怖し、忌み嫌う。
そんな浅はかな連中のことを嫌うのは無理もない話だと思った。
「ま、あんたは違うみたいだけどね」
いつか、小学校の時だったか、下校路でそんなことを毛利さんに言われた。あの時の毛利さんの顔は、時々ふと見せる優しい顔とは真逆の……辛そうな顔をしていた。
そうなってしまったのは、他でもない浅はかな周囲の連中のせいだった。
だけど、僕はその連中を責める言葉を言う資格はなかった。毛利さんに助けてもらうまで、僕も毛利さんのことを恐れていたのだから。
だから、恨み辛みを憤るよりも、もっと建設的なことをしようと考えた。
僕は翌日の学校で、これまで散々僕を虐めてきた連中の前に立ちはだかった。昼休みのことだった。
これからドッジボールに行こうと和気あいあいとしている彼らの顔が途端に歪んだ。多分、僕の顔も……恐怖で歪んでいたと思う。
「な、なんだよ」
虐めっ子の一人が一歩たじろいだ。
僕達だけでなく、教室にまで緊張の空気が走っていた。彼らが日頃僕を虐めていたのは、他人への興味が薄い担任以外、このクラスの共通認識となっていた。
「ぼ、僕も入れてくれないかい?」
緊張気味に言うと、連中の頬が綻んだ。多分僕の言葉を和解の意と捉えたのだろう。
「わかった。一緒にやろうぜ」
「うん。ありがとう。……ただ、毛利さんも入れてくれない?」
「え?」
「ちょっと、あたしそんなこと興味ないけど」
一部始終の成り行きを教室の隅っこで眺めていた毛利さんが、机を叩いて反論した。
「いいじゃない。たまにはさ」
僕は笑顔でそう言った。悪気がないことを理解して、毛利さんは困惑気味に僕を見ていた。
「折角だし、皆でやろうよ。クラスの親睦を深める意味でもさ」
親睦という言葉の意味は、まだ当時は知らなかった。ただこういう場面を何かのドラマで見たから、真似して和ます空気を作りたかったんだと思う。
クラスの連中が僕の誘いに乗ってくれて、
「行こう、毛利さん」
毛利さんを無理やり連れだして、僕達はクラスでのドッジボールを開始した。
クラスの連中は、最初毛利さんの参加を訝しがったりもしたが……次第に突飛な身体能力を持つ毛利さんの活躍に虜になりだして、活躍をして脚光を浴びている毛利さんもとても楽しそうにドッジボールに打ち込んだのだった。
翌日から、毛利さんはクラスの人気者になった。
運動神経が良い人を好むのは、子供ながらな感情だと思わされたけど、彼女は他者も羨む美貌も持っていたから、評価がようやく正常に戻った、というのが正しいのかもわからない。
そんなわけで彼女は瞬く間に人気者になっていき、一匹オオカミを気取っていた彼女は消えて、友好的で優しく、怒るとちょっぴり怖い毛利さんが誕生したのだった。
小学校を卒業し、中学高校と毛利さんと同じ学校に進学してきた。
高校になっても変わらず、彼女は人気者のままだった。他者と違うところを訝しむ子供から多少は大人になり、違うところがあって当然と気付き始めた年頃の高校生になれば、もう彼女の容姿を気にする人なんていなかった。
いいや、それは間違い、か。
彼女の容姿はずっと注目されていた。
彼女はそれこそ、モデル顔負けの美貌とプロポーションを持っていたからだ。
彼女はずっと人気者だった。
対照的に僕は、ずっと日陰者だった。最後の輝きと言えば……多分毛利さんを輝かせた小学校のあの時。
元々表舞台に立つことが苦手な性格だった。目立つことが嫌いで、出来れば一人でいたかった。
今日も放課後、一人で教室で小説を読んでいた。どうしてそうしているかといえば、深い理由はありはしない。
まあ強いて言うなら、年を重ねた結果こじれた感情により、こうして斜に構えているのが格好良いと思っているから、とでも言えようか。
……何それ、凄い悲しい。
「あれ」
教室の扉の方から声がした。
そこにいたのは、毛利さんだった。
「こんにちは、どうしたの毛利さん」
「いやあ、ちょっと人探しをね」
「人探し?」
首を傾げると、毛利さんはなんとも言えない顔で頬をポリポリと掻いていた。
「江藤君。君と同じクラスの、知らない?」
江藤君。
その名前は知っていた。顔立ちは整っているが、どこか軽薄そうなことをよく教室で宣っている男子だ。
「部活じゃない?」
「部活じゃないと思う。あいつ、帰宅部だし」
「へえ、そうなんだ」
「うん。うーん。どこ行ったかな」
毛利さんは困ったように頭を掻いた。
「何か用事でもあるの?」
「一緒に帰ろうって約束してたんだ」
少しだけ、胸にチクリとした感情があった。
「君はまだ帰らないの?」
「そうだね。これを読んだら帰ろうかな」
まあ、ここに残っている理由もないし。ただ帰る理由もないんだよな。
「そっか。そろそろ暗くなるからなるべく早く帰るんだよ?」
「うん。そうするよ」
微笑んで返すと、満足げに彼女は僕の前から立ち去った。
どうやら僕と一緒に帰る、という選択肢はなかったらしい。図らず彼女の中の僕の程度が知れて、再びどうしてか胸が痛んだ。
それからは目が滑って、本を読むのに集中することが出来なかった。読み終わった頃には外は既に真っ暗で、教室を出るタイミングで先生と鉢合わせた。
早く帰れと叱られて、余計に帰る時間が遅くなって、少しだけ後悔しながら夜道を歩いていた。
少しだけ後悔して、少しだけ早く家に帰りたい気持ちが芽生えてきて、僕はいつもは通らない裏道を通って家に帰ることにしたのだった。その道を通ると、五分くらいは通学時間が短縮されるのだが、風俗街を突っ切ることになるから嫌だったのだ。
キャッチを無視しながら、無心で道を歩いた。
そうして歩いて、ふと気付いた。
ホテルから出てくる私服の男女に見覚えがあったのだ。
少し大人っぽい私服に身を包んでいるものの、あの男は間違いなく、日頃軽薄そうで嫌いな……江藤だった。
相手の女は……。
毛利さんではなく、同じクラスの女子だった。
後に聞く耳立てて知ったことだが、どうやら毛利さんと江藤の関係は、恋仲関係らしい。必死の江藤のアプローチの末、毛利さんが折れて結ばれたそうだ。
にも関わらずのあの光景。
江藤という男は、どうやら僕が思っていた以上に軽薄な男だったそうだ。
翌日僕は、江藤を呼び出した。放課後、夕暮れ沈む校舎を眺めながら、人気のない体育館に彼が現れたのは、僕が現場に着いてから少ししてだった。
「よっ」
軽薄そうに江藤は挨拶してきた。
「どうも。早速だけど、本題いいかい?」
「ちょっと待てよー。俺これでも、体育館に呼び出されるのなんて初めてで舞い上がってるんだぜ? SNSに投稿させてくれよー」
江藤は僕の姿をスマホに収めて満足そうにしていた。
「ふぅ、満足。で、どしたの。突然呼び出すなんてマナーがないな」
「君と毛利さんは恋人関係なのかい?」
「ぷっ。なんだよお前。凛との関係妬んで呼び出したのかよ。根暗君はやることが根暗だな。そんなんだから根暗なんだよ。大手を振って祝福ぐらいしろよ。お前には元々勝ち目のない戦いだったんだから」
「……君は、毛利さんが好きなのか?」
江藤の言葉を無視して言うと、彼は高らかに笑い出した。
「なんだよ、根暗な上にピュアかよ」
「好きじゃないってことか?」
「好き好き。大好き。愛しているー。バーロー」
軽薄な態度に、どうしてか腸が煮えくり返りそうだった。
「じゃあ、これはなんだよ?」
僕はスマホを操作して、一枚の写真を彼に見せた。風俗街、私服で女子と肩を組み、恍惚な笑みを見せている江藤の写真だった。
江藤の顔が一瞬青ざめ、すぐに僕を敵視する物に変わった。
「何撮ってるんだよ」
「君だってさっき僕の写真を撮っただろう。同じことだ」
「黙れよ、この根暗っ!」
江藤がずかずかと大股でこちらに近寄ってきた。
「俺がお前と同じ? そんなわけないだろ。お前みたいな根暗と俺は一緒じゃない! 俺は凛を手に入れたんだ! お前なんかじゃ手が届かなかった高嶺の花と結ばれたんだよ! お前なんかとは違うんだよ!
そんなお前が俺に逆らうんじゃねえ!」
青筋を立てた江藤君の鉄拳が振り下ろされた。
僕はそれを鷲掴みにした。
「んなっ!」
「……確かに僕は根暗かもしれない」
僕は微笑した。
「君のように彼女へ好意を示さず、彼女の隣にただ立ちたいと思ったんだ。あの時とは真逆。今度は彼女を守れるようになりたい。ただそう思ったんだ。だから力をつけた。ただその間に、彼女は僕のことなんて眼中に無くなっていた。彼女の世界は僕と違って目まぐるしく変わっていっている。
僕が入る隙間もないくらい、彼女は素敵な人なんだっ!」
彼女を守れるようにと鍛えた拳を江藤の顎に叩き込んだ。
江藤が尻もちをついた。そして、視点が定まっていないのか、脳まで震えているのか、小鹿のように足を震わせて、立ち上がることさえ出来なくなっていた。
「でもそれは、お前も一緒だ。お前も相応しくない。毛利さんの隣にいるのに、相応しくない」
「……それを決めるのはお前じゃない。凛だ」
「そうだね。でも大丈夫。すぐに彼女もわかる」
「はあ?」
「SNSで捨てアカウントを作って、君とこの女子の写真を実名付きで投稿したからね。毛利さんも自分の惚れた男がどれだけ浅ましかったかを知ることだろう」
江藤の顔が絶望に打ちひしがれていた。
「君は多分、退学だろうね。ウチの学校は不純異性交遊が禁じられているからね。良かったね。これで君は……僕と同じ根暗な人生しか歩めなくなった」
僕は彼に馬乗りになった。
「二度と彼女に近づくなっ!!!」
江藤の胸倉を掴み、大声でそう叫んだ。
江藤は……観念したのか、気絶したかのように仰向けに倒れこんだ。
正しいことをしたと思っていた。
江藤という軽薄な男のした行為は、いうなれば恋人である毛利さんに対する裏切り行為。そんな裏切り行為を働くあの男が、毛利さんの隣にいてはいけない。そう思ったからだ。
『……それを決めるのはお前じゃない。凛だ』
でも、江藤のその言葉を思い出したのは、翌日廊下で毛利さんのいる教室をすれ違った時だった。
泣き腫らした目をした毛利さんが毅然として自席に座っているのを……僕は見つけたのだ。
彼女は強い人だった。
『ほら、立って』
虐めっ子に辛い目に遭わされている僕を助けてくれるほど、強い人だったのだ。
あの時僕は、心の底から助けを求めていた。親なのか、先生なのか、はたまた見て見ぬふりをしている誰かなのか。
誰かに助けを求めて、それをしてくれたのが毛利さんだったのだ。彼女は助けを求める僕を、助けてくれたのだ。
昨日の僕のように……いいや、違う。
毛利さんは果たして、今回の件、助けを求めていたのだろうか。
江藤という男の本性を知らなかったという前提があるから、毛利さんは助けを求めてはいなかった。
いやでも、あんな悪人を惚れておくわけはないではないか。
心でそう自分の行いを正当化しようとする気持ちがあった。
『……それを決めるのはお前じゃない。凛だ』
でもそれを決めるのは僕ではなく……毛利さんなのだ。江藤の言う通り、毛利さんなのだ。
僕のしたことは、誰にも望まれぬことだったのではないだろうか。
それこそ鬼が起こす悪行のように……誰かを傷つけ、悲しませるだけのただの自己満足だったのではないだろうか。
仕事が忙しくて全然投稿できん。息抜きに書いたのは短編だった。