その3
「……えっ?」
よほど驚いたのでしょう、ティアの青い目が大きく見開かれました。ラフは軽く肩をあげて、それから筆を床に置きました。そしてティアのとなりの、空いていたいすにドカッとすわったのです。
「別に信じようが信じまいが、あたしはどっちでもいいさ。証拠を出せっていわれても、どうしようもないからね。でも、あたしもあんたのパートナー、レインからいわれたことと同じことをいわれたよ」
「なんて……なんていわれたの?」
すでに答えはわかっているのでしょうが、それでもティアは聞きました。ラフももちろん、ティアが考えていることがわかっているのでしょう。わずかにくちびるのはしをゆがめて答えました。
「『人間になりたい。温かい涙でからだが満たされると、人間になることができる。だからぼくといっしょに、温かい涙を集めてくれないか』だろ?」
ティアは答えず、顔をそむけました。しかしそれは、そういわれたことを認めたことと同じでした。
「……あんた、本当にその子のいっていることを信じているのかい?」
「えっ?」
しばらく間を開けたあとに、ラフがティアにたずねました。質問の意図が分からなかったのでしょうか、ティアはわずかに首をかたむけ、ラフを見ています。
「あんたは本当に、温かい涙を集めたら、そのルゥフェイが人間になるって思っているのかい?」
「……信じたら、ダメなんですか?」
ティアに逆に問われて、ラフは肩をすくめました。
「ルゥフェイは人間にとりつく際に、温かい涙を利用するんだ。その人が流した温かい涙を、自分に取りこむことで、その人と同じ温度になる。これはあたしたち退魔師の特殊な言い回しだが、あんたたちにわかりやすくいうと、どういうことかわかるかい?」
ティアは首を横に振りました。ラフは小さくため息をついて答えました。
「同じ温度になったルゥフェイを、とりつかれた人間は大切に思う。俗ないいかたをすれば、ほれてしまうのさ。だからとりつかれた人間は、ルゥフェイのために涙を集めようとする。他人に悲しい思いをさせて、涙を流させようとするのさ。だからこの国の人間たちは、ルゥフェイをいみきらっているんだ」
「そんな……。でも、レインは、ルゥフェイたちはただ生きたいために、涙を集めているんですよ!」
「わかっているさ。ルゥフェイにとって、涙っていうのは食料と同じだからね。涙を得なければ死んでしまう。……そして、だからこそ、ルゥフェイは涙を人間たちから盗むんだ」
「盗む?」
いぶかしげな顔で、ティアがラフを見ます。ラフは別段気にした様子はなく、足を組みかえながら説明したのです。
「そう、盗むのさ。ルゥフェイに涙を盗まれた人間たちは、だんだんと涙を流すことができなくなる。そうなるとどうなるか?」
「……どうなるんですか?」
「涙が失われていくということは、だんだんと己の感情が失われていくということと同義なんだ。悲しいのに泣けない。そのうちに、悲しいという気持ちすら失われていく」
ティアは背筋がスーッと寒くなるのを感じました。その気持ちを打ち消すかのように、わざと明るい声でいいました。
「でも、それなら楽しい気持ちになるんじゃ」
「人間ってのはね、感情が全てそろっているからこそ、生きていけるんだ。悲しいという気持ちは、決して悪いものじゃない。それも大切な心の一部なんだから。それが失われると、心は欠けていき、最後には砕けてなくなってしまう。そうなるとどうなるか?」
「どうなるの、いったいどうなってしまうの?」
「人間ではなくなってしまう。……そう、ルゥフェイになってしまうんだ。ルゥフェイとは、遠い昔、神話の時代に、術によって悲しみをすべて消した世界の人間たちの成れの果てなんだよ。……だからあいつらは、人間に戻りたくて温かい涙を集めているのさ」
ラフの鋭い目が、ティアの右どなりを射抜きました。ティアはヒッと小さく息を飲み、それからおそるおそるラフにたずねたのです。
「……あなたは、本当に見えていないのですか? 本当はレインのすがたが見えているのでは?」
「残念ながら、あたしにはもうルゥフェイを見ることはできないよ。あたしは自分のルゥフェイを、パートナーを消し去ったのだから」
その4は本日1/10の18時台に投稿する予定です。