西瓜に胡麻
『 西瓜 に 胡麻 』
登場人物
井原誠太郎(37歳) 天川スペースガードセンター 主研究員
井原真理子(37歳) 井原誠太郎の妻
雅 之 長男(6歳)
友 紀 二男(4歳)
太 一 三男(0歳)
野尻佑太郎(64歳) 天川スペースガードセンター 所長
野尻ひとみ(28歳) 所長の娘
平山 千夏(28歳) 天川スペースガードセンター 研究員
中村 智明(37歳) 同 保守点検要員
中村 千恵(7歳) 中村のむすめ
比尻林太郎(32歳) 自称 ギタリスト
松浦江利加(42歳) JAXA(宇宙航空研究開発機構)追跡ネットワーク技術センターリーダー
小林 篤志(37歳) 日本海洋事業株式会社 深海6500 操縦士
リスレプ スビルエ 連邦海洋調査室 調査船 操縦士
ンソンビロ キーモス 連邦海洋調査室 調査船 操縦士
スロ ナアイダ 連邦惑星考古学者
この物語に登場する組織や市町村名は実際の名称を使用していますが、場所や事業内容、人物等は実際の活動内容を説明しているものではありません、すべて架空の物語です。
井原誠太郎は5・6mの竿に4m程度の仕掛けを付けた渓流竿を流芯より少し脇の小岩が頭を出す岩のすぐわきに振り込んだ。
岩の下にはえぐれがあり、イワナが十分隠れるスペースがありそうだ。竿を持つ手がきんきんに冷え込んで痛いぐらいだ、餌は1・5cmほどのチョロ虫である。
まだ目印もようやくみえかけの夜明け、3月中旬の天川は極冷えである。餌が脇流に飲み込まれ目印で水深を取ろうとした時、目印が一瞬とまり
『コン、コン』と当たりが来た。瞬間、竿を奥に押し出し、合わせた。
『クンクン』と小刻みに魚の躍動が竿から伝わり確実に針に乗っていることが分かる。
「よし・・・上にあわせとったら木にひっかかっとったわ」
「せっかくの今年初のイワナ、にがされへん」
竿を半分程度仕舞いながら足場を確認しゆっくり足元に寄せようと思うが、敵もさるもの、荒瀬の岩奥に潜り込もうとするのを引きずり出す。川から引きあげた所でバラしたらと考え、引き上げる場所をしっかり頭に入れ最後に抜き上げた。ヒレが鮮やかに黄色い22~23cmのイワナだ。確実に上顎にかかっている。
「よし、合わせは完璧や」
すぐさまアーミーナイフについている細いナイフで脳髄を突き、絞める。
「よっしゃ、幸先ええわ」
「あと、6~7匹釣ったらもうええな。寒ぶ過ぎや」
このポイントは次の釣行まで置いておこうと思いながら、
「よし、次はあそこ」と過去のポイントの記憶をたどり、次の餌を付けた。
しばらくは慣れきったポイントをじっくり流しながら2時間ほどでアマゴとイワナを
4~5匹釣り上げた。誠太郎の渓流釣り歴は10年に及ぶ、ホームである天川には通い詰め、魚の釣れるポイントはだいたい頭に入っている。
腰まであるウェーダーにネオプレンの靴下+靴用カイロで固めた足もこの冷え込みに感覚が無くなってきた。
「あかん、足の感覚無くなってきた、そろそろあがろ」と思い竿をたたみ掛けていると上の方から「どやった」との声。
「4~5匹やな、こんまいわ」と誠太郎が竿を上げながら振り向いた。
「井原さん、センターで“ちなげ”が見てほしいもんある、ゆうてますわ」林道から中村智明が白い息を吐きながら言った。
この時期の渓流はまだ若葉もなく、虫も居ないため、釣りやすいが寒さは非常に堪える。・・・・
「“ちなげ”が昨日から観測してたんですけど、なんか違うもんいきなりでてきた言うんですわ」
「めちゃ早いし、明るすぎる。言うとんですわ」と中村が川の音に負けないように大声でさけぶ。
「そんなもんいきなり出てくるかいな。 また近いとこにおるデブリと見間違ってんちゃうか」
「いや、何回も確かめた言うとんですわ」
「よしわかった、もうやめよ思とってん、あがるわ。ま、話聞くわ」と誠太郎が応える。
「寒ぶっ。先にセンターに帰っときますわ」と中村は車で走りさった。
誠太郎は竿を納め、寒さで感覚が無くなった足を引きずりながら上面が平になった石を探した。自分自身が座れるぐらいの石である。
適当な石を探り当てると魚籠、手袋、時計を外し腕まくりした。魚籠から釣った魚を取り出し肛門から顎下までいっきに腹を開き、はらわたを取り出す。鰓をむしり取り、背骨の下にある血合いを丁寧に洗う。
3月の水は切れるようにつめたい。渓流釣りは解禁が3月で禁魚になるのは9月である。日本の河川は漁協に管理され資源保護のため、魚が釣れる期間が決められているのである。
このつめたい川に手を入れると今年も始まったと実感する。次々、魚の処理を終えた頃には手の感覚が無くなっていた。
ようやく魚の処理を終え林道までの4~5mを慎重に足場を探りながら這い上がった。
井原誠太郎は奈良県天川村にある[天川スペースガードセンター]の主任研究員である。神戸大学院自然科学研究科を卒業後、宇宙航空研究開発機構(JAXA)に就職。3年後にスペースガード協会に出向になり10年目である。
もともとがつがつした出世欲が有る方でもなく、自分としては好きな研究テーマのデータをコツコツ集めて確実に答えを出してゆくような仕事をしたかったのである。勤務場所を聞くと岡山県の井原市か奈良県の天川村と言うことであった。
誠太郎は奈良出身であり実家も近い、もともとアウトドア大好な性格なので
「自然豊かな山の中で仕事はできるし、好きな渓流釣りも仕事の行きかえりにできるわ」と、軽い気持ちで天川行きを了承、赴任したのである。赴任当時は実家に両親と一緒に暮らしていたが、高校の同級生で遠距離恋愛中あった真理子と結婚した。誠太郎も真理子も中学高校は大阪の八尾市で俗に言う河内であり「こてこて」の関西弁である。
天川村の役場近くの空き家を10年前に格安で買い取り自然の中に暮らしている。
今は半年前に生まれた太一(0)、二男の友紀(4)、長男の雅之(6)の男3人のパパである。
誠太郎の勤務している[天川スペースガードセンター]はJAXAより観測の仕事を請け負っている立場である。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は日本の航空宇宙開発政策を担う国立研究開発法人で内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省が共同で所管している日本最大の研究法人である。そのJAXAに観測データを提供しているのである。
主な仕事は地球に接近する小惑星や宇宙開発に影響を及ぼす可能性のあるスペースデブリ(宇宙ゴミと呼ばれ地球の軌道上にある使い終わった人工衛星やロケットの破片など。)を専門に監視する事である。
親組織のスペースガード協会は国際スペースガード財団に属している。
国際スペースガード財団は1994年に木星に天体が衝突した事件を受けて、地球でも起こりうるとの危機感が高まり国際的な組織の必要性が提言され1996年に設立された。
目的は近傍小惑星の発見・観測及び衝突に関する研究を行うことである。イタリアのフラスカーティに本拠を置く。日本・アメリカ・オーストラリア、フィンランド・イギリス・ドイツ・イタリアの7か国が参加している。
スペースデブリと近傍小惑星の観測は基本、光学望遠鏡およびレーダーにより観測される。
どちらの観測も視野に限界がある事と、光学望遠鏡は観測時間が夜に限られ天気が悪い時には観測できない等、条件が限られる。またレーダー観測は観測時間、天候の制約が少ない割に探査距離が最大数千キロと制約がある事である。
コツコツと退屈な仕事ではあるが誠太郎の性格と相まって確実に成果を残してきた。
5年前には6550万年前に恐竜を滅ぼしたと言われるメキシコ、ユカタン半島に落ちた隕石と同等の大きさの小惑星を発見したこともある。
小惑星の大きさは直径5km~12kmと推定され、当時、直径が5km以上の地球軌道と交差する小惑星はすべて発見済みと言われていたが、あらたに発見されたと話題になった。
まだまだ未発見の小惑星が数多く残されている証拠である。
幸い地球との距離は9000万kmほどでの地球と衝突は避けられ話題は忘れ去られた。また、2019年の7月25日には【2019OK】と名づけられた直径約130mの小惑星が地球をかすめた。地球から7万2000kmの所を秒速20kmで通過したのである。
地球と月との距離の1/5である。天文学的にはとてもきわどく、耳の際をかすめた感じである。もし、地球に衝突していれば東京都の面積程度は壊滅である。
テレビ等で大大的に報じられたが、喉元過ぎればって感じである。その時には、「日本人の危機感ってこんなもんか?」とガッカリしたものである。
スペースデブリの観測は将来日本が本格的に宇宙開発に力を入れてゆく際に必ず必要である。小さなロケットの破片でも宇宙船の船外活動している飛行士に秒速数十kmで当たれば、ヘルメット、宇宙服を貫通し即死である。
秒速数十キロと言えば、ライフルの弾の速度は秒速900m程度なので十倍以上の速度である。その運動エネルギーはすさまじいものがある、ボルト程度の大きさの物体衝突で人工衛星は木端微塵である。デブリを放っておくと人工物に衝突するたびに永遠に増えてゆくのである。その危険なデブリを観測しJAXAと観測データを共有している。
JAXAの[追跡ネットワーク技術センター]はスペースガードセンターの観測データでJAXAが管理している人口衛星などに衝突の危険がないか判断し、もし危険があるようであれば、衛星の軌道を変更するなどして危険を回避する。
スペースガードセンターは天川村の役場より15kmほど先にある弥山(1895m)の登山口のそばにある。標高はほぼ1700mで奈良県のほぼ中心である。近畿最高峰の八経ヶ岳(1915m)を持つ山岳地帯である。
近くには山伏修行で有名な大峰山があり、2004年にユネスコの世界遺産に『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として『大峰山寺』『大峰奥駈け道』ほかが登録されている。
修験道の霊場であるという事でいまだに『女人禁制』である。男尊女卑の象徴として議論になる始末で、昔ある外国のえらい女の人が「女人禁制をやめなさい」といったら村の長老が「先に女修道院を男に開放したらこっちもやめる」と言ったとか言わないとか。古い伝統と霊山。隣で最先端の宇宙観測。
「なんか、けったいやな」と思ったりもするがあまり深く考えない。時代と共に少しずつ変化してゆけばいいと思う。その玄関口である洞川温泉もひなびた温泉であり、渓谷美で有名な御手洗渓谷も観光名所となっている。
誠太郎は渓流釣り用のウェーダーを脱ぎ、トヨタのランクルに放りこみ、イワナの入った魚籠からクーラーに移し替えた。
「今日はてんぷらにしてもらおう」と思いながら。
センターの観測室への階段を駆け上がりドアーを開けながら。
「中村さん、ちなげは?」と誠太郎は中村に聞いた。
「奥の観測」と中村は観測室の扉を顎で指しながら言った。
中村はスペースガードセンターの設備の保守点検、改良、開発を担当しており、センターから40分程度かかる吉野郡下市町に奥さんと子供と一緒に3人で暮らしている。
井原がセンターに赴任1年前に入所しており、同い年で趣味が同じ渓流釣りとわかり、意気投合その後、常に一緒に釣行している。
中村、井原の家族も多少危険が伴う渓流釣りに行くときは、万が一何かあった場合を考えると1人で行くよりは2人でいた方が安心との事で黙認状態である。
『 発見 』
「なんかけったいな物、見っけたらしいな」
井原は“ちなげ”に声をかけた。“ちなげ”の本名は平山千夏でセンターの研究員である。千夏の千と夏(夏至)の頭をとっていつの間にやら“ちなげ”と呼ばれるようになった28歳の乙女である。じゃ、(な)はどっちやねん、と言われてもわからない。
本人もなんとなく“ちなげ”を気に入っている様でもあるが、パワハラ感も無いでもない、ついつい気軽に“ちなげ”と言ってしまう。信頼関係は有るようであるが女心はいつ変わるかも知れない、気を付けよう。
センターでは6人の研究観測員を2人組で午後6時から午前6時まで365日観測している。光学望遠鏡での観測が主体なので当然、夜間の観測になる。
デブリ及び近傍小惑星の観測は基本的に口径1mの光学望遠鏡とレーダーによる観測である。
「そうなんですよ、昨日から北斗七星の少し下を観測してるんですけど、めちゃくちゃ明るいですわ」と“ちなげ”が言った。地球近傍惑星は惑星に反射する光の量を観測する事により発見する。
「ちょっ、ちょっと待ってくれや・・・ 今なんて言うた?」
「直径80km~90km 速度19・8km/Sですわ」と“ちなげ”。
「はっ、はっちじゅっキロからきゅうじゅっキロ!・・・80キロ超えって」
誠太郎は声が裏返ってしまっている。
「井原さん私、怖なってきましたわ。手が震えて・・・どないしょう私、みいひんかった事にしたいわ」と“ちなげ”がつぶやく。
「みいひんかったやあらへんがな。こんな、こんなこと簡単に言われへんで、ホンマ間違いないやろな・・」
「交代の2人はもう来てるやろ、もう一回みんなで観測データを確認しょう」
井原誠太郎は観測データを整理し、観測の手順に間違いはないか、又、機材の整備状態を入念に確かめた。が、不具合な箇所は見受けられなかった。
「“ちなげ”、所長の予定は?」と誠太郎が予定表を見ながら言った。
「明日、朝から来はりますわ」と“ちなげ”が答えた。
「こんなもんすぐに小惑星監視してるほかの観測所が見つけよる、どないなるんやろ・・・・後、8か月ちょっとか・・・・ええか、みんな未だ絶対人には言うなよ、嫁さん彼氏、家族にもやぞ。話、ややこしなる事言うなよ」
と言ったものの誠太郎自身約束を守れる自信が無かった。顔をあげて所員の顔を見たが、みな青ざめている。あまりにも突然なので今突きつけられている現状のデータと今後の事がつながらないのである。
誠太郎は思った。・・・この観測データはたぶん間違いないだろうと、日本の天文観測の技術や人工衛星の制御技術は世界でトップクラスである。3億3000万km離れている大きさ500m×160m小惑星のイトカワに人工衛星のハヤブサを着陸させるのである。ライフルの弾丸の数十倍の速さで飛んでいる物をライフルで撃ち落とすような物である。ハヤブサが宇宙から帰ってくる時も落下地点の予測はほとんど誤差が無かったし、落下の時間も予測できた。恐ろしい精度である。
茫然とするとはよく言うが、実際に茫然としている人たちをはじめてみた。手がつかないとはこのような事だ。
普段行っているルーチンワークは体が覚えており無意識に次の作業を処理していたが、どうもいちいち立ち止まってしまう。スムーズに動いていた関節のオイル切れの様な状態である。
「ちなげ。交代の人に引き継いで、もう帰ってええわ。頭整理した方がええと思う。俺も何してええかわからんわ・・・・所長には連絡しとく。明日からえらいことになるわ」
誠太郎はその日、早めに帰宅した。所長の野尻佑太郎には電話で「朝一少し話があります」とだけ伝えておいた。いい加減な話をする前にもう一度観測データを確かめたかったのである。
最初は、「なんの話?」といぶかしがっていたが、深いツッコミはなかった。野尻佑太郎は委託(JAXA)の定例報告会の帰りであった。
佑太郎も井原と同じ出向組で今年、定年である。
誠太郎は今朝釣り上げたアマゴを魚籠からグラス皿にあけ冷蔵庫に入れた。
「何匹釣れたん?」と真理子が半年になる太一を抱きながら声をかけてきた。
「5匹やな。素揚げにちょうどええわ」
「めっちゃ寒ぶかったから早めに引き上げたわ。5匹しかないから友紀と雅之に食われてまうな」
「そや、あの子らめっちゃうまいって言うとったわ」
誠太郎は発見した小惑星の事を話そうと思ったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。いま話しても自分自身のなかで整理がついていないのに冷静に説明できるかどうかわからなかったのである。
「何が起きたの?」野尻佑太郎は着席早々言った。
野尻佑太郎もJAXAからの出向者で当スペースガードセンター長であり近傍小惑星探索のスペシャリストである。
東京大学木曽観測所のトモエゴゼンカメラとの重ね合わせ法による高速微小の近傍小惑星の探索を確立したことで有名であり次期スペースガード望遠鏡の開発も担当している。
野尻佑太郎も中村と同じで吉野郡の下市に住んでいる。奥さんが4年前の癌で無くなり今は一人暮らしである。佑太郎の娘のひとみが結婚して大阪に来ているので、週末は両世帯を行き来しているらしい。
「今日は、非番の“ちなげ”も出勤してもらっているので、説明してもらいます」
井原誠太郎は“ちなげ”に説明をうながした。
“ちなげ”はPCを操作しながらプロジェクターで観測資料をスクリーンに投影する。
「発見時の明るさは7・05等級で天球上を1日当たり0・7度ぐらいで移動してました。その後の観測でその軌道がアポロ型だとわかりました」
アポロ型と言うのは小惑星の軌道が地球軌道の内側まで入り込むタイプの地球近傍小惑星の事である。
「絶対等級が6・95等級と推測されますがこんなに明るいのは初めてです。・・・・小惑星の表面の反射率が不明なので正確なことは分かりませんが、絶対等級から推測すると直径は80km~90kmになります」
「80km~90kmって・・・ うそだろ」
野尻佑太郎はまだ事態をのみこめていない。
「私もなんかまちごうてるって思いたいんですが、何回もデータを確認しましたけど間違いないみたいです。・・・・ほんでその周りに細かい影がいくつもあるんですけど、まだ細かい影の事は調べてないんですわ。」と“ちなげ”は言った。
「それで、距離はどれぐらいなんだ。?・・」
「ざっとですけど3AUですわ。速度は秒速19・8km」
1AU(天文単位)=地球から太陽までの距離14959万7870km
AU=アストロノミカル ユニット
「おおかた4億5000万キロか・・・で秒速20kmとすると・・・」
「263日。8か月ちょっとですわ」と誠太郎。
「現時点での軌道計算では確実にPHAですわ」
PHA (Potentially Hazardous Asteroid)
地球近傍小惑星(NEO)のなかで特に要注意である天体の事である。
現時点で(2016年10月)で約72万個の小惑星の軌道が算出されているがその中で地球近傍小惑星は15000個以上ありそのうちのPHAは1700個余りある
「それで、地球にどのくらい接近するんだ」
「・・・・・」
「現在の軌道計算では最悪ですが衝突します。」誠太郎は力なくいった。
「確かだろうね。摂動の影響も考慮したの?」
摂動とはある天体と母天体の作る系に対して外部の物体との動作用によって軌道が乱される事を言う。
「摂動の影響はこれからですが、影響しそうな惑星や衛星がずっと遠いんです。あんまり影響はないと思いますが引き続き観測します」と“ちなげ”が答えた。
「おねがいしますね・・・・でもなぜこんな大きさの小惑星が何ぜ見つから無かったんだろう」野尻佑太郎が不審そうに言った。
「そうなんですよ。このセンターより口径の大きい望遠鏡を持ってる所、いっぱいある思うんすけどね・・・もしか今まで見つかってなかったとしたらここ2~3日で発見情報がでて偉い事になりますわ」
「そういう事だろうな」
野尻佑太郎は事の重大さを噛みしめながら衝突するしないにかかわらず大騒ぎになるぞと思った。
「直ぐJAXAに観測データの解析をお願いしてください」
「ほかの観測は後回しにして引き続き観測お願いしますね」と野尻佑太郎。
「はい、了解です」と誠太郎は答えた。
誠太郎はまず、JAXAの組織の一部である[追跡ネットワーク技術センター]に連絡を入れると共に観測データの解析を依頼した。JAXAとは通信回線でつながっておりリアルタイムで観測データは届いているはずである。
[追跡ネットワーク技術センター]のリーダーである松浦江利加は観測内容を確かめると事の重大さからすぐにJAXAの上層部に報告を入れるとともに、国際天文学連合の第Ⅲ分科会第20委員会の小惑星センターにも連絡をしておいた。
小惑星センターは小惑星と彗星の発見に関する情報の提供を受け軌道の計算・報告を公式に行う国際的な機関である、国際天文学連合の監督のもとスミソニアン天文物理観測所が運営している。
小惑星センターは世界中の天文学者のネットワークに観測データの電子速報を配信した。観測情報を配信したことにより世界中の天文学者が観測情報を知る事になる。また松浦江利加は情報共有と観測精度向上を思い、スペースガード財団にも連絡を入れた。野尻佑太郎は松浦江利加に連絡し明日の午後JAXAに行く事を告げ、夜遅くまで井原達と観測データの精査をおこなった。
野尻佑太郎がJAXAに行っている間、スペースガードセンターでは引き続き小惑星の観測を続けていた。業務上のやり取りだけで今後の事については皆話題にしない。何を話しすればいいのかわからないのである。
誠太郎もこの小惑星が発見された時より今後の行く末を考えていた。生き残る方法はあるのか、後8・5ヶ月である。日頃の生活はどうなるのであろうか?仕事をしている意味はあるのか?なんのための仕事をするのか?家族を養うため、将来必要なお金を貯める、子どもの学費、家のローン、マイカー、老後の資金。8・5ヶ月後には全く必要ないのである。
二日後、野尻佑太郎がJAXAより帰ってきた。
「お疲れでした。どうでした?」と誠太郎が言った。佑太郎の話によると、JAXAより政府の国家安全保障局に報告されるそうである。JAXAでも今後の対策について大騒ぎである。
まずJAXAの中で観測データを精査し関連部署と確認の上、国際天文学連合会で観測資料のデータ交換を行い、政府に報告のための資料を作成するらしい。
「このセンターも忙しくなりますかね」と佑太郎の顔色を見ながら“ちなげ”が尋ねた。
「ううん・・ここまで話が大きくなると僕たちの出る幕ではない感じだね」と佑太郎が言った。
「このニュースは人類の危機だからJAXAも慎重にならざるを得ないね、政府としても日本だけで動くわけにはいかないだろうし、発表の時期や回避する対策もある程度各国との調整が必要だろうな。」
「政府も大変だろうな、こんな突然の降って湧いたような事件は頭でわかっていてもすぐに行動は出来ないだろうからね・・・・JAXAでも現在のプロジェクトはすべて中止だろうって事だった」
「政治家に説明するのが一番難しいと言っていたよ・・・・なぜもっと早く分からなかったとか、ロケット飛ばして撃ち落とせばいいんだとか簡単に言うからね・・」
「当センターとしては当面、通常どおりの業務を行いましょう・・・・たぶん世界中の望遠鏡が同じ方向を向くだろうね」
今の所、小惑星の衝突の情報は公にはされていないが、公開されるのは時間の問題である。誠太郎はまず自分の家族がこの先どう生きて行くかを考えた。誠太郎は結婚してから人の最低単位は個人ではなく、家族だと思う様になってきた。子供が生まれ真理子と一緒に子育てをして子供の成長を素直に喜ぶ、その事が人生、生きてゆくうえでの最低の単位だと思う。
若いころおばあちゃんが「まだ、結婚しいひんの」とか「ええ人いいひんの」とか、会うたびに言われたが、当時、うっとうしいなと思っていた、が思い返してみると、友達や同世代の人の誰もが親や祖母に同じような事を言われて来たと言うのである。
真理子も「おばあちゃんによう言われたわ」と言っていた。この頃やっとその言葉の深い意味が分かって来たような気がする。結婚し子どもを育てて一喜一憂する。おばあちゃんたちは自分自身家族を持ち家族と共に生きてきた体験が幸せだと思ったからこそ子供や孫に勧めるのである。
こういう事を言うと「結婚しないで何が悪いの」とか「子供が授からない人の立場が無い」とか言う人が必ず出てくるが、そう言うことではないのである。おばあちゃんたちは孫や若い人に自分の幸せだった経験を教えてあげたいだけなのである。
幸いスペースガードセンターの仕事は夜の観測がメインで平日の昼間に時間がとれる。小惑星の衝突までの間、世間では何が起こるかわからない。今までの様なインフラに頼り切った生活よりもなるべく自活をメインに考える事にした。もし急に電気、ガス、水道が止まったとしても慌てず、しばらくは代替品で過ごせるようにしようと考えたのである。
まずは自給できない基本的な生活に必要な物を書き出した。
太一用の赤ん坊用品、紙おむつ、ミルク、離乳食、衣服等、友紀、雅之用の衣服、下着、食糧、真理子と自分用の衣服、下着、靴、レインウエアー等の実用品、常備薬、怪我の応急処置方法の本や食べられる野草の図鑑、ジビエ料理本等、各種DAY用の電動工具、発電機、照明、ガソリン用の携帯缶等である。基本的にはキャンプ道具と考えてよさそうである。野生動物の狩りの方法は村の知り合いの猟師に教えてもらう。
近年、野生動物が増え、村の田畑が荒らされる被害が多発している。村としては鳥獣害駆除が必要であるが、高年齢化で猟師が減ったので思う様に駆除が出来ないのである。それで役場から青年団を通して狩猟免許を取ってくれないかと以前から言われていたのである。
免許取得後のサポートは心配ない、役場の担当が猟師と連絡を取り丁寧に教えてもらいます。と役場の言うことを信じ、先日センターの中村と一緒に、第一種狩猟免許とわな猟の免許を取ったばかりであった。実際の猟には行った事はないが・・・。
俺が教えてやるとか俺の銃を呉れてやるとかやたら外野の爺さま達がうるさいのである。この状況ではありがたいが。・・・・
これから揃える道具や備品はどっちみち8・5ヶ月後には必要のないものである。機能や耐久性を優先に考え意匠は二の次である。それと備蓄品をしまう倉庫も必要であった。
水については井戸があるので当面は心配はいらない。貯めておくためのタンクは常備してある。
車は幸いトヨタのランクルである。誠太郎は元々、車が好きで現在の愛車は三菱のランエボである。スポーツタイプのターボ車である。真理子と結婚し天川村に移住したとき、真理子は軽自動車に乗っていたが、買い替え時、子供たちの事、また地震や水災害を考え、トヨタのランドクルーザーに乗り換えた。内装は車中泊出来るように誠太郎が改造している。
真理子に言わせると「お父さんの車は災害時、糞の役にもたたん」そうである。
お父さんと言うのは誠太郎の事である。子供が呼ぶ呼び名で家族を呼ぶ習慣である。
「マニュアルやから誰も乗られへんし」といつも言われている。
ランエボは至急に売り払おうと考えた。小惑星衝突のニュースが発表されると価格は暴落するであろうから、スポーツカーなど全く必要の無い物になってしまう。真理子の言うとおりである。
観測明に五条市へ買い物に出かけた。そこでの誠太郎の行動は真理子の不振を招いた。メモを片手に普段は真理子にまかせ、手も出さない生活用品を次々にカートにほり込んでゆくのである
「なんでそんなもんいるん。いくらなんでも買いすぎちゃうん」
と真理子に問い詰められ、はぐらかしていたが、買い物を終え車に戻って来た時に小惑星を発見した事、また8・5ヶ月後に地球に衝突する事をつたえた。
真理子の驚きは尋常ではなかった。
「こんな事冗談で言えるわけないやろ。お前、俺の仕事知っとるやろ。前にでかい小惑星見つけた時も、よう、大きさや、はるか先に地球に当たるか当たれへんか分かるなーって感心しとったやんけ」
「それが俺の仕事やんけ、正直、俺もずーと観測して来たけど実際当たるとは思えへんかったわ」
「そんな事言うたかって・・・わたしもいきなり言われてもわからへんやん」
「・・・・なあっ太一も死ぬん?」と真理子は言った。
「あほか地球人みんな死ぬわ。日本は一瞬で無くなるレベルじゃ」
「いまJAXAに伝えてるんや。たぶんえらい事になってるわ、むちゃくちゃやで・・・」
「でも、途中で曲がるとか、計算まちごうてるとか無いん」そういう事があってほしいと真理子が聞く。
「こんな計算は地震の予測とか天気予報より正確にわかるんや。地球とか隕石とかはごっつい正確に動いとんねん。きっちり測ったら次の行動正確にわかるんや。簡単に言うと地球が一回転するんは24時間やろ。それがや、今日が24時間20分とか明日23時間40分とか変わってたらえらい事やし、1年が毎年変わるか?・・・・変われへんやろ、星とかはきっちり正確に動いとんねん。5年や10年先に当たるか当たれへんかもわかるんや・・・・せやからよっぽどのことが無い限り観測データはおおてる。衝突するわ。それを見つけんのが俺の仕事やんけ」と誠太郎はランクルを運転しながら言った。
「・・・・そんな事いうたって、太一まだ一歳にもなってないねんで、かわいそうやん」
真理子はチャイルドシートの太一を見ながら言った。いきなり小惑星が衝突してみんな死ぬと言われても真理子は頭の整理がつかない。
「太一だけちゃうやん。俺もお前も雅之も友紀もみんないっしょやし。たぶん逃げ場ないわ」
「俺も頭パニクッとんねん」
「考えてみーや、おれら家族だけちゃうやん。直径80km~90kmぐらいの隕石落ちてくんねんで。お前かって6550万年前に隕石落ちてきて恐竜が絶滅したって話知っとるやろ、あの時の隕石は10km~15kmぐらいと言われとんねん。今回80kmやぞ。8倍や」と誠太郎がまくしたてた。
「今回の小惑星は地球が西瓜としたら胡麻ぐらいの大きさやな」と小惑星の大きさが比較できるように誠太郎が言った。
「西瓜に胡麻なん?・・めっちゃ小っちゃいやん」と真理子が安心したように言う。
「あほか! 茨木県の面積ぐらいの隕石が秒速20kmぐらいで地球にぶつかんねん。問題は速さや秒速20kmやぞ、大阪から東京まで30秒で移動できる速さや、ごっつい衝撃じゃ、日本海ぐらいのクレーターできるわ」
「たぶんもうちょっとたったら落ちる場所も正確にわかるやろ。遠いとこに落ちるんやったら衝突の瞬間に死なんでええかもしれへんけど、1~2日で絶対死ぬやろなー」
真理子は返事さえしなかった。
「こんな話聞かされてすぐ理解でけへんやろけど、俺も実際どうなるかわからんわ」
「いまわかってるんは衝突まで8ヶ月ほどある事と、実際衝突したら東北の震災レベルをはるかに超えるし、いや日本無くなるレベルや、世界中の問題やと言うこっちゃ」
「落ちるとこホンマにわかるん」と真理子。
「後2~3日したらわかるやろ、陸に落ちるんと、海に落ちるではだいぶ違うやろな・・・・」
「せやけど、このニュースが発表されたら世界中大騒ぎになるやろ。俺はそれまで自分の家族ぐらい守れる準備をちょっとでもしときたいねん。・・・・暴動とか略奪とかがこの日本で起きると思えへんけど、食糧とか奪い合いになるのいややし、パニックになるか、なれへんかわからへんけど、そろえるだけそろえときたいねん」
「ま、ちょっとずっこいけど、この職業やから先に分かってん。・・・・役得やわ」
真理子は考えこむように黙っていた。
この後、誠太郎は女の決断の早さを身に染みて思いしらされる事になる。
「まだ、だれにも言うなよ。まだ世の中がえらい事になる前にしっかり考え方をまとめときたいからな」と誠太郎は言った。
「どっかの国がとんでもないもん開発して隕石爆破してくれるかもしれへんし」あり得ないと思いながら誠太郎はいった。
「・・・・」と真理子
誠太郎は五条市のホームセンターで買い物をすませ、帰宅したがその日一日真理子はずっと無口であった。
次の日は朝早くから車2台で出かけた。誠太郎のランエボを売るためである。五条市にある大型の車買い取りセンターに行き直ぐに現金化したい旨を伝えた。担当者はすぐさま査定をはじめ、買い取り金額を提示した。
近ごろは引退したサラリーマンが過去にあこがれていたマニュアルのスポーツ車に乗りたいとの事でMT車の需要がぐんぐん伸びているそうである。
誠太郎の考えていた金額よりも査定の金額の方が高かったので直ぐに合意し売買契約をおこなった。
帰りに買い残した食糧や生活必需品がないかホームセンターをゆっくり慎重に回って確認した。その買い物の間中、普段饒舌のはずの真理子はやはりしゃべらなかった。
何か、考え事をしているようすであった。
買い物を済ませ帰ってから備蓄用に買った物置を組み立てた。
母屋の裏に置きたかったのである。玄関の方から見えない所に置きたかったので真理子に置き場所の勝手具合を聞きくために声をかけた。
しばらくして作業着を着た真理子がやって来た。
「太一は?」と誠太郎は聞いた。
「昼寝しやったわ。私も手伝うわ」
「なんやねん?・・作業着やんけ」といぶかしげに誠太郎。
「私、決めてん。あした『かどや食堂』に行ってバイトやめてくるわ」
かどや食堂は真理子がアルバイトしている食堂である。天川村の川合の交差点の角にある。
「なんやまたえらい急やな」
「おばあちゃんがこけて、怪我で入院した言うてバイトやめるわ」
「たぶん食堂のおばちゃん『そらあかんわ、はよ行ったり』って言うてくれると思うわ」
「『太一君だけ置いていってもええで』って言うかもしれんわ。めっちゃかわいがってくれてるから」
真理子が働いている間、太一も食堂で預かってもらっている。
食堂のおばちゃんは一度、太一を目の中に入れようとした。
「あの話聞いてからずーと思ててんげど、あたし決めてん」と覚悟を決めたように真理子は言った。
「なんや!・・何をきめてん」と誠太郎
「後8か月でみんな死ぬんやろ。一人だけ生き残るんいややけど、家族みんな死ぬんやったらあきらめもつくわ。後の8か月の間に雅之、友紀、太一に全愛情そそいだろっと決めたわ。・・・・
あたしの子供のころの思い出やけど、お父さんとお母さんと一緒に日曜日になるとピクニックに行って、お母さんが作ってくれたおにぎりみんなで食べた時が一番楽しかったん覚えてんねん。そんな楽しい事あの子らにやったろ思てんねん」
真理子は何か憑き物が落ちたようにすっきりした笑顔で言った。
「お父さんの言うとおり、この世が続くんやったら頑張りもするけど、隕石あたってみんな死んで終わりやったら、ニュースで発表されたらえらい事になるわ。私、明日から五条に行って要るもん買い出してくるわ」
誠太郎は女の強さを見直しながら
「雅之と友紀には未だ言わんでええと思うわ。たぶんこのニュースが発表されたら学校も幼稚園も休みになるわ」
「そやな」と真理子も納得した。
「男やったら気の付かん物もあるかもしれんから買っといてくれや」
「勿体ないとか関係ないからな。貯金とかあってもしゃないから、銀行から金降ろしとけよ。お金なんかすぐ紙切れになるからな」
「買い物ん落ち着いたら最後にみんなで温泉旅行にいこうや。そのためちょっと銀行に置いとくわ」と能天気に真理子は言った。
「お前あほか!旅館なんかやってるわけないやろ」
「せやけどまだ8か月もあるやん」
「お前なーちょっと冷静に考えてみーや、日本壊滅すんねんぞ、誰のために旅館開いてサービスすんねん、その頃パニックじゃ」
「俺がこわいのは、電力会社とかJRとかの職員の人がみんな俺らとおんなじ事やり出すのが一番怖いんじゃ。日本はそんな事ないと思うけど一番やばいのは病院とかお医者さんとか最悪は警察とかが絶対死ぬんやったら仕事なんかやってられるか!っと思うことや、そんなんなったらおわりやで」と誠太郎は言いながら『一番起きないでほしい事や』と思った。
「まっ早いか遅いかやけどな、銀行口座の貯金残さんでええから、電気とかガスとかNHKの引き落しなんかこの際関係あらへんからな、そんなもん払うやつ誰もいいひんようになるわ」
誠太郎は過去の小惑星衝突や物理の知識からどう考えても衝突回避は難しいと思っている。限りなく少ない確立ではあるが、衝突が回避できる可能性が残っているかもしれないが・・・
直径87kmは大きすぎるし、衝突まで8・5ヶ月は時間が無さすぎる。あとは衝突までの行動をどうするかである。
この件が公になった時点で人々はどう行動するであろう。あまりにも規模が大きく突拍子もない話である。誰もが直ぐに信じられないし、整理がつかないと思う。
小惑星の衝突は過去何回も起こっているが、人々の記憶に残っているのは、2013年に起きたロシア、チャリアビンクス州の隕石落下ある。
強烈な光を放ちながら落下してくる映像が残されていたり、衝撃波や熱線で1500人近い人が負傷したというニュースである。このニュースにしても日本に被害はなく遠いロシアの話なので記憶が薄れているし、6550万年前の恐竜を絶滅させた隕石の話もよく話題になったり、落下時のCG映像などがテレビで流されるが。所詮他人事でよその国の出来事である。
地球の歴史においても過去5回ほど生物は大量絶滅している。その時々で規模が違うが少ない時で全生物の70%程度、多い時で95%の生物が絶滅している。
その5回の大量絶滅のうち2回で小惑星の衝突と考えられ、研究されている。こういう話は映像で1回ぐらいは見たり聞いたりしているけれど、たぶん実感がわいてこないだろう。
8・5ヶ月後、小惑星が衝突し人類にほぼ逃げ場はないだろうと言われてもたぶん人の脳は直ぐには反応しないのではないかと思ってしまう。
よくニュースとかで中東の戦争の映像や痩せたアフリカの子供たちに何百円かの寄付でミルクを買ってあげると助けてあげることが出来るような映像が流れるが、その映像を見ながら食事し酒を飲み平気で食べ物を捨てるのが人間である。現実にその目に合わない限り行動しないのである。
かわいそうな太一、その頃はよちよち歩きであろう。いや太一だけではない全世界の子供たちが同じ条件なのだ。
誠太郎は冷静今の状況を判断した。もし政府が正式に小惑星の衝突を発表したとしても、日本国民には正常性バイアスが働くのではないのだろうか?
過去の災害にしてもいくら災害の危機を伝えても、自分だけは大丈夫、日本だけは大丈夫と考え、来りくる天体衝突にしても体が過剰反応し疲弊しないためにそれを異常と認識しないのではないだろうか?日本人は案外、冷静かもしれない。
『 発見より3日~ 』
JAXAより関係各所に小惑星の観測データが発表され共有された事で各国の天文観測装置のほとんどが接近する小惑星に向けられ観測体制にはいっていた。
天川スペースガードセンターにある観測装置の数十倍の精度のレーダーや光学望遠鏡が動きだしたのである。
各国の観測データは小惑星センターに集められ、精査、再確認された後、国際天文学連合に報告された。
当然この間、各国の観測データは自国内で政府に報告された。
日本の場合はJAXAより連絡を受けた国家安全保障局が現在の観測データの説明をうけ、来るべき小惑星衝突が我が国へ及ぼす被害状況の規模を各専門家よりヒアリングを受けた。
小惑星の観測結果は
距離 2・988AU
直径 87・3km±1・0km
質量 4・28±0・22×10の17乗kg
絶対等級 8・27
アルヘド 0・0603
特徴 ラブルパイル型
(衝突によって砕けた小惑星のかけらが集まった多孔質の惑星)
小惑星まわりに一番大きなもので5km 小さな物で100m程度の
破片が多数あると観測される
主成分は炭素質コンドライトと思われる。
速度 秒速19・8km
地球衝突まで 2・988AU×15000万キロ=4億3500万km
43500万km/19・8km×60×60×24=254・27日 約8・476か月
衝突予定 12月2日の15:04分
であり各国の観測データと全く差異はなかった。
しかし不思議なのはなぜ今まで観測できなかったのかである。
その後の観測で答えが出たような結果がイタリアからもたらされた。
火星と木星の間にある小惑星帯に“アンティオペ”と言う二重小惑星が観測され登録されていたが、軌道上のあるべき所に無いのである。
この惑星は1866年にドイツの天文学者のロベルト・ルターによって発見され小惑星帯の外側より3番目のテミス族に属しC型惑星である。C型惑星は主成分が炭素質コンドライトで構成されている。二重小惑星と言うのは二つの天体が連なって、お互いの周りを回っている小惑星で
近日距離 2・663AU
遠日距離 3・652AU
直径 87・3m±1・0kmと83・8±1・0km
質量 8・28±0・22×10の17乗kg (伴星との合計)
絶対等級 8・27(系全体) 9・02(個別)
アルヘド 0・0603
特徴 ラブルパイル型
と観測されている。この小惑星が予想観測位置に無いのである。
各国の観測者の意見をまとめると
“アンティオペ”の伴星である惑星がなんらかの力で粉々にくだけ互いの重力バランスが崩れ、軌道が替わったと思われた。
砕けた理由① 熱破砕=通常、小惑星は自転による表面に激しい温度変化が生じるため膨張と収縮を繰り返した岩石が割れたり、はがれたりする事。
砕けた理由② 何らかの小惑星と衝突しもろくなっていた伴星を破砕したと考えられる。
しかしここに来て軌道が替わった理由はあまり意味をなさないのである。
“アンティオペ”が地球衝突軌道上にいることに間違いないのだから。
世界中のアマチュア天文家たちも小惑星センターの観測データの電子配信により一斉に観測にのりだした。
この小惑星のニュースは各国の政府関係者の思惑を尻目に瞬く間に全世界に広がった。
観測結果や小惑星のデータはSNS上に投稿され誰もが閲覧できるようになった。
望遠鏡を向ける空の方向さえ判れば誰でも観測可能であり、空に浮かんでいるものは隠せないのである。
少数民族への弾圧、伝染病の流行、新型軍事兵器などの情報を隠したりは出来ても、小惑星の動きは隠すことが出来ないのである。
実際の衝突場所も計算された。
残念な事に、日本の紀伊半島の潮岬沖南約17kmで、地球に対して60度の角度で衝突する。誤差は±10kmである。
また、地球の公転も考慮すると衝突時の速度は秒速22kmであると観測された。この衝突場所は政府の公式発表前にアマチュア天文学者が計算し、SNS上に投稿したものであるが後日発表される国際天文学連合の公式発表と寸分の狂いすらなかった。
『 発見より7日~ 』
このニュースが拡大すると各国のマスコミは惑星衝突の特集を組み天文学者や数学者、物理学者を呼び出し、連日連夜小惑星の諸元、衝突のシミュレーション、それに伴う災害の大きさを解説した。それもCGの映像付で6550万年前の恐竜を絶滅させた天体衝突の映像を繰り返し放映した。
数百km四方の及ぶ火災、数百mの津波、マグネチードM11の地震、広島型原爆の10億個分のエネルギー、しかし今回発見された小惑星は大きさだけで8倍あると煽りたてた。
ある科学者はこの小惑星が衝突すると95%の生物が死に絶えたぺルム期の大量絶滅に匹敵すると唱えた。
地球の歴史で生物の大量絶滅は過去5回あったと考えられている。そのうちの2回は天体の衝突が引き金になったと考えられ、天体衝突は過去頻繁に起こっている事であり、珍しい現象ではないと、その証拠に月のクレーターを見よ、地球は大気が有るため長い時間風雨にさらされ風化するのだと。巨大隕石の場合、世界中逃げ場所はどこにもないと。
小惑星が迫って来た時どう見えるのか?衝突時の海面はどうなるのか?・・紀伊半島の沖には南海トラフが有るが深い海に衝突するとどうなるのか?・・・津波の高さはどのぐらいか?・・・どれぐらいの速さで太平洋を進むのか?・・・沿岸の被害はどうなるのか?・・・
はたまた地上(紀伊半島)を直撃した場合の影響はどうなのか、小惑星はどの様に衝突し砕けるのか?衝突を受ける地球はどうなるのか?クレーターの大きさ高さはどうなるのか?その時の温度は何度ぐらいか?まわりに広がる衝撃破はどの様なものか?小惑星が衝突した後の膨大な岩石はどうなるのか?その時、日本はどうなるのか、またアメリカ・ロシア・中国・ヨーロッパへの影響はどうなるのか等、毎日繰り返し、繰り返し小惑星の速度や密度、衝突角度などと変えて連日連夜ワイドショウで放送した。
その結果どこの国の予想も同じようなものであった。
日本列島を中心とし半径2000kmは瞬時に壊滅することが分かった。最初は衝撃破、次に1万度の熱波で日本列島は消滅することも分かった。
小惑星の直径が87kmもあるため衝突時惑星の一部は地殻を突き破りマントルにまで達っする。
衝突直後の地震もM15クラスになると考えられる。
日本近海はアジアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートがせめぎ合い複雑な地殻構造である。プレートテクトニクス上の影響も考えなくてはならない。地球に衝突しその反動で円形上に飛び散り溶解した岩石は大気を突き抜け宇宙空間まで到達する。その後地球の引力により地球全体降り注ぎ2~3時間後には地球上すべてで大規模な火災に見舞われる。
半径2000kmに入るロシアの一部、中国の東(北京あたりまで)、北朝鮮、韓国、台湾がほぼ壊滅である。東アジアでほぼ5億2千万人が一瞬で亡くなる。
溶解した岩石が降りそそいだ後は成層圏まで舞い上がった灰や鉱物がゆっくり降り注ぎ全世界のライフラインは壊滅である。この時の地上の温度は250℃以上とも考えられる。この時点でほとんどの生命は絶滅するであろう。後には深さ約18km直径約900kmのクレーターが残されることになる。その光景を誰も見た人はいないはずである。生物はすべて死んでいるからである。その後長い間大気中を漂う細かい灰のため太陽の日射がさえぎられ地球は寒冷化するのである。
小惑星の衝突によって地球内部にも衝撃が伝わり火山等が噴火する可能性もある。地球環境は想像もつかないほど激変する。世界中のマスコミはテレビ番組を特集し専門家を集め、あらゆる質問を想定し繰り返し放送した。
SNS上ではこの小惑星の衝突がいかにすさまじいエネルギーか、衝突時の状態はどうなるのか、衝突時の状況を時間毎のコマ送りでシミュレーションし、この検討、解析は間違っていませんとばかりに詳しい数式も付けた上で投稿した。それも1つや2つではなく、数百単位である。人々は50年前なら信じられないスピードで情報を瞬時に受け取る事が出来た。
テレビを見ている世界中の全ての人が10日程度でにわか天文学者になった。
誠太郎は帰宅するとニュースを見ていた真理子がいった
「お父さんの言う通りやったわ、もう何処へ逃げても無理やん。今日ニュースみてたら和歌山の南の沖に落ちる言うとったで。知ってたん」
「俺も正式には今日聞いたわ。ある程度の事は分かってたけど、話ややこしなる思って正式発表まってたんや」
「あいつらもう寝たんか?」と子供たちの声がしないので真理子に尋ねた。
「先に寝やったわ」
「ふぅん。先に風呂入るわ」こういう状況でも日頃の習慣は変えることが出来ないのかと誠太郎は自分自身を不思議におもった。
風呂に入っている時に気がついたが、真理子も同じだと思った。この状況下で時間どうりに食事を作り、風呂を沸かし、子どもを寝かしつけているのである。
日本人はこんなもんなのかな?と思った。
風呂からでてビールでいっぱいやりながらテレビニュースを見ていた。ニュースでは現在政府で衝突回避の対策を模索しているところで、世界各国と連携している。衝突まで食糧も確保中なので決して買占めをしないでほしい、パニックにならないで欲しいと繰り返ししゃべっていた。
「今日、ずっとテレビ見ててんけど、私もどこへ逃げてもあかんとおもたわ。・・・・HNKでやっててんけど、もし予想どおり和歌山の南におちたら日本全滅やったわ、・・・・衝突した後も溶けた岩石がふってきて、中国の北京あたりまでの人が全員死ぬって言うてたわ。アメリカの西海岸とか太平洋の沿岸も津波で偉い事になるらしいわ。こんなんなったら世界で助かるひとおるん?・・・・」
「いや、日本の裏側とかに回ったら、たすかるかもしれへんな?『ブラジルの人、聞こえますか?』サバンナ八木のおもろないギャグやあらへんわ」
「せやけど行くだけではあかんと思うわ。衝突の時にたまたま助かっても岩石がこなごなになった灰とか、いったん溶けて蒸発した物んが地球に散らばって、太陽が射さんようになるしな~、ずーと夜やから生きられへんと思うわ。・・・・どえらい金持ちの人がごっつい深いとこに核シェルターみたいなもん作って金に物言わせて何年分も食糧貯めて水とか電気とかが2年ぐらい持つようにすれば助かるかもしれんけどな・・・・なんかアメリカのどっかにそんなとこあったんちゃうかったかな」
「そんなとこあるん?」と真理子
「なんか映画でみたような、どっかできいたようなきいするわ、せやけどシェルターに入れるんは政府のえらいさんとか大金もちだけやろ、おおて100人ぐらいちゃうか?・・・・おまえ金あったらそこまでしたいん」と誠太郎が真理子に尋ねた。
「そやなー家族みんな一緒やったらええけどな、ま、無理やん」と真理子が答える。
「せやな、もし、そのシェルターで2年ぐらい生き延びてもその後どうなるかわからんからな、出てきたら何にもないねんで、動物死んどるし、植物燃えてもとるから食い物無い、車無い、電車無い、スマホ無い、生きたとしても原始人の生活やな、それも生きる可能性のあるんは日本の裏側の一番遠いとこの話やけど、長い事生きていかれへん思うわ。小惑星が当たった衝撃は地球の内部を伝わるんで火山とかいつ噴火するかもしれんしな。まず地球上どこに逃げても助からんと思うわ、当然、日本中どこに逃げてもむりやな、核シェルターでも無理やと思うわ・・・・日本の中でも、がめつい奴は逃げよるやろな、せやけどシェルターの中で蒸し焼きやわ・・・・」と誠太郎。
「私そんなんいややわ。・・・・そやけどここにおったら実際死ぬときどないなるん?」
「せやな~実際衝突するときは、大気押してくるからな、風速2000mぐらいかもな、風でぶっ飛ばされて死ぬか、それとも衝撃破でバラバラか、小惑星本体が当たったら地球も小惑星も一瞬の内に溶けて1万度ぐらいになるやろな。どっちにしても『うわ』って言うてる間に死ぬわ、たぶん1秒ぐらいちゃうか。たぶん痛ないやろ。デススターの惑星破壊兵器みたいなもんやわ」
「・・・・太一とか苦しめへんかったらええわ」と真理子。
「ま、地球上どっかで助かるとこあったとしても、だれにも言わんと隠れよるからまったく生存率ゼロやと言われへんけど、おれらには関係ない話やろな」
『 発見より10日~ 』
ニュースが放送されると誠太郎達は事ある毎に村民から小惑星の情報の説明を求められた。
これは野尻佑太郎や中村智明も同じ状況であった。
[スペースガードセンター]を建設する時には役場主催で村民に説明会を行い、スペースデブリ及び、地球に衝突する小惑星を観測していると大大的に宣伝したのである。
佑太郎たちは毎朝、昼食のお弁当を買いに立ち寄る『モリクロ商店』でも待ち伏せの形で足を止められた。
一番の被害者は“ちなげ”であった。
“ちなげ”はスペースガードセンターに就職が決まったとき実家の大阪から天川村に越してきた。天川村では若い永住者の積極的に受け入れており村をあげて住宅の整備などを整えていたのである。
古くから村にある民家を参考にして天川村での生活が満喫できるように工夫がされている新築住宅に応募して当たったのである。家賃も格安である。実際には自称ギタリスト/アレンジャーの比尻林太郎と同棲生活中である。
真理子の情報であるが『かどや食堂』のおばちゃんなどには“ちなげ”は愛想よく人気があるが、林太郎は正業に就いていないチンピラで、顔を合わせてもあいさつもしない、どこの馬の骨かわからない奴だ、そうである。
その“ちなげ”が帰宅すると家に2~3人の村民が説明を求めて待っているのである。たまりかねた“ちなげ”は野尻所長に相談し所長は役場との話で村民を集めて説明会を開く事になった。
村民集会は2日後に開かれ、噂を聞きつけた奈良テレビの中継も入り中学校の講堂は満員であった。野尻佑太郎はJAXAに流した観測データをわかりやすくプレゼン用ソフトで作成するように誠太郎に指示し説明を行ったが、内容はマスコミ報道以上の特別な情報はなかった。
しかし村民たちは目の前での説明や佑太郎の正直な話し方に納得した様子であった。ただ、なぜ天体衝突がもっと早く発見できなかったかとの質問にはドッキッとしたが、世界で一番早く発見したのが天川スペースガードセンターで第一発見者は“ちなげ”だと答えた時には拍手が起こった。
最後に今政府や世界中で小惑星の衝突を回避する方法が模索されているが、あくまでの私見と前置きしながら、回避の可能性は低いと言った。もちろんテレビ局が撤退してからである。奈良のローカル放送でスペースガードセンターの天川村村民への説明会を放映すると政府からJAXAへクレームが入った。理由は政府発表のまえに独断で重要事項を発表するなと言う事であったが誰もまともに聞いていなかった。SNS上で普通に検索できる程度の情報だったのである。
誠太郎たちはその後、普段と同じように観測を行っていたが、観測すればするほど観測結果に間違いが無いことが証明された。
小惑星衝突のニュース前までは観測の事でJAXAとも頻繁に連絡を取っていたがこの事件以来連絡も少なくなってしまった。
このセンターの観測装置より精度の高い装置で世界各国が観測しているのである、当センターより外部の観測データの方が精度が高いのである。
野尻佑太郎も所員たちに「観測より家族を優先させない」と言ってくれているので家族のための行動はとりやすい。
発見当初よりある程度時間が経過し現実も自分の物になった頃、誠太郎は中村、“ちなげ”を誘い今後話をしようと声をかけた。
誠太郎の家は天川の古くからの古民家作りである。ちなげと同様に天川村に若い永住者を定着させるための情報発信制度の「空き家バンク」を利用した。民家は谷側に広いスペースがあり子供たちは自由に遊ぶことが出来る。
“ちなげ”は比尻林太郎と一緒にやって来た。誠太郎や真理子も林太郎とは初めてではない。
誠太郎と“ちなげ”は職場の同僚と言うこともあってBBQや食事会を頻繁に開いていた。その時には林太郎も参加していたのである。
村民のおばちゃんたちには評判の悪い林太郎も子供たちには好かれるらしい。雅之も友紀も一緒に歌を歌って遊んでいる。
林太郎は職業柄、ギターを離さない。どんな曲も弾いてくれるので子供たちに大人気である。子供たちの間で流行っている番組の曲を弾いてもらって一緒に歌っている。
“ちなげ”は真理子と一緒に食事の支度中である。猟師のおっちゃんにもらった鹿肉である。
「その鹿肉だいじょうやろな」と誠太郎は疑わしめに真理子に問いかけた。
「ちゃんと火、通せよ。腹痛なったらいややしな、なんかジビエ料理の食中毒ってはやってるらしいで」と誠太郎は真理子に言った。
「かどや食堂のおばちゃんの情報やけど、昔は闇で卸してたらしいわ、せやけどおっちゃんの息子、ちゃんと免許とって大阪でジビエ料理の専門店開いてるんやって。」
「ジビエの処理工場を天川村に作ってちゃんと処理してるって言うとったわ。めっちゃうまいって評判ええらしいで、高いけど」
「そんな事言うてんとはよみんなでお風呂はいって」と真理子はせきたてた。
誠太郎は子供たちと林太郎と一緒に風呂にはいった。やたら風呂だけは広いのである。
風呂から出てくると中村も来ていた。
「今日、飲まれへんな、車やろ」と誠太郎は中村にいった。
「いや、今日は泊めてもらうわ、大事な話やさかいな。寝袋とおはようセットもってきたわ」と飲む気満々に中村はいった。
「それやったら奥さんと千恵ちゃんつれて来ったらよかったのに」と誠太郎
「なんか犬の世話せなあかん言うとったわ」
「そうなんか、残念やな、今日は“ちなげ”と林太郎君もお泊りセットもって来てるわ」と誠太郎
職業がら天文観測は好きなので、“ちなげ”たちも車の中には常に一泊できるような寝袋、マット、下着、おはようセット等が入っているリュックを積んでいるのである。
真理子や“ちなげ”が風呂に入っている間、子ども達は鹿肉入りカレーを頬張り、太一は離乳食を林太郎にたべさせてもらっている。林太郎は元来子供好きらしい。太一も人見知りもせず喜んで食べている。
「先、飲んどこか」と誠太郎が言って男性3人はビールを飲みだした。
真理子や“ちなげ”が加わり食事が始まった。おつまみはご近所にもらった山菜の天ぷらである、タラの芽、こごみ、ふきのとうの天ぷら、味付けは粗塩である。
山菜のほろ苦さは何とも言えない大人の味である。うまい。子供にはわからないうまさである。
ビールの後は鹿肉のステーキとワイン、フランスパンにはバターをたっぷりぬって頬張った。鹿肉のステーキは下地処理がちゃんとしてあったこともあり奥深い渋みも香り、非常に旨かった。
子供たちが食べ終わり子供部屋で遊んでいる。太一は真理子の横で眠たげである。
「私、太一ねかしてくるわ」と真理子が太一をベッドに運ぶ。
しばらくすると子供部屋から真理子が出てきて
「子供たち寝やったわ」と言った。
真理子は“ちなげ”と一緒に食事の後片づけをしていた。林太郎は一緒に飲んでいたが、
「一緒にてつだいーな」と“ちなげ”に言われしぶしぶ席を立った。
「実際、中村さんとこはどうするの・・・・」と誠太郎。
「せやなーこの前から家族で話ててんけど、尾鷲の実家かえろ思てんねん」尾鷲と言うのは三重県尾鷲市の事である。
「尾鷲って、予想衝突地点にめっちゃ近いやん、目の前、太平洋やし」
「そらわかってんねんけどな、3年前におかん死んでおやじの一人暮らしやねん。ま、やくざなおやじやったけど、最後ぐらい一緒に死んだろかなって思って」
「井原さんはどうおもう?」と中村
「せやな、政府はまだ衝突回避の方法は検討中です言うてるけど、おれは無理や思うわ、時間が無さすぎや、国どおしでどないしょうって言うてるまに1~2ヶ月ぐらいすぐにたつ思うわ。そうなったらアルマゲドン見たいにブルースウィルスでも無理やな」
「やっぱり井原さんでもそう思うか」
「中村さんもそう思うやろ、そうなったら尾鷲も北海道も変わらへんから早い事行ったほうがええと思うわ。死ぬ時は日本国中一瞬や」
「去年キャンピングタイプに改造したハイエース買ったやろ、あれで8か月生き延びるられる食糧とかいろんな物、積んで行ったらええやん。」
「せや、実はちなげが小惑星発見した時からいろいろ準備はしててんけどな」と中村
「なるべく早くいった方がええで。こんな時都会に住んでたら偉い事になるわ」
「やっぱりそう言うとおもたわ。もう井原さんともう渓流釣りでけへんやろしな・・」と中村はさびしそうに言った。
「ま、みんな命日一緒やからな。」
2人でそのような話をしているうちに食事の後片づけも終わり
「後、なに飲む」と真理子がいった。
「おれはバーボン。あと適当に持ってきてや。有るとこ知っとるやろ」と誠太郎は林太郎にいった。
林太郎は素早くバーボン、焼酎、ワインを用意し、“ちなげ”はグラスと氷を用意した。
「さかな食べるやろ」と真理子もヤマメ、イワナの焼枯しを持ってきた。
焼枯しは腹を出した渓流魚を網に乗せ、遠火の強火でじっくり焼き枯らしたもので、時間をかけてあぶるので魚のエキスが流れ出ない。酒のあてには最高である。厄介なのは作るのに5時間ぐらいかかることである。日持ちがするので雨あがりなど大量に釣れた時は焼枯らしにして保存しておくのだ。
焼き枯らしはイワナとアマゴで微妙に味が違う。子ども達は我先にアマゴに手を出す始末で、よく分かっている。
「この頭めっちゃ旨いですやん」と林太郎がいった。
「せや、頭が一番うまいねん、かりかりよりもちょっとねしってしてる方がええねん、その焼き具合がむづいねん」と自慢そうに誠太郎がいった。
「ほんで、“ちなげ”とこはどうするねん、実家、大阪やろ」と中村はちなげに尋ねた。
「そうですわ大阪の正雀ですわ。林太郎は吹田で。この前両方の親におおて来たんですわ」
「テレビとかのニュースみてたし、私も説明したんで、だいたいの事は理解してました。・・・・結局両方の親とも今住んでるとこにおるって言うてました。」
「いろんな事、話しする人いてるけど、私の話聞いてもうどこへ逃げてもしゃーないと覚悟したらしいですわ。・・ほんで実際死ぬ時どーなんねやろってどっちの親も聞いてましたわ」
「ほんで、どーなる言うてん」と誠太郎が聞き直した。
「マンションの中におったら一瞬のうちにマンションごと溶けて死ぬから苦しまへんと言うときました」。・・・・それやったらええわって安心してました。ほんでこれからどうなるかわからへんから非常食とか水とか大量に買うて置くように言うときました。どっちの親ももう子供みんなでていって部屋あまってるんで大量に備蓄しとけっていいました。ほんでいろんなホームセンター回って買えって言うときましたわ。一カ所で大量に買ったらなんか人目も悪いし」と“ちなげ”
「正解や、100点満点やそれでええわ。実際俺らも分からんけど当たらずも遠からずやろ」と中村が満足そうに言った。
「この前電話した時、もうコンビニとかで物無くなってるらしいですわ。ぎりぎりセーフやった言うてました。」
そんな話を長々としていると全員酔っぱらってきて同じことの繰り返しになってきたので、そろそろ寝ようってことになり中村、“ちなげ”、林太郎がマットと寝袋を用意し、寝床のセッティングをしていると
「こんな話、世界中の家族がするんやろなー・・・・ それでは、おやすみ」
と誠太郎がぽつりと言った。
次の日は早めの目覚ましで起こされた。今日は誠太郎の実家と真理子の実家へ孫3人を連れて行くつもりである。
真理子と“ちなげ”はすでに起きていてコーヒーを挽いていた。
「せっかく昨日のおいしいパン残ってるんで、ちょっと寒いけど気持ちええから外でたべようや」と真理子がいった。
昨日夕食の時に食べたフランスパンは林太郎が有名なパン屋で買ってきてくれたものである。それの残りがたくさん残っていた。それを聞いていた中村は
「よし、俺用意するわ、先、顔洗うで」と洗面所に入った。
誠太郎と林太郎が着替えて出てゆくと中村が炭に火をつける所であった。BBQは何回もやっているので、炭や着火剤、トングの場所も知っている。
誠太郎家の裏の庭にはBBQのセットが作り付けてある。中村はBBQセットの網を外し着火剤を2つに割った。着火剤は炭の粉を圧縮しブロック状に固めたもので見た目は板チョコそっくりである。
着火剤の上に炭をのせ着火剤の四隅に着火マンでを付けた。手慣れたものである。林太郎はパン、ソーセージ、バターを持ってきた。
「あと10分ぐらいやな、パンあぶるだけやからあんまり炭要らんわ、着火剤燃え尽きたらもう乗せてもええで」と中村は林太郎に言った。
そろそろ子ども達も起きる頃である。真理子は太一にミルクを飲ましている。
林太郎は子供部屋に入りスマートフォンをスピーカーモードにし、曲をかけた。トーケンズの[ライオンは寝ている]である。
「ンッバベッパ ンッバベッパ ~ ♪ ♪ ♪」
「そんな曲かけたら起きよ思てもまた寝てまうやんけ」と誠太郎がいったが、子ども達はむくむく起きて来たのである。
「あんた不思議な子やな。子供心知っとるわ」と真理子は林太郎を不思議そうに眺めながら言った。
「この曲が終わるまで着替えなあかんねんで、競争や」と林太郎が子供たちを急き立てた。
雅之も友紀もまんまと乗せられ曲と競争して着替えてしまった。不思議なものである。
着火剤が燃え尽きて炭に火が回ったところで、子ども達もそろいみんなで朝ごはんを食べる。
BBQ網の中心にソーセージを載せ、まわりにパンを置いた。早春の朝は息が白く防寒着は必需品である。真理子とちなげが熱いコーヒーをカップに入れ、子ども達は牛乳である。
朝の寒さの中で飲む熱いコーヒーがうまい、臓腑に染みわたる。二日酔いの頭がしゃっきりしてくる。温まったパンにバターを塗りソーセージを挟んで頬張る簡単な料理であるがみんなで食べるのはやはり楽しい。
「もう、こんな事出来るん最後かもしれへんなー」と誠太郎がいった。
「せやな、後8ヶ月でみんな死んでまうなんて信じられへんなー、確実に死ぬのになんか実感無いのよね、“ちなげ”初めて小惑星発見した時どうやった」と中村。
「そんなん普通のデブリの発見と一緒ですわ、小惑星の明るさとか軌道とかの計算結果が出てきた時もあんまピンとけえへんかったんですわ」
「せやけど、だんだんイメージ出来てくると一気に怖なってきて泣きそうになりましたけど、なんか実感せえへんのですわ怖いお兄さんに絡まれたとか、痴漢に遭った時とかの直接体に来る怖さみたいな感じせえへんのですわ、怖ない言うたら嘘になりますけど、直ぐに忘れて違うこと考えられますわ、私だけかな?・・・」
「せやねん、俺もちなげから聞いてテレビとか見てると、隕石が地球に当たって大爆発して火事になって津波に襲われてみたいなCGみてもなんか実感しいひんのですわ、アルマゲドン見てる感じで」と林太郎も同じ様な事をいった。
「せやねんなー俺もおんなじやな」と誠太郎も言った。
誠太郎は不思議なものだと思う。
大学を卒業して就職が決まった頃のはなしである。就職が決まり下宿もひきはらい、奈良の実家に帰っていたのである。
就職祝いを兼ねて高校の旧友と大阪の十三の居酒屋で飲んでいた。その旧友は当時、相当なやんちゃで怖い物知らずであった。二次会でスナックに行こうと言うことで、酔った勢いであぶなそうなスナックに入った。素面であればぜったい行かない場所である。
そこで請求時にチンピラと揉めた。旧友はチンピラともみあいになったが、こちらは酔っているので話にならない。
その変でやめておけばよいのにさらに支払をごねている所に奥から出てきた2人にぼこぼこにどつかれ、バンに掘り込まれ、気が付けば淀川の河原に掘り出されていた。
そこでもさんざんぼこられ最後に上から聞こえてきた声は
「兄貴、どうしまっか」
「殺しまっか」
・・・ちびった。
「ま、ええやろ。素人やし」
その時、血の混じった唾液の他に、舌がなにやら酸っぱくなるような、両顎がきゅっとしぼられたような恐怖がわいてきた。
今から思えば、請求のトラブルごときで殺人のリスクを負うはずもなく、ただの脅かしだと思うのであるが、当時そこまで頭が回っていない。
その時の恐怖は今でも忘れないのである。しかし今回、8か月後に地球のほとんどの生物が絶滅すると言うニュースを聞いても、しかもそのニュースの発見者は自分たちで観測データには間違いないとわかっていても、やくざに「殺すぞ!」と脅された時の恐怖が迫ってこないのである。
即行動は起こさなくてはならない焦りがないのである、なにか冷静に考えられるのはどう言う心情であろう。
「太一かわいいな、私、太一と別れる方がいややわ、なー太一」と“ちなげ”は太一のほっぺを撫でている
「自分の死期が判っても人間こんなもんかな、癌の告知なんかと違うねんな」と誠太郎はポツリと言う。
「それはそうと、おまえらこの機会に結婚せえへんのか?」と誠太郎は“ちなげ”と林太郎に向かって言った。
「いま結婚しても結婚届だしても、12月になったら影も形もありませんやん」と林太郎がいった。
「それもそやな」と納得したような様子で誠太郎は答えた。
「そんなもんちゃうやん、けじめやけじめ、そやんなー“ちなげ”」と真理子が口をだした。
「はあー」と“ちなげ”は他人ごとである。
「ここはやっぱり能天気ばっかり集まっとるわ。平和な世の中やのー・・・いや、平和ちゃうわ、これから偉い事になるわ。・・・ せやけど俺らみたいな考えかたばっかりと違う思うわ、なんか分けのわからん奴おるやろ、死ぬんやったら何やってもええわ、殺すん誰でもよかったみたいなやつ、そんなやつが怖いねん。どっちみち死ねのにそんなやつに殺されたないわ、ここまで来たら最後は家族で一緒に死にたいわ」と中村が言った。
「せや、せやから今から出来るだけ準備するねん、こんな時やっぱり田舎がええわ、都会は怖いわ、どないなるかわからへんし。なんかパニックになって知り合いで奪い合いとかすんのいややしな、天川の田舎におって良かったわ」と誠太郎が言うと、パンを食べ終わった雅之が「なあ、はよおばあちゃんとこいこーや」と言った。
その一言を皮切りに皆がめいめい片づけ始めた。
真理子の実家は大阪の八尾である。天川村からは2時間のドライブである。
「お義母さんとお義父さんどうするって言うとった」と誠太郎が真理子に聞いた。
「この前お父さんも説明してくれたやろ、昨日電話したらだいたいの覚悟しとったわ」
「ちなげも言うとったけど、やっぱり最後どうなるか知りたいみたいな事言うとったわ、やっぱり年寄はそこが知りたいみたいやな。・・・・ほんで、太一と雅之と友紀がかわいそうや言うてまた泣いとったわ」
「日本国中の人死ぬのわかっててもやっぱりかわいそうや言うて」と真理子
「そやろな、世界中のおじいちゃん、おばあちゃんはそれしか無いやろな・・・・」
真理子の実家に到着した。
真理子の実家は当初一軒家に暮らしていたが、子ども達が巣立ったタイミングで家を売り、分譲の高層マンションに引っ越していた。駅直通になっていて同じ敷地内にショッピングセンターも入っており、隣の敷地には市民総合病院も立っている。便利さでは言う事なしである。
「ほんで、お義母さんとお義父さんはこれからどうします。僕は天川の僕らの家に来てもうてもええと思いますわ、まだ政府からの正式発表でてませんけど僕の情報ではまず間違いなく衝突しますわ」と真剣に誠太郎はいった。
「誠太郎くんから聞いてから最初はほんまかいなっと思たけど、その後すぐにテレビとかで言い始めたやろ、日本の政府はまだなんも言わへんけどアメリカとかヨーロッパのBSニュース見てたらもうあかんやろな。」と真理子の父親が言った。
真理子の父親は引退前は大手の家電メーカーの技術者であったので科学的な解説は直ぐに理解できる。
「ほんで回避方法はあるんかいな、核爆弾撃ち込むとか言うてるけど飛ばすロケットとかあるんかいな、日本のロケットやったらあんまり積まれへんやろ」とお義父さん。
「僕も無理やと思いますわ、アメリカのスペースシャトルの計画は2011年に終わってますし、飛ばせるシャトル無いんちゃいますか?日本のH2ロケットは2tぐらいは積めると思いますけど核兵器積むことなんか日本では全く考えてへんかったとおもいますわ、あとロシアは国際宇宙ステーションへ飛ばすロケット何基か持ってたはずですわ、中国なんか秘密にしてるんで全然わかりませんわ」
「小惑星まで行けるかどうかもわからへんし、今から色々ある問題点つぶして飛ばすなんか時間なさすぎや思いますわ」と誠太郎は今の思いを正直に言った。
「僕も誠太郎君の言う通りやと思うわ、あきらめたらあかんけど、どうも時間が足らんわな。ま、覚悟せなあかん言うこっちゃ」
「お義母さんとも話とったんやけど、もうここにおろ思てんねん、な、お母さん」
「誠太郎さんが来てくれてもええでって言うてくれるのはうれしいけどこのマンションもやっと落ち着いたし、なんやかや言うても便利ええし・・・」と太一を抱きながらお義母はいった。
「これからショッピングセンターなんか物無くなってもうて、どうなるかわからへんけどな」とお義父さんが口をはさむ。
「せやかて・・・お義父さんも、もうここにおろかって言うとったやんか。太一に合われへんのおばあちゃん一番かなしいわ・・・」とお義母さんは太一の頬ににすりすりした。
「基本的にこのマンションにおるわ、また気が変わったら寄せてもらうかもしれんのでその時はよろしくお願いしますわ」とお義父さんとお義母さんは頭をさげた。
「お義母さん、この前スマートフォンの替えたっていわはったでしょ」と誠太郎
「せや、せやお母さん教えといたるわ、テレビ電話出来るアプリ入れたるから携帯貸して」
と真理子が義母のスマートフォンにアプリをダウンロードした。
「よし、これでいつでも雅之たちとテレビ電話できるからな、雅之、一回おばあちゃんとやってみて」と真理子はアプリの扱いを教えた。
「この音、鳴ったらここ押したらええねん」と雅之と友紀が2台のスマートフォンでじじばばに教えている。
「こんな事も出来るんやなー、時代はすすんどんな」とお義父さんが言った。
「こうなったらいつまで電波届くかわかりませんけど、電話させますわ」
「ほんなら、またいつでも連絡してください」と真理子の実家を後にした。
「お義父さん所もよって帰るやろ」と真理子が言った。
誠太郎の両親は7年前に母親を癌で亡くし、一人暮らしであった父親も3年前のくも膜下出血で寝たきりである、今は介護ホームに入所している。
「孫の顔だけ見せて帰るわ、テレビとか見てどこまで理解してるかわからんけど、ややこしい事言わんとくわ、施設の人に小惑星の衝突の話どこまでしてるか聞くわ」と誠太郎は言った。
介護ホームは大阪市内の大阪城の近くにある。
誠太郎は真理子と孫たちを父親に合せてから介護ホームの担当者の所に最近の様子を聞きに行った。介護ホームではテレビ等見るのは完全に自由で食堂などのテレビもNHKニュースなどは流しっぱなしになっているそうだが、誠太郎の父親がどこまで理解しているのかわからないそうである。
日頃の様子からたぶん理解はしていない様子だそうだ。その後部屋に戻り父親にそれとなく話を確かめたがやはり理解していない様子なのであえて話を持ち出さなかった。介護ホームでも今後小惑星の衝突まで入所者をどうするのかで大騒ぎだそうだ。行政からの指針もなにも今後の話だそうである。
誠太郎もどうしていいかわからない。この高年齢化の進んだ日本ではこのような状況は全国たくさんあるであろう。今はまだ落ち着いているが小惑星衝突の時期が近づくと介護センターのヘルパーさんも自分の家族が一番心配であろう。他人の世話よりも家族が心配なのは全ての人に言えることである。
誠太郎は介護ホームの方針が決まったら直ぐに連絡もらえるように依頼しておき、ホームを後にした。
この小惑星のニュースが世界に漏れ出すと同時に各国の株式が急落した。
目ざとい投資家は間一髪で売り抜け莫大な利益をえたが、後日、投資家はむなしさを覚えることになる。言うまでもなく投資家の中には日本の政治家もいた。
普通大きな災害が起きると直後の株が急落し、先行きが見えだした所でじりじりと戻ると言うのが過去のセオリーであったが今回ばかりは下がるばかりである。
各国のメディアは今度の事態の対処方法について各政府を問い詰めた。
各国の政府はテレビ局のワイドショーが行う小惑星の諸元、衝突の規模、災害の大きさ等のシミュレーションが政府の専門家のヒアリングと寸分も違わない事に困惑した。
空の上の話なので、情報を隠して政府の都合の良い捏造は出来ないのである。天文学者や数学者、物理学者などは、「空に目を向ければ観測できる物理現象は隠すことも出来ないし、物理法則は計算で答えが出るので都合のいい捏造は出来ない」と声をそろえて言った。
『 発見より14日目~ 』
世界各国はこの公になった小惑星の衝突について各政府より今後の方針を発表せざるを得なり、国家安全保障会議を緊急招集し今後の方針を話あった。
国連では安全保障委員会を開き共通見解として観測により直径約87・3kmの小惑星が大きさ約1km~100mまでの多数の破片をともなって8ヶ月後に日本の紀伊半島沖、17kmの太平洋に秒速22kmで衝突する。
衝突は12月2日の15:04と発表した。
が、すでに地球上のほとんど人が知っている内容であった。
人々の興味は小天体の諸元ではなく小惑星の衝突を回避する方法であったが、各国の発表は現在、各国の専門家が対策中であり鋭意努力中としか答えることが出来なかった。
『 発見より18日目~ 』
朝起きてみると各メディアは
「本日政府からの緊急放送があります。内容は「小惑星の地球衝突について」です。
NHK、各民放のテレビ、ラジオ、ネット配信にて本日119:00より内閣総理大臣より緊急放送があります」とアナウンスをしていた。
誠太郎たちは放送時刻になると観測を中止し佑太郎たちと共にテレビのスイッチを入れた。
『緊急放送です』
皆様、内閣総理大臣より小惑星が衝突する件につきまして内閣総理大臣による緊急放送です。
「内閣総理大臣でございます」
「3月に発見されました小惑星は世界中の専門家の観測で12月2日15:04分に紀伊半島沖に衝突することが確実になりました。国民の皆様はすでに御承知だと思いますが、日本は小惑星に直撃されます。専門家の見解では日本国は瞬時に壊滅します。これは現観測では避ける事の出来ない事実です。
日本国のみならず地球上の生物すべての絶滅が危惧されております。何処にいても助かる可能性は低いと言うことです。
現在でも世界中の科学者が衝突回避のため鋭意努力しておりますが今現在回避できる方法は見つかってはおりません。今後新しい回避方法に期待するしかありません。
国民の皆様はメディア情報で今回の小惑星衝突がいかにすさまじい物かご存知かと思います。
政府としても衝突回避方法の開発に全力でバックアップする予定であります。
国連では各国天文学者、数学者、ロケット開発等の科学者を集め小惑星の観測と衝突回避のため意見と観測データが自由に共有できる組織を至急に立ち上げる事になりました。本部はアメリカに置くことが決まりました。
回避方法は国をこえ人類の英知を集め対処しています。日本ではJAXAを中心にJAMSTECや各企業の研究開発部門の精鋭を集めることとし、政府から各企業の経営者の皆様に最優先での協力をお願いいたしております。
新しいアイデア、新しい技術を民間、官公庁を問わず募集いたしております。日本国が生き残る道は衝突回避の方法に賭けるしかありません。
衝突回避のために各国が協力しあい最良な方法を模索中であります、日本の役割を果たすため必要な設備の整備、材料の確保、輸送の管理、電気等のライフラインなど、またそれに係る人材の管理や家族のケアーなど広い範囲に及ぶバックアップスタッフも必要です。
国民の皆さに内閣総理大臣としてお願いいたします。どうぞ冷静な対応をお願いいたします。食糧の確保、ライフラインの確保は政府が責任を持って対応いたします。
衝突までの間、国民の皆様が通常生活を送れますように個人個人が今までと同様に生活をしていただきたいと思います。
本日より関係各所より随時指示を出してゆきますが、日本国内の経済活動も小惑星の衝突回避を支援する活動と国民の生活水準を維持する活動に限定いたします。
どうぞ国民の皆様よろしくお願いいたします。心無い買占め等でお互いにいやな思いをするのはやめようではありませんか、国外ではすでに暴動、略奪等も起きていると聞きます。非常に虚しい事だと思います。もう一度いいます。衝突の回避方法が見つからなければ日本国、いや地球上の生物は12月2日で亡くなってしまうのです。残りの期間、心穏やかに暮らそうではありませんか?
今日、緊急事態宣言を発令いたします。これは衝突までの期間有効です。
国民の皆様には不要不急の外出の自粛
学校や福祉施設、映画館等の使用停止要請
音楽、スポーツイベントの開催制限要請
小惑星衝突回避プロジェクト施設の土地、建物の強制使用
医療品、食品の売渡要請、収用、保管命令
運送、輸送業者に緊急物資輸送要請、指示が続けられます。
私、内閣総理大臣は諸外国のように軍や警察権力を行使できるような非常事態宣言を発令するつもりはありません。国民の皆様の節度ある行動を信じております。
又政府は首都近郊に小惑星の衝突回避の研究、開発が出来る場所を整備いたします。世界各国の小惑星衝突回避プロジェクトとの連絡窓口はJAXAといたします。
また本日より外国人の入国、自国民の出国の禁止措置を取ります。この措置は日本だけではなく国連加入国すべての措置となります。但し小惑星衝突回避のプロジェクトのための国外への移動などは例外とし特別機や自衛隊機による特別輸送を行います。
以上ですが、もう一度お願いいたします。日本国民として礼節をもって節度をわきまえた行動をお願いいたします」
発表が終わると各メディアの質問を受け付けた。
マスコミ各社は質問をしたが、諸問題の手続き上の問題程度の質問で、政府の姿勢など根本的な問題に対する辛辣な追及はなかった。
発表を要約すると、小惑星は日本の近くに衝突する事、日本人に逃げ場が無い事、衝突まで節度の有る行動を願う、衝突回避のプロジェクトを全面的にバックアップする。の4つだけであった。
NHKは政府の発表としてライフライン、電気、ガス、水道は通常通り供給を行う事公共交通も通常通り運行を行うと連日放送し、冷静な行動をするようにと繰り返し繰り返し放送した。
生活必需品についてはショッピングセンター、スーパー、ホームセンター、コンビニには警察を派遣し治安を維持する、また災害派遣、治安維持と言う名目で自衛隊にも出動を要請すると発表した。
各自治体は町内会に当たる自治会に自治会単位での治安維持の要請をおこなった。
都会でのトラブルは多少起きたが地方でのトラブルは思ったよりも少なく警察の出動程度でトラブルが解決できた。
各国は自国民に対し時を同じくして同じような内容の政府発表を行った。
今回の小惑星の衝突が発表されたことで、今までの地球上の戦争、紛争、内戦、テロ、差別、等は小さい問題と痛感したのである。
現在の科学者たちの観測結果によると12月2日には地球上の生物はほぼ死滅するのである。現時点で衝突回避の方法は検討されてはいるが、確実に回避できる方法は確立されてはいないのである。
『 発見より30日目~ 』
海外諸国のセレブ達は核戦争用のシェルターを買いあさった。核のシェルターを企画し販売していた業者は値段を吊り上げ莫大な利益を上げたが、よく考えてみると、核シェルターは核戦争を想定して作ったもので、地球の生物が絶滅するような破滅的な災害は想定していないのである。生き残る事が出来ない今、儲けた金はいつ使うのか、わけがわからなくなった。
シェルターの販売業者には莫大なお金が入ってきたが、銀行に預けることも躊躇し自分の家族用にとっておいた核シェルターの中に無造作に積み上げておいた。しかし将来の備蓄用として買った生活必需品の置き場に困り、やむなしに現金を野外に放置しシートをかけておいたが、誰にも盗まれなかった。自宅の台所に置いてあったペットボトルの水は盗まれたが・・・・
お金が紙切れになるのを見たのは初めてであった。
その核シェルターでさえ不安を覚えた者たちは新に大規模なシェルターの設計から建設までを大手ゼネコンに注文した。
大手ゼネコンの設計者たちはシェルターの強度を計算するために科学者や天文学者が唱える小惑星の衝突エネルギーや衝突後の経過のデータを集めれば集めるほどこのプロジェクトがいかに無謀な試みかを痛感した。
また小惑星の衝突場所が日本の南の海と特定された事で、日本の裏側の国であるブラジルの南やアルゼンチンの北、ウルグアイ、パラグアイ等の土地を買いあさったが、すぐさま外国による土地の売買が禁止された。また禁止措置前に購入した会社及び個人は国際社会から猛烈なバッシングを受けた。
その後、時が経つにつれ、核シェルターの建設を受注したゼネコンも建設計画を進めなかった注文者からは訴訟が起きたが、ゼネコンの幹部たちは自分自身の事でそれどころではなく、1人また1人と連絡が取れなくなった。
また独裁者の支配する小国の国民は外部からの情報がシャットアウトされ人里離れた鉱山に強制連行され、一部の独裁者や高官のためのシェルター建設のため、強制的に労働をしいられた。かれらは小惑星が衝突する事さえ知らされず何が起こっているのか全く分からないまま死んでいった。
発展途上国は資源輸出国が多く小惑星の衝突のニュース後に先進国より資源輸出の注文をうけ単純に喜んだ、その国の一部の実力者たちは儲けた金で海外逃亡を試み、安全そうな国の入国許可を申請したが、ことごとく入国を拒否され、その腹いせに輸出を全面的に禁止した。
資源の少ない先進国では備蓄量をある程度確保しているが、石油、石炭、天然ガス、等インフラに必要な備蓄量は2ヶ月が限度であった。
先進国ではインフラの確保のためパニックに陥ったが、発展途上で貧困国の国民の生活はほとんど変わらなかった。もともと何もないからである。
日本では小惑星の衝突のニュースが発表されてからも不思議に通常通りの国民生活が行われた。7ヶ月後の日本は壊滅すると聞かされても明日から会社に行かないとはならないのである。政府の役人からサラリーマンにいたるまで日本の組織は歯車に組み込まれ、がんじがらめである。サラリーマンは毎日同じ時間に出勤をしてレポートを作り、会議に出席した。
電車は時刻通り走り、通販の荷物も時間通り届いた。歯車の一部である日本人は自身の判断で行動が出来ないのである。一番先頭になりたくないのである。常に組織の事を考え、自分が回りに迷惑を掛けたくないのである。
「自分が居なかったらこの機械は止まってしまう」とか「ここで売り上げを伸ばさないと立場がない」とか、他に迷惑が掛かってしまうとか、常に個人より組織優先で行動してしまう。こんな事をしている暇はないと思いながらすぐに実行できないのが日本国民である。
しかしながら時間がたつにつれ、物価がじわじわ上がり、銀行より預金が引き出され始め、一時的に支店銀行の現金が底を付き窓口では支店長が吊るし上げられた。
ホームセンターやコンビニで生活必需品の買占めが行われたが人々の行動は比較的穏やかであった。それは自分の意志で目的を持ち今後必要な物を買うのではなく、マスコミがニュースで流すので買わないといけないと言う強迫観念で買うのである、現状を調べようともせず彼が買うから私も買うのである、そのような状態が連鎖反応的に広がっていった。
外国では略奪や打ちこわしが頻繁に行われ、警察や軍隊がでて鎮圧される映像が流れたが、国内はそれほどひどい行為が行われる事はなかった。
ありとあらゆる人々が後7ヶ月半で地球に暮らす生物が死滅する事を自覚し始めたが、あまりにも唐突な話なので正常性バイアスが働きこの国だけは大丈夫、この場所だけは大丈夫、自分は大丈夫と脳が状況の急激な変化をシャットアウトしたように見える人々も多数いた。
このニュースが発表されてから、一か月程度で資源・穀物・石油等が生産国から輸出されなくなった。よその国よりまず自国である。
今回の小惑星の衝突は今までの経験上の災害とは違い先の希望がないのである。
台風災害や地震災害、病気の蔓延などはどこか地域が特定されているか、時間が過ぎれば収まり、事が起こった後の復興に期待があったればこそ将来に希望が持てたのである。
しかし今回の希望は小惑星の衝突回避のただの1つだけである。
また各国政府はパニックになる事を恐れ、外国人の入国、自国民の出国の禁止措置、それと治安維持のため、軍隊の出動の容認が採択された。
その頃、小惑星の衝突回避プロジェクトでは常時、衝突回避方法が検討されていた。
現在検討されている回避方法は
① ロケットを直接衝突させて軌道を変える。
② ロケットに核爆弾を積んで直接ぶつけるか近くから発射して爆発させる。
③ 重いロケットを伴走させて重力で軌道を変える。
④ 人工衛星に伴走させ鏡で太陽光を反射させ小惑星に照射し熱により軌道を変える
現在考えられる方法は上記ぐらいのものであるがどれも決定的な回避方法ではないのである。科学者たちは③④の回避方法については小惑星の規模が大きすぎる事と軌道変更のための時間は数年から数十年必要であった。
もっとも可能性があるのは地球からロケットを発射して迎え撃つ方法である。
現在ロケットを発射できる国はアメリカ、ロシア、中国、日本、インドぐらいしか無く直ぐに小惑星に向かって発射できる準備が出来ている国はないと思われる。
アメリカではスペースシャトル計画が2011年に最終の飛行を終えているがNASAは再利用のため重要部品など数多く残しているらしく、ロケットエンジンなども在庫しているらしい、新しくリスクの高い部品より実績のある方が好まれるのである。可能性があるのはアメリカのシャトルに核爆を乗せ小惑星に打ち込むぐらいであろうが、爆弾の重さ、量、威力にシャトルの積載条件が許容できるかである。シャトルの最大搭載量は25・06t最大速度7・743km/Sである。
ロシアは国際宇宙ステーションに交代要員を運ぶためのロケットが準備されているはずであるが、近日に準備出来るロケットが何基あるかはわからない。中国はどの様なシステムがあるのか内容がわからない。日本もハヤブサなどを打ち上げたロケットがあるが、大きな重量物は基本的に積むことが出来ない。たとえロケットが用意出来、シャトルにも核爆弾を搭載し発射する事が出来たとしても、発射時期が遅れてしまうと核による爆発の威力ぐらいでは大きく軌道を変えることは不可能である。
万が一小惑星が破壊できたとしても破片が雨、あられと降り注ぐことになる。破片といっても直径5kmや10kmである。恐竜絶滅時の隕石と同じ程度の隕石が多数衝突するのである。
ロシアや中国はどこまで情報開示するかわからない。後の事を考えているのであろうか、小惑星が衝突した後には何が残るのか?
それでもなお奇跡的な可能性を願って各国の精鋭がプロジェクトを進めた。
各国の天文学者たちは独自のネットワークを通じて小惑星の衝突回避方法を提案し議論し合った。結果は今回の小惑星の軌道変更は長期な計画は無理である。小惑星の規模が大きい事と衝突までの時間が少ない事である。したがって軌道を変える方法はやはり大きなエネルギーによる軌道変更、すなわち核爆発が最後の手段である。
この決定を受けて国連では小惑星衝突回避プログラムの実行計画を国境を超え協力してゆく事なった。小惑星に向けて発射するロケットの設計、製造に必要な人材、原料、材料や人材、電気等のインフラについては最良の方法で提供する事に決定したのである。
小国の中には原材料の輸出などを一時的に止めた国もあったが、この決定により国連軍に協力し護衛されながら輸送された。それでもなお衝突回避に必要な材料の提供を拒んだ場合、お前自身の暗殺とお前の国の軍隊を壊滅させると裏で脅されていたため、提供を拒む国はなかった。各国の権力者やセレブは国連に莫大な寄付を申し出たし、大企業の経営者たちは、自社の工場の設備や技術者の協力を約束した。
『 発見より40日目~ 』
誠太郎に小林篤志からメールが届いた。
小林篤志は大学時代の友人で同級である。卒業後、日本海洋事業株式会社に入社、大学時代から憧れで合った潜水艇のパイロットになった。日本海洋事業株式会社は日本海洋研究開発機構(JAMSTEC)より潜水艇の運行・管理業務を委託されており、その中でも世界に15人程度と言われる深海6500のパイロットであった。
小林も関西出身であり現在実家に帰郷中なので一度会いたいとのメールであった。
「小林からメールあって実家におるらしいわ、一回会いたいらしいんでそっちの都合のええ日で、いつでもええから天川に来いって言うといたで」と誠太郎は真理子にいった。
「小林さんってあの神戸大の」
「そや、あの“あほ”の小林や、あいつもいろいろあんねんやろ、あいつ今でも潜水艇で潜っとるらしいわ、ようあんな深い海もぐりよるわ、やっぱあいつ“あほ”やろ、・・・・あいつ恐怖より興味が勝ってんねんで、考えられへんわ」とあきれたように誠太郎はいった。
「雅之、喜びやるわ。あの子前にその話聞いて自分も潜水艇のパイロットになりたい言うてやるわ、まえテレビでやってたやろ、なんか蛸みたいな烏賊みたいな耳ついてるやつとか、頭が透明で目ん玉が透けて見える魚とか、何かけったいな深海魚研究したいんやて」
「そやな?、なんかそんな事、言うとったな」
数日後、小林篤志は天川村の井原の家を訪ねてきた。
「おう、ひさしぶり、・・・・えらい早いな、何で連絡せえへんねん、近鉄の下市口まで迎えに行ったのに」
「まっ、今いろいろ大騒ぎになってるんで日本の田舎風景も見納めやな思て、バスで来たわ。せやけど、めっちゃ遠いな、もうさんざんバス乗ったで、これで田舎見納めやで、・・・ 奥さん、今回えらいお世話になります。これ雅之くんと友紀くんへおみやげ」と小林は玄関の土間にリュックを降ろし、おみやげを取り出した。
「ありがとう、なに、おみやげってなに」と真理子は興味深そうに言う。
「キーホルダー 深海6500のキーホルダー。っな高いもんちゃうで」と小林が言った。
「ありがとう、あの子ら喜びやるわ、まっゆっくりしていって、部屋だけは広いねん」
「ようバスちゃんと時刻通り動いとったな」と誠太郎。
「日本はちゃんとしとるわ、都会でもあんまりパニクッてないわ、外国でえらい事なってる国もあるけどな・・・・暴動とか略奪でむちゃくちゃなで・・・・」と小林。
「ま、日本は平和な国やで、・・ゆっくりせいや落ち着いたら先風呂入ってビール飲もうや」と誠太郎は言った。
その日、小林は誠太郎一家と楽しく過ごした。
「井原お前3人目も男の子やってんな、太一君初めてや」と小林
「せや、3人とも男やったわ、村のおっさんたちには、『えらい仲ええな』っていっつも言われるわ」と誠太郎が真理子を見ながらいった。
「・・・なんやねん『えらい仲ええな』ってどう言う意味よ・・・・」と小林が不思議そうに言った。
「なんやお前、意味しらんの・・・」と誠太郎が小林に言う
「しらんよ。どういう意味よ、なんやねん・・」と小林。
「知らんかったらええわ、ただ『えらい仲ええな』って事や」と誠太郎が安心したように言う。
「なに、なんか意味あるんかいな。・・・なんかおかしいな・・・」と小林は疑うように2人を交互にみた。
「・・そうそう。・・小林さんは結婚しいひんの、この前、彼女おる言うてませんでしたっけ?」と真理子が話題をそらす様に聞いた。
「別れたわ。はっきり言わへんけど、潜水艦と私どっち取るん見たいな事言われてん」とさびしそうに小林は言った。
「女はいつもそんな事いいよんねん、そんなもん決めれるかいな、なぁ」
「それはそうとお前とこどうすんねん」と誠太郎。
「せやろその話もあるし、たぶんもうお前とも最後になるやろからな。おやじとおふくろとも話てんけど、やっぱりそのままの生活で死ぬわって言うとったわ・・・・年寄りはあんまり動きたないらしいわ。いつの災害でもそやけど非難せなあかん言われても年寄動かへんやろ、あれと一緒やな。ま、そういう事や。お前とはもう一回山奥でキャンプしたかったけど、もう無理やな」と名残惜しそうに小林は言う。
「ほんで、お前自身はこの後どうすんねん」と誠太郎が訪ねた。
「なんか国からお達しがでたらしいねん。小惑星の衝突回避のためのプロジェクトあるやろ、あれの関係でJAXAとJAMSTEC関連の人間は交代で待機しとかなあかんらしいねん。潜水艇の操縦士なんか関係ないと思うけど、特殊な技術がいつ必要になるかもしれんから、いつでも動けるように準備しとかなあかんらしいわ。・・・・どこの会社も特殊な技術持ってるとこの設備とか技術者は待機しとかなあかんようになるらしいねん、JAXAとJAMSTECはその一発目や」と小林が言った。
「どこへ行かされるかわからへんの」と真理子が言った。
「そうなんですわ。先進国の特殊な技術者はなんか要請があったら直ぐに動ける準備しとかなあかんゆうて、国連でみんなで決めたらしいですわ、・・・・ ほんであさってからも南米のチリへ行かなあかんのですわ」
「チリ!・・」と誠太郎の声が裏返る。
「そやチリや、チリの前の太平洋にチリ海溝って言う深い海溝があって、今まで深海6500で潜って調べとったんやけど、今回のこの件で調査中止になってんて、ほんで深海6500片づけてたら、技術者の2人がなんかひどい食中毒になって病院運ばれたらしいわ、ほんで潜水艇のあとかたづけできひんらしいのよ、潜水艇がちゃんと母艦と合体せんと日本に運ばれへんから急遽行く事になってん」と小林が説明した。
「えらいまた急なや・・」と誠太郎。
「それがすごいで、関西空港からハワイまでアメリカの輸送機に乗ってハワイで戦闘機に乗り換えて空中給油しながらチリまで行くらしいわ」と自慢げに小林が言う。
「戦闘機ってホンマかいな。めっちゃくちゃ慌てとんな」と驚きながら誠太郎が言った。
「せやで、俺ともう一人の技術者の2人で戦闘機2機や、もう地球単位で必死のパッチやで。・・」
「戦闘機てなんやろ?・・ハワイからやと海兵隊やろか?・・空母からやったらF-14やろな、トムキャットってやつちゃうか?・・・・F-14やったら複座やからな」と誠太郎は詳しい。
「そんなん別にどうでもええねんけど」と小林。
「あほ、・・めっちゃかっこええやんけ、F-14トムキャットやでトップガンのトムクルーズやんけ」と誠太郎はだんだん興奮してきた。
「なんでトムクルーズやねん、アジアの丸顔のおっさんやんけ、戦闘機の機種までわかるかいな」とアジアの丸顔のおっさんは言った。
「せや、その距離やったら絶対空中給油するから動画、取っといてくれや、おれ一回みたかってん」と誠太郎
「そんな撮ったら怒られるんちゃうん」と真理子。
「せやな、パイロットに聞いて撮ってもええってOKもろてからでええわ」と誠太郎。
「それやったら、深海6500の写真も撮ってくれたらありがたわ。この前小林さん来たとき、深海6500の話し雅之にしてくれたやろ、あれからあの子潜水艇にはまってんのよ、自分も深海にもぐりたいらしいわ」と真理子が言った。
「雅之くんが?・・・・ありがたい事やで、後輩が出来たな、・・・・先輩ずらしたかったけど時間的に無理やな」と小林が寂しそうに言った。
「かわいそうやけど、深海にもぐる事でけへんな、けど写真ぐらい見せたりたいしなー、深海6500も撮ったらあかんとこあるやろ、怒られるとこ撮らんでええで、お前に迷惑かかったら元も子もないからな、ほんで雅之のちっさいデジカメあんねんけど、それ持っていって撮ったてや」
真理子がデジタルカメラを持ってきて小林に渡した。
「よし、了解。いまさら秘密もないけどな、何やっても怒られへんと思うわ。・・・もうすぐみんな死ぬし」と小林。
「そや、お前直ぐ帰ってくるんやろな、せっかく撮ってもろても12月まで逢われへんかったら意味ないしな・・」と誠太郎。
「潜水艇セットしたらすぐ帰ってこなあかんねん、その潜水艇の日本での受け入れの準備とかせなあかんからな、俺あんまり関係ないと思うけど今回の件でJAMSTEC関連の機材を扱う人間もなんか最重要人材みたいになっとるらしいわ、地球上どこでも軍隊が送ってくれんねん、なんか急に世界中で連帯感生まれて来とるわ」
「お前も今が華やな、アジアの丸顔のおっさんなんかモテンの今回ぐらいやで」と誠太郎。
「ほっといてくれや」と小林が突っ込む。
「そやけど前から一回聞いてみたかったんやけど、お前なんであんな深い海にもぐってんねん、怖ないん」と誠太郎が小林に聞いた。
「怖い思たら乗れるかいな、もし深海で穴開いたらたら一瞬で押しつぶされておわりや。そんな事おもとったら観測できるかいな、めっちゃすごい深海魚いよるからそれ見たい方が優先順位高いわ、恐怖なんかずっと下や。・・・ほんで、ダイオウグソク虫って知ってる?」
「丸虫のでかい奴ちゃうん」と真理子
「そや、よう知ってるやん、45cmの丸虫。怖い顔してるやろ、めっちゃ戦闘的な顔してかっこええやん、あいつら5年もなんも食わんと生きとったらしいわ、すごいと思わん?」
「なに分けのわからん事ゆうとんねん、おれ、お前みたいに恐怖より興味が勝ってる人間尊敬するわ、・・・・ ようおるやん、ごっつい真っ暗な洞窟に入っていく奴とか、噴火口ぎりぎりまで近づいて、なんやしらんけど温度しらべる火山学者とか、・・・・噴火したら終わりやで、たぶん今死んでもええ思とんねん、いや、そんな事も考えて無い思うわ、頭の中、火山しか無いんやろな。あいつら“あほ”やろ、俺には無理やわ」と誠太郎。
「あのな、天文学者もあんまりかわらへんわ、土星へいったら死んでもええって奴ぜったいおるやろ」と小林が問い直した。
「・・・うぅん・・おるなー・・・絶対おるわ」と納得する誠太郎。
「みんなあんまり変わらへんで」と小林
「お父さんと小林さんの話、いつ聞いても漫才みたいやな」と横で聞いていた真理子が笑った。
「なんでやねん」と誠太郎と小林が同時に突っ込む。
その日は小林、誠太郎、真理子で学生時代よりのよもやま話で盛り上がった。
逢うのはこれで最後かもわからないと誰もが思っていたが、口には出さなかった。
次の日に小林は帰って行った。誠太郎は下市口まで車で送ろうと言ったが、山里の風景も見納めなので「バスでゆっくり帰る」とさびしそうに言って帰って行った。
昨日はさんざん見たのでもう田舎はええわっと言っていたくせに。・・・・
『 発見より55日目~ 』
二週間後、小林篤志からメールが届いた。
チリの仕事も順調に進み今は日本に帰っているとの事であった。
メールの添付資料には戦闘機の搭乗時や、空中給油時の写真が多数添付されていた、やはりF-14であった。誠太郎を喜ばせたのは空中給油時の動画も添付されていた。給油機から延びる漏斗状のエアーシュートが付いた給油ホースが戦闘機の給油パイプに接続されるメカニカルさがきっちり映っており誠太郎を喜ばせた。
残念なのは小林に渡した雅之のデジタルカメラを深海6500の耐圧核内に忘れたと書いてあった事である。深海6500が日本に戻り耐圧核内を点検できるまで中身は見られないことであるのと、都合により深海6500は日本に戻らず、フロリダのNASAへ運ばれる可能性もあると書いてあった。理由は分からないそうである。
雅之にはすまない事をしたと謝りの記述があった。深海6500の写真は多数撮れたのでメールで送ってくれていた。
誠太郎がその旨を雅之にすると雅之は写真の依頼自体忘れてしまっていた。
子供って言うのはこんなものであろう。
真理子にその話をすると、メモリカードに家族の記録が残っていたそうで少し残念そうであった。
『 発見より60日目~ 』
天川村には都会の喧騒は聴こえてこなかった。
小惑星衝突の発表から世間は自粛ムードで観光収入は大幅に減少していた。人の移動がすくなく、洞川温泉への観光客は激減である。しかし都会の様な物資を買うために長蛇の列に並ぶ事もなかった。もともと大型のショッピングセンターやホームセンターが無かったが・・・・。
村自体は少数の例外を除き比較的落ち着いた生活をしていた。残りの時間を充実したものにしようと、時間がゆっくり流れ、分単位の生活が時間単位の生活になった。比較的若い村民は、じじばばに教えを請い、じじばばは体力の衰えを若人に頼った。
誠太郎も真理子も今の時点で生活用品に困ることはなかったが、なるべく家族単位で村民とのコミュニケーションを計った。
いざ自活生活に慣れようと思いたち行動を起こすと知らないことばかりであった。
真理子はまず糠漬けの漬け方さえわからなかった。真理子の母親は知っていたが、この時代自宅で糠漬けを漬けている家庭は少なく、真理子に教えることが無かった。
豆腐の作り方が判らない、食べられる野草の選び方、食べ方が判らない。日本人なのにお米の作り方さえわからないのである。
誠太郎は小惑星の衝突で万が一生き残ったとしても、なにもない所で生き残ってゆく知恵すらないではないかっと思った。今までの生き方がはずかしかった。
アマゾンのジャングルの奥に住んで、自然と共に暮らしている人が素晴らしく思えた。
かれらは自分たちの事を「人」と言い、都会から来た取材クルーを「人間以下の人」と呼んだらしい。なるほど。
誠太郎はスペースガードセンターに赴任した頃、村の爺様に渓流釣りのポイントの教えを請うことがあった。渓流釣りは禁魚期間に入っており魚を釣る事は出来なかったが、ちょうどキノコの季節だったので、キノコ採りを兼ねて川沿いを歩いた。
相当山奥へ入って河原に立ってふと顔を上げると対岸の山腹で爺様たちが踊る様に騒ぎ、飛び跳ねていた、何か目的のキノコを見つけたらしいのだ、誠太郎はその時の爺様たちの嬉しそうな顔が今でも忘れられない。さんざんそのあたりでキノコを採ったあと爺様の家に帰りキノコ汁をごちそうになった、うますぎた。日頃スーパーで買って食べていた養殖キノコはいったい何だったんだろうって感じである。しかし婆様たちは不機嫌であった、なぜならキノコの処理に手間がかかるらしいのだ。爺様たちは採りっぱなしなので、キノコに付いている泥やコケ、葉くずを丁寧に取り、かさの裏になめくじや子虫がいる事もあるので一本ずつ点検するのだ。誤って食べてしまうとお腹を下すらしい。
そのような会社勤めでは味わえない自然と密着した生活がとても楽しく、うれしかった。
『 発見より65日目~ 』
この間も小惑星衝突回避のプロジェクトはすすんでいた。
結果的になんらかの対策が行える国はアメリカ・ロシア・中国・日本であった。
また一部の民間企業でもロケットが準備出来る事が判った。
アメリカは退役したスぺースシャトルを揺り起こし整備する方法を取った。
ロシアは国際宇宙ステーションの交代要員の輸送を行っているソユーズロケットを整備中である。中国はロケットの詳細を発表していないが核を搭載し期限までに打ち上げる約束を行った。日本はH2ロケットにアメリカの核弾頭を搭載し発射できると発表した。
各国は小惑星衝突回避プロジェクトより提案された発射のタイミング、核爆弾の規模、衝突させる位置を検討し共有し合ったが、実際の詳細な内容は各国より報告されることはなかった。この後に及びまだ自国の軍事機密を守ろうとしていた。
日本の場合はH2ロケットに搭載できる重量、容量をアメリカに伝え、それに見合う核弾頭の準備をアメリカ国内で行い、その弾頭を国連軍の護衛付で種子島まで運びロケットに搭載した。ある野党の国会議員や核戦争反対論者は非核3原則に反するのではないかと息巻いたが、SNS上で誹謗中傷され、また住所、自宅写真が投稿され、火炎瓶が投げられ、壁に落書きをされた。
国際小惑星衝突回避プロジェクトはロケットの発射時期、場所等の概略は発表したが、詳細まで開示する事はなかった。
各国のマスコミは衝突回避の方法や内容の公式発表を待つことが出来ず、特別番組を編成し専門家による衝突回避の可能性を探った。
各国の専門家とも小惑星に宇宙船を伴走させ引力によってじわじわ軌道を変える方法や天体の表面になんらかの加工をして軌道を変える方法は、数年から数十年かかるために今回の小惑星への対応は不可能だと結論づけた。
唯一の方法は核爆弾による爆発エネルギーでの軌道修正であるが、小惑星の大きさ、重量、密度から考えてもこの時期からの軌道修正には限界がある。というのが専門家の共通見解であった。またこの小惑星は比較的もろいので当たる場所によっては細かく砕け地球全体に降り注ぐ可能性もあるとのことであった。
このような解説はどこの国でも繰り返し放映された、結果的には核弾頭爆発による軌道修正が唯一の方法であるが、成功する望みは限りなく少ないと言うのが共通認識となっていった、しかし望みはこの方法しかなく各国とも核弾頭を打ち込む作戦に一塁の望みを賭けた。
小惑星衝突回避プロジェクトは今日より20日後にロケットを発射すると発表した。
実際、発見時から現在まで小惑星も地球に向かってきているのでロケット発射時の距離は2億8957万kmである。その時点でロケットを発射すれば地球衝突の46・5日前に小惑星に衝突する事になる。
『 発見より90日目~ 』
この日は家族でピクニックに出掛けた。
出掛けると言った大げさなものではなく車で15分も走ればどこでも川遊びの出来る場所がある。誠太郎の住む天川村を流れる清流は五条市までは天ノ川、その後、十津川、熊野川と名前を変える。中流域の十津川には日本一のつり橋『谷瀬のつり橋』があるし最下流には熊野本宮大社がある紀伊半島を南北に流れる大河である。
その最上流を流れる天ノ川である。最上流には川迫ダムがありダムより上流は水温も低くイワナの南限と聞く。
雅之の小学校と友紀の幼稚園は5日前より休校となっていたのでこの日は家族全員で出かけた。誠太郎の家より10km走ると川迫ダムのバックウォーターに着くダムの近辺は立ち入り禁止なのでそれを避けて河原近くまでランクルを乗り入れた。
そこは広い河原で水が有る所はチャラ瀬になっており水遊びには最適であった。最初にみんなでタープを張り、遊び疲れた時の事を考え日陰を作っておいた。
雅之と友紀は早速、水着に着替え水切りなどをして遊んでいる。
真理子は日陰にマットを敷き太一を遊ばしている。太一も機嫌よくゴロゴロと一人で遊んでいる。広い河原なので遮るものは何もなく子供たちも視界から姿を消す事はなかった。
誠太郎はテーブルとパイプ椅子を組み立て、ドリップコーヒーを淹れた。ゆっくりコーヒーを飲みながら子供たちの遊ぶ姿を見ていると先への不安感が少しもない事を不思議に思った。
「このリラックスした気分はどこから来るのだろう」と思っている自分自身も説明がつかなかった。ふと昔読んだ本の中に「『月並みこそ黄金』と言うことわざが南米の方にある」と言う一説が頭に浮かんだ。
上流の方に目を向けるとフライを飛ばしている釣り人が見えた。フライフィッシングはラインの先にカゲロウや蛾、子虫を模した擬餌バリを取り付け、ラインを鞭の効果で遠くに飛ばし、渓流魚をだまして釣る釣り方である。
「この時期に釣りに来るってたいがいの奴やで・・・」と誠太郎が言うと
「お父さんもあんまり変わらへんわ」と真理子に返された。
誠太郎はもっと上がいたのを思い出した。昔、大雨が降り河川の氾濫被害の地域にボランティアで手伝いに行った事があった。その日は台風一過で青空が広がり、川の水量も通常に戻っていた。川の氾濫によって半壊している家の前の橋で休憩していると、隣で川を見ていたおっさんがタバコを吸いながら「明日はええ釣りが出来るで」と言った、そのおっさんは今、誠太郎が家の泥を掃き出した半壊している家のおっさんなのである。自分の家が潰れているのに明日の釣りの心配をしているのである、どないやねん。
子供たちも遊びに飽きてきたので、みんなで真理子が作った『おにぎり』を食べた、今までで食べた中で一番おいしい『おにぎり』であった。
小惑星衝突の発表よりほぼ3か月が経過した。
諸外国ではショッピングセンターや家電良品店への打ちこわしや略奪が増えてきていた。
政府の対応に対して不満を持ち大規模なデモが繰り広げられたが警察や軍隊に鎮圧され場合によっては射殺された。ニュース映像は国によって統制され放映された映像は限定された。暴動の首謀者たちは、はじめ小惑星衝突回避に期待しておとなしくしていたが、連日のマスコミ発表により衝突回避に有効な方法が無くなり将来の希望が持てなくなったから暴挙に移ったのである。
日本では諸外国が驚くほど冷静に行動していた、ほぼ普段と変わらない経済活動が行われインフラにも困ることが無かった。中には人の道に外れる輩がいたが、しばらくするとどこともなく見なくなった、うわさとして漏れ伝わってきた話だと、行儀の悪い輩の場合、近親者がいないとわかると、目つきのするどい兄さんたちに拉致され、姿を消したし、家族単位で行儀の悪い人たちは数日後に皆の前でわびを入れさせられた。長くその地域に住んでいる人は誰の仕業かわかっていたが決して口を開かなかった。
すべての地域でこのような事が起こっているとは言えなかったが、「日本の国に対する最後のご奉公だ」と、どこかのじじいが言っていたと言ううわさが流れた。
誠太郎の住む天川村は普段の時間が流れていた。誠太郎の危惧する買いだめなど全く起こらなかった。
『 発見より102日目~ 』
この日は核弾頭付のロケットの発射日であった。
当初の発表より発射が延期された。理由ははっきりしなかったが、器材のトラブルと言うより、技術者の流出が原因とされた。それは核爆弾の打ち込みによる軌道変更の望みが少ないとの情報が流布されたからで、各国のエンジニアたちが一人また一人と姿を消したからであった。
その一人は科学者たちが望みが薄いと言っているにも関わらず、ロケットで核爆弾を発射する方法を実現させるための作業より、残りすくない時間を家族で過ごしたいと去っていった人や、なぜ自分だけ苦労しないといけないのかと単純に悩み去って行く人もいた。
最終的には当初の発表より17日遅れの発射となった。各国のロケットは核弾頭を効率よく打ち込み爆発させるために発射の順番が決められていた。
日本、中国、民間企業、ロシア、アメリカの順で約4時間おきに順に発射する事になっていた。発射後の細かい制御や管理は発表されなかった。
発射時には全人類がかたずを飲んで見守った。発射の中継がされ、4か国のロケットすべて順調に発射され空のかなたへ消えていった。大きな期待を載せていたが成功率は低いと思われた。あとは衝突までの110日間は何もできずただ見守るだけであった。その日は衝突の42日前であった。
この発射を機会に小惑星衝突回避プロジェクトは解体され、プロジェクトに関わった人々は拘束から解放され家族のもとへ帰っていった。
衝突までの残りの期間、普段に生活習慣をなるべく変えずこころ静かに過ごす人もあれば、自暴自棄になりがむしゃらに金を使おうとしたり、宗教に心酔し一日中祈りをささげる人もいた、海外では意味もなく他人を巻き添えにしようとマシンガンを乱射する輩もいた、直ぐに射殺されたが、このロケットの発射を機会に人々に良心が徐々に広がった。この心理はなかなか複雑である。このロケットに賭ける以外に選択肢はなく、もし失敗すると12月02日にはほぼ確実に死ぬのである。
権力、名誉、金もあと5か月程度立てば何の意味もなくなるのである。ある金持ちは一瞬で死ぬために所有するクルーザーを衝突当日に日本の南の海に到着できるように計画を立てたし、ワンマン社長は部下に口汚くののしるのをやめた。権力者の中には今まで通り高飛車に命令することがあったが、次の日から誰も居なくなった。そして不思議と物価も徐々に下がり始めたのである。それは国ごとに多少の違いがあったが傾向は各国とも同じであった。
民主主義の国は情報の開示と言論の自由は約束されていたが、独裁者が君臨する国では今回の小惑星衝突の情報をひた隠しにかくした、パニックや暴動を恐れたのである。
しかし現在のSNSの発達で情報漏洩を確実に防ぐことは出来ず、徐々に漏れ拡散された。
ある国では軍隊の上層部が示し合わせ一気に反乱をおこし独裁者が民衆の前に引きずりだされ八つ裂きにされた、その独裁者の家族や親せきにまで危害を加え、日常品や食料を奪い合い、今までの抑圧された生活を開放した。
独裁者が殺された映像がSNS上で拡散されると、組織の上に立ち権力を笠に着ていた人たちは徐々に恐怖におびえた。
現在社会の人々は、これからの将来が有るからこそ、色々我慢できたのである。今はまだ衝突回避の望みが全くなくなったわけではないので行動に移してはいないが、抑圧された心の中では徐々に心情の変化が見て取れた。
会社生活に組み込まれている人々は自分の家族、地位、報酬、を守るために嫌いな客や上司のために言われた事をおとなしく聞き、我慢してきたが、もしこの小惑星衝突回避プロジェクトが失敗し軌道が変わらず地球に衝突するのであれば、上下の関係は何によって保たれているのかと考えはじめた。権力者たちはその微妙な心の変化に気づき始めたのである。その心情の変化を敏感に感じながら自身の立ち振る舞いを微妙に保身に変えていった。
『 衝突42日前 』
いよいよ4か月前に打ち上げたロケットが小惑星に到達する日がやってきた。
各国のマスコミは天文台の観測の様子を生中継しリアルタイムで配信した。地球上の全ての人々は何らかの形でこのプロジェクトの行方を見守った。
誠太郎たち[スペースガードセンター]の職員はこの日に向けて小学校の体育館に集められた。役場からは衝突の瞬間を大画面で放映するので小学校の体育館に集まる様にと事前に村民に連絡していた。誠太郎たちにはわかりやすい解説をしてほしいと役場より依頼されていたのである。画面では衝突の瞬間が刻々と迫っていた。体育館では子供からお年寄りまでかたずを飲んで見守っていた。子供たちの中には何が起こっているのか理解できていない子もいたが、大人たちの真剣な態度に、ここは騒いではいけないと敏感に感じとっていた。
テレビ中継では今衝突しましたと発表し、シャトルに取りついているカメラの映像が届くのは約1分半後だと説明した。実際の衝突の瞬間は2721万6千kmも離れているため、90秒程度遅れるのである。画面では国内や海外を取り混ぜ大型画面を見つめる人々や家族で家庭のテレビを眺める様子を中継し放映した、その後シャトルからの映像に切り替えられた。
初めて見る小惑星の画像である。画面いっぱいに広がった灰色の大きな天体でほぼ球形であった。表面はジャガイモの様にぼこぼこしていた。その小惑星が近づくにつれ凸凹の様子が鮮明になり小さいクレーターも確認できた。さらに近づくと画面全体に灰色が広がり小惑星の輪郭が見えなくなった。大きな山のような輪郭も現れ太陽に照らされた影もはっきり見えるようになった。その様子は日本の人工衛星のハヤブサが追いかけたイトカワのようだった。
最後に画面が真っ白になり画面が途切れた。天川村の人々はスペースシャトルが小惑星に激突しバラバラになる事を想像していたようだが、実際の映像はイメージとかけ離れ地味なものだった。早まった役場の職員の中には『衝突回避おめでとう』との垂れ幕を用意した者もいたが黙ってそっと隠した。
結局その日は4時間置きに次々とロケットが小惑星に衝突し爆発までは順調に終了した。
小惑星の衝突は4回あり、間隔が4時間ごとであったため、最終の衝突まで16時間かかった。2回目の衝突が終わった時点で野尻佑太郎と役場担当者で協議し、衝突終了まで後12時間近くあり、その後も衝突の結果を分析するまで半日ないし1日程度かかるので今回は帰宅してもらい、次回はまた役場の方から連絡すると答えた。役場の担当者は村民から「詰めが甘い」とか「計画性がない」など苦情を言われ小さくなっていた。
[スペースガードセンター]ではちなげが核爆弾爆発後の小惑星の軌道を計算していたが爆発後の軌道の変化は全くなかった。
誠太郎や“ちなげ”はこの観測結果を役場に知らせようと提案したが、野尻佑太郎に止められた
佑太郎が言うには、このような発表は報道機関や政府の発表を待った方が良いとの事であった。理由はこういう事は発表した者がなんだか悪者になるのだそうだ。核爆弾を飛ばしたプロジェクトと[スペースガードセンター]は全く関係が無いのだが、その報告を聞いた村民の気持ちは、発表した当事者がプロジェクト実行者と考え、質問や苦情を言うことが多いのだそうだ。誠太郎はさすがに所長だ、年の功だと思い公の発表を待った。その3時間後、今回のプロジェクトは失敗だったと発表された。ロケットの発射、制御、爆破については完全に制御され順調に進んだが、小惑星の軌道は全く変わらなかった。
この情報が発表されたことで地球上の人類の運命が決定された、希望が全く絶たれてしまったあと、衝突までの残りの日々をどう過ごすかである。
すべての社会生活での上下関係の枠が外れてしまったのである。これは世界中どの階層も同じ形で現れた。
金持ち、貧困者、大統領、政治家、映画スター、ロックスター、麻薬カルテルのボス、やくざの親分、警察官、消防士、役人、社長、平社員、お百姓、医者、ホームレス、主婦、子供、赤ちゃん関係なしである。
特に他人関係で上下関係がある場合のトラブルが激しかった。会社の上司と部下の場合も平社員と課長、課長と部長、部長と常務、常務と専務、専務と社長、すべての階層で同じ争いが起こり、いがみあい、ののしりあった。
事に信頼関係が築かれていない組織は最後には誰も居なくなった。
関西弁に訳すると「どうせ後42日じゃ。なんであいつの言うこと聞かなあかんねん」となったのである。
海外ではこのようなトラブルで傷害事件までエスカレートするのは日常茶飯事であり、国によっては警察、軍隊まで発展した。
日本でもこのようなトラブルが極地的に発生したが消防関連や警察関連にまで広がることは無かった。元々、上司の命令が絶対の軍隊に似た上下関係の組織であるし、日本人特有の高い帰属意識が幸いしたと思われた。
南北アメリカ大陸、アジア大陸、アフリカ大陸、南極、北極、ホワイトハウス、首相官邸、国会議事堂、洞窟の中、少しばかりの違いはあるかも知れないが、ほぼ逃げ場はないわけである。
ライフラインはどうなるのか?
電気、ガス、水道、鉄道、バス、生産業、工場、メンテナンス、 警察、消防、裁判、刑務所、GS、報道、政治、全人類の命日が決まったのだ。
衝突の日まで人類はどう暮らすであろうか?
『 衝突 当日 』
昨日はやはりあまり眠れなかった。
今日は家族でゆっくりしよう。空を見上げると朝の光のなかでも異様に光る明るい星が見えた。
「今日、どうする?」誠太郎が真理子に尋ねた。
「お父さんはどうしようっと思てんのよ」と真理子。
「おれは、みんなで隕石見ながら死んでもええなって思もてんねん」と誠太郎が言った。
「どんなんなるんやろ」と心配そうに真理子は言った。
「せやなーあの明るい星がだんだん大きなってくるやろなー、ほんでお月さんぐらいまで近づいたら5時間ぐらいで衝突や、ここに居ってもほとんど真上から落ちてくる感じやろから10分ぐらい前から見ててもええんちゃうか?」
「俺もなんやかや言うて、初めてやからあんまりわからへんけど、87kmもあるんやから
最後は上からバッサーってテントかけられてるような感じになるんちゃうかな。ほんで
その真っ黒な影が一瞬真っ赤になったらたぶんもうみんな死んでるわ」と誠太郎が言った。
「あと、お義父さんとお義母さんにテレビ電話しといたりや、もうこれで最後になるからな、たぶん電話も最後やから電池なくなるまで付けっぱなしでええんちゃうか?」と誠太郎が言った。
「せやな、お母さん途中でよう切らん思うわ、電池切れたらあきらめ付くやろ、そうするわ」と真理子が答えた。
「ほんで最後の時は裏の庭でみんなで空見とくってどう?」と誠太郎は真理子に尋ねた。
「いろいろ考えとったけどやっぱり単純なのがええわ、それでええんちゃうん」
誠太郎の家族はその日、普段の日曜日とあまり変わらない一日をゆっくりと過ごし15:04分を迎えた。
そのとき、太一は遊び疲れて寝ていたので誠太郎と真理子は起こさないでおいた。
太一は真理子の腕の中で寝ており、雅之と友紀は案外落ち着いており空を見上げていた。
「雅之も友紀もあれが落ちてくんねんで」と明るく輝く天体を指しながら誠太郎が言った。
誠太郎の予想が違っていたのは小惑星の廻りに細かいチリや岩石の破片が数多く漂っていた事であった、衝突数分前からチリや岩石の破片が流れ星になって流れはじめ衝突直前には花火のように降り注いだ。
雅之と友紀は怖がりもせず空に輝く天体を見つめていた。
その天体は明るい輝きから急速に灰色になり影のように真っ黒になった途端、真っ赤に輝き花火を振りまいた。
「きれいやなー・・」と友紀が言った。
・・・・その言葉を聞きながら皆の意識は遠のいた。
『 5万年後 』
その生物は高度な科学技術を発達させ惑星上の生物の頂点にたっていた。
過去数々の生物を追い落とし、最終的に同じ仲間と壮絶な争いを引き起こし、今は惑星全体の頂点に立ち連邦共和国が支配していた。その生活を維持するために惑星の膨大な化石資源を発掘し利用していた。そのため惑星の環境にも影響を及ぼし従来の気象を保つことが出来ずしばしば異常気象を引き起こした。その貪欲で探究心旺盛な生物は、形式科学、自然科学、社会科学、人文科学、応用科学を発達させ、特に自然科学の物理学、宇宙科学、惑星科学、化学、生物学を発達させ、一部では原子力エネルギーを管理し制御できる技術も持っていたし、惑星外の天体に探査機を送りこむまで科学技術を発達させ、あくなき探究心を満たしていた。
惑星上では現在の文明の前に発達した文明があったらしいことが科学調査で分かっていた。科学調査でこの惑星は46億年前に誕生し40億年前にはバクテリア等の細菌類が生まれその後多様な進化の過程をたどって進化したらしいが、過去6回の大量絶滅を化石は記憶していた。
そのうち大規模な絶滅は3回で2億5100万年前の大量絶滅は生物の約95%が絶滅し、6555万年前では生物の約70%が絶滅し大型の爬虫類も居なくなった。そして5万年前の大量絶滅である。過去文明の遺跡や化石が5万年より上の地層に無いことでこの層を境に何か大きな天変地異が起こり生物の85%が絶滅したことがわかっていた。惑星誕生後6回目の大量絶滅である。
科学者たちは6555万年前と5万年前の地層にイリジウムが多い事を確認していた。イリジウムは地表には非常に少ない元素であり、普通、隕石や地殻の深部に多く含まれているため6555万年前と5万年前の大量絶滅は相当大きな隕石が当惑星に衝突したと考えられていた。
過去の文明の遺跡が5万年前の地層に断片的に出てくる事があるが、天体衝突の影響であろうと思われる熱や衝撃破で変異している様子が数多く見られた、過去の文明の痕跡は天体衝突時にほとんど壊滅したと考えられた。たとえ少しばかり残っていたとしても5万年の間に巨大な火山噴火や地震により文明の痕跡は相当大きなダメージを受けていた。
現在その隕石衝突場所や文明の痕跡を継続調査中で過去の文明の生物がどのような生活をおくり、どこまで科学を発展させていたかを調べることは現在の生物の最重要課題でもあった。
惑星科学も進んでいた、惑星内部の熱により惑星表面の硬いプレートがその下にある比較的柔らかい層の対流の影響で移動する事が判っていた。その惑星表面の硬いプレートは数枚に別れており、下方にある柔らかいプレートの影響で押し合いへし合いしている。その影響が火山の活動や地震の原因になっている事まで判っていた。
惑星表面プレートの沈み込み帯付の周辺では定期的に地震が多発しており現惑星生物の生活に多大な支障をきたしていた。その地震のメカニズムを解明するためにも海に潜り海底火山やプレートの沈み込み帯など、地質調査を盛んに行っている。少し前も比較的大きな火山性の地震が起こり、海底火山の状況調査を行っていた。
連邦海洋調査局のリスレプ スビルエは相棒のンソンビロ キーモスと地震の後の海台地すべりの調査を行っていた。そこは海洋プレートの海台の淵であった。緩やかに海底に向かう途中に大規模な地滑りの後が確認された。膨大な砂や礫が崩落した跡であった。
「もう少し地すべり側に近づいてくれないか?ものすごい量の砂や礫だな、これはたぶん大規模な津波の堆積物だよ」とリスレプはンソンビロに行った。
「了解です。泥が舞い上がったらいけないので慎重にいきます」とンソンビロはジョイスティクを慎重に動かす。
「相当な量の堆積物ですね、マニュピレーターが邪魔だな、少しバックします」とンソンビロ。
「海流は心配ないみたいだな、ほとんど流れていない、・・・・おっと少し上に何か見えたぞ!」
「何にか球形のものが見えたぞ、相当奥に埋まっていたみたいだな。ンソンビロ少し離れてスラスターで泥を吹き飛ばしてくれないか?」と潜水艇ののぞき窓に顔を付けたまま興奮気味にリスレプが言った。
「了解です。泥が収まるまで少し時間かかりますが、いいですね」
「了解だ、やってくれ」
「じゃ廻しますよ」とンソンビロが勢いよくスラスターをまわした。
水流が勢いよく球形の人工物の様な物の上に吹き付けられた。周りの泥が舞い上がりあたり一面の視界が無くなった。
潜水艇に取り付けられたライトが舞い上がった泥に反射しのぞき穴からは何も見えなくなった。泥が落ち着くまでしばらく時間がかかる。
「あの球形の人工物はなんだろうな、あの砂や礫の量からいって相当古い時代のはずだな、長い間、砂や礫の中に埋もれていて今回の地震で姿をみせたのなら、当時のままのはずだよ」とリスレプが振り向きながら言った。
「えらい物が出てきましたね、後で砂や礫のサンプルも採取しておきましょう。この場所の座標も記録しておきます」とンソンビロが座標の位置を記録した。
「あの砂や礫の堆積物の厚さからするとすさまじい津波の跡だね、地すべり以外の海底は軟泥が積もっていたので相当前の津波だろうな、よく原型をとどめていたものだな」とリスレプが堆積物の厚さを見ながら言った。
「記録映像は撮っているね」
「はい、撮っていますよ、これをスロ ナアイダに見せると大喜びですよ」とンソンビロ。
「ようやく泥が落ち着いてきたようだ。・・・・やっと全体が見えてきた。・・・・ やはり球形の人工物の様だし何か機械の一部のようだが、他の付属物は崩れ落ちているなぁ。あっ・・ハッチの様な物が見える。・・・・金属のようだが形がはっきり残っていると言うことは、他の金属より相当耐久性が高いみたいだな、この球体だけが非常に良い状態を保っているようだ。フックを掛ける『輪っか』も残っているぞ!・・・・後で支援船よりロープを降ろして引き揚げてもらおう。その前にマニュピレーターでフックがもろくないか確認してみる」とリスレプがマニュピレーターを器用に操作し球体に付いている穴の開いた金属板を叩いたり挟んだりして強度を確かめた。
「金属の強度は大丈夫なようだ、そろそろ潜水時間も来たようだし、一度、支援船に戻ってみんなで画像を確かめよう」とリスレプとンソンビロは浮上作業にかかった。
40分かけて浮上すると考古学者であるスロ ナアイダに映像を見せた。
「この発見場所は海台の淵だったわね、後でボーリングした堆積物を調べるけど、すさまじい津波の堆積物のようね、私たち5万年前に起こったと言われる隕石の衝突の証拠を集めているんだけど、この海の西の果てに隕石が衝突したクレーターらしき痕跡があって調査中なの、今は海の中なのでボーリング調査中よ、イリジウムの量を分析中でその結果をプロットすると巨大な円形が表れたので衝突場所の有力候補なのよ。津波の堆積物に埋まっていたならとても貴重な資料になるはずだわ、早く実物を見たいわね」と興奮気味でスロ ナアイダが言った。その日は現場での映像を何度も見直し、引き揚げ方法の検討を何度も行った。
次の日は波も穏やかで天気も良かった。
順調に潜水しロープ2本を球体に取り付け慎重にロープを引き上げた。
途中、球体に取りついている付属品が引き揚げの障害になったが非常にもろく、引き上げる途中で脱落し結局、ほぼ球体だけが残った。海面に到着するとダイバーが待機しており、支援船のクレーンフックを球体に取り付け、球体本体を支援船に引き上げた。
海底の堆積物の中に埋もれていたため海洋生物の付着もほとんどなく泥がこびり付いている程度であった。
作業員が慎重に海水で洗い流すと金属と思われる表面が表れ、球形の人工物の全容が表れた。
直径は約2・5mで片側にハッチの様な物が取りついておりハッチを頂点とすると赤道より下方に3カ所の小さな窓の様なものが付いていた。
「こんなに古い物がこの状態で残っているのは奇跡みたいね。」と驚きを隠そうともせずスロ ナアイダが言った。
「これはいったいどのような?・・・宇宙船のコックピットかしら?それにしてはこの形状や、ハッチの状態がなんとなく我々の技術の線上にあるような気がするのよね・・・・」
「・・・・・・」
「それか・・・そうよ!この球体あなたたちの乗ってる潜水艇そっくりよ!・・・・」
「そんなばかな・・・そうか!、そうだよ、我々が乗っている潜水艇にそっくりだよ。バラストや推進装置は長い時間に耐え切れず分解してしまったんだ。それで水圧に耐えるための耐圧殻だけが残ったんだ。」とリスレプが叫んだ。
「と、言うことはこの中には誰かの遺体が有るってこと?」とスロ ナアイダが小さな小窓を覗き込んだが、曇っていて中は見えなかった。
「これは、しかるべき所で調査した方がいいな。もしハッチが未だ密閉状態なら耐圧殻内の大気は大昔のままだし何が出てくるかわからないからな」とリスレプが注意した。
「ひょっとして、惑星外生物の宇宙船と言う可能性も否定できないし」とンソンビロ。
「いやそれだったらうれしいけど、宇宙船ではないな、スロ ナアイダと同じ意見で、なんとなく俺たちと同等の技術レベルで作られているような気がするんだ、でも何が起こるかわからないので慎重に行こう」とリスレプが残念そうにいった。
その後この球体は研究室に運ばれ、無菌室の中で慎重に取り扱われた。まず球体をきれいに洗浄し外殻の金属の一部が分析された。分析の結果、現世ではタイタンと呼ばれている金属で非常に耐食性に優れ強度も高い事が判った。その金属の加工状態を見て過去の科学技術のレベルは現文明と同じようなレベルだと推測された。その後、小窓と思われる面を慎重に研磨すると透明度がよみがえり内部が観察できるようになった。
スロ ナアイダが慎重に内部をのぞき込んだ。
「わぉ!中に海水は入ってないわ。ハッチが機能していたみたいね、たくさんの機械や装置が並んでいるわ」
「窓が小さいのであまり良く見えないけれど、遺体らしきものは見えないわ。やはり過去の文明の潜水艇の観測室らしいわね、あなた達の感想を聞きたいわ」と振り向きながら言った。
「中に入って調べないと確かな事は言えないけど、間違いなく潜水艇の耐圧殻だね。ハッチを開ける前に耐圧殻に穴を開けて中の大気を調査しよう。ハッチは開きそうなのか?」とリスレプがンソンビロに尋ねた。
「どうかな?何しろ古い物だから、何とかやってみるよ。まずタイタン用のドリルビットを持ってくる」とンソンビロが道具を用意しに行った。室内の科学者たちは球体の中の大気に対し汚染防止用の衣服に着替え万一に備えた。
ンソンビロがドリルで穴を開け始めた。ドリルには耐圧殻の大気が室内に拡散しないようにカバーが掛けられ切削穴よりチューブが差し込めるようにセットされていた。ドリルビットが15cmほど入ったところで向こう側へ突き抜けた。
「プシュー」と気圧の差で中の大気が押し出されたが気圧差はそれほど高いものでは無かった。直ぐにチューブを差し込み中の大気を容器に移した。ンソンビロが直ぐに分析室に運ぶ。
リスレプは分析結果が出るまでハッチの構造を調べていた。分析の結果は現在の大気とほとんど変わりが無かったが、二酸化炭素の量がわずかに現大気の方が多かった、また細菌やウイルスは確認できなかった。
分析の結果を踏まえハッチを開ける事となりリスレプがハッチのハンドルにジャッキをセットしゆっくり慎重にパワーを上げた。
ハッチが開けられると球形に直径50cmの穴が開いた。直接入れそうな大きさだが、経年劣化を考慮してまずはドローンで球体内部の調査を行う事にした。
リスレプがドローンを操作して上部のハッチよりドローンを降下させ、ちょうど球形の赤道あたりでホバリングさせゆっくり回転させた。
「もともと無人だったようだね、遺体の痕跡は無いな。・・・・この装置を作った生物は俺たちと同じような体格をしていたようだな、俺たちの乗っていた潜水艇と同じ様な大きさだし、この装置をみろよ、つまみ、ダイヤルも俺たちの手になじむ形だぜ。」
とリスレプが耐圧殻の内壁に取りついている装置をズームアップした。
「この観測室は2人乗りかもしくは3人乗りだな、基本的には俺たちの潜水艇の考え方と同じだよ、これで俺たちの仕事も10年は大丈夫だな、内側に取り付いている装置の仕組みを解明するだけでも数年はかかるな。・・・・分析が楽しみだ。・・おっと、下部に何か挟まっているぞ」とリスレプがドローンカメラを底部に向けた。底面にこびり付く繊維状のマットの隙間に挟まるような形で金属の一部が見えていた。
リスレプはいったんドローンを回収しその金属片を取り出そうと考えた。
「ンソンビロ、すまないがマジックハンドで底面の金属片を取り出せないか?俺が外の小窓より誘導するよ」と言いその準備に取り掛かった。
ンソンビロはマジックハンドを用意し上部のハッチから慎重に差し込んだ。
「よし、もう少し下、そう、ちょい左。そう・・そこだ。よし捕まえたぞ」
その繊維状のマットは長年の経年劣化で非常にもろくなっていた、その隙間をうまく誘導しゆっくり慎重に取り出すと手のひらに収まるぐらいの長方形の金属ボックスで、側面にスイッチらしいボタンとつまみが数カ所、中央に円形の蓋の様な物が取りついていた。
「スロ ナアイダ、トレーを取ってくれなか?・・特別なおみやげだ。」とンソンビロが金属ボックスをスロ ナアイダに差し出しながら言った。
「ありがとう。ゆっくり分析するわ。これで夜寝られなくなりそうだわ」と満面の笑みを湛えスロ ナアイダが受け取った。
数週間後、リスレプとンソンビロにスロ ナアイダより連絡が入った。
「例の金属ボックスの件で報告があるの、今日夕食後に会議室に来てくれない?」
「もちろん行くよ、期待していい話だろうね。」
「そう、期待していいわ、とても興味ぶかい報告よ」夕食後、リスレプとンソンビロは会議室に集まった。
「なに。早く報告してくれよ」とリスレプ。
「そう慌てないの、・・・例の球体のを分析すると5万年前に作られたものとわかったわ。・・・・
5万年前と言うとちょうど巨大隕石が落下したと言われる年代と一致するの・・・・それで例のあの金属のボックスだけど、どうも光学装置にメモリーが組み込まれた、ある種の記録装置だとわかったわ。まず金属のボックスは耐食性のある軽い金属を加工して組あわせてあるの、内部は相当複雑な構造で何種類もの金属パーツを組み合わせて用途に応じて組み立てているわ、例えばこの部品」とスロ ナアイダは壁に投影した映像を示しながら言った。
「この部品は可動する部品と固定する部品の材質を変えているの、可動する部品は耐摩耗性に優れた部品を使っているわ。それにこの光学レンズは対象物からの光をとらえて映像素子に結像させ、電気信号に変換し記録装置に記録できるようになっているの。レンズの裏側にはある種のモニターのような画面があり、捉えた光の記録を再生できるようになっているようなの」とスロ ナアイダが投影した映像を説明した。
「よくここまで解明したね、たいしたもんだ」
「考古学者としてこんな興味深いことはないわ。うれしくて仕方がないの、後この装置の構造や用途は光学関連の技術者に任せるわ。でもここまではお遊びよ、ここからが驚くわよ」とスロ ナアイダが興奮気味に言う。
「先ほど集めた光を電気信号に変換し記録装置に貯めて置くって言ったけど、この装置のバッテリーらしき端子にある種の電圧をかけ段階的に上げてみたの、そしたら裏側のモニターに反応があり映像が再現されたの、これよ」と映像を切り替えた。
そこには5万年前と思われる映像に人類が映っていた。明らかに男と女と思われる大人と子供が3人、そのうち1人は明らかに赤ん坊であった。
「わぉ!・・俺たちと同じじゃないか、どうみても人間じゃないの」とリスレプとンソンビロは椅子からのりだした。
「と思って間違いないわね、あの潜水艇の耐圧殻の大きさから換算するとほぼ私たちと同じ大きさで、容姿も似ているわ、手足が2本ずつで中央に内蔵を支える胴体に背骨その頂部に頭それに目、これは基本的には私たちと同じ脊椎動物だし、どう見ても類人猿で我々の先祖だと思わない?・・・・5万年前の天体衝突を生き残ったのよ」
「今見ている動画のほかに、巨大な光学装置のまえでモニターを見て何かを観測している姿があるし、家族で移動装置の前で遊ぶ動画、自然の中で子供と遊ぶ動画などいろいろな記録があるわ、家族の行動や成長を記録しているのね、・・・・特に移動装置の中から撮影している映像には、巨大な建築物や、まわりを同じ様に走る移動装置、上の方には、飛行体まで映っているわ、これを見ると我々と同じような科学技術を持っていたようね、この映像をみる限り私たちとちょうど同じような科学技術レベルだわ。これを発表すると大騒ぎになるわよ。この映像を分析するだけで数年はかかるわ、楽しみだわ」と興奮気味でスロ ナアイダが言った。
「・・・・うーん、しかし我々の先祖はよく生き残ったものだな、感心するよ。隕石がぶつかった後どのように生き延びたのか想像を絶するな、ほとんどの生物が絶滅している環境で何とか食いつなぎ子孫を残したんだ、・・種族を繋いでゆくには最低、男女5人5人必要だそうだ、まったくすごい連中だよ。最初に生き残っていた連中には技術知識や言語が残っていただろうけど、まわりの環境は何もない世界だからな、石器時代からの再出発だよ、それが5万年前の俺たちのご先祖様だよ」とリスレプが感動を込めて言った。
「ご先祖さまは我々と違って幸せそうね、いつも笑顔で笑っているわ。我々はいつの間にこんな・・・・・ 見習らわなくっちゃ・・」とスロ ナアイダは過去の戦争で亡くした両親と弟の事を思って涙ぐんだ。
スロ ナアイダが投影する映像には先ほどの家族が、細い葉の付いた植物に文字のような物が書かれた長方形のカードを取り付けていた。
一人一人そのカードをレンズの方にむけ読み上げた後、両手を合わせ頭をたれた。
そのカードには現人類が読めるのであれば次の様に書かれていた。
たけのこになりたい。 とものり
隕石が当たりませんように。 雅 之
家族が天国でも幸せに暮らせますように。 真理子
小惑星の軌道が替わり地球が無事でありますように。 誠太郎