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「⋯⋯黒澤。どうしてお前がここにいる」
鰐淵先輩は困惑した目で私を見た。
あれ、待って先輩私服?
私服ですよねこれ。
ちょっと写真撮っていいですか、あとでお金払いますから。
私がそう思って咄嗟に本の置き場所を探したところで先輩は静かに首を横に振った。
思考が読まれている。先輩すごい。
「どうしてと言われましても、暇つぶしとしか⋯⋯。何の予定もありませんし、家に誰もいないし、することがなくって。ふらっと立ち寄りました」
そう言うと鰐淵先輩は目を少し開いた。
「家か⋯⋯」
先輩は何かを探るような視線を私に向けた。
なんだろうと首を傾げる頃にはいつもの感じに戻っていたけど。
「お前の家からこの図書館、結構遠いだろ」
「えええ、徒歩圏内ですよ⁉」
「おい歩いてきたのかこの距離」
「え? ハイ」
「⋯⋯そうか」
鰐淵先輩はふいっと目をそらした。
あ、ちょっとそれ寂しい。
「りょーちゃん知り合い?」
麗美さんが不審そうな顔をした。先輩は麗美さんの顔を見ながら答える。あれ、先輩何だか面倒臭そうな顔をしていらっしゃる。
「部活の後輩だ」
「⋯⋯へえ。ふうん」
何か、心なしか麗美さんの声が低くなったような。
そして私をじろっと睨みつけてきたような。
「黒澤女史、どうしたのですか?」
「あ、高野先輩!」
レファレンスコーナーから埃を被っていそうな本を数冊抱えた先輩がこちらに来た。
「なんと、そんなに抱えて大丈夫ですか⁉ 肩が外れませんか」
「平気ですよ! 米一袋に比べたら軽いものです」
「何ゆえ米を比較対象に⋯⋯おや、稜平も来ていたのですか」
高野先輩は鰐淵先輩の方に向き直った。
「⋯⋯ああ。お前らは?」
「部活動の一環ですぞ!黒澤女史に手伝ってもらっていましてな」
「何の奴だ」
「⋯⋯波摩城址周囲の地理とか、石垣とか⋯⋯あとは波摩丘陵の江戸時代後期と現在の比較図を⋯⋯その」
「それは、お前が趣味でやってる奴だろ」
あれ、何だろう。鰐淵先輩から黒いオーラ見える。
そして高野先輩がちょっと押され気味。語尾が行方不明になっておりますぞ高野先輩。
「し、しかし!文化祭の展示として活用しますからには生半可な」
「だからといって黒澤をお前の趣味に⋯⋯いや。いい」
鰐淵先輩はそう言って踵を返した。
麗美さんは慌ててその後を追う。
残された私達二人は、大量の本を抱え間抜けな顔をした。
高野先輩は苦笑いしながら私に向き直った。
「いやはや、少しばかり心が折れそうになりましたぞ」
「先輩、ちょっと怒ってました⋯⋯よね?」
「ええ、明らかに」
「⋯⋯うう。先輩を怒らせてしまいました⋯⋯」
「いえいえ、黒澤女史のせいでは。怒っていたのは僕に対してでしょう」
「高野先輩にですか? 何で?」
「⋯⋯女史はもう少し男の心の機微を分かってほしいものですな。まあ稜平の口下手も大概ではありますが」
「き⋯び⋯⋯?」
難しい話をする先輩だ。
高野先輩は居心地悪そうに何やらもにょもにょと言葉を続けた。
「黒澤女史、言葉が足りない稜平の代わりに弁解しておきますとですな、あの女性は稜平の家のお隣さんで、従妹殿です」
「あのモデルみたいな美人さんがですか⁉ 流石先輩!血筋までお美しいとは⋯⋯!」
「⋯⋯であるからして、稜平とはその、疚しいといいますかその、そういった関係ではなくですな⋯⋯ひっ⁉」
高野先輩がびくっとしながら胸ポケットに手を当てた。
恐る恐るスマホを取り出し画面を見た高野先輩は、ぴゃっと短く呻いた。
「く、黒澤女史! そんなことよりも本を持ちましょう!女性一人に無理をさせすぎました!」
「あ、ありがとうございますー!よっこいせ」
「ぐぇ! おおお重い⋯⋯何故持てるのですかこれを」
+++++
「梅ヶ丘周辺、というか波摩丘陵って昔とかなり形が変わってるんですね」
「ええ。高度経済成長期から平成初期の間に、この辺りは大規模な宅地造成がありましてな」
「宅地造成、ですか」
「経済成長期は、働き手があればあるだけ欲しい時代でしたからな。地方から東京へ労働者が流入した結果、人が溢れたのです。なので住む場所を作るため、山を崩し、今のような区画整理した住宅街を作ったという経緯がありまして」
「ほぉ、なんとまあ⋯⋯こんなに変えて大丈夫だったんですか?」
江戸時代と現在の地形の図を比較すると、元の面影も感じられないほど形が変えられている。某どうぶつと島を開拓するゲームならまだしも、これは現実だ。
地学に疎い私でも、地盤やら何やら心配になる。
「住宅街が現存している以上大丈夫だったと言えるのでしょうな。しかし、」
「しかし?」
「これは噂レベルではありますがな。大金がかかった国家プロジェクトでしたから、多少歴史的価値のあるものが出土してもそのまま重機で一掃し更地にした事もあったのだとか。文化財の発掘調査が進めば当然工事は延期となりますからな」
「本当ですか⁉ 勿体ない。────あれ、でもこの辺りにも郷土資料館ってありましたよね? 一応貴重な文化財、残ってるんじゃ」
「よくご存知ですな! ええ、そうではあるのですが⋯⋯まあこの話は都市伝説レベルの話ですからあまり真に受けずとも」
「そうですかー。でも私の家周辺が昔どうなってたのか、俄然気になってきますねえ。一体何があったのやら」
「それでしたら、この絵図を見ると良いですぞ。江戸後期の、今で言う梅ヶ丘周辺の町並みを記録したものです」
「分かりづらい⋯⋯!何か、のぺっとした地図ですね⋯⋯」
「当時は測量技術も発達しておりませんでしたからなあ。まあ相対的に位置が分かれば良しと言う程度です」
「私の家、どこだろ」
「ううむ。恐らくこの周辺でしょうか⋯⋯当時は山でしたから、現在の所はかなり削られているとは思いますが」
「おお!何か建物がありますね」
高野先輩が指差した先には、ひょろ長い階段らしき図と広めの敷地面積を持つ建物があった。
「これは神社でしょうな。いや、寺も?」
「どっちなんですか」
「どちらも、という可能性もありますぞ」
「いいんですか? 同じ敷地に仏様と神様がいて」
「むぅ。当時は仏教と神道は分離しておりませんでしたからな。本地垂迹説が定着して久しい時代にはさほど珍しいものでは⋯⋯そもそも神仏が区別されるようになったのは明治の廃仏毀釈運動が発端とも言えるので」
「あ、もうその辺で。本当何言ってるか分からないです」
「そ、そうですか? ⋯⋯ふむ、ここの寺院は「金毘羅」と明記されておりますぞ」
「こんぴらってなんですか?」
「む、僕もそっち方面には詳しくないもので。ちょっと調べてみましょう」
そう言って先輩はすいすいとスマホを弄った。
「やはり、神仏習合の神様だそうですぞ。本地仏には毘沙門天や不動明王など、諸説あるのだとか」
「はあ⋯⋯神様なんだか仏様なんだか」
「それが神仏習合という奴ですな」
「とにかくその金毘羅さんが、元々家の近くにあったんですね」
「そのようですな。神社仏閣の建つ地域は地盤が安定している事が多いと聞きます。黒澤女史の家近辺も、地震や崖崩れなどの災害に対して強い、良い土地だったのでしょう」
「わあ、それを聞くとちょっと得した気分です」
「ははは!ちなみに僕の家の付近も探してみましょうか」
そう言って私と高野先輩は盛大に脱線し始めたし、先輩の家は元墓地だった。