彼氏ができた初恋の幼馴染の妹が最近やたら絡んでくる。
はー、と吐き出した白い息は、やがて大気の中に溶けて消えていった。
来週にはクリスマスを控えた今日、ボクは幼馴染みの相沢可憐に呼び出されて、近所の河川敷に来ていた。
なだらかな斜面に腰を下ろし、ボクはふいと隣を見る。
「それで、話って?」
ボクと同じように地面に座り込み、ボーッと青空を見上げていたらしい可憐はボクの呼びかけにハッとすると、何やら恥ずかしそうに頬を染めてモジモジとし始めた。
「その、ね? 改めてハルに報告するのも、なんだか気恥ずかしいんだけど……」
チラッとこちらを見ては、すぐに視線を逸らす。
彼女の羞恥に満ちた、しかし嬉しそうに弾んだ声を聞いて、ああ、やっぱりその話かと密かに嘆息する。
よりにもよってボクに、その報告を口にすることの残酷さを、可憐は知らない。
彼女は鈍感だから。鈍感だけれども、優しいから。
幼稚園の頃からの付き合いであるこのボクに隠し事はすまいと、心のそこからの善意で告げようとしている。
濡れ羽色の黒い髪、整った鼻梁。校内でも美少女と有名な相沢可憐に彼氏ができたという話は、すでにボクの耳に届いていた。
「あのっ、その……っ」
そうとも知らない可憐は、意を決して、今までボクに見せたこともない表情で口を開いた。
「わ、私、西条くんとお付き合いすることになったのっ」
「――――」
西条くんは、ボクらが今年から通っている淀岸高校サッカー部のエース、西条徹のことだ。
エース、という肩書きの通り、彼は県内でも屈指のプレイヤーで、その上モデル並のスタイルに顔つき。
……勝てるわけがない。
ここまで差があると、いっそ諦めもつくのかもしれない。
「…………」
一度伏した視線を上げて可憐を見ると、彼女は真っ赤なリンゴのような顔でこちらをジッと見つめていた。
ボクの言葉を待ち望んでいる様子だ。ボクの――幼馴染みの言葉を。
……ボクの気も知らないで。
一瞬、胸の奥でチリッと何かが燃え上がった感覚を抱いたけれど、すんでの所で飲み込む。
可憐が善意でボクに伝えてくれた以上、ボクもまた、善意を返さなければならない。
ボクの身勝手な感情で彼女を傷つけてしまうことだけは、絶対にあってはいけない。
だから――、ボクは祝福の言葉をかけようとして口を開いた。
掠れた、声ともとれない声が零れる。
ともすれば、冬の風にさらわれてしまうような声だった。
「――ッ」
一度口を閉じる。
いつまでもうじうじするな、ボク!
もう一度、今度はゆっくりと口を開く。
「おめでとう、可憐。西条くんっていえば、サッカー部のエースじゃないか。いやぁ、幼馴染みが女子の憧れを射貫くだなんて、ボクも鼻が高いよ」
「もー、ハルは大袈裟だよっ」
笑いながら、可憐は軽くボクの肩を叩いた。
凄く、痛かった。
「じゃあ、今日はお赤飯炊かないとね。おばさんには伝えたの?」
「お母さん? ううん、まだ。最初に伝えるなら、ハルかなって思って。帰ったら伝えるつもり。って、お赤飯ってなに? 今時古いよ」
「まあ、お赤飯は冗談としてもさ。幼馴染みとして、少しぐらいは祝わせて欲しいな。何か欲しいものとかある?」
「えー、いいよ。なんだか恥ずかしいし。……あ、そうだ。クリスマスなんだけど、今年は西条くんと、その、デ、デートすることになったから」
「言われなくてもわかってるよ。楽しんで来なよ」
「うん!」
満面の笑顔が咲いた。
クリスマス。毎年、ボクは可憐と彼女の妹の三人でクリスマスパーティを開いて過ごしていた。
だがもう、今年それはない。
当たり前だ。彼氏ができたんだから。
「じゃあ、登下校も一緒じゃないほうがいいかな。あんまり勘違いされるようなことをするのもあれだしさ」
「う、うん。ごめんね?」
「どうして謝るのさ。カップルの邪魔をする趣味は、ボクにはないよ」
申し訳なさそうにこちらを覗き込んでくる可憐に笑い返す。
ボクは今、上手く笑えているのだろうか。
可憐がホッとしたように息を吐いた。
……どうやら、上手く笑えていたようだ。
「あー、ハルに話せてスッキリした! ありがとう、寒い中来てくれて」
可憐は満足げに両の手を伸ばして快活に笑うと、立ち上がった。
それを見上げながら、ボクは川に視線を向ける。
「折角だから、ボクはもう少しここでのんびりしていくよ。可憐は早くおばさんに報告してあげなよ。きっと喜ぶ」
「どーだろ? うん、じゃあ先に帰るね」
バイバイ、と手を振って、可憐は軽い足取りで斜面を上がっていく。
その背中が見えなくなって、ボクは空を見上げた。
先ほどまで晴れていた空を、灰色の雲が覆っていく。
今日は風が強いんだなぁと、雲の動きを見ていて思った。
やがて。ひらひらと、真っ白な雪が落ちてくる。
目で追えるぐらい、ゆっくりと。
それは空を見上げているボクの頬にそっと落ちて、体温に溶けて消える。
「……あれ?」
つーっと、頬を何かが伝った。
手を触れると、そこには一筋の雫がある。
そんなに大粒の雪だっただろうかと、再び空を見上げる。
両頬に、雫が垂れる。
目頭が熱い。
きっと、大気の埃が目に入ったんだ。
「くぅっ、くふぅ……っ」
何かが喉元に競り上がってきて、必死にかみ殺す。
膝を抱き寄せて、顔をその間に埋める。
地面にポタポタと水滴が滴り落ちる。
もう、これ以上自分を誤魔化せはしなかった。
――ボクの初恋は、あっさりと砕け散ったんだ。
◆
可憐の告白から一週間が経った。
世間では、今日がクリスマスイブだっただろうか。
ボクはと言えば、自室のベッドの上で塞ぎ込んでいた。
可憐のことは好きだ。
好きだからこそ、彼女が笑って生きていけるのならそれでいいじゃないかと何度も割り切ろうとしたものの、思いの外ボクはデリケートだったらしい。
結局、一週間のほとんどをボクは自分の部屋で過ごしていた。
「ボクって、可憐のこと本気で好きだったんだな……」
ベッドに横になったまま額に腕を当てて天井をぼんやりと見上げる。
それから、自分で口にした内容が可笑しくてははっと力なく笑った。
ふと部屋の隅にある勉強机の上を見ると、そこには可憐と、可憐の妹に渡す予定だったクリスマスプレゼントが綺麗に包まれて置かれている。
……そのうち、渡そう。
ひとまず今は、もう動きたくない。
ここ数日、ずっと眠っているような気がする。
眠たくはないけれど、意識を闇の底に沈めておきたい。
ボクは、ゆっくりと目を閉じた。
――ピーンポーン、ピーンポーン。
「……?」
家中に鳴り響いたインターホンの音に、ボクは反射的に上体を起こした。
だが、家族の誰かが出てくれるだろうと思い直して再び横になる。
――ピーンポーン、ピーンポーン。
「……そうか、父さんも母さんも、温泉旅行か」
毎年この時期になると、二人は温泉旅行に行く。
ボクは可憐の家でクリスマスパーティがあるからと、毎年断っていた。
今年も、断っていた。
「はーい」
重たい体をなんとか起こしてゆっくりと階段を降りる。
玄関の扉を、ゆっくりと押し開けた。
「あーっ、やっと出てきた! おはよう、ハルくん!」
「……揚羽」
扉の前にいたのは、黒髪をツインテールに纏めた元気そうな少女――可憐の妹、相沢揚羽だった。
ボクは玄関脇にある時計に視線を移す。
午前九時二十分。
「何か約束してたっけ」
「ううん、なにもー。揚羽が押し掛けてきただけだよっ」
「押し掛けてきたって、……まあとりあえず入りなよ。外、寒いだろ?」
「はーい」
このまま外で話していても仕方がないので、揚羽を家の中へ招き入れる。
そのままリビングに案内した。
「なに飲む? ココア? 紅茶?」
「ココア!」
元気に答える揚羽に、自分もなんだか元気になったような感覚を抱いて苦笑しながら、ココアの粉末をマグカップに入れて電気ポットのスイッチを入れる。
コポコポと真っ白な湯気を上げながらお湯が注がれる。
「それで? なんの用?」
ティースプーンで混ぜながらキッチンカウンター越しにリビングのソファでくつろぐ揚羽に問うと、揚羽は口を尖らせて言った。
「だって、お姉ちゃん今日デートで暇だったんだもん。ハルくんも暇してるかなーって」
「うぐっ」
今それを言われると、結構辛いものがある。
チクリと痛んだ胸を押さえていると、揚羽は少し悲しそうに笑った。
「確かに暇だけど、どこかに行く気分でもないんだよ。悪いけど、これを飲んだら帰ってくれない?」
そっと揚羽の前にココアの入ったマグカップを置きながら告げる。
正直心苦しいけれど、今の心理状態で彼女といても、楽しんでもらえる自信がない。
テーブルを挟んで反対側のソファに腰を下ろしたボクは、ふーふーと自分のマグカップに息を吹きかける。
揚羽は両手でマグカップを持ち上げると、神妙な面持ちで呟いた。
「……わかってるよ。ハルくん、お姉ちゃんのこと大好きだったもん」
「ごほっ、けほっ、――きゅ、急になにを言い出すんだよ!」
危うく口にしていたココアを吐き出してしまうところだった。
抗議の視線を向けると、揚羽は真っ直ぐこちらを見つめていた。
「ハルくん、お姉ちゃんのことずっと好きだったんでしょ? だから、暫くふさぎこんでたんじゃないかなーって。そうしたら、ビンゴ。目元、腫れてる」
そう言って、揚羽はリビングのテーブルに置かれていた手鏡をそっと差し出してきた。
受け取って、覗き込む。
……ひどい顔だった。
完全に見透かされて、ボクは黙り込む。
失恋を、よりにもよってその相手の妹に言い当てられるなんて、悔しいというよりも情けない。
揚羽はそっとマグカップをテーブルの上に置くと、少しだけ嬉しそうに口角を上げた。
「でも、まあハルくんにはそれぐらい悲しんでもらわないと割に合わないからねっ。……あたしはずーっと、今のハルくんと同じ思いだったんだから」
「? それって、どういう……?」
ボクが聞き返すと、揚羽はむっと頬を膨らませた。
どうやら、怒らせてしまったらしい。
謝った方がいいのかな……?
ボクが考えこんでいると、揚羽はふっと表情を緩めた。
「相変わらず、ハルくんは鈍いんだから。まあ、お姉ちゃんもだったけど」
「?」
揚羽の言っていることの意味がよくわからない。
首を傾げていると、揚羽がずいと身を乗り出してきた。
「本当、鈍いんだから。……ハルくんのことが好きだって言ってるの!」
「……え」
頭が、真っ白になった。
◆
「ええと、えっと……」
今、揚羽はなんて言ったんだ。
ボクのことが、好き?
「――ええっ、嘘!?」
言葉の意味を理解して、ボクは思わず立ち上がった。
対して揚羽はソファに腰を下ろすと、恥ずかしそうに顔を伏せて小さく頷く。
「小学四年生のころから、……ううん、もしかしたらそれよりもずっと前から、あたし、ハルくんのことが好きだったの」
「小学四年生って、揚羽は今中学三年生だろ? ろ、六年前から?」
とても信じられない。
というよりも、全くそんな素振りはなかった。気付かなかった。
ボクが面食らっていると、揚羽はぷぅと唇を尖らせた。
「ハルくんだって、お姉ちゃんのこと六年以上片思いだった癖に」
「な、なんで知ってるの!?」
揚羽の言うとおり、ボクが可憐への恋心を自覚したのは六年以上も前の話だ。
そのころから見透かされていたというのか……!
「わかるよ、ハルくんがお姉ちゃんと話しているのを見てたら。だから、あたしもずっとこの気持ちを言えずにいた。仕舞い込んでいたんだよ」
「…………」
「でも、お姉ちゃんに彼氏ができたって聞いて、それで、これはチャンスだって……」
次第に声音が尻窄まりしていったのは、失恋したボクのことを思ってだろうか。
優しいな、と。他人事のように思った。
一度言葉を句切った揚羽は、ガバリと顔を上げると再びボクの顔を見つめてきた。
「ね、ハルくん! あたしと付き合おうよ! ……お姉ちゃんの、代わりでいいからさ」
「――――」
揚羽の声が、僅かに震える。
ボクが可憐のことを好きで、そして失恋した今でも彼女のことを想っていることをわかった上で、揚羽は言っているのだ。
そこまで自分のことを想ってくれていることが、本当に嬉しかった。
可憐の代わり。
確かに、姉妹である二人は顔つきもよく似ている。
性格は対照的なところがあるけれど、代わりと言えば、確かに代わりになり得るのかもしれない。
だけど、やっぱりそれはダメだ。
「……揚羽の気持ちは嬉しいよ。嬉しいけど、やっぱりダメだよ。揚羽は揚羽だ。可憐の代わりにはなれないし、なってもいけないんだよ」
絞り出すように、ボクは揚羽に告げる。
その答えを聞いて、揚羽は瞠目し、目尻に薄らと涙を浮かべ、そしてそれを隠すように俯いた。
「やっぱり……」
両肩が震える。声も、震えている。
やがて、揚羽は顔を上げると泣きながらいつものように元気に笑いながら言った。
「ハルくんなら、そう言うと想ったよ。……だからあたしは、ハルくんのことが大好きなんだっ」
面と言われて、ボクはなんと返せばいいかわからなかった。
失恋の気持ちを、ボクは痛いほどわかっているから。
だけど、こんなにも健気に自分のことを想ってくれている少女を、誰かの代わりにするなんてことはやはりできない。
ごしごしと服の袖で涙を拭った揚羽は、「よしっ」という声と共に両頬を叩く。
そして、覚悟に満ちた瞳でボクを捉えると、ビッと人差し指を突き出してきた。
「見てて! 絶対あたしに惚れさせてみせるから! お姉ちゃんよりも、うーんと!」
「――――」
その言葉に、ボクは思わず言葉を失った。
振られながら、凜としたそう言ってのけた揚羽の強さに意識を持って行かれる。
当の揚羽はと言えば自分で言って恥ずかしくなったのか、すとんとソファに座るとまた俯いた。
「そ、それに、受験が上手くいったら、来年からハルくんと同じ高校、だし」
そういえば、揚羽の第一志望はボクらが通う淀岸高校だったような。
姉である可憐と同じ高校が良かったのだろうとその話を聞いたときは思ったけれど。
「……まさか、ボクと同じ高校だから?」
ボクが訊くと、揚羽はふふんと得意げに鼻を鳴らした。若干の羞恥を交えながら。
「今更気付いたの? 本当、ハルくんは鈍感過ぎるよ。 ……来年からよろしくね、せーんぱい!」
満面の笑顔でそう言ってきた揚羽に、ははっと乾いた笑みを零す。
――初恋の幼馴染みに彼氏ができたこの冬。ボクは、その妹に告白されてしまった。
お読みいただきありがとうございました。
本作のタイトルはこの先のストーリーを想定して考えたため、短編単体で見ると少しおかしく感じるかもしれませんがご了承ください。