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冷蔵庫の奥

作者: ふくろう

 Hの母親はいつも冷蔵庫を満杯にする人だった。

 奥が見えないくらいに詰め込むものだから、当然、消費が追い付かず腐らせてしまうものも多い。冷蔵庫内も冷えず、電気代もかかるそのやり方にいつもHは怒っていた。

 けれど、不思議なのは、その電気代を払う父が母のその不経済を容認していることだ。

 ケチという訳ではないが、夜、人のいない部屋に電気がついていれば怒る程には出費に無頓着ではない父がだ。

 そしてなにより不思議なのは、満杯なのは冷蔵庫だけだということ。

 冷凍庫や野菜室、製氷室は適度に消費に見合った量しか置かれていないのだ。冷凍庫が満杯でその他がスカスカならよく聞く話なのだが、母はHが冷蔵庫の物を腐らせない様に冷凍庫に入れようとすると怒る。逆ではないのか。不思議だ。

 そんな母が入院をすることになった。

 期間は一週間。病状はそう重いものではなく、命の心配など全く無いもので。

 Hはこれは良い機会だと思った。

 母がいない間に冷蔵庫を整理してしまおうと。

 思い立ったが吉日。翌日からHは意欲的に冷蔵庫内の整理に明け暮れた。食べられないものは捨て、近日中に使わないものは冷凍庫へしまった。驚いた事に母は常温保存の缶詰やわかめ・昆布等の乾物も冷蔵庫に入れていた。これらはもちろん戸棚に仕舞い直した。

 仕事に行きながらだったので、3日かかった。

 何事もなく、冷蔵庫は、普通の適量を詰めた使いやすい冷蔵庫になった。

 ただ、片づけ始めてから、父がHを物言いたげに見ることが増えた。

「なに?」

 一度、片づけの最中に、手を出すわけでもなくじっと見ていた父が気になり尋ねたが、

「いや・・・」

と口をもごもごさせて父はその場を立ち去った。それ以来、見はするが口を開くことはなかった。

 だが、見ている。

 父は台所仕事が出来ない。そして興味もないようで母が入院前は、台所に現れることも希だった。そんな人が、Hが片付けている時、家にいれば台所に来るようになった。

 Hは頭を傾げたが、母が帰ってきたら起るだろう事を心配しているのだろうと気にしなかった。

 そうして使い勝手の良い冷蔵庫に変身させて、母の代わりに台所立つようになって、気づいた。

 冷蔵庫の中の物が無くなるのだ。

 いや、使っているのだから、減るのはおかしくない。ただ、自分が使っている以上に減っているのが、冷蔵庫を整理したことにより顕著になったのだ。

 Hは冷蔵庫からの冷気だけではない寒気に襲われた。

 だがしかし、Hは一人暮らしではない。いくら希にしか台所に来ない人であろうと父がいる。きっと父が知らぬ内に使っているのだと思った。思い込もうとした。明らかに、料理の出来ない父が手を伸ばすことはないであろう、生肉や生魚まで無くなっていたとしても。

「御飯足りない?冷蔵庫の中の物がなくなってるの、お父さんでしょう?」

 確証を得たくて、Hは父に尋ねた。笑って。冗談めかせて。

「いや、・・・・・・・うん、そうか。なくなってるか」

 意味不明なことを返された。

「まあ、気にするな。あと飯は足りてる。つまみの味が薄いがな」

 父はそう言って晩酌に手を伸ばした。

「お父さん高血圧だから気を使ってあげてんのー!」

 Hはやっぱり怒って、それでも父がそれ以上口を開く気が無いことを察して、その話題を終わりにした。

 明日には母が退院する、その夕方。

 さすがにHも、明日は母に怒られるんだろうなと気落ちしていた。間違った事をしたとは思っていないないが、それとこれとは別である。いつまでたっても、親に怒られると思えば身もすくむ。

 溜まった息を吐いて、Hは冷蔵庫に手を掛けた。夕飯の支度をするために。

 ぱかっと開く。

 食材の向こうに人がいた。

「はっ」

 Hは息を飲んで考える間もなく扉を閉めた。

「なに今の」

 冷蔵庫の扉を押さえつける様に体重をかけ、呟く。

 扉を開けてすぐ閉めたし、置いてあるものでよく見えなかったが、奥の白い壁が無くなり、人が立っているのは解った。髪が長かったことや土気色の皺の寄った肌も。そして何より目が合った。落ちくぼんだ眼窩に空洞があるだけの目玉のない目と。

 Hの腕には寒くもないのに鳥肌が立っていた。

 Hは衝撃が収まるとまたゆっくりと冷蔵庫を開けた。

 食材の隙間から見えるのは冷蔵庫内の奥の白い壁だ。いつもの光景だ。

 ほっとした。

 そして、Hは夕食に使う材料に手を伸ばそうとした。

 ぱかっと冷蔵庫の開く音がした。

 冷蔵庫奥の壁がゆっくりと開いていく。

 Hは慌てて冷蔵庫を閉めた。

 空いた隙間から、髪の長い土気色の肌をしたがりがりの女がこちらを覗いていた。さっき見た人だ。

 目玉のない目がこちらを窺うように扉の向こうからこちらを見ていた。

 Hは冷蔵庫が開けられなくなった。

 扉をさっきよりも強く押さえ、震えていると、父が仕事から帰った来た。

「どうした?」

 Hが台所にいたためか、ここ最近の父の不可思議な動向の通り、台所に現れた父は、Hが冷蔵庫に縋るように、実際は抑えていたのだが、立っていたので、体調不良を疑ったのだろう、ただいまより先に心配を口にした。

「冷蔵庫。開けたら、奥の壁が開いて。人がいた」

 Hはさっき会った事を父に訴えた。

「やっぱりなぁ」

 父は頭を掻きながら、ため息をついた。

「気にするな。冷蔵庫を変えても、場所を変えても、どっかにつながってんだ。向こうも普通に生活してるだけだ。ただ母さんは顔を合わせたくないと食材を詰め込んでたが、向こうに引っ張られなきゃ、害はない」

「引っ張られるの?」

「食材が無いときにな。そん頃は戸棚だったが、小さい頃引き釣り込まれたことがある。完全に向こうに行く前に、俺の親父が引っ張ってくれたが。頭は向こうに行ったから、向こうの様子は知ってる。ありゃ、良くない。まあ、今の冷蔵庫は人を引き摺り込めるような棚の幅はしとらんし、大丈夫だ」

 父はそういった後、怖いなら食材を詰めておくぞと言った。

 Hは首を振った。代わりに、不透明なストッカーを全棚分、前と奥で二列出来るように買ってきてもらった。そして冷蔵庫の物をストッカーすべてに移して、早く消費しないといけないものは手前に、猶予があるものは奥にしまった。手前がなくなったら奥を引き出して、空になったストッカ―か新たに食材を入れたストッカーを奥に入れるのだ。そうして冷蔵庫を全て埋めた。

 翌日帰ってきた母は、喜んだ。

「やっぱり食材を駄目にするのは心苦しいのよねえ」

 母とHはそれから奥のストッカーと手前のストッカーを入れ替えるとき、奥を覗かないように気を付けながら冷蔵庫を使っている。だが、たまにストッカーが抜き取られているので、すぐにストッカーを入れられるように予備を常備している。


 今のところ向こうの人とは顔を合わせていない。



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