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day2.Everything is wonderful
男が手にしたサックスの本はあまり読まれた形跡はないのだが、いささか年季が入っているように見えた。始めの数10ページまでが幾分か黒ずんでいる。
男は少々律儀な性格の持ち主らしい。
途中で読むことをやめてしまった本を再び読み始める時は、必ず最初から読むことをルールとしていた。
黒ずみは、男が何度も読むことに挫折し、再挑戦を繰り返した小さな戦いの跡。
昨晩、再度、いちから読み始めたようだ。楽しくて仕方がなかった。
今朝、男は通勤電車に揺られていた。
眠気と葛藤しつつも電車の中で本を開いた瞬間、言い知れぬ恍惚感が男を包みこんだ。
それは、初めて小説を書き、公開したときの気持ちに似ているかもしれない。
この作品が多くの人の目に留まり、人気作品になるかもという期待感でもあるし、ともあれ、小説を書き上げたことで「小説家を志す者」というステージに立ち、自らをそう認めることができる自負である。
男はしばらく音楽活動から遠のいていたものの、「音楽を志す者」という、以前確かに手にしていた感覚を、少し思いだしたようだ。
気がつくと電車は目的地に到着していた。