ヒロインに攻略されそうなんですが
乙女ゲーの世界に転生し、悪役のキャラクターになってしまってから早くも今年で16年。ようやく、ようやく原作が始まる。私が今までフラグを立てないよう努め、原作では幼馴染設定だったキャラにさえ興味を持たれないように影を薄く、うすーくして生きて来たのだ。
この1年を乗り越えることが出来れば悪役は回避できる。悪役にならなければ、ヒロインを間違って階段から突き落として殺すことも無いのである。ヒロインを階段から突き落とし犯罪者になるのはごめんだ。ルートによっては私も死ぬし、とにかくいろんなフラグを折らなければいけない。そう、ここからが勝負なのである。
原作の私は幼馴染のことが好きすぎて若干狂っていたが、今の私は幼馴染なんてNO眼中だし、幼馴染のことを好きになる人を片っ端から人気の無い廊下に呼び出したりもしていない。取り巻きを横に侍らせたりしていない。だから、大丈夫だとは思うが万が一と言うこともある。どう足掻いても私がこの学園に入らざるを得なかったように、ヒロインが来てから誰かとくっつくまでどう転ぶのかは分からないのだ。
先ず乗り越えなければならないのは、入学式から1ヶ月後にあるヒロインとの接触。ゲームの中で明確な表記はされていなかったが、そろそろだろう。
入学式の日。学校の中庭(無駄に広い)に咲き乱れる花々に見とれていたヒロインは、桜の木の下で私の幼馴染である朝日丘実に出会う。因みに桜の木はエンディングにも関係してくるものだ。それから徐々に仲良くなって行く実とヒロイン――因みに実はメイン攻略キャラな為に共通ルートで好感度が上がり易い。その分、実ルートに入ってからが難しいのだが――そんな“実に近づく邪魔な女”にいち早く感付いた原作での私は人気の無い廊下でヒロインに“警告”をする。
開口一番に「朝日丘実にこれ以上近づくと、危ない目に合うわよ」と言う私は原作では謎の女っぽく描かれていたけれど、今考えるとめちゃくちゃ怖い。初対面の女の子への開口一番が「朝日丘実にこれ以上近づくと、危ない目に合うわよ」。それに対するヒロインの感想は(不思議な人だったなあ)だったけど、もっと思うべき事があるんじゃないかな。
話しは戻るが、つまり近々そのイベントが起こるのである。私が「朝日丘実に近づくと、危ない目に合うわよ」と言わなきゃ良い話なのだけれど、少し気になることがあるのだ。私は、未だにヒロインを見つけられていない。ゲームの中では“平々凡々な女の子”として描かれていたが見た目は完全に美少女である。無表情だと本当にお人形さんなんじゃないかと言うくらい綺麗な顔に、無邪気な表情。そして何より可愛らしいのがふわふわな茶髪。クラスで人気な女の子の何倍も可愛いのだ。昔はやんちゃでボーイッシュな女の子だったというのも、また可愛らしいところである。
……言い忘れていたが前世の私はヒロイン贔屓だった。だから、前世の癖でヒロインを褒め称えてしまったが、でもこれは大げさじゃない。だってイケメンを落とせるくらいの美少女なのだから。
話を戻そう。つまり、そんな美少女が見つからないなんておかしい。もしかして、ヒロインはこの学校にいないのでは無いだろうか。原作とは違う“何か”が起きている。それが私の犯罪者への道や死亡フラグに繋がるのなら何としても阻止したい。
だが、原作とは違う“何か”が“ヒロインがこの学校に入学していない事”ならそれはそれで好都合だ。私の地味で平凡な高校ライフが始まるのなら是非とも入学していない方が良い。
そんなことを悶々と考えているとドン、と言う音と共に顔に衝撃。そのままバランスを崩して思い切り尻もちを付く。痛みと同時に、誰かにぶつかったのだと気付いた。
「あ、す、すみません」
咄嗟に謝り、ぶつかった人物を確認しようと視線を上げて固まった。
「いや、前を見ていなかった私が悪いんだ。ごめんね。怪我はない?」
そう言って手を差し出す人は美少年と言うに相応しい容姿をしていた。男の子にしては若干高い声に猫っ毛なのかふわりとした髪。優しく緩められた瞳に弧を描く口元。物語の王子様かと思うような容姿だ。まだまだ上げられそうな褒め言葉は腐るほどあったが、私はその人の美しさに言葉を失い見とれてしまった。
そして、気付いた。
あれ、これ、あの、ヒロインさんじゃないですか?
ヒロインだ。私が見間違えるはずがない。いやいやいや、違うのかも。ヒロインに似た誰かなのかも。いや、でも、こんなに容姿が整ってる人だったら攻略キャラにいそうなもんだよね……。
そんなことを考えていると目の前の美少年はすうっと目を細める。疑問を持つ暇も無く彼はゆっくりと口を開いた。
「ようやく会えたね」
「え、」
「私のお姫様」
そう言うとヒロインであるはずのその人は私の手を取り、跪くと手の甲にキスを落とした。
頭が付いて行かない。どういうことだ。
混乱した頭は正常に作動してくれない。ぐらり、と視界が揺らいだ。それに対処をする暇も無く、私の視界は暗転して行った。
***
目が覚めると、白い天井が広がっていた。あれ、私どうしたんだっけ。何だか酷い悪夢を見ていた気がしたけれど。若干頭痛がして怠い。
もぞもぞと布団の中で体勢を変えると此処に居てはいけない人がいた。
「おはよう。急に倒れてしまったけれど、大丈夫?」
爽やかで甘い笑みを浮かべるその人にまた眩暈を覚えた。もう一度、気絶させてください。お願いします。
「大丈夫じゃないです」
「それは大変だ。待ってて、今保健室の先生を……」
「待ってください!」
思わず服の裾を掴んで止める。って言うか何でこの人は男子用制服を着ているんだ? ……やっぱり人違い? ヒロインによく似た誰か? 隠しキャラとか?
「無理はしていない? 本当に大丈夫?」
相手の確認の声にこくこくと頷く。保健室の先生がいる所でこの人がヒロインなのかどうかを探るのは都合が悪い。「そう?」と言いながら彼が椅子に座りなおすのを見て口を開いた。
「えっと、貴方の名前を伺ってもよろしいでしょうか……」
緊張の為に変な敬語が出る。それに彼は「ああ、」と声を漏らしてから、またあの蕩けるような笑みを浮かべた。
「ごめんね。名乗りもせずに失礼なことを……私の名前は柊薫。今年入学したばかりの1年生だよ」
あ、やっぱりヒロインでした。
なんで、なんでこうなっているのですか。私何もしてないじゃないですか。私が何をしたって言うのですか神様。混乱している私にもう一度、薫は微笑む。
「君のことは知っているよ。東雲恵梨花さんだろう?」
大正解である。もう何でこうなっているのか分からず、思考放棄を始めていた頭が再度現実に戻ってくる。
「なんで私のこと……」
「覚えてない? 昔、私達は会ったことがあるんだよ」
いや、まったく身に覚えがありませんが。だってヒロインである柊薫は私にとっては天敵同然だったのだ。そんな人に会ったらもっと記憶に色濃く刻まれているだろうし、って言うか会ったら逃げるし。
「ほら、この学校の中庭にある桜の木の下で。私達が小さい頃はあそこの近くの金網が壊れてて、入ることが出来たんだ。覚えてない?」
来た覚えも無い。と言うか、原作ではその時に会ったのは私の幼馴染である実の方だと思うのだけれど。実と会ったヒロインは桜の木の下でまた会おうと言う約束を――
「あ、」
そう声を漏らすと薫はぱあっと顔を明るくさせる。それに対して私は苦い顔をしていたに違いない。
あの時か。身に覚えがあるのはあの時しかない。私が前世の記憶を取り戻した小学3年生の時。どうしても此処が乙女ゲーの世界で私が悪役なのだと信じられなかった私は乙女ゲーの舞台であるこの高校に訪れたのだ。学校の門が閉まっていて、金網が壊れた所から侵入した覚えがある。……けれど、あそこで人になんて会っただろうか。
じっと、薫の顔を見つめる。何か、もう少しで思い出せそうな気がする。それに応えるように薫は優しく目を細めた。
ああ、そう言えば。誰かにあった気がする。野球帽を被った少年。俯いてばかりで顔はあまり覚えてなかったけれど。確かその子は出会い頭にこう言ったのだ。「ねえ、ヒーローに憧れちゃだめなのかな」と。
突然さっきまで泣いていたような震えた声を掛けられたのにも関わらず、私は迷うことなくこう返した。「どんな人もヒーローにでもヒロインにでも凡人にでもなれるに決まってるでしょ。じゃないと困る」と。
動揺していたのだ。自分は悪役で犯罪を犯すか何だかんだで死ぬかと言う最低な未来がある現実を突きつけられ、周りは見えていなかった。ぶっちゃけ話しかけてきた子のこともどうでも良かった。そのくらい追い詰められていたからこそ言ったのだ。「ヒーローにでもヒロインにでも凡人にもなれるに決まってんでしょ。じゃないと困る」と。自分に言い聞かせる為の言葉だった。
さあっと顔が青ざめる。なんてことだ。神様、私大変なことをやらかしていたようですよ。
「思い出してくれたんだね。あの時、私は男の子達と一緒にヒーローごっこが出来ないことや、母や周りの女の子に男の子と同じ遊びをするのはおかしいと言われ続けて落ち込んでいたんだ。君の言葉に、私は救われたんだよ。そして、思ったんだ。『ヒロインを陥れる悪役になんてなりたくない』って呟いた君を助けに行けるようなヒーローになろうって」
そんなことまで呟いてましたか私。そんな他人の人生に影響を及ぼしましたか私。
「あの、つまり」
「つまり、これは私の初恋なんだ。名前も分からなかったから、探すのに時間が掛かってしまったけれどね。ずっと探してたんだよ」
そう、興奮気味に言うと薫は私の頬をするりと撫でた。相手は女の子なのにも関わらず心臓が跳ねる。見た目は完全に中性的な美少年なのだ。そんな薫が愛おしげに瞳を伏せれば誰だってドキリとする。
「え、と、でも私達、女の子同士で……」
「ねえ、性別や年齢が関係あると思う?」
そう真剣な顔をする薫は前世で見た女の子の格好の時よりも美しく格好いい。……いやいやいや、流されるな私!
「別に、付き合ってキスしてって言うのを望んでいる訳じゃ無いんだ。ただ、恵梨花に私の気持ちを知っていて欲しかっただけだから。……だから、そんな顔しないで」
よほど困っているような顔をしていたのだろう。そう言って悲しそうな顔をすると薫は私の頭を軽く撫で、そして手をゆっくりと引っ込める。
「困らせたかった訳じゃ無いんだ。ずっと探していた初恋の人が見つかったから、嬉しくて。ごめんね」
そう言うと薫は悲しそうに微笑み椅子から立ち上がろうとしてしまう。それに何だか焦りを感じて、また薫の服の裾を掴んだ。
「あ、の! ……ええっと。と、友達から、で。お願いします」
薫を引き留めたくて咄嗟に出てきた言葉に間髪入れずに来る衝撃。ぐふ、と漏れた声と体に伸し掛かる重み。薫に抱きつかれているのだと分かったのは何秒か後だった。
「ありがとう、恵梨花。良かった。気持ち悪がられるんじゃないかって心配だったんだ」
そうほっとしたような声を出し、ますます力を込めてくる薫にギブアップを告げる為に背中をぽんぽんと叩く。本当に苦しいし重いです。そして良い匂いがするからやめてくれ。
「あ、ごめん」
そう言ってまたしゅんとした顔で離れる薫にうっと声が詰まる。何か、この顔は苦手かも知れない。変に心臓が跳ねる。
そして、先ほど薫が言った言葉を思い返した。
“気持ち悪がられるんじゃないかって心配だったんだ”
確かに、気持ち悪いとは思わなかった。それは、薫の見た目が中性的な美少年だからじゃない。もっと違う、しっくりと来る表現がある筈だ。こう、もっと別の――
胸の中にひょこりと顔を出した気持ちがふわふわしていて暖かいものだと言うことに気付いて慌てて別の表現を探すのをやめる。まさか、ね。まさか、そんな訳ない。いくら私がヒロイン好きだったからって、男装した薫に恋をする訳が――
「どうしたの?」
さっきまで子犬のようにはしゃいでた薫は最初に会った時のような、紳士の皮を被りなおした様でにこりと綺麗に笑う。
「……何でもない、です。もう頭痛も治ったのでクラスに帰っても良いですか?」
何だか薫といると落ち着かない。さっさとクラスに帰ってしまおうと起き上がり上靴を履く。すると、それを見計らったように薫が私の手を恭しく取った。それだけで心臓が跳ねるんだからどうしようもない。どうしたんだ。今日の私はちょっとおかしい。
「クラスまで送るよ。お姫様」
ああ、また眩暈がしてきた。どんな人でもヒーローにでもヒロインにでも凡人にでもなれるに決まってる。けれど、私がなりたかったのは凡人なのだ。モブなのだ。お姫様なんて望んじゃいない。それでも、にこにこ笑って手を引く薫に反抗する気は失せる。
苦笑いを浮かべながらそれよりもこの男装の麗人に連れられてクラスに戻ることの方が大変なことだと思い直し、どうやって薫にクラスまで送られるのを回避しようかと思いを巡らせた。