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無音

作者: チェリー

ここは私にとって優しい世界ではなくなった。


いつからか、私の世界から音が消えた。

消えたんじゃなく、私が遮断した。

嫌な音を聞かないために…



5年の付き合いの中で、私たちはマンネリを手に入れた。

食事が終われば当たり前のように、コーヒーが出てくる。

夜11時の訪問では、セックスはなし風呂のみ。

色んな細かいルールが、結局はマンネリという滝壺に私たちを陥れた。



「今週末は、どーするの?」

珍しく週の真ん中に部屋に来た、タケルを鏡越しに見た。


「んー、特に用はないよ。どっか、行く?」


少しの表情の変化も見落とさないように、鏡の奥で目を凝らす。

タケルはその間もずっと携帯から目を離さない。

今、会話してる相手はわたし?それとも、携帯の相手?

思わず口に出そうになるが、そのまま


「久しぶりにあそこ行きたい」


「どこ?」


「あそこ」


タケルが訝しそうな顔でこっちを見た。

5年の付き合いがあれば、「あそこ」で大概ピンと来る場所があっても良さそうだけどね…。


「分かんないなら、いいや」


「おやすみ」



初めてルールを破った。

今日の彼の訪問は、夜7時。いつもなら、わたしの寝る準備が整えばそっとベットに入り、それがスタートのサイン。

5年間、変わらず培って来たルールをもう今日でやめてる。

だってさ、私少し前から彼の声聞こえない。

必死で口を見て、会話を繋げてる。


そんなあからさまに可笑しい違和感すら、気づかないタケル。


もう2ヶ月以上、電話してないの知ってた?

私の部屋がスッキリ片付いて来てること気づいてた?


タケルはなーんにも、気づかない。


25歳からのお付き合い。

先週、私は30歳になった。

タケルと付き合った当初から、私が意識していた結婚は、嘘でも素振りでも会話に上がって来ることはなかった。




3ヶ月ほど前に、突然の耳鳴りで倒れてそのまま病院に運ばれた。

「突発性難聴」ストレスが原因とされた。

そこからジワジワ私の世界から音が消えて行った。

仕事は辞める旨を伝えると、在宅でできる仕事を回してくれるという温情をみせてくれた。


あの日、倒れたあの日…

私が最後に見たのは、タケルと若くて可愛い子のデート姿だった。


会社の後輩かな?

ただの知り合いかな?

色々否定しながら、今目の前で起こってる事に目を瞑ろうとしたけど、

タケルが彼女の肩に手を回し、耳たぶを触った。

私にしてた、愛情表現。


彼女がキュっと、タケルにしがみついた。


その瞬間、全ての音が私から消えた。



あーあ、やっぱりそうか…。

むしろ、ごめんね

縛り付けて。




「もう、寝るのー?」

背中を向けてベットに入ってる私に向かって、何かを囁いてるタケル。

もう、何も聞こえない。

「寝ちゃうの?ねぇ。」

優しく肩をなぜながら、ベットに潜り込んでくる。



「タケル、もう終わりにしよう」


背中を向いたまま、私が掠れた声で呟いた。

グッと強い力で、肩を引かれて

目の前にタケルの顔が見えた。



「は???何で??」


怒ってるのか、呆れてるのかわからない顔。

黙ってその顔を見る。


「チナツ」


聞こえた…、最後に聞きたかった声。

くぐもってたけど、妄想かもしれないけど確かに私の名前を呼ぶ声。


ベットに座り直して、正面を向く。


「タケル、もういいよ。私の所にこなくても。

あの柔らかい優しい顔で笑う彼女の所に行きなさい。」



息を飲む動き。

私の肩を掴んでた手に力が入る



「いや!あれは…違…。そうじゃなくて」



片手をタケルの顔の前に出して、言葉を制した。


「タケル、ごめんね。タケルの声聞こえない。」

口を開けて、間抜け顔。


何だか本当にどうでもよくなるような気持ち。


去年からの浮気に気づいたのはきっと早い段階だったと思う。

それほどまでに私はタケル一筋だった。

私より5歳若い彼は、付き合い当初はまだ20歳。

もちろん結婚を意識するわけもなく、ただチョット年上のお姉さんにハマってくれた。



「この前の週末、見ちゃった。

去年からずっと彼女と仲良くしてたでしょう?

悩んでたんだ…どうしようかって。 で、悩みすぎて耳、聞こえなくなっちゃった」

明るく話す

もうこれが最後だから


「タケルの会社では、あの子が彼女って事になってるんだね。

この前、社用でタケルのオフィス行ったら、受付の子が教えてくれた。

親切な人だね。

おばさんは、用無しだってって。

きっと、彼女のお友達なんだろうね」


「みっともなくなりたくないの。

私、先週30歳になったしね」


タケルが目を見開く


「彼女とデートしてた日、私の誕生日。

ほんと、酷い仕打ち」


タケルの頬に手を伸ばした。


「でもね、もういーよ。

終わろうね。

さよなら」


そのまま、タケルの耳たぶをそっと撫ぜて手を下ろした。


「い、いやだ」


「だめ」


「やだ、まって、チナツ」



ほら、また「チナツ」って音だけがかすかに聞こえる。

未練が残るから、ここで終わり。



「知ってるよ。ご両親にも彼女のこと合わせたんでしょ。

お母さん、私が年上だからいい顔してなかったもんね。

全てうまくいくよ。

私、ごねないから。



だから、タケル。

お願い、終わりにしよう」



彼の目から涙がこぼれた。


「ごめん、チナツ…」


携帯や鍵を、鷲掴んでタケルが部屋を出ていく。


これで、おしまい。



彼だけが心の支えだった。

身寄りのない私が、神様から貰えたご褒美の時間。


突発性難聴の検査途中で、たまたまとったMRIで脳に腫瘍が見つかった。

非常に大きな腫瘍は、脳幹圧迫して生命の危険も脅かした。

手術は無理だと言われ、人生に絶望して帰ってきたあの日。



タケルが私を失っても、1人にならないことだけが私の救いになった。



私は1人で無音の世界に旅立つ。

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