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茨の王妃

作者: 紅苑しおん

遠い昔。

これはとある世界のとある国でのお話です。


東の国の王女、アナスタシアは今日も悩んでいました。

もうすぐ4ヵ国合同の舞踏会が開かれるからです。

年に1度の大切な行事。

アナスタシア姫も気合いじゅうぶん。

しっかりおめかししておしゃれをして舞踏会に臨まなければいけません。

でもそれこそがお姫様の悩みの種なのです。


舞踏会の日は4つの国のどこが一番豊かな国なのかを決める日でもありました。

国中から持ち寄った貴重な品物を売ったり、伝統のお芝居や歌を披露しあったり、国民たちも総出でこの行事を盛り上げます。


それは本来とても幸せな日のはずでした。ふだんは忙しく働いているお城のみんなもこの日ばかりは笑顔が絶えません。


けれどもお姫様のアナスタシアにはみんなとは違う仕事がひとつだけあるのです。


それは4ヵ国のお姫様が一同に介して美しさを競うショーの時間です。

自慢のドレスに身を包み、壮大な管弦楽をバックにダンスを踊る。

このショーで1番になる事は4ヵ国の中で最も優れた文化を持っていることの証明なのです。だからこそどの国も1番になるために必死になって姫を飾り立てます。



でも東の国はこのところ1番をとれたことがありません。

アナスタシア姫の器量の問題でしょうか?いいえ、違います。

その理由は西の国の王妃、エステア姫にありました。千年に1度の美と称されるエステア姫は"生きる天女"と呼ばれ、西の国の民はもちろんのこと4ヵ国すべての国民に慕われていました。

彫刻のような艶やかな肌に、西の国特産の絹で織った羽衣を身に付けて舞い踊るエステア姫の美しさは正に天上の美。


エステア姫の包み込むような笑顔を見るたびにアナスタシア姫はふさぎこんでしまいます。

"今年もあの人には勝てないんだわ"

思わず溜め息をついてしまいました。


「姫様、そんな顔をなさってはいけません。お肌に悪うございますよ」


いつもアナスタシア姫の隣でお世話をしてくれる側近のシーザーがいかめしい顔で紅茶を淹れながら言います。


「うるさいわね。だってこのところ舞踏会はエステア姫のためにあるようなものだわ。私、つまんない。みんな、私のかわいさにひれ伏すべきだわ。どうして、みんなエステア姫なの?シーザーはどう思う?エステア姫とアナスタシア、どっちがキレイ?」


「そのような事は思っても口にしてはなりません。小じわが増えまする」


「やかましい、この小姑!」


アナスタシア姫は不機嫌です。

でもシーザーの言葉が気になって思わず鏡を確認してしまいます。

お化粧がしっかり乗った肌は潤っていて若さに満ち溢れています。

皺なんてひとつもありません。


"ああ、なんてカワイイの"


アナスタシア姫は満足すると紅茶を口に運びました。


「12回目でございますな」


「ん?何が?」


「今日、姫様が鏡を見てご自分の姿にうっとりとみとれていた回数でございます」


「ちょっ…数えないでよ、バカ!

いいじゃない、だって誰もカワイイって言ってくれないんだもん!あんたくらい言いなさいよ!」


「姫様の可愛らしさは正しく広大無辺の世界のなかでふたつとないものであります。その美には天上の女神たちが羨み、妬み、姫様の美を手にするために様々な呪術を試みているという噂もあるほどで…」


「もういいわ…わざとらしいし、何か最後のほう怖いこと言ってるし」


「恐悦至極」


「ほめてないわよ」


そんないつものやり取りを続けている内にお腹が空いてきました。

時計も3時すぎを示しています。


「おやつの時間よ、シーザー。アップルパイがいいかしら?」


「よいのですか?舞踏会までは甘いもの禁止とおっしゃられていたのは昨日ですが」


「う…」


その事をすっかり忘れていたアナスタシア姫の気持ちはますます沈みます。

でも我慢しなければいけませんでした。

舞踏会は1週間後。

今のままだとドレスに身体が入りません。


「もう!食事制限厳しすぎよ、シーザー。ここまでやったんだから当日入らなかったら絞め殺すわよ」


「ご心配なく。私、シーザー結果にコミットするのを信条としております」


「そ…そうね。そこまで筋肉質になりたいわけじゃないのだけれども…」


一礼して部屋を出るシーザーを見送ると姫は再び鏡に向かいます。


「はぁ…」


ため息が出てしまいました。

もちろん美しさに見とれてではありません。むしろその逆です。

シーザーにはああ言ったもののアナスタシア姫は自分にあまり自信がありませんでした。

お化粧で隠された顔の下はそばかすでいっぱい。お付きの侍女がいつも綺麗にとかしてくれる髪も本当はくるくる内側に巻いた癖っ毛です。

アナスタシアはそんな自分の容姿が嫌いでした。

エステア姫みたいに誰もが羨む美しいお姫様になりたい。


そこでアナスタシア姫は考えました。


"顔で勝てないならセンスで勝負よ!

国中の宝石商を呼んで私にふさわしいアクセサリーを作ってもらうんだわ"


姫は自分のアイデアに満足するとさっそくシーザーに伝えて、王宮お抱えの職人達を呼び集めました。


「お前たち、世界で1番美しいのはだれ!?」


「エステア姫でございます!」


「ちょっ…そこはアナスタシアでしょ!何よ、もう…」


「姫様は6番目くらいですな」


「2番でいいじゃないのよ!妙に説得力ある数字を持ってこないで…」


せっかく気分を高めてから本題に入ろうと思ったのにみんな空気が読めない人たちばかりです。

アナスタシア姫はうんざりしながらも職人たちに訪ねます。


「私をすっごくキレイにしてくれるアクセサリーはどれ?エステア姫にだって負けないアイテムを期待してるわ」


「ははっ、ここにございまする!」


職人たちが持ってきたふろしきを広げると中から出てきたのは光を浴びて白金に煌めくクマのぬいぐるみでした。

スワロフスキーで出来たクマはとても愛らしくゴージャス感に満ちています。

これぞ正しく王女様の持ち物と言えるでしょう。


「わー、すごい!カワイイ!前にお母様が下さったあひるのぬいぐるみはすっかり汚れてしまったから新しいのが欲しかったの!これでシーザーにご本を読んでもらわなくても夜バッチリ眠れるわ。名前はどうしましょう?うーん…マドレーヌがいいかしら?あなた達はどう思う?………って違う!」


クマを抱きかかえておおはしゃぎのアナスタシア姫でしたが、これは本来の目的ではありません。

姫はおしゃれなアクセサリーがお望みです。新しいおもちゃが必要なのではありません。


「やや、これは失礼しました!ではこちらのドールなどいかがでしょうか!」


今度は手作りのオーダーメイド感溢れるアンティーク人形です。

お顔はアナスタシア姫そっくり。

とても愛らしいお人形でした。


「わー、妹ができたみたい!素敵!………じゃなくて!私はキレイになりたいの!あなた達、いつまでもアナスタシアを子ども扱いしないで!」


「えー、だって姫様はまだ12歳になられたばかりではありませんか」


「私は18よ!無礼者!もういい!下がりなさい!」


これだから東の国の国民はいけません。

だれが"国民の妹"なものですか。

いつまでたってもレディとして見てくれない自国の国民にはこれ以上、頼れません。


アナスタシア姫はシーザーに頼んで南の国のデザイナーを王宮に呼ぶことにしました。


「南の国ですか…あまり気が乗りませんね」


シーザーは渋ります。

なぜなら南の国は狩りと戦いが大好きな辺境の国家。

アナスタシア姫にふさわしいセンスをもっているとは思えません。

しかし姫はぴしゃりと側近へ言い放ちます。


「だからこそ奇抜な発想が出てくるとは思わないわけ?広い視野を持たなくてはダメよ、シーザー。ワイルドなアナスタシアちゃんもステキじゃなくて?」


「姫様にはもう少しマイルドになられる事も覚えてほしいものですが」


「やかましい!」


ぼやきがうるさい側近も翌日にはちゃんと南の国から選りすぐりのデザイナーたちを呼び寄せてくれました。

聞き慣れない異国の楽器を吹き鳴らし、太鼓を叩きながら半裸の男たちが王宮に入場してきます。


南の国の男たちはアナスタシア姫の前まで進み出ると口許で獣の骨をクロスさせ、にこりと笑いました。

次の瞬間には骨を打ち付けると大きな炎を吐き出してみせます。


「おぉ!」


びっくりして声を出した姫に満足した男たちはさらに張り切って火の着いたままの骨をお手玉のようにぐるぐると回してジャグリングを披露します。

まるでサーカスのようです。

一通りの芸を終えると南の国の男たちはアナスタシア姫の座る椅子の下へ跪づきました。


「東の国の王妃様へのご拝謁、感激の極み!今後ともますます我が国とのご交誼をたまわりたく!では、御免!」


代表が声高らかに姫に告げます。


「ごくろう、大儀であった!わらわもその方らとの末永い友好を望んでおる!舞踏会を楽しみにしておるぞ!」


姫が口上を述べると一礼して男たちは王宮を後にしました。

アナスタシア姫も手を振って見送ります。


「して、シーザー。本題のデザイナーたちはどこにいるのかしら?」


「さきほどの彼らでございます」


「はひっ!?ちょっ…何で言わないのよ!帰っちゃったじゃない!てか、何であいつら大道芸だけやって満足してんのよ!」


「まぁ、それは南の国の民ゆえ」


「ず…ずいぶんラフな国民性ねぇ…じゃないわよ!呼び戻しなさい!」


きいきいシーザーを駆り立てて何とか南の国のデザイナーたちを王宮へ引き立てます。気分よく帰ろうと思っていた彼らは機嫌がよくありません。

あからさまに不快を示しながら姫の前に再び現れました。


「あなた達、よくも恥をかかせてくれたわね!」


姫の怒鳴り声にも南の国のデザイナーは動じません。

東の国との違いにアナスタシア姫は戸惑ってしまいました。


「アナスタシア妃殿下、お言葉そっくりお返し申そう。我らは国を代表して訪れた使節ぞ。それをかように呼び戻すとは礼を失しておるのはどちらと心得る」


「え?え?何?怒ってるの?ひょっとしてアナスタシアが悪い?」


隣のシーザーをちらりと窺います。


「姫様が悪うございます」


「えーっ!どうしよう、どうしよう、どうしたらいいの、シーザー」


「ここはきっちりと謝罪の意を伝えるべきかと」


「う…うん。わかったわ!」


アナスタシア姫は深呼吸して息を整えると言いました。


「えー、失礼をした。わらわにも非があると言えなくもない。そちらの殊勝な態度に免じて此度だけは許してつかわそう。善きにはからえ」


「おのれ、愚弄しておるか!」


南の国の使節たちはとうとう怒り出してしまいました。

真っ赤になって鼻息を荒げる男たちに姫は椅子を掴んで固まると助けを求めてシーザーの袖を引っ張ります。


「な、何をしているのですか!難しい言葉を無理に使われずとも良いのです!姫様らしく謝られませ!」


「わ、私らしく…わかったわ、やってみる!」


アナスタシアは咳払いを一度すると再び使節に向き直って笑顔を作りました。


「今回は私が悪かったわ、ごめんね。でもアナスタシアだって悪気があったわけじゃないの。だから許して。ね?アナスタシアからのお・ね・が・い!」


だめ押しにウインクを1回。

完璧に決まりました。

これで南の国の男たちもアナスタシア姫にメロメロのはずです。


「うーむ、エステア様ならいざ知らず、妃殿下のようなイモ臭い女児にお願いされてもまったく許す気にはなれませぬ」


「ちょっ…何でよ!何がダメなの!?え?ウソ?シーザー、今のナシ?」


「ナシですな。姫様に期待した私が愚かでありました」


「あ…あんたも大概失礼なヤツねぇ…」


「皆様、この度の我が主の非礼、深く陳謝致します。姫様におかれましてはまだ年幼く、善悪の区別もつかぬ未熟者ゆえその言動にはまったく意味などはございませぬ。どうかお気になさらず、悠久の風の如くお受け流し下さりませ」


シーザーは淀みなくそれだけ喋り終えると腰を折って頭を下げました。


「何か無礼な言葉が混ざってる気がするんだけどなぁ」


姫も釈然としないものを感じながらもシーザーに続いて頭を下げました。

とたんに南の国のデザイナーたちに笑顔が戻ります。


「さすがは東の国の宰相閣下。わきまえておられる。これでようやく私たちも務めを果たせるというもの」


そう言うとデザイナーたちは桐の箱を取り出して蓋を開きました。

中には真っ白な衣服が折り畳まれています。


「それってもしかして?」


「左様、妃殿下の為に私どもが仕立てましたビスチェにございまする。南の国特産の綿花より紡がれた極上の肌触りを感じて頂けるかと存じます」


これは期待できそうです。

手渡されたビスチェの感触を手で確かめるとアナスタシア姫はわくわくしながら畳まれた衣服を広げました。


繋がった布はほとんど紐と言っても差し支えのない細さで極力肌を覆う部分が少ない作り。男たち同様、南の国の衣服はとても露出が多いのが特徴のようです。

姫の顔は恥ずかしさで真っ赤になってしまいました。


「ちょっ…何よ、これ!布面積全然ないじゃない!アナスタシアに何を着せる気!?無礼よ!ヘンタイ!帰って!もう、帰って!」


姫の反応の悪さに戸惑いながらもデザイナーたちは不穏なものを感じてそそくさと立ち去りました。

あとに残ったのはシーザーだけです。

アナスタシア姫は白い目で側近を見つめました。


「だ、だから南の国に頼ることには反対したのです…」


「まったく謝り損だわ」


こうなったら最後の手段です。

ライバルの西の国には絶対に力を借りたくないアナスタシア姫は北の国を頼ることにしました。

しかし、ここでもシーザーの猛反発にあってしまいます。


「姫様、なりませぬ。北の国は魔導の国。魔女に頼るなどどのような災いをもたらすか予測もつきませぬ」


シーザーの表情はいつになく険しく、それだけは許さないというゆるぎない意思が姫にも感じられます。

けれどもアナスタシア姫だって考えもなしにそんな事を言っているわけではないのです。姫もここは譲れません。


「シーザー、私はエステア姫に勝ちたいのよ。今年こそは絶対に負けるわけにはいかないの。1番になってお母様やお父様、そして何より国民のみんなの喜ぶ姿がみたいのよ。そのためだったらどんな事だってするわ。手段も選ばない。魔女だろうが悪魔だろうが私を綺麗にしてくれるのならば構わない。喜んで魂を売り渡すわ」


「姫様…」


アナスタシア姫の覚悟を聞いたシーザーは不安を抱えながらも北の国の魔女を呼び寄せるしかありませんでした。


魔女が現れたのはそれから3日の後、雨の降りしきる夜の事でした。

霧雨が王宮を覆い、月明かりも射さない不気味な夜でした。


「お初に御意を得まする。招聘に応じ参上つかまつりました」


「こんな夜遅くに訪ねてくるなんて無礼なヤツねぇ。まあ、いいわ。あなたが魔女と言うのは本当なの?なんだかずいぶん若いけれど」


「ほほほ、ありがたいお言葉。最近は姫様のように"魔女は老女"だというイメージもだいぶ様変わり致しまして、私の周りの魔女たちも幼女ばかりでございます。私、今年で24になりましたばかりですのに魔女界ではババアと呼ばれる始末。せちがらい世になったものです」


「う…あなた達も大変ね。でもその言葉通りならずいぶんとベテランとみていいのね。今まではどんな仕事をしてきたのかしら?」


「そうですねぇ…邪神を召喚して村のひとつを焼き払ったことくらいしか特筆すべき実績はありませぬが…」


「ちょっ…何て危ないヤツ、連れてくるのよシーザー!」


「ほほほ、冗談ですよ、冗談!」


高らかに笑う魔女の声が王宮内に響き渡ると不穏な空気が流れ始めます。

不安を覚えた姫は隣のシーザーの右手をそっと握りました。


「シーザー、こいつ軽いわ。クーリングオフはきくかしら」


「まだ返品可能でしょう」


姫が頷くと衛兵が飛び出して魔女の両脇を掴みます。


「わぁ、待って!待って!私、久しぶりのお仕事なのよ!北の国じゃ若い子たちにしか仕事来ないのよぉ!お願い、待って!ちゃんと仕事するからぁ!」


目に涙を浮かべて地面に頭をこすりつける魔女の姿を見ているとなんだか姫もかわいそうになってきました。


「いいわ。じゃあ、あなたの持ってきた物をみせてちょうだい」


「そうこなくては。さすがはアナスタシア姫。やはりエステア姫を超えるのはあなた様しかおりませぬ」


そう言って魔女が取り出したのは黄金色に輝く植物の茨でした。


「あら?ずいぶんキレイだけれどもそれはどのように使うのかしら?」


「お気が早いことで…こうするのです」


魔女は茨を地面に置くと顔の前で五芒の星を描いて呪文を唱えました。


「イストール…ハストール…ソレイユ…システィーナ…イア…イア…遥か天上に住まう強壮なる神々よ…今こそ形を為して我が前に力を顕したまえ…伏して願い奉る…憐れなる少女に永劫の美を!」


雷鳴が王宮の天井に落ちて地鳴りが足元を揺らしました。

シャンデリアの蝋燭が消えて辺りに暗闇が広がると、床できらめく金色の茨だけが異様な輝きを示していました。

やがて衛兵達が新しい明かりを持ってきて王宮に明るさが戻った時、茨は形を成してキラキラと煌めくドレスに変化していました。


「な、なんてステキなの!美しい!こんなに美しいドレスがあるなんて!」


「サイズは姫様に合わせて仕立ててございます。どうぞ、袖をお通し下さい」


「うん。で…でも、茨には刺があるわ。身体が傷つかないかしら?」


「ご安心を。我が付呪によりてこのドレスには防護の魔法がかかっております。茨の刺が姫様を傷つけることはございませぬ」


それを聞いて安心したアナスタシア姫はさっそくドレスに袖を通してみました。

不思議なことに茨のドレスは姫の身体に触れると伸び縮みしながら再び動きだし、姫にぴったりのサイズへと変化しました。


アナスタシア姫は全身を移せる大きな鏡を運び込ませると自分の姿を映してみます。


「すごい…すごいわ…ここまで私に似合うドレスがあるなんて…信じられない…勝てる!勝てるわ!これならエステア姫にだって勝てる!」


「お気に召されたようで何より」


「褒美を取らせる!何なりと申してみよ!」


「いえ、私は己が力を試すためにここに参ったに過ぎませぬ。過分なお言葉痛み入りまする。ですが姫様…ひとつだけご忠告を」


「な、何?」


「この茨のドレスは着装者の願望を糧に形成されております。その思いが強ければ強いほど大きな魔力を生みますが、逆に申せば強すぎる魔力は姫様の心を蝕みまする。姫様の"エステア姫に勝ちたいと願う心"その思いの強さは危うさをはらんでおりまする。ドレスを長時間、着用する際はくれぐれも茨に心を壊されぬようお気をつけを」


忠告する魔女の声から先ほどまでの若々しさはすっかり息をひそめ、アナスタシア姫にはまるで老婆のように低くしゃがれた声音に聞こえるのでした。


「忠告、感謝する。肝に命じよう」


魔女は頭を下げると王宮を後にします。

魔女がいなくなるとあれだけ降っていた雨はぴたりとやんで空には美しい星空が輝き始めました。


「あ!見て、シーザー!流れ星よ!願い事をしなきゃ!"エステア姫に勝てますように。エステア姫ぶっとばす!エステアばか野郎!"良し、3回言えた!」


嬉しそうに笑う姫とは違ってシーザーは難しい顔で黙っています。

アナスタシア姫は面白くありません。


「ちょっとツッコミなさいよ。ノリが悪いわよ」


「姫様、私は恐ろしゅうございます。その茨のドレス、私にはまったく美しいとは思えませぬ。どうかお考え直しを」


「無礼者。私がこれを選んだのだ。茨で編まれた魔法のドレス。エステア姫を打ち負かすのにこれ以上ふさわしい物があるはずがない。そうね、でもあなたがそこまで言うのなら舞踏会の前に1度パーティを開きましょう。そこでみんなに聞いてみることにするわ。私の美しさをみんなの前で思う存分見せつけてやるのよ!」


魔法のドレスを手に入れたアナスタシア姫にはもう恐いものはありません。

臆病者のシーザーなんてほうっておいてパーティの支度をしなければいけません。

きっとみんな驚くに違いありません。

姫は自信満々でした。


パーティの準備が整ったのはそれから2日後。舞踏会の前日です。

予行練習にはちょうどいい日取り。

アナスタシア姫は家臣たちを集めると茨のドレスに袖を通し、ファッションショーさながらにランウェイへ飛び出しました。


「みんな、お待たせ!東の国のスーパーアイドル、アナスタシアちゃんよ!」


姫の姿を見るとみんなから歓声が上がります。


「姫ーっ!ステキです!」


「アナスタシア様!こっち向いてー!」


「あのアナスタシア姫がこのような…感激です!」


"ああ、みんなが見ている!みんなが私の事だけを見ている!こんなにも目を輝かせて!始めてよ、夢のような心地だわ!"


姫は今までに感じたことのないような幸福に包まれていました。

それもこれも全部、北の国の魔女が授けてくれた茨のドレスのおかげです。

不安なんて何ひとつありません。

明日の舞踏会だって大成功間違いなし。

やっと国民たちの前で世界一美しいアナスタシア姫の姿を見せられる時が来たのです。


姫はみんなの手を取りながら夜になるまでパーティを楽しみました。

まるで前夜祭のような雰囲気でした。

でも明日にはもっと豪贅なパーティが待っているのです。

舞踏会で1番になったアナスタシア姫を祝うための祝勝会が待っているのです。



黄金色に輝くドレス姿で1日を過ごした姫はすっかり疲れきって部屋に戻るとすぐにベッドに横になってしまいました。

"早く休まなきゃ"

明日に備えてぐっすり眠って体調を整えておかなければなりません。

眠る前にもう1度だけ自分の姿を確認したくなったアナスタシア姫は鏡の前に立

ちました。

"なんてカワイイのかしら。うん、本当にカワイイわ"


「でもまだ足りないわ。まだ世界一にはほど遠いと思わなくて?」


部屋の後ろで声がしました。


「誰!?」


姫は振り返ります。

しかし部屋の中にはアナスタシア姫以外だれもいません。


「ふふ、どこを探してるのかしら。私はここ。あなたのすぐそば」


声は自分の身体の内側から聞こえてくるような気がします。

姫は再び鏡に向き直りました。

そしてそこではっと息を飲んでしまいました。さきほどまであんなにきらびやかに輝いていたドレスが真っ黒に汚れているではありませんか。

いや、それは正確ではありませんでした。よく見ればドレスは汚れてなどいません。汚れているのではなく茨そのものが真っ黒に変色しているのでした。


「何よ…何なのよこれは」


姫はだんだん怖くなってきました。

ドレスを脱ごうとします。

でも不思議な事に茨は姫の身体にぴったりとくっついて離れません。

まるで姫と一体化してしまったかのようです。


「何よ!もう!」


力まかせに引きちぎろうとすると茨は姫の柔らかい肌に食い込んで刺さってしまいました。


「痛いっ!」


「アハハッ、だめよぉそんなことしちゃ。あなたと私は一心同体。もう絶対に離れてなんてあげないんだから」


「いや!私に話しかけないで!何なのよ、あなたは!?」


「私はあなた。あなたの心の闇。キレイになりたいんでしょ?私があなたの願いを叶えてあげる」


声の主はアナスタシアの後ろに立っていました。紫色をした淡い炎のようなゆらめきの中に見えたその姿はアナスタシアそっくりでした。

いよいよ姫は気味が悪くなってきました。

"何が起こってるの?"

そしてはっと気づきました。

思い出したのです。

北の国の魔女の言葉を。


"ドレスを長時間、着用する際はくれぐれも茨に心を壊されぬようお気をつけを"


心の闇。

ああ、何ということでしょう。

アナスタシア姫の心はすっかり魔法の茨に取り込まれてしまっていたのです。


「ソレイユ…システィーナ…イア…イア…イストール…ハストール…」


呪文が耳の奥で聞こえます。

途端にアナスタシア姫の顔は火が出たように熱くなり始めました。


「痛い、痛いよぉ…」


痛みに耐えかねて顔を上げた時、アナスタシア姫は鏡に映った自分の姿を目にして凍りついてしまいました。

そこに自分の姿はありませんでした。

そこに映っていたのはエステア姫でした。

顔に手を当ててみます。

紛れもなく自分の顔です。

でも映し出されているのはエステア姫なのです。


「嫌…嫌よ…こんなの違うよ…こんなのアナスタシアじゃない!私、こんな事望んでない!嫌!嫌!私の顔を返して!」


「アハハハハハッ!今さら遅いわぁ。私はあなた。あなたの心の闇。あなたの心を映す鏡。あなたは望んだ。世界一の美女になることを。だから私は叶えた。あなたの望みを。それだけの事」


アナスタシアは泣き出してしまいました。こんな事になるなんて思ってもみませんでした。

どうしたらいいのかわからなくなってすっかり途方にくれてしまいました。


"お母様、ごめんなさい。お父様、ごめんなさい。アナスタシアはふたりからもらった大切なお顔をなくしてしまいました。アナスタシアはアナスタシアではなくなってしまいました"


アナスタシア姫の心を絶望が包んだその時でした。部屋の扉が勢いよく開いてたくましい男性が姿を現しました。


「姫様っ!」


「シーザー!」


側近のシーザーです。

手には金色に輝く大きな鋏を抱えていました。


「そ…それは!」


アナスタシアの背後で紫色の炎が悲鳴を上げました。


「東の国に代々伝わる魔を断つ鋏だ。今、ここで貴様の闇を斬り払う!」


「や、やめて!」


「姫様から離れろっ!」


シーザーは鋏を振りかざしてアナスタシアに近づくと姫を拘束して離さなかった茨を切ってしまいました。


「いやあああっ」


その叫び声を最後に炎はゆらゆらと形を崩すとアナスタシアの前から姿を消しました。同時に真っ黒だった茨は元の通りの黄金色に戻るとぼろぼろとこぼれて姫の身体から溶け落ちます。

シーザーがさっとベッドから布団を引き剥がして姫に被せてくれました。


「シーザー、ごめんなさい。怖かった、怖かったよぉ」


鏡に映る姫の姿はもうエステア姫ではありませんでした。

茨の呪縛から解放され、アナスタシア姫は自分の姿を取り戻すことができたのです。


「姫様、ご無事でよかった。私も恐ろしかったです。姫様が美しさにこだわる余りにご自分を見失っておられたのが…東の国の王妃様はアナスタシア様以外におられませぬ。あなた様はそのままのお姿が一番お美しいのです。今のままのアナスタシア様が何より素敵なのです。それは他の誰でもないアナスタシア様だけの美しさのはずです。エステア姫のようになどならずともよいではありませぬか。少なくとも私にとっては…私にとってはアナスタシア様こそが世界で一番美しいお姫様なのですから」


「シーザー、ありがとう」


その言葉に姫は胸のつかえがとれたような気がしました。

そうなのです。

シーザーの言う通り、アナスタシアにはアナスタシアの美しさがあるはずです。

姫は失っていた自分らしさにようやく気がつくことができました。


翌朝、舞踏会の日がやってきました。

目が覚めたアナスタシア姫は部屋の箪笥の一番下に大切に保管されたドレスを引っ張り出すとお付きの侍女を呼びました。


「今日はこれを着て舞踏会に参加するわ」


「こ…このドレスは!」


「ええ、お母様がお父様に嫁いだ日に来てきたというドレスよ。今の私にはまだ似合わないかもしれないけれど、でも今日はこれを着たい気分なの。手伝ってくれる?」


「ははっ!女王様もお喜びになられるはずでございます」


侍女は手渡されたドレスの皺をしっかりと取ると姫の着替えに当たります。

鏡に映る自分のドレス姿に姫も満足そうに微笑みました。

もう魔法の茨に頼る必要はありません。

今日こそ自分らしくエステア姫と向き合うのです。


「では、お化粧を…」


「薄めにお願いね」


「え!?」


「ふふ、大丈夫よ。できるだけ自然な仕上がりにしてほしいわ」


「かしこまりました」


お付きの侍女が化粧道具を準備し始めると、もうひとりの侍女がしっかりと温められた小手を持って姫の前に現れます。


「では、髪の毛を失礼致します」


「ふふふ、それも結構よ。このままの髪型でいくわ」


いつもはそばかすが隠れるまで塗らせる下地も、まっすぐ伸びた艶やかな髪の毛すら姫はもう必要とはしていませんでした。

自分を偽ることなんてありません。

シーザーから貰った言葉が何よりの励みです。姫は堂々と胸を張りました。

ありのままの自分の姿でエステア姫の前に立ちたい。

国民の前に立ちたい。

その思いでいっぱいです。


「いったい、どうしたのですか姫様?今日は大切な舞踏会の日だというのに」


「大切な日だからじゃない!私は私。他のだれでもないアナスタシアよ。お母様やお父様から貰ったこの顔で、この髪で、私はみんなの前に立つわ」


「姫様、なんてご立派なお言葉。心得ましてございます!」


準備万端、整うとアナスタシア姫は深呼吸で気持ちを落ち着けます。

やがてシーザーが舞踏会の時間が迫っていることを伝えに部屋までやって来ました。


「どうかしら、今日のアナスタシアちゃんは?決まってる?」


「はい、いつもにも増して一段とお美しく」


「当然よ」


姫が笑うとシーザーも微笑みを返しました。王宮の外には馬車が待っています。

会場に辿り着けばメインイベントである姫たちのショーはすぐに始まります。

主催者である各国の女王や国王はすでに姫たちの到着をいまかいまかと待ちわびています。もちろん国民たちも。

4ヵ国の注目が集まるショーの時間は目前です。


アナスタシア姫が到着するときらびやかな鎧に身を固めた騎士が控えの間へと通してくれます。

しばらくの間はここで待機です。

緊張感が高まります。

どれくらいの時間が経ったでしょうか。

部屋の扉が開くと騎士が出番を告げました。


「姫様、勝利を!」


「勝利を!」


アナスタシア姫はシーザーと拳を合わせると長い回廊を抜けて舞台へと飛び出しました。

沸き上がる歓声。

それはみんなの祝福の声でした。


「アナスタシア様だよね?なんかいつもと違うね。自然でカワイイ!」


「なんて自信に満ちた表情であることか。まるで聖女だ!癒される!」


「アナスタシア姫ってあんな癖っ毛だったか?でも、いい…アリだ」


鳴り止まない拍手を一身に受けて姫は舞台を後にします。

最高に充実していました。

これ以上はないというくらいに姫は幸せでした。


「アニー!久しぶりっ!」


控えの間へ戻ろうとするアナスタシアにまるで天女のように美しいお姫様が話しかけました。

エステア姫です。

小さなお顔にぱっちりとした目元。

すきとおる肌。

今年もやっぱりエステア姫の美しさに陰りはありませんでした。


「あら、エステア姫ご機嫌よう」


「ねえねえ、アニー聞いてよ!実は私、ガーデニングを始めたのよ。西の国の王宮をアイリスの花でいっぱいにするの!ちょうど今朝までやってたんだけど父上ったら目が疲れるからやめろって言うのよ!どう思う?」


「どうって…別に悪くないんじゃないかしら」


「そうよねー、やっぱりアニーはわかってるわ。ありがとう、勇気出た。帰ったら王宮お花畑プロジェクト再開よ。食卓の上もトイレもお風呂もアイリスでいっぱいにしちゃうんだから!」


「そ、それはやりすぎよ…父上様に同情するわ…」


「えーっ、なんでよーっ!」


「エステア姫、出番でございます!皆が待たれております」


いつまでも話の終わらないエステア姫を見かねた騎士が呼び戻しに来ます。


「じゃあね、アニー。今年も負けないんだから!」


「あら、どうかしら。今年は私が1番よ」


前は大嫌いだったエステア姫との会話。

でも今のアナスタシア姫にはエステア姫の美しさの秘訣がちゃんとわかります。

それはいつでも自然体であることだったのです。

エステア姫は勝負の最中だってどんな時だって普段の自分を見失ったりしません。

それは何よりも自由でとってもステキな事です。

アナスタシア姫は舞台に向かうエステア姫の後ろ姿を見送りました。


さあ、後は結果発表を待つだけです。


舞台に4人の姫が並び立ちます。

司祭様が神に祈りを捧げると投票結果の書かれた紙を広げました。


「4位…」


4位は南の国の王妃、ヴァネッサ様。

3位は北の国の王妃、シンシア様に決定しました。残る枠はふたつです。

アナスタシア姫は両手を組んで目を閉じました。


「2位。東の国、アナスタシア王妃」


司祭様の声に続いて大きな拍手が巻きおこります。アナスタシア姫は昨年と同じ2位という結果に終わりました。

1位の座を勝ち取ったのはエステア姫。

万雷の拍手に投げキッスで応えると司祭様から栄誉の花かんむりを受けとります。

アナスタシア姫も手を叩きました。

心からの祝福です。負けてしまったことに一切の悔いはありません。

勝ち負けよりももっと大切な、もっと大きな事を学べたからです。

観客席に座るシーザーと目が合いました。


"あなたのおかげよ、シーザー。人には人の数だけ美しさがある。それは優劣を競うものなんかではないのだわ。私には私の、エステア姫にはエステア姫の美しさが。他のみんなだって同じ。誰ひとりとして同じ人はいないのだから"


アナスタシア姫が"慈愛の王妃" "国民の母"と呼ばれるようになるのはこれよりももっと先の事。でも姫にとってこの日の舞踏会とあの夜の出来事だけは生涯、特別な日となったのでした。


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