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精髄と真実

連続怪死事件の首謀者のパートです。大体ここで色々繋がってくると思います。

「人間は小宇宙なり」


それは人が宇宙全体の雛形であるという教義だ。


教義になぞると、頭部は白羊宮が支配し、首と喉は金牛宮が支配する。

そして双魚宮の支配する足まで人体を下っていく。


要するに人は皆、頭上の目に見えない世界から妖怪や精霊のような霊的なものを手繰り寄せる力を秘めているという事だ。


黒い手袋を嵌めた痩身の男は一人、照明の消えた暗い部屋に佇み壁一面を覆う水槽に手を這わせた。

水族館のような空間だが、そこには魚一匹も泳いでいない。

代わりにもっとおぞましく、醜悪なものが浮かんでは沈んでを繰り返していた。


人骨。


夥しい数の人骨がそこには沈められていた。

それらは完全に白骨化したものもあるが、そのどれもがまだ生々しい肉片を纏っていた。

かなりの数が浮かんでいるというのに、水槽の中の液体は少しも濁らず澄んでいる。

「これも違ったか………」

男はすぐ横に設置された透明で長細い棺のような箱からまだ血液が粘つき、糸を引いた背骨の部分を取り出すと、壁面の脇に取り付けてある入り口に放り投げた。


軽い水音。

それと同時に哀れな背骨は脂肪や血管を解きながら下層へ沈んでいった。

男は拳を握りしめる。

「いつだ……。いつになったら私はお前に会える…」


男は力任せに壁の水槽を叩いた。

すると一瞬にして水槽を漂っていた人骨が消え失せた。

水槽の中は何も無くなり、穏やかな水音をたてるだけになった。


男の背は震えていた。

広い肩が小刻みに震え、長い髪がその動きに合わせて肩を静かに滑り落ちていく。

しばらくして男の頬を涙の雫が滑り落ちた。

男は泣いていた。

透明な雫は滑らかな頬を滑り、透明な棺の上に落ちる。

棺の中には美しい首だけの美女が眠っていた。

それはかつて男が狂おしい程に愛した女だった。

最初から叶わない恋だった。自分とは何もかも違う世界の女だったから……。

それに女は男を愛してもいなかった。


それでも男は女を愛し続けた。

例え報われなくても、構わなかった。


だがいざ女が別の男のもとへ嫁いだ事を知った時は気が狂いそうだった。

いや、実際狂っていたのかもしれない。

自分のものにならなくてもいい。だけど女が他人のものになってしまう事だけは許せなかった。

あの甘い笑みを他の男にだけ向け、毎夜その男に清らかな身体を委ねるのだ。

想像したくないのに嫉妬心からどうしても想像してしまう。

男は何度その激しい狂気に身を委ねてしまおうと思った事か。


だがその煉獄のような日々は更なる業火へと変わった。

女が死んだのだ。

しかも夫を庇っての事故だという。

信じられなかった。

もうどんなに恋い焦がれても決して手が届かないところへいってしまった。


男は絶望した。そして考えた。

出た答えは「禁忌」への扉を開き、禁術に手を出す事だった。


男はその夜、女の葬儀の間に忍び込み、遺体を老婆の死体とすり替えた。

すり替えに使った死体は、金を払えば何でも調達するという調達屋に用意させた。

だがちょうど若い女の死体は無く、仕方なく老婆の死体を使う事になった。

だが葬儀が終わればもう棺桶の蓋が開かれる事はない。これは問題ないだろう。

こうしてまんまと愛する女の身体を盗み出す事に成功したのだが、その状態を見て男は絶句した。

女の顔は生前、男が愛した頃のまま美しかった。

血の気のない白い顔にうっすらと紅を掃いた薄い唇。細く整った眉。通った鼻梁。艶やかな黒髪は極上の絹を思わせる手触りだった。初めて触れるその手触りに男の胸は高鳴った。

そう、今にも瞼を開き、可憐な唇は自分の名を紡ぎ出すのではないかと思うくらいに彼女は美しかった。

だが女の身体は「それだけ」だった。

棺桶の中には女の頭部しか入ってなかった。首から下は何もない事を隠すように色とりどりの花が隙間をなくすように埋められている。

後から聞いた話によると、夫は月天の名士で度々政敵から命を狙われていたという。

その日は貴族会議があって、夫妻は帰りの馬車を襲われた。反勢力派の男は身体い呪力符を巻き付け、馬車に特効した。それを咄嗟に判断した女は夫を馬車の外へ押し出し救ったという。

馬車は爆破炎上し、女は死んだ。


月天の民は肉体の束縛を受けない精神のみの存在だ。

そんな悠久の時を生きる月の民が「死」を迎える事などあり得ないはずだ。

だが昨今では簡単に月の民は命を落とす。

これはどういう事なのだろう。

女は即死だった。だが、奇跡的に頭部だけは無傷で発見されたらしい。


男の悲しみは例えようもなかった。

頭部のみが生前の面影を残しているだけに、この現実はあまりにも酷い。


禁忌と狂気の扉はこの日開いた。


男は黒い手袋に包まれた手で何度も棺をさすった。

「あぁ……。霞紅夜。いつになったら貴方に会える……そしてどれ程待てばあの甘い微笑みが手に入るのだ」


その時、真っ暗だった部屋に照明が灯った。

何者かがこの現実の空間と隔絶された部屋に入ってきたのだ。

「クウィンテスンス様、アセンダント。ただいま戻りました」

そこには肩を鮮血に染めた顔に傷のある黒ずくめの男が立っていた。

それはたった今、真木隆文が遭遇した奇妙な男だった。そして数日前、鳴王胤夜泉に柳川光琳と名乗った男でもある。彼の本来の名はアセンダントといって、人間ではなくその正体は月天の民だ。

彼の肩の傷は生々しく、手で覆った指の隙間からは新たな血が吹き出している。

「おお。アセンダントか。よくぞ戻った。その傷はどうしたのだ」

クウィンテスンスと呼ばれた男はアセンダントの傷を見て美麗な眉を顰めた。

「いえ、ちとソロモンに生き餌を与えていたところに人間に遭遇しまして……。ついでにそやつも生き餌にしてやろうと思っておりましたら、思わぬ番狂わせといいますか……。どうやらもう一人の「守人」が加勢に現れ、このような手痛い仕打ちを受けました」

「何っ、守人が見付かったのか?」

アセンダントは荒い息を抑えるように静かに頭を下げた。

「私にこのような傷を付けられる者など守人以外いないでしょう」

「確かに。月天の民を相手に、人間風情がこれだけの手傷を負わせられるとは思えぬな。しかし守人が現れたという事はこの計画、もう少し早める必要があるな。メディウムの娘は見付かったのか?」

「はい。ちょうどメディウムの葬儀に参列しておりましたところを捕獲にあたったのですが、後一歩のところで逃げられまして……」

アセンダントは悔しそうに唇を噛みしめた。

「そうか。見付かったのは上々だ。して彼女のアエテルは確かに娘に移ったのだな?」

「はい。それは確かです。実際に娘の内部を確認したところ確かに霞紅夜様の気配を感じました。メディウムは命を落とす前に娘へとアエテルを託したと思われます。しかし身体にすっかり取り込んでしまったのか、どこかに分離させてしまったのか、その場で取り出す事は出来ませんでした」

「そうか。それは厄介だな。しかし霞紅夜は娘の中で確実に息づいておるという事だな」

「はい」

アセンダントはそう断言した。

その言葉にクウィンテスンスは満足そうに頷いた。


「我らは狂ってきているのかもしれぬな……」

「…………」

クウィンテスンスはアセンダントの周りをゆっくりと歩いていく。

アセンダントは痛みを堪えるように俯き、その声に耳を傾ける。


「土星天の彼方にある天球層は元来、時の制約を受けぬ。

それは即ち「永遠」というに等しい。

その個として既に完結した種である月の民がこうして些細な事で争い殺し合い、簡単に落命する。

これは一体どういう事だ」

アセンダントは頷く。

「そうですな。確かに我々は時間の枠の外、持続の外にある種族です。それがこの僅か数百年の間に変容してきている。

永遠の命が終わりを迎える。

それは何かの予兆のようなものなのでしょうか。だとすると我々は一体何をすればいいのでしょう。

このまま黙って変化を受け入れ滅びてしまうのか、はたまた抗うのか」

クウィンテスンスは黙って彼の言葉を吟味するように瞼を閉じた。

その時、思い出したように再びアセンダントの肩の傷が痛みだした。

「くっ…、うっ。守人にやられた傷が…………」

「おお。すっかり忘れていた。済まなかった。早く身を浸すがいい」

思考の海から引き上がったクウィンテスンスはすぐに水槽のハッチを開けた。

アセンダントは恭しく頭を下げると、黒い山高帽とコートを落とし、身につけていた衣服を全て取り去り、全裸になった。

そして先ほどまで人骨の浮いていた水槽の中に身を浸した。


「それで、これからどうする?」

水槽越しにクウィンテスンスは中でじっとしているアセンダントに問いかける。

「はい。それならばよい案があります」

透明な液体に身体の隅々を浸したアセンダントは自信たっぷりに笑みを浮かべた。

水中だというのにその声はこもる事なくはっきりと聞こえる。

「ほぅ………。話してみろ」

「はい。少し前に「妖怪」の類を専門に商いをしているという「探偵」がいるという噂を聞きつけました。娘の持つアエテル捜査にはうってつけかと……」

「アエテルとは物界でいうところの「妖怪」と意味を同じくするのだったな。うむ。よかろう。任せる」

彼らの言うアエテルとは「魂」。

つまり目に見えない精神的なもの、神聖なものを意味する。これはラテン語である。

一般的には「エーテル」と発音する。

そして物界とは、この世界の事を指す。月天では昔から罪人の流刑地として知れ渡っている。


「メディウムの娘は何と言った?」

「はい。ウェリタス《真実》と」

「そうか。良い名だな。私がクウィンテスンス《精髄》で娘がウェリタス《真実》か………」


クウィンテスンスは薄く笑った。

精髄とは第五元素、つまり地水火風という下位元素と、目に見えない高次の元素を結合する事を示す。

それは新たな生命を意味する。

そして第五元素のシンボルは連鎖した三角形「ソロモンの封印」と関連している。


「もうこの計画は止まらぬよ」

「御意」

水槽の中からアセンダントのくぐもった声が響いた。

次回はようやく主人公の再登場。お見合いのお話です。

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