時計仕掛けのカラクリ人形・マルコォ
「俺はな、人生の『意義』って奴を探してるんだ。富にも名誉にも興味はない」
舞台は江戸時代後期。とある遊郭で持て成された清次郎は、懐の短刀をチラつかせて遊郭の番頭を威圧した。清次郎の髪はボサボサの伸び放題で、赤い着物姿が彼のセクシャリティを強調している。
清次郎は、遊郭へ遊女遊びに来たのではない。この遊郭「直原」の用心棒、乱乃介が、清次郎言うところの「意義」についての手掛かりを知っていると聞いて訪ねてきたのだ。
清次郎はその剣の腕前から江戸中に名の響き渡った男で、清次郎の突然の訪問に、「直原」の番頭も持て成さざるを得なかったのである。番頭は両手を広げて、乱乃介を呼び寄せる旨を清次郎に伝える。
「客人、いえ。清次郎殿。乱乃介へと手引きしたいのは山々ですが、何せ乱乃介、冷静沈着な男であるものの、剣についてはいささか粗暴でしてね。いや、本当にお気をつけなさるように」
清次郎は右目だけに隈のある猟奇性に溢れた瞳を、爛々とさせる。
「御託はいい。早く連れてこい」
「いや、しかしそう言っている間にも……」
番頭がそう言い終えるか終えないかの内に、清次郎目掛けて刀が振り下ろされる。清次郎はそれを軽々とかわすと、身を翻し、態勢を立て直す。振り返ると、そこには青い着流し姿、長い髪を綺麗に整えた乱乃介がスラリと立っている。乱乃介はこともなげに言ってのける。
「人生の『意義』探しなんてやめることだ。未知なるものへの畏敬の念を忘れてはならぬ」
清次郎は売り言葉に買い言葉で乱乃介を反駁する。
「てめぇ、エラク女みてぇな風体だな。俺は金も名誉も女も手に入れたが、どれも、これっぽちも面白くなかった。だから探してるんだよ。『意義』って奴をな」
女のよう。そんな侮辱、侮蔑の言葉を投げかけられても、乱乃介は、剣の腕前の自信からか、取り乱す様子も、猛る様子も見せない。ただ一言清次郎にこう言葉を投げかける。
「時計仕掛けのカラクリ人形、マルコォについて聞いたことはあるか」
「何なんだ。その奇妙な名前は? えぇ?」
清次郎の挑発にも乱乃介は動じない。むしろ優しく微笑んで清次郎に告げる。
「その者が、人生の『意義』について知っているそうだ」
清次郎は苛立たしげに指をポキポキと鳴らす。
「勿体ぶりやがって。何が言いてぇ」
「マルコォ探しを手伝ってもいいぞ。但し私を倒せればだ」
そう言うと乱乃介は長刀を右手に翳し、妖艶に口元から笑みを零す。その様子を見た清次郎はニヤリと笑う。そして目の前の長卓と椅子を蹴り飛ばす。
「面白れぇ。やってやろうじゃねぇか!」
そうして清次郎と乱乃介の乱取りが始まった。清次郎が乱乃介の懐に飛び込み、短刀を突き立てようとするも、乱乃介は易々と清次郎の手を捻る。続いて乱乃介が長刀を横裁きで、清次郎を真っ二つにしようとするも、清次郎は軽々と後ろに飛びのき、それをかわす。
ひたすら続く二人の舞のような武闘。ある時には、乱乃介の長刀が番頭の髪の毛を切り裂き、番頭が、「ひぃぃい!」と叫んだほどだった。
やがて二人の乱取りは十数分も過ぎ、二人の呼吸もやや乱れてきたところで、二人の裁き合いを止める声が響いた。それは「直原」一の美人花魁と言われる「野乃華」の声だった。
「やめな。二人とも。それほどの剣の手練れが殺し合いをして、手合いをするなんて、時間潰し、人材潰しもいいところだね」
するとこれまで異様なほどの殺気を漂わせていた乱乃介が、長刀を鞘に納めて、襟を正す。
「これは野乃華殿。遊郭『直原』内での不始末。失礼申した」
収まらないのが荒れくれ者、直情家で知られる清次郎の方だ。人差し指を立てて、野乃華を挑発する。
「てめぇ、なんのつもりか、知らねぇが、女風情が、野郎同士の喧嘩に口出すもんじゃねぇぜ」
すると野乃華はスッと扇子を翳してみせる。
「女風情、ならばその女の力をねじ伏せればよかろう」
清次郎は凍った瞳で、冷徹な顔を見せる。女に侮られるのが、清次郎は一番の屈辱だったのだ。清次郎は言ってのける。
「後悔するぜ。おめぇさん!」
そう言葉を残して、短刀片手に野乃華の懐に飛び込む清次郎。一瞬にして、野乃華は命を落とすはずだった。だがしかしそうはならなかった。野乃華は華麗な舞いのように身を翻し、清次郎の右手首を捻りあげると、清次郎の短刀を叩き落としたのだ。
「くっ! この女!」
その様子を目に焼き付けた乱乃介が、野乃華と清次郎に歩み寄る。
「野乃華殿は、舞楽流剣術の三代目師範、只野元則殿の愛娘。おいそれと落ちる女性ではござらぬ」
清次郎は、悔し紛れに手を振り解くと言い放つ。
「けっ。おっかねぇ女もいたもんだ」
すると、怜悧に冷たい瞳を、清次郎に投げ掛けていた野乃華がふとこう提案する。
「時計仕掛けのカラクリ人形、マルコォについては私も知っておる。何なら手伝ってやろうか。マルコォ探しを」
「女の助けなんざいらねぇな」
そう憎まれ口をたたく清次郎の手元に、野乃華の扇が投げつけられる。軽く痛がってみせる清次郎はやむなく、野乃華の助けを受け入れた。
すると早速、野乃華を中心に清次郎と乱乃介は、長卓を囲むと密議を始める。清次郎がまず口火を切る。
「で? その時計仕掛けの何たらって奴はどこにいるんだ?」
野乃華は艶やかに微笑みを浮かべる。
「江戸の外れに洋人街がある。そこから更に歩を進めた崖の淵に……」
その言葉を乱乃介が引き継ぐ。
「時計塔がある。そこにカラクリ人形、マルコォが住むという話だ」
清次郎は納得したように言葉を連ねる。
「ほぉ、で、そいつを締め上げれば人生の『意義』とやらが分かるってわけか」
「左様だ」
そう合いの手を打つ乱乃介を見て野乃華は満足げだ。
「あんた達二人は中々に相性が良さそうじゃないか。江戸で一、二を争う剣の腕前同士。その二人が揃えばあわよくば、マルコォも……」
その言葉を聞いて清次郎と乱乃介は口々に反論する。
「けっ、冗談じゃねぇ。こんな伊達男と」
「品位のない人間とは私は、相そぐわぬ男でしてね。野乃華嬢」
二人の言い分を聞いて、カッカッカと野乃華は高笑いをする。彼女には二人の意地っ張りが可愛らしく見えたらしい。野乃華はほくそ笑む。
「何れにせよ。おぬしらは協力せねばなるまいて。さもなくばマルコォ落としなど夢のまた夢」
そういって野乃華は二人に発破を掛ける。
「さぁ、さっさと支度じゃ。明後日には洋人街の時計塔に辿り着けようて」
その言葉を聞いた清次郎と乱乃介は、刀の手入れを済ませると、早速洋人街へと出向いて行った。
清次郎と乱乃介の二人は、洋人が理由もなく吹っ掛けてきた因縁、手合いの申し入れなどをいとも容易く凌ぎ、洋人街を闊歩していく。
二人にとっては洋人の冷やかし半分の因縁など取るに足らないものだった。威風堂々たる二人が、洋人街を歩いて探すこと丸二日。野乃華の言葉通り、明後日には二人は時計塔を見つけ出した。
時計塔には蔦や蔓が絡みついている。所々赤褐色に染まる外壁からは、この時計塔が機能しているとはとても思えなかった。清次郎は短刀を舌で一舐めするとこう言い放つ。
「ここにマルコォだか、何だか知らねぇが人生の秘密を繙く輩が住んでるってわけだ」
すると乱乃介が冷静にこう付け加える。
「マルコォは相当の鎌の腕前だと言う。加えて……」
「何だ?」
清次郎が尋ねると、乱乃介は長刀を布で拭う。
「頭を落とさねば、『意義』に近づけぬという」
そう聞いた清次郎は満足げに、無精ひげの生えた口元に左手をあてる。
「なるほど。やるかやられるかか。面白い」
そして二人はうつむいて頷くと、いざ、と時計塔の中へと踏み込んでいく。時計塔の内部では鉄の歯車が回り、軋む音が響いている。そして奥まったところにある螺旋階段は最上階へと延びている。
清次郎と乱乃介の二人は階段を踏みしめて、最上階へと歩みを進めていく。そこへ天井から、マルコォのものだろうか。甲高くそれでいて、不気味な呼び声が聞こえてくる。
「『意義』。そんなものを知ってどうする? 知ったところで一銭の値打ちにもなりはしない。ましてや官能の助けなどにはならぬぞ!」
「俺は知りてぇんだよ! 『意義』って奴をなぁ」
清次郎が大声で反論すると、哄笑交じりにマルコォと思しき声は言葉を返す。
「なら登ってこい。余と手合せしたのち、ぬしらは『意義』の片鱗に辿り着けるだろう!」
乱乃介はこの言葉に鼓舞されたらしい。清次郎を一瞥すると促す。
「行くぞ! 清次郎!」
「お、おぅよ!」
乱乃介の感情の昂ぶりが珍しかったのか、清次郎は若干戸惑いながら、乱乃介に続いた。やがて二人は時計塔の最上階に辿り着くと、時計塔の歯車をギシギシと手で動かすマルコォを見つけた。
マルコォは黒装束を身にまとい、鎌を肩に担いでいる。顔はヴェールで覆われ、その表情を窺い知ることは出来ない。乱乃介が一歩、歩みを進めて、マルコォに物を申す。
「さぁ、あんたの言う通り、私たち二人は最上階まで登ってきたわけだが」
「さて、どうすれば『意義』とやらを教えてくれるのかねぇ」
乱乃介に続いて清次郎が言葉を紡ぐ。するとその言葉を聞いたマルコォは鎌を高々と掲げる。
「知れたこと。余の頭を切り落とせばよい」
清次郎と乱乃介は納得したように頷く。
「なるほど。違いねぇ」
次の瞬間、その清次郎の言葉を皮切りに、「時計塔のカラクリ人形」マルコォと、清次郎、乱乃介組の決闘が始まった。乱乃介がまず長刀を一直線にマルコォ目掛けて、突き刺そうとする。だがマルコォは鎌でそれを制する。
「甘いな! 小僧!」
「くっ!」
続いて清次郎が、短刀を両手に掲げ、マルコォ目掛けて突進するも、清次郎の両刀はことごとく、マルコォの鎌に封じられる。
「二人して掛かってきたらどうだ? ぬしらはバカか。折角二人組を作っておるのに連携もできぬとは」
「バカ……」
自分の知性に自信のある乱乃介の闘争本能に、その言葉で火がついた。乱乃介は清次郎に呼び掛けると、マルコォの右手に回る。
「清次郎、このままでは時間の無駄だ。一気にカタをつける! お前は左手から奴の踵を! 足元を狙え! 首は私が頂く!」
清次郎は乱乃介の呼び掛けに言外の意味を汲み取ったようだ。
「分かったぜ! 乱乃介!」
その二人のやり取りを聞いていたマルコォは満足げに高笑いをする。
「二人とも見事な友情ではないか。初めは険悪でしかなかった二人の仲がここまで進展するとは、それだけで収穫だとは思わぬか」
「気味の悪いこと言ってんじゃねぇよ! オッサン!」
清次郎の罵倒を口火にして、清次郎と乱乃介の共闘が始まった。二人は挟み撃ちで、マルコォを狙う。マルコォは二人の攻撃を凌ぎながらも、二人にこう問い掛ける。
「余の語る人生の『意義』など知ってどうする? 友と存分に寝食を共にし、最上の女を愛でる以外に人生の『意義』などあろうか?」
「そんなもんに飽きたっつってんだよ!」
マルコォは、清次郎のその言葉を聞いて楽しげだ。
「だがしかしだ。おぬしは、江戸一の剣の腕前でありながら孤独だった」
清次郎はマルコォと、鎌と剣の鬩ぎ合いをしながらも叫ぶ。
「それがどうした!」
「今やお前は一人の友人に恵まれ、最上の女にも出会ったではないか。それは……、乱乃介。お前とて同様だ」
乱乃介は、マルコォの頭部目掛けて長刀を振り下ろす。
「小賢しい詭弁だ!」
マルコォは乱乃介の長刀を軽くあしらう。
「はてさて、果たしてそうかな? ぬしらの息のあったところを見ると余は益々嬉しくなるわい」
「それがどうした!」
乱乃介がそう言った瞬間、清次郎は乱乃介にアイコンタクトをしてみせた。すると乱乃介が、清次郎に出した指示とは逆に、マルコォの踵を狙い、清次郎がマルコォの頭部を狙う。
不意に乱乃介に足元を狙われ、マルコォが体のバランスを崩した所を、清次郎がマルコォのヴェールを剥ぎ取る。だがその時、清次郎と乱乃介の二人は信じられないものを見た。清次郎は呻くように呟く。
「こ、こいつ! 首がねぇ」
事実、マルコォの体には頭が無かったのだ。二人が人生の「意義」を知るべくして切り落とすための。マルコォは、その時確かにこう言った。
「さぁ、全ての謎解きは終わりじゃ。有意義な時間だったではないか」
「待て!」
そう乱乃介が呼び止めるよりも早く、マルコォの体は煙に巻かれて消えた。突風で乱乃介と清次郎の体を吹き飛ばして。そして時計塔は音を立てると見る影もなく崩れ落ちて行く。
時計塔の残骸の上に体を放り出された清次郎と乱乃介は零す。
「これが人生の……」
「『意義』って奴か」
そう言うと二人は、期せずして芽生えた二人の友情を確かめ合うように、手を叩き合った。
後日、遊郭の「直原」に戻った清次郎と乱乃介は事と次第、事の顛末を野乃華に報告した。野乃華は高らかに笑って満足したようだった。
「で、二人はのこのこと帰って参ったというわけか」
清次郎と乱乃介は笑われて少し不服げだ。
「面目ありませぬ」
「仕様がねぇよ」
野乃華は愉快そうに、ひとしきり笑ったあと、こう二人に尋ねた。
「ぬしら、二人に友情が芽生えたのはめでたいことじゃ。で、最上の女とは誰じゃ? 答えてみぃ」
清次郎と乱乃介の二人は柄にもなく照れくさげだ。
「それはそのぉ、な」
「つまりですね。お嬢様」
そして二人は、野乃華を指さした。野乃華はまたしても高らかに笑う。
「んっ? わしか。おぬしら二人も物好きよのぅ」
清次郎と乱乃介は、口を揃える
「お嬢様は、お綺麗ですから」
「あんたみたいな、女に巡りあったことがないんでね」
二人の告白めいた言葉に、野乃華はこれまた柄にもなく、こう咳払いをした。
「ま、まぁ二人とも。そう言うことだ。コホンッ」
その日、遊郭「直原」には店開き以来、最も多く客人が訪れて繁盛したという。