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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
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化け物屋


 イヴは、やたらと動物に懐かれる。

 荷引きの馬に会えば「撫でれ」と長い鼻面を擦り寄せられ、牛にはもうもう鳴いて頬ずりされる。

 犬はちぎれんばかりに尻尾を振って寄ってきて、猫はフェンリルを警戒しながらもそっと足元に擦り寄ってくる。

 小鳥は、彼女のストロベリーブロンドがお気に入り。

 肩に侍ってはちゅんちゅんと啄み、ごくたまにプリッとありがたくない土産を残していくのは困ったものだ。

 そして、イヴに群がるのはなにも動物だけではない。

 ユングリングという国には魔物が多く住まい、ほとんどは人間との共存を果たしている。

 特に矮小な魔物は小動物とほぼ同じ扱いで、彼らもまたやたらとイヴに懐く。

 カポロ婆さんが残してくれた家の手前には清らかな水をたたえる泉があって、その周辺にも多くの小さな魔物が住んでいる。

 早朝シドを掘り起こして帰ってきた時と、先ほど出掛けに通った時は、彼らは遠巻きに眺めるばかりで近寄ってはこなかった。おそらく、見慣れぬシドの存在と、彼の持つ魔力に警戒して様子をうかがっていたのだろう。

 しかし、イヴがまた彼を伴って帰ってきたことから、シドが彼女に認められた存在と理解したのか、魔物達は今度は我れ先にと集まってきた。

 ただし、小さな魔物達は無闇にイヴにキスをねだったりはしない。

 確かに彼女の体液は魔物にとっては魅力的だが、それは嗜好品というよりは麻薬に近い。

 身体の小さいものには刺激が強過ぎ、わずかな摂取であっても今朝のシドのように、二日酔いのような状態になってしまう。

 だから、イヴはよっぽどのことがないかぎり彼らにキスは与えないし、彼らもまたわきまえていた。

 魔物達が特別な報酬を要求し、イヴがそれに応えるのは、互いの間で雇用関係が成立した時だけである。


「こんな小物どもに、何か仕事ができるのか?」

「できるよ、実に平和的なね」


 例えば、保養所や病院への慰問。

 小さな魔物達は可愛らしい姿をしているものも多く、それでいて動物よりはイヴの言葉を理解しやすく従順である。

 特に、美しい羽根をもったピクシーなどは最適だ。

 魔法で花を咲かせたり降らせたりすることも可能で、小児病棟の慰問の際には病でベッドから離れられない子供達を一時喜ばせた。


 イヴは、自らの稼業を『化け物屋』と称する。


 自分の元に集う魔物達とともに、依頼主のニーズに応えるいわゆる“何でも屋”だ。

 イヴと魔物の間には確たる雇用契約があるわけではないが、人間社会との共存を望む魔物達が人間の世界で仕事をするための窓口として、化け物屋はいわば芸能プロダクションのような位置付けにある。

 依頼主からは、イヴに報酬が支払われる。魔物が人間の金銭を望めば、その報酬からイヴが支払うのだが、彼らが欲しがるのは大体彼女のキスのご褒美だけだったりする。

 化け物屋の料金設定は、少々お高めである。

 いや、使う魔物の大きさに比例して、料金が上がるという方が正しいか。

 つまり、先に述べた慰問などの場合は、小さな魔物を連れていくだけなので料金は安い。ほとんどが移動費と滞在費で消えるような額であり、イヴも半分慈善活動に近いつもりでやっている。

 この場合、イヴに必ずくっついていくフェンリルは、基本サービス扱いになる。

 対して、大物の魔物を入り用なのは、大体は金を持っている連中だ。

 魔物は身体の大きいもの――魔力の強い者ほど、容姿が美しい。

 シドのように人間に見紛うような姿で飛び抜けた美貌の魔物もいれば、動物に近い形ながらも稀少で美しい姿をしたものもいる。

 金持ちどもは、パーティや商談の際に彼らを側に侍らせ、自分に箔をつけようとする。 

 あるいは、特別なオブジェの一つにように会場に飾って見せびらかし、権力を誇示しようとするのだ。

 もちろん、金持ち達の中には、幾らでも金を出すからいっそ魔物を譲ってくれと言い出す者も少なくはない。

 しかし、たとえ大人しく従順なふりをしていても、魔物は魔物である。

 彼らはイヴが仲介するから仕事をこなすのであって、彼女以外の人間の元に下ることをよしとしない。

 元来魔物というのは自己中心的で気まぐれであり、扱いの難しい生き物なのだ。

 また、イヴの化け物屋稼業には、実は後ろ盾が存在する。

 国王陛下の覚えも良い辺境伯シュザック候が発行した、商売をするための正式な許可証だ。

 それが、無理を通そうとする連中から化け物屋を守り、イヴの営業を援護してくれている。

 カポロ婆さんとも親交が深かったらしいシュザック候は、残された養い子イヴのこともたいへん気にかけてくれていた。

 魔物に対する理解も深く、化け物屋の最初の客になってくれたのも彼である。

 周辺領主を集めての会合のおり、シュザック候はイヴに美しい魔物を一匹連れてくるように命じ、他の領主連中にも『化け物屋』を宣伝してくれたのだ。初仕事のご祝儀も、たいそう気前良くはずんでくれた。

 そして、その時シュザック家に出張した魔物というのが、件のEカップブラジャーをご所望のアグ姐さんことアグネである。

 候の末の息子ハグバルドが彼女に心を奪われたのも、その時だった。


「アグ姐さんは、世界一の別嬪だからね。一目惚れするのも分からなくはないよ」

「何の魔物だ? その、アグネというのは」

「今から会わせてあげるよ。このブラ、渡さなきゃいけないし」

「お前には、宝の持ち腐れのそれな」

「……」


 ニヤリと笑って失礼なことを言う料理番の鳩尾に、イヴは躊躇なく拳を叩き込んだ。

 ところが堅い腹筋に歯が立たず、逆にその感触に目を見開いてぱちくりした彼女が面白かったのか、シドは声を上げて笑った。

 それをぎんっと睨み上げたイヴは、ふんっと彼から顔を逸らすと、突然泉に向かって大声を上げた。


「ねーさぁあん! アグ姐さーん!」

「おいおい、ここにいるのか?」

「ここにいるんだよ――この、泉の中にね」


 アグネは、水棲の魔物である。彼女は、水がなくては生きてはいられない。

 住処としているこの大きな泉は、イヴの家の前にある小さな池と水中の洞穴で繋がっていて、容易に行き来ができるらしい。


「……出てこないな」

「……出てこないね」


 今朝は池の方には姿を現していなかったので、こちらの泉にいるだろうと思っていたが、何度イヴが呼んでもアグネは姿を見せなかった。

 その代わりに、泉に住む魚やら山椒魚のオバケのような魔物やらが反応して、水面に顔を出してパクパクし始めたので、イヴはポケットに忍ばせていたパンくずを与えて解散させた。

 そうこうしている間も、肝心の魔物が出て来る気配は、やはりない。


「そういえば、昨日の夜は満月だったな。――フェンリル、アグ姐さんに会った?」

「……わふ」


 満月の夜は、魔物は最も開放的になる。

 普段はイヴのベッドの傍らで眠るはずのフェンリルも、夜の散策に出掛けたくらいだ。

 おそらく、アグネも大人しく泉にこもってはいなかっただろう。

 イヴは片手に掲げたブラジャーの包みをじっと見つめると、何ごとか決心したように大きく頷いた。


「よし、釣ろう」


 そしてそう言うと、彼女は突然己の左手の中指の先を、がじりと犬歯で噛み切った。


「――がうっ!」

「――おいっ!?」


 それを見たフェンリルとシドは、ぎょっと目を剥いた。

 彼らは同時に咎めるような声を上げたが、イヴは少しも気にかける様子もなく、かすかに血が滲んだ指を泉の中に突っ込んだ。


 待つこと数秒。



 ――バシャンッ……



 大きな水しぶきを上げて、何かが泉の中から現れた。

 イヴが狙った通りの大きな獲物だ。



「はあぁ、生き返るわぁ~。二日酔いには、やっぱりイヴね~」

「痛いよ、姐さん。ちゅーちゅーし過ぎだよ」

「あらぁ、ごめんあそばせ」


 血の滲んだイヴの中指に吸い付いてきたのは、紅をひいたように魅惑的な唇だった。

 それと同じ色合いの赤い瞳は魔物の証。

 透き通る白銀の髪と白い肌、下半身は真珠色の鱗を持つ魚の形をしたアグネは、最も美しい魔物の一種――人魚だった。

 彼女はラムールを流れる大きな川の上流、その水源たる山頂の泉に住まう人魚族であったが、とある理由により川を下り、イヴに保護されて今に至る。


「なるほど……たしかに、先ほどの注文品はコイツの物だな」

「ちょっと、失礼だよ料理番。初対面の女子の胸をじろじろ見るなんて……」


 イヴの指先を名残惜しげにぺろんと舐めた人魚は、抜群のプロポーションを誇る。

 腰はきゅっとくびれて細く、円やかな胸をより豊満にめりはりある姿態に見せる。

 包みから取り出されたEカップブラジャーと見比べ、シドが納得したように頷くと、イヴはそんな彼を半眼で見上げた。


「まあイヴ、どなた?」


 対してアグネの方も、イヴの側に見知らぬ魔物がいることに気づき、片頬に手を当てて首を傾げた。


「今朝、森の中に埋まってたのを掘り出してきたんだよ。シドっていうんだけど……アグ姐さん、何の魔物か知らない?」

「さあ? でも、相当高位の魔物のようではあるわね。素敵なひとじゃない、イヴ――わたくしの好みではないけれど」


 アグネはそう言うと、「えら呼吸のできないような男は、ごめんだわ」とにっこり微笑んだ。


「私……えら呼吸のできる人には、まだ会ったことがない」

「俺もない」


 イヴとシドの言葉に、足元の銀狼も同意するように頷いた。

 満月だった昨夜、魔力の強まったアグネは、魚の下半身を人間の足に変化させて地上に上ったらしい。

 ラムール村には飲み食い出来るような店はないが、いくらか大きい隣町に行けば酒場が賑やかだ。

 美しいアグネが顔を出すと、男達はこぞって彼女に酒を驕りたがった。

 相手が魔物と分かっていても、ユングリングの酒場の男達は構いはしない。

 そうして人の姿をした人魚は、一夜限りの逢瀬を楽しむ時もあれば、ただ酒を飲んできて翌朝に酒精を残す時もある。

 今回は、どうやら後者だったようだ。

 アグネは「ううん……」と悩ましく唸って、こめかみを揉んだ。


「ああん、だめぇーイヴぅ、まだ頭が痛いわ。もう一口ちょうだい」

「もう、血は止まっちゃったよ」

「じゃあ、キスさせて」


 おかしな会話であるが、これがイヴと魔物達の日常である。

 アグネは岸辺に手をついて、ざばりと腰までを水面から突き出すと、自然な仕草でしゃがんだイヴの唇に吸い付いた。

 鱗と同じ真珠色の爪を携えた白い手が、少女の甘い色合いのブロンドに差し入れられる。


「……」


 それを背後で見守っていたシドは、なんとなく面白くない気分になった。

 そして、ちゅっと――おそらく互いの舌が絡まったであろう濡れた音が聞こえた瞬間、それはかすかな不快から確かな苛立ちへと変化した。

 己の欲望に忠実であるこそが、魔物の性分。いかに理性を持つ高位の魔物であろうと、それは変わらない。

 シドはその苛立ちの正体を探ることもなく、荷物を持たない手を伸ばしてイヴの二の腕を捕まえると、強い力で後ろに引いた。


「――わっ……!?」


 当然、思いがけず引っ張られたイヴの足元は不安定になり、よろけて後ろに倒れそうになった。

 しかし、彼女をそうした犯人であるシドが背後にいて、彼の胸元にすっぽり収まることで転ぶのは免れた。


「何よ? シド」

「……いや」


 不思議そうに茶色い瞳をぱちくりさせたイヴに、シドは言葉を濁したが、その腕はさりげなく彼女の腹に回された。

 一方、今度は面白くないのはアグネである。


「ちょっと、あなた。どういうつもりかしら?」


 美味しい少女を取り上げられた人魚は、どこかのんびりと優しげだった表情を一変し、眦をつり上げてシドを睨んだ。

 それに対し、シドの方も唇を笑みの形にしながらも、凄みを含んだ視線を返す。


「どうもこうも。あんたがイヴに酔いすぎぬよう、加減を手伝ってやっただけのこと」

「余計なお世話よっ!」


 そうして、イヴを挟んで睨みあう二匹の魔物。

 その時、火花を散らす彼らの間に見兼ねたように割って入ったのは、銀色の獣の形をした魔物だった。

 悠然と足を進めたフェンリルは、主人の少女を抱き込んだ男の手にがぶりと噛みつき、泉から身を乗り出す人魚の顔をふさふさの尻尾でべしりと叩いた。


「おい、遠慮なく噛むな。穴が開いた」

「いやん、フェンリル。あなた、尻尾の毛を手入れしなさいっ」


 文句を垂れる魔物どもを鼻で笑うように、ふんっと息を吹いたフェンリルは、シドの手から解放されたイヴを促し己の背に乗せると、スタスタとその場から去っていってしまう。

 シドはイヴの手から落ちていた件のブラジャーを拾い上げ、「ほらよ」とアグネに投げ渡すと、荷物を抱え直して銀狼の後を追った。

 そして、思わず両手でそれを受け止めたアグネに向かい、振り返ったイヴが思い出したように叫んだ。


「あっ、アグ姐さーん。ハグバルドがまた来ると思うけど、お手柔らかに頼むねー」

「ぎゃっ! いやよ、あの男の相手なんてっ……!!」


 案の定、アグネは心底嫌そうに美しい顔をしかめ、ばしゃんと大きい音を立てて泉の中に逃げ帰ってしまった。

 それを見て、イヴはやれやれと首を横に振る。

 いっそ、ハグバルドにえらを付けたら、何もかも上手くいくのではないだろうかと、イヴは詮無いことを考えて大きく一つため息をついた。


 


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