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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
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身に余る注文品



「シド、脱ぎな」

「……お前、何でも唐突すぎると言われないか?」


 ため息をついて返したシドの言葉に、イヴは「よく言われる」と胸を張って頷いた。

 美味しい朝食を腹一杯平らげると、イヴは上機嫌で洗面所に歯を磨きに行った。

 その間に、シドは手早く食卓の上を片し、洗い物まで済ませてしまった。すでに立派な家政夫である。

 そうして、出掛けるために着替えてきたイヴは、シンプルな七分袖のチュニックと、レギンスにぺたんこのパンプスという、実にラフな格好だ。

 対してシドは、棺桶から出てきてまだそのままの服装。

 黒いパンツに、黒い上着だ。

 しかし、上着に施された銀糸の刺繍は精巧で、一目で高価なものと分かる。

 大きな祝い事や祭事以外で、このようにフォーマルな格好をする者は、少なくともラムール村にはいないだろう。つまり、そのままの格好でシドが出掛けると、場違いというか悪目立ちし過ぎるに違いない。

 しかし幸い、彼は下に白いシャツを着ていたし、パンツの方には過剰な刺繍は施されていなかった。

 上着を脱げば、普通の格好にも見えそうだ。

 それに何とか及第点を与えたイヴは、床に落ちたままだった紙を拾い上げた。

 先ほど、口やかましいウォルスを追い払うために護符代わりにした、あのチラシだ。


「ちょうど今日が、月一大特価の日でよかった。運命を感じるよね」

「安っぽい運命だな」


 イヴは、一頻りチラシに目を通してテーブルに置くと、お気に入りの大きながま口ポーチの財布を斜めがけして、「いくよ」と一言声をかけた。

 その声に引っ張られるように、シドとフェンリルは自然と足を踏み出した。


「……」


 その時シドは、何の戸惑いもなく彼女の言葉に従おうとする我が身と、それをまったく不快に感じない自身の心に、ふと疑問を抱いた。

 自分が何ものであるのかは忘れてしまったが、自分の身の内に膨大な魔力があるのは分かる。

 人間の小娘一匹くらい、小指の先ひとつで捩じ伏せてしまえるだろう。

 突然成り行きで決まってしまった主従の立場を、逆転させることなど容易いはず。

 イヴの身体を満たす魅惑の蜜を、好きな時に好きなだけ啜ることも、シドには至極簡単なことだ。

 それなのに、彼女の言葉に耳を傾けてしまう。

 小柄な姿を目で追ってしまう。

 彼女を喜ばせたいと――笑顔をみたいと思ってしまう。

 頼まれもしないのに、料理の腕を奮ったのは何故だろう。

 これはもしや、彼女の体液を不用意に口にしてしまったことによる副作用であろうか。

 イヴに逆らえないのも、構ってもらいたくて仕方ないのも、キスしたくてたまらなくなる、この思いもすべて――。

 シドは傍らの銀狼を見下ろし、彼もまたそんな気持ちを抱いているのだろうかと思うと、どうしてか少しだけ胸がもやっとなって眉を顰めた。

 視線を前に戻すと、さっさと扉に向かったイヴが、それを開こうとしている後ろ姿が見えた。

 幽体の男がイチゴと称したストロベリーブロンドは甘やかで、さらりと背の中程まで流れている。

 シンプルだが明るい色合いのチュニックと暗色のレギンス、艶やかなパンプスは年頃の娘らしくてよく似合っていた。

(見た目は、まあ可愛らしいのだな……)

 自然と、シドは心の中で彼女を褒めた。

 しかし次にくるりと振り返った少女は、あまり可愛らしくないことを言った。


「十八の身空で、こんな大きな男を飼うことになるとは思わなかった」

「おい、せめて養うと言え」




 太陽は山際から飛び立って、もうすぐ空の天辺に到達しようとしている。

 ラムール村の遅い朝支度もようやく落ち着き、村人達は思い思いにのんびりと過ごしていた。

 この村の特産はムールという名の穀物である。それにちなんで、村名がラ・ムールになったと言われている。

 ムールは麦よりは米に近く、栽培には多くの水を必要とするが、村の真ん中を大きな川が流れており、その上流である山の頂きには巨大な湖があるため、地理的にも栽培に適している。

 気候にも恵まれているため、よほどのことがない限り毎年の収穫量は一定しており、人々の生活も裕福ではないが安定していた。

 たった一軒の商店は、村の真ん中あたりに建っていた。

 経営者は村長の息子であり、イヴの幼馴染みロキの父親であるエヌーおじさん。

 最近頭上がめっきり寂しくなり帽子が手放せなくなった彼は、開きっ放しの店の扉からひょっこりと顔を覗かせたイヴに、「よっ」と笑顔で片手を上げた。


「イヴちゃん、ちょうどよかった。注文してたやつ、届いてるよ」

「あ、ほんと? おじさんありがとう」


 エヌーの店は食料品から衣料品・文房具にいたるまで、生活に必要なものはだいたい何でも置いているが、何しろ小さな商店なので品数はそれほど豊富ではない。

 特に衣料品に関しては、自分のサイズと好みを満たすものを手に入れようと思えば、自ら近隣の大きな町に買い物に行くか、あるいはエヌーの店においてあるカタログで注文して、仕入れてもらう必要がある。

 エヌーの店は一族で支えられていて、彼の弟夫婦が週に一度隣町に仕入れに行くので、注文品もだいたいはその時入荷されることになる。

 実はイヴがウォルスを拾ったのも、彼らの馬車に便乗させてもらって、用事で隣町を訪れた時だった。


 昼前の混雑には少し早い時間。

 商店にはイヴ達の他に客はいなかった。

 フェンリルは獣の我が身をわきまえて、店内には入らず店先で大人しく座っている。

 イヴはそんな銀狼の頭を撫でると、シドを引き連れて中に入り、料理に必要なものを適当に選ぶように命じた。


「――っ!?」


 すると、奥からイヴの注文した商品を持ってきたエヌーは、シドを見るなりぴきりっと固まった。


「エヌーおじさん?」


 ここまで来る道すがらも、イヴは何人かの顔見知りとすれ違った。

 シドを見た彼らは一様に「イヴちゃんに男ができたっ!」と騒いだが、彼女が「新しくうちに居候することになった魔物だ」と説明すると、今度は「イヴちゃんにヒモができたっ!」と大騒ぎになった。

 ところが、「こう見えても、料理がうまいんだ」と紹介すると、一同いやに納得したように頷いた。

 硬直したエヌーの手から、イヴが注文していた商品がはらりと落ちた。

 彼女よりも近くにいたシドがそれを拾い上げてみると、丁寧に包まれていて中身は見えなかったが、包装紙に商品がわかるようにメモ書きが付いていた。


『ブラジャー(Eカップ)イヴ』


「Eカップって……お前、いくらなんでも見栄をはり過ぎだろう」

「そんな虚しいことをするかっ! 着けるのは、私じゃないんだよっ」


 イヴは、自分の慎ましい胸元を眺めて哀れむような目をしたシドに吠えると、彼の手から商品を奪い取り、いまだ固まったままのエヌーを揺さぶった。


「おじさんっ、エヌーおじさんってば! しっかりしてよ」

「イ……イヴちゃん。か、か、か、彼は一体……?」


 やっと瞬きしたエヌーは震える手でシドを指差したが、彼は気を悪くするふうもなく無視して、店内の物色を始めた。

 イヴは先ほどの道すがらの遣り取りを再び繰り返すのが面倒だったので、一気に最後の答えを口にした。


「シドっていうの。今日からうちの料理番。時々ここに買い出しに来ることになると思うから、よろしくね」

「料理番!? あ、そ、そーか、そーか! ビジネスライクな関係なんだねっ!?」

「まあ、そうだね」

「そーかそーか、ははははは……」


 うら若き乙女が連れてきたのが、目を見はるような美貌の赤い目の男――つまり魔物であったというのに、彼を料理人として家に置くと言うと、村人達は一様にシドの存在を歓迎した。

 イヴの食卓を守る専属の者が現れたことに、よほど安堵したのか。

 それほど、イヴの料理下手は度を超えていて、もう誰も改善の余地があるとも思っていないのだろう。


「いやあー……おじさん、ヒヤッとしちゃったよ。イヴちゃんに恋人ができたのかと思って」


 エヌーもまた、彼女にちゃんとご飯を作ってくれる人物が現れたことは、歓迎する。

 ただ、せめて女性であればよかったのに……

 そう思いながらこぼした彼の言葉に、イヴは不思議そうに小首を傾げた。


「なんで私に恋人ができると、エヌーおじさんがヒヤッとするの?」


 そういう打算のない仕草をする時は、イヴは本当に幼い少女のようだ。

 彼女をおいて逝かなければならなかったカポロ婆さんの心配を思うと、エヌーも胸が痛んだ。


「おじさん?」

「いやいや、こっちの話だよ」


 彼はかすかに潤んだ目元を手の甲で擦ると、そう誤摩化した。

 エヌーの秘かな野望は、イヴを一人息子の嫁に貰って、二人にこの店を継がせることだった。

 彼の十九歳になる自慢の息子のロキが、幼馴染みであるイヴをずっと好いていることを知っていたのだ。

 だから、突然現れたシドという存在は、エヌーに複雑な思いをもたらした。


 一方、自分のことを話題にされていると知ってか知らずか、イヴとエヌーから離れて店内を見て回っていたシドは、しばらくするといくつか商品を抱えて戻ってきた。

 どうやら、すべて料理に使う香辛料の類いのようだが、料理は出来上がったものにしか興味のないイヴには分からない。


「なにそれ、シド。薬草でも煮るの? 毒薬でも作るの?」

「……煮るのは肉と野菜で、作るのは料理だ」

「ふうん」

「ちゃんと食えるものを作ってやる」


 褒美をもらいたいからな――


 そう耳元に囁いたシドの、どこか背徳的で壮絶な美しい笑みにも、イヴはただきょとんとした顔を返すのみ。魔力がこもった赤い瞳を間近で見ようと、まったく惑わされる様子もない彼女は、人間の身でありながら魔力に対して耐性が強いのか、あるいは……


「とてつもなく鈍いのか……」

「ん、何? シド」

「別に……」


 呆れた様子で目を逸らした男に首を傾げると、イヴはお気に入りのがま口財布ポーチを開いた。

 そうして、先ほどのEカップブラジャーとともに、彼の選んだ商品を清算した。




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