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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
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尋問



(どうしてこんなことになってしまったんだろう……)


 そう思いながら、イヴがそろりと上目遣いに見上げた先には、厳しい顔をして腕を組んだ魔物と、イライラしたように尻尾をテーブルにピシピシ打ち付けている黒猫のぬいぐるみ。

 ロキとのおやすみのキスを見咎められたらしいイヴは、あの後つかつかと大股で歩み寄ってきたシドにひょいと首根っこを摘まれてダイニングに連行され、現在厳しい尋問に晒されているところだ。

 フェンリルが側にいて、イヴの膝に顎を乗せてくっ付いているので心強いが、彼女が戸惑うには充分な状況ではあった。


「それで、何だってあいつとキスをした?」


 その表情の通り厳しい声で、シドが尋ねた。

 思い返せば、初めて出会った時――掘り起こした彼をスコップで薙ぎ倒して埋め直そうとした時でさえ、これほどまで怒りを表さなかったのに。

 困惑したイヴの答える声は、自然と力無く小さくなってしまう。


「……ただの、おやすみの挨拶じゃない」


 その答えを聞いたとたん吠えたのは、今度は見た目だけは可愛らしいウォルスだった。


「キスが挨拶って何なの、イチゴちゃん! 君は村中の男とキスをするのかい!? ――この淫乱娘がっ!」


 元の幽体の姿――プラチナブロンドと碧眼の青年の時ならば、おそらくこめかみに盛大に青筋を立てているだろう様子で彼は叫んだ。

 イヴはそのあまりの迫力に、珍しくたじたじとなる。

 

「ちがうよ、ロキ相手だけだよぅ……」

「では、何故ロキにだけそんなことをするのか、俺が納得出来るように説明してみろ」


 いつも過剰反応なウォルスはともかくとして、どうやらシドまで先ほどのロキとのキスに拘っているというのは、イヴにも分かった。

 だが、何故彼がそれを気に入らなかったのかは、残念ながら理解できない。

 困った彼女は助けを求めるように膝の上の銀狼を呼んだが、彼はもうずっと目を瞑ったまま。

 生前のカポロが悪戯をしたイヴに説教をする時も、フェンリルは今のように傍観者に徹していた。

 それはおそらく、彼も無言でイヴを窘めようとしていたのだろう。

 つまり今の彼の態度は、今回もイヴに非があると訴えているのだ。


「イヴ」


 正面から伸びてきた大きな掌が、ぐいと彼女の顎を掴んで上を向かせた。

 ばちりとかち合ったシドの目は、ふつふつと怒りに沸く血の色をしていた。


「ロキは人間だ。魔物のようにお前の体液を求めはしないはずだ。それとも、本当はお前達は恋人同士なのか?」

「ただの幼馴染みだってば。どっちかっていうと兄妹みたいな感じで……ロキが恋人とか、考えたこともない」


 ロキ本人と、その父エヌーが聞けば肩を落としそうな答えだが、イヴのその言葉にシドの視線の厳しさは幾分和らいだ。

 だが、追及の手を緩めるつもりはない。

 困った顔をして上目遣いで自分を窺うイヴの小さな顎を、あやすように撫でながら問いを重ねた。

 

「では、気安く唇を合わせたのは何故だ」

「だから、挨拶だって言ってるじゃない」

「だが、ロキ以外の村人にはしないのだろう?」

「ロキと初めて会った時、友達になるにはまずキスすればいいんだって思ったんだもん。婆ちゃんの魔物とは、皆そうやって仲良くなったから……」


 実は、ロキは生まれはラムール村ではない。

 彼の父エヌーはずっと隣町で商店を営んでいたのだが、父親である村長が大病を患った際に妻子を連れて戻ってきて、そのまま村で店を開くことになったのだ。ロキが七歳、イヴが六歳の時の話だ。


「物心つく前から、婆ちゃんの魔物達には朝夕唾液ねだられたから、それと同じ感覚で……挨拶のつもりでロキにしてたのっ」

「……周りの大人は、何も言わなかったのか」


 何も言わなかったのだ、ラムールの大人達は。

 幼い彼らの挨拶代わりのキスは、大人達の目にたいへん微笑ましく映ったので、彼らはついつい黙って見守ってしまったのだ。

 けれど普通は、成長して思春期を迎えお互い異性を意識する年齢になれば、恋人でも夫婦でもない年頃の男女がそんなことをするのはおかしいと気づく。

 現に、十三歳から三年間、隣町にある士官学校で寄宿生活を経験したロキの方は、当然今はただの挨拶でキスをしているつもりはない。

 しかし、過疎化が進んだラムール村で年寄りばかりに囲まれて育ち、しかも特異な体質により魔物とのキスが日常化したイヴは、その行為に今さら別の意味を見出すことが難しかった。長年馴染んだロキとの唇による挨拶に、イヴは照れや恥じらいと言った感覚が最初っから存在しないのだ。


「……はあ」


 シドはとてつもない脱力感を覚え、イヴの顎から手を離して大きくため息をついた。

 その後ろで先ほどまでイライラしていたウォルスも、「僕のイチゴちゃんってば、どんだけズレてるの……」と、呆れ返っている。


「フェン……私って何か変?」

「……」


 そんな人外男達の様子に居心地が悪くなったイヴが問うと、彼女の膝の上に顎をのせた銀狼も、両目を閉じたままいやに人間くさい大きなため息をついた。


 その後、シドはキッチンで一人ワインをちびちびやり始めた。

 椅子に浅く腰掛けて丸めた背中が仕事に疲れたお父さんのようで、何となく声がかけづらかったイヴは、フェンリルを伴って風呂に向かった。

 その手に、今日は黒い毛の塊を抱いている。


「え、ちょっ、イ、イチゴちゃん? お、お風呂、もしかして一緒に?」

「だってウォルス、今日は一緒に薬草探しまわったから足に泥付いてるじゃない。川にも落ちたし」


 風呂場に連れてこられたウォルスは、初めて入る脱衣所で慌てた声を上げた。

 幽体の時には護符に阻まれて、彼がそれまで一歩も入れなかった場所だ。


「そうだけど、そうだけどっ! でも、ほら、曲がりなりにも若い男女が一緒にお風呂だなんて……」

「男女って言ったって……君、ぬいぐるみだし」

「それは器の話でしょっ! 中身はキラキラブロンドの超絶美形、健康な成人男子だってば!」

「健康って……もう死んでるじゃない、幽霊でしょ?」


 戸惑いの声を上げるウォルスに構わず、着替えとタオルの準備を終えたイヴは、さっさと衣服を脱ぎ始めた。

 その恥じらいの欠片もない脱ぎっぷりに、思わずウォルスは「きゃあっ!」と黒いビロードの頬を染める。

 そして、くるりと彼女に背中を向けて、赤いボタンの目を逸らしたまま叫んだ。


「そういう問題じゃないのっ! さっきのキスもそうだけど、イチゴちゃんはもっといろいろと常識を学んだ方がいい。普通、恋人でも夫婦でもない成人の男女は、気安くキスもしないしお風呂も一緒に入らないのっ!」


 ところが、そんなウォルスを後ろから伸びてきた白い手が拾い上げた。

 そして、そのままふわりとした温もりに抱かれる。

 ウォルスのビロードの背中に密着したのは、間違いなく少女の柔らかな素肌であった。


「イイイ、イチゴちゃんっ! 僕の話、聞いてるのっ!?」


 とたん、ウォルスの器となったぬいぐるみの毛がぶわりと逆立つ。ないはずの毛穴が、全て開いてしまうような感覚。

 彼も、自分からならイヴに過剰なスキンシップをするくせに、いざ受け身となるとその反応は意外に初心だ。

 しかし、わたわたと真っ赤になって身を捩るウォルスの耳に届いたイヴの声は、いやに淡々としていた。


「じゃあ、ウォルスとはもう絶対キスしない」

「……え?」

「お風呂も、後で一人で入りな。――いこう、フェンリル」

「わんっ」


 イヴはそう言うと、脱衣所のドアを開いてウォルスを外へと放り出してしまった。

 ウォルスは、柔らかく温かい少女の腕の中から、薄暗く冷たい廊下へ。まさに、天国から地獄である。


「――あっ、ちょっ、ちょっと待ってぇ! イチゴちゃん!?」


 とたんに彼の頭の中からは、イヴへの説教など見事に消え去った。


「やっぱり入る! 一緒に入る! それに僕にもキスはさせて! ねえ、イチゴちゃあぁんっ!!」


 彼を放り出して閉まりかけたドアに縋りつき、黒いぬいぐるみは声を裏返してそう叫んだ。





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