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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
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幼馴染み



「イヴ、本気で彼を家におくつもりか?」


 ロキはとにかく、イヴのようなうら若き乙女の一人住まいに、血縁でもない男を同居させたくはないのだ。

 無防備な幼馴染みが心配だというのももちろんだが、何より彼は幼い頃からずっとイヴのことが好きだった。

 好きな女の子の家に見知らぬ男が転がり込んだら、誰だって落ち着いてはいられないだろう。


「他の連中はともかく、ここまで完璧な人型を……」


 この際、シドが魔物であるということは、本当はどうでもいい。

 しかし相変わらずのイヴは、そんなロキの苦悩にも気づくはずもない。


「だって……不可抗力だけど、シドを起こしちゃったのは私だし。記憶もないらしいから、放っておくわけにもいかないし」

「それなら、うちに住まわせたらいい。部屋だって余っている」


 ロキの一族は代々村長を担ってきたので、家もラムールで一番立派だ。村で拾われた記憶喪失の魔物一人くらい、懐の広い祖父は住まわせてくれるだろう。

 妙案だとばかりにイヴに畳み掛けたロキだったが、しかし頭一つ分ほど上の方から異議が申し立てられた。


「勝手なことを言わないでもらおうか、保安官。せっかく得た住み込み家政夫の仕事を取り上げないでくれ」


 ロキだって村の男の中では一番の長身だが、赤い目をした人外の男はさらに彼を見下ろすほどだった。

 魔力に比例した壮絶な美貌は見る者に畏怖を与え、勇敢な保安官をも怯ませる。

 けれど、その魔物の手が、イヴの髪を我が物顔で撫で回しているのを見ると、カッと頭に血が上り彼を奮い立たせた。


「だったら、うちから通えばいい――いや、いっそ、イヴがうちにくればいい!」

「ロキ?」

「今までだって、親父や爺さんが何度も誘っただろう? カポロさんを亡くしたイヴを一人きりにするのは、皆心配なんだ」


 カポロがイヴに残した家は、他の家から少し離れた位置にある。

 それを村人達はずっと気にかけていたのは事実だ。


「今後も、ハグバルドみたいに乱暴な奴が現れないとも限らない。やっぱり、一人でこんな離れた家に住むのは危ない。うちに来いよ、イヴ」


 ロキも、イヴが自分の家に住まえばいいのにとずっと思っていたので、今日はそれを切り出すいい機会になった。

 しかし、イヴは嬉しそうに微笑みながらも首を横に振った。


「心配してくれてありがとう、ロキ。でも、私は婆ちゃんの家に住むよ」

「イヴ!」

「婆ちゃんとの思い出がいっぱい詰まってるあの家がいいんだ。それに、私は一人じゃないよ?」


 イヴがそう言って、まず自分の側に引き寄せたのは、やはり白銀の毛並みの狼だ。

 フェンリルはイヴの親愛と信頼に応えるように、自らも彼女に身体を擦り寄せた。


「フェンリルがいるし、オルヴァさんもアグ姐さんも頼りになる」


 オルヴァはさも当然だとばかりに頷きつつも、「あの淫猥な人魚とは並べてくれるな」と文句を垂れた。


「それに、この子はウォルスって言うんだよ。ウォルス、ロキにはじめましては?」

「……はじめまして、保安官殿」


 そして、幽体の時は家の中でひた隠しにされていたウォルスが、ようやく化け物屋の住人以外に紹介されることになる。

 ウォルスはイヴに促されて、不承不承ながらも彼女の幼馴染みと顔を合わせた。

 ただロキが彼を、“豚のような猫のような、よく分からない獣の魔物”と記憶したのは、中身を知らないのだから仕方のないことだ。

 だがその不格好だが愛嬌のある姿が幸いしてか、ロキはシドを見つけた時のように、わけの分からないもの拾うなと言って騒がなかった。

 ウォルスを紹介し終わると、イヴは背後を振り向き、昨日の朝土の中から掘り出したばかりの魔物を見上げた。


「シドは……」


 黒い髪と赤い瞳の美貌は、不思議なほど柔らかい表情を浮かべて彼女を見つめ返している。

 シドはいったい何故、封印して埋められるようなことになったのだろうか。

 何を考えているのか分からないが、悪意を持った魔物にはどうやっても見えない。

 それに、唾液を欲しがるばかりでなくイヴに唇を合わせてくる。

 何かを教え諭すように啄ばむ彼の唇は柔らかくて、イヴを戸惑わせる。

 今だって、彼女の髪の感触を確かめるように、大きな掌が優しい仕草でそれに触れている。

 イヴが彼の指を捕まえると、それは人間となんらかわりなく、確かに血が通った温もりを帯びていた。

 かつて幼いイヴの手を引いてくれた温もりと、なんらかわらなかった。


「――そうだ、ロキ! シドが作った料理はね、婆ちゃんのに似ているんだよ?」

「……は?」

「シドっ、お腹空いた。晩ご飯作って!」

「ああ、もうそんな時間か」

「そんで、ロキも一緒に食べて行きな!」

「えっ……」


 イヴはそう言うと、面食らった様子のロキの腕を掴み、ぐいぐい引っ張って家に向かって歩き始めた。

 シドは千切られたブラジャーを持ったままやれやれと苦笑し、他の魔物達と一緒にその後を追った。


 ところが、「ごはんーごはんー」と上機嫌で歩いてきたイヴだったが、自宅に帰り着いたとたん口を噤んで立ち尽くした。

 玄関の扉に、泥の足形がいくつも付けられていたのだ。

 おそらく、化け物屋の留守に苛立ったハグバルドが蹴り付けでもしたのだろう。

 壊されたわけではないが、カポロが残してくれた大切な家を踏みにじられたような気がして、イヴはとても悲しくなった。

 そして、この時初めて――シドはハグバルドに対してかすかな怒りを覚えた。


「……明日明るくなったら、掃除して綺麗にしてやるよ」


 汚れた扉の前に佇む少女の背中がひどく寂しげで、宥めるようにかけた彼の声は、自身でも驚くほど優しげだった。

 それは、小さく傷ついたイヴの心に届いたのだろう。振り返った彼女の瞳はいくらか悲しみが薄らいでいた。


「うん。じゃあついでに、明日はいっぱいシドをこき使って、久しぶりに大掃除しよう」

「おいおい」


 イヴに元気が戻ると、彼女を背後で見守っていた一同はほっとした。

 背中の荷物を下ろされたオルヴァは、さっさと裏の厩舎に戻って行った。

 シドは、また「お腹空いたー」とうるさくなったイヴに急き立てられて、キッチンに消えた。

 引っ張り込んだロキに手伝わせて、摘んできた薬草を保管庫に収め終わって戻ってくると、食卓の上は温かい料理でいっぱいになっていた。


「これ……本当に、あんたが?」


 シドは料理番だと聞かされていたロキだったが、彼のキッチンに立つ姿が想像できず、どこか疑わしくさえ思っていたのだから、見事にセッティングされた食卓に驚きを隠せなかった。

 イヴに勧められるままに席に着き、まずいただくのは温かいデミグラスのシチュー。


「……うまい。確かに、カポロさんの味に似てる……かも」

「でしょ?」


 幼い頃からイヴとは一番の仲良しで、料理上手と有名な魔女にもしょっちゅうご馳走になっていたロキは、シドの料理を実際口にし、カポロに引けを取らないと彼の腕前を認めざるを得なくなった。

 シチューは朝、イヴが朝食をもぐもぐしている間にシドが手際よく仕込んでおいたもので、一日かけて中の具材にはぐっと味が染込んで深みが増している。

 温め直されてホクホクのポテト、蕩けて甘いタマネギ、舌で潰せるほど柔らかい肉。

 そして――イヴが苦手とするあの橙色の根菜は……


「うわっ! ニンジン、星形っ……!!」

「わっ、ほんとだ!」


 可愛く星形に抜かれたニンジンをスプーンに乗せて、ロキとイヴは揃って瞳を輝かせた。

 のどかな田舎の農村で生まれ育った少年少女は、基本的に無邪気である。

 そんな彼らの素直な態度に苦笑しつつ、それをこしらえたシドはキッチンに凭れて、ワインをちびちびやっていた。


「……お前は、イヴの母親にでもなるつもりか」


 いつの間にか側にやってきていた銀狼が、シドの傍らで彼にだけ聞こえる声でぼそりと呟いた。


「母親になるつもりはないが、食育するつもりはある。あと、心を掴む前に、胃袋もしっかり掴んでおこうと思ってな」

「……」


 フェンリルには呆れたような目をされたが、自分の作った料理を喜んで食べるイヴの姿は、シドのいい酒の肴になった。



 結局ロキは、気持ちのいいほどがっつりご相伴にあずかると、わずかなわだかまりは拭い切れないまでも、きちんとシドに対しても礼を言った。

 素直で律儀な態度は好ましく、シドがまた食いに来いと言うと、ロキも満更でもない様子だった。


「ハグバルドの件は、明日にでも領主館を訪ねて、村への立ち入りを禁ずるご許可をいただいてくる。お父上の署名を見れば、さすがに奴も逆らえないだろうからな」


 食後のお茶を飲み干したロキはそう言うと、制帽をきちんと被り直して暇乞いをし、玄関に向かった。

 食事をご馳走になってしまうと、どうにも親近感が生まれてしまうのは田舎育ちが所以。

 村全体が大きな家族のようなラムールでは、一度懐に受け入れてしまった者を邪険にするのは難しい。

 ロキは、それまでイヴの周りに集まってきたフェンリルやオルヴァやアグネを受け入れたように、シドのことも村の一員として認め始めていた。

 ただ、イヴに対する恋心は、シドへの警戒を一足飛びに消し去るのを邪魔している。

 ロキは玄関まで見送りにきたイヴを振り返ると、真剣な顔をして彼女に言い聞かせた。


「イヴ、寝室にはちゃんと鍵付けてるか?」

「付いてるよ?」

「寝る前は忘れずちゃんと閉めろ。それから、ベッドの脇にはフェンリルを置いておけよ」

「鍵してるし、フェンリルも大体いっつもいるよ?」

「あと、風呂も鍵をしろ。上がった後も寝間着でうろうろするなよ」

「なんなの、ロキ。急に……」

「いいか。今までとは違うんだぞ。男の目がいつもあるってことを、忘れるなよ。大体お前はいつまでも無防備すぎて……」

「分かった分かった。ちゃんと気をつけるから、あんたもう帰りな。夕飯いらないって、おばさんに言って来てないでしょ? 待ってくれてたら悪い」


 イヴはなおも言い募ろうとしたロキにランプを持たせると、ぎゅうっと家の外へと押し出した。

 外はもう、すっかり日が落ちてしまっている。

 イヴの言葉に、確かに早く帰って夕食の支度をしてくれているだろう母に謝り、それから今後のハグバルドの扱いについて祖父にも相談しなければならないと思い出し、ロキは後ろ髪引かれながらも帰途につくことにした。


「今日はありがとう。気をつけて帰ってね、ロキ。――おやすみ」

「ああ……おやすみ」


 そうして、別れ際。


 おやすみの挨拶をした幼馴染み達は、自然な仕草でちゅっと唇を合わせた。


 その瞬間、家の中の空気に一気に緊張が走ったのだが、ランプを掲げて去っていったロキは気づかず、彼を見送り終えて背後を振り返ってようやく、イヴも異様な雰囲気にぎょっとした。


「……ど、どうしたの?」


 フェンリルは、ロキとも付き合いが長いからか特に気にした様子はないが、明後日の方向を向いている。

 ウォルスは、ビロードの身体をわなわなと震わせ言葉も出ない様子。

 シドに至っては、初めて見せる鋭い目でイヴをひたと見据え、地を這うような声で問うた。


「どうしたはこちらの台詞だ、イヴ。何だ、今のキスは。――説明しろ」



 余談であるが――

 ちょうどその頃、裏の厩舎の中の空気も、秘かに張り詰めていた。


「――おい、誰だっ!? 私のニンジンに、星形の空洞を開けたのはっ!!」


 愛するニンジンを蹂躙されて怒ったオルヴァは、足元の藁をドスドスと踏みつけた。

 




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