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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
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動き始める魔物



 しばらくして、満足行くまで薬草を摘んだイヴが戻ってきた。

 日が落ちるまで家に戻らないつもりの彼女は、袋から出した薬草を地面に並べて仕分けをし、効能ごとに束を作っていく。

 天日干しして乾燥させてから使うものと、そのまますり潰して生薬に適するものといろいろあるが、イヴはそれらの知識を今は亡きカポロから学んだ。

 年老いた魔女は、養い子が一人でも生きていけるようにと様々な術を伝え、対するイヴは、魔術と料理以外では優秀な生徒であった。 

 薬草を一通り整理し終えると、イヴの正確な腹時計がお昼を知らせた。


「飯の前に、その灰汁と泥まみれの手をよく洗ってこい」


 シドにそう言われて、イヴは素直に河原に手を洗いに行った。もちろん、その肩にはウォルスをくっ付けたままだ。

 ニンジンをたらふく食べたオルヴァも、喉が渇いたと言って彼女について行った。

 そんな彼らの背中を見送り、敷物の上にランチの用意を始めたシドに、隣から呆れたような声が掛かる。


「お前……イヴを口説き落とすどころか、男とさえ認識されていないようだな。先が思いやられるわ」

「あいつの情操教育に問題があったのではないか?……というか、お前……狼の姿でもしゃべれるのか」


 シドの側の残っていたのは、銀狼フェンリルだけだった。その狼の口が突然流暢な人語を操り、シドを嘲ったのだ。

 よくよく考えてみれば、人型をとらぬオルヴァの口からも普通に人語が飛び出し、イヴ達人間との会話ができていたのだ。

 人型に変じるのこそ月の満ち欠けに影響を受けるとはいえ、ユニコーンと同等以上の高位の魔物たる銀狼一族に、それができぬはずがない。


「だったら、犬の真似事のようにわんわん言っていないで、始めから言葉をしゃべれ。ややこしい」

「……ふん」


 オルヴァにはばれていたようだが、フェンリルはイヴはもちろんのこと魔女であったカポロさえも欺き、ずっと人型になれることも人語を操れることも隠してきた。

 術を使って会話ができたカポロはともかく、イヴとは言葉を交わしたことがない。

 シドはさらに、昨夜フェンリルと会話してから疑問に思っていたことを問うた。


「そもそも、何故イヴの前で人型にならない?」


 それに対し、フェンリルは彼から目を逸らしてもの憂げに答えた。


「……郷では、未熟な人型をひどく蔑まれて生きてきた。昨夜はお前と腹を割って会話する必要があったから晒したが、人型を見せるのは好きではない」

「だがせめて、言葉くらい交わせばいいではないか。婆さんを亡くしたイヴには、古い付き合いらしいお前が一番の頼りだろう。会話ができれば喜ぶんじゃないのか?」

「……私は、他人との会話が下手なのだ。イヴが涙した時さえ気の利いた言葉も思い浮かばず、涙を舐めてやるのが精一杯だった。ならば、言葉を持たない動物のように接する方が、よほど彼女を慰められる」


 フェンリルが会話が下手なのは、彼の生い立ちのせいでもある。

 無性の嫡子として、一族にとって目の上のこぶのような存在だった彼に、まともに言葉をかける者は誰一人としていなかった。実の、父母でさえも。

 それらの経験が、生きることにも他人と接することにも、フェンリルを臆病にさせた。

 言葉を持たない獣に徹している方が、彼はずっと生きやすかったのだ。


「……なるほど。お前はコンプレックスの塊だな」


 シドがため息をつきつつそう言ってフェンリルの頭を撫でると、彼は鬱陶しげにそれを振り払って牙を剥いた。

 そうこうしている内に、黒猫のぬいぐるみをくっ付けたイヴが戻ってきた。


「ん?」


 イヴは、シドの手をがじがじと噛んでいるフェンリルを見ると首を傾げ、それから広げかけたお弁当に視線をやってから言った。


「フェンリル、お腹空いて待ち切れなかったの? 変なもの噛んでないで、お弁当食べな」

「変なものとはなんだ、失礼な」


 シドの掌には、犬歯四つ分の綺麗な穴が開いた。




 さてさて、お待ちかねの昼食だが、ランチボックスの中身は二種類のサンドウィッチだった。

 ふわふわのバンズは、昨日の夕刻ロキが焼きたてを届けてくれたもので、彼の母親の手作りだ。

 これまたふわふわ甘めの卵焼きが挟まれて、バンズに塗られたマスタードがピリリとアクセントになっている。

 さらにもう一種類は、朝食にも添えられたポテトサラダのサンドであるが、こちらも甘めのポテトに対し、共に挟まっていた塩漬けの肉が味を引き締め、実に美味い。


「シド、きっといいお嫁さんになれるよ」


 イヴはそう言って、大きな口でサンドウィッチに齧り付いた。

 その見ていて気持ちがいい食べっぷりと、年齢に反して色気が皆無な娘の様子に苦笑しつつ、シドもそれを口に放り込む。

 自分でこしらえたものだが、確かに美味い。

 美味いが、しかし、シドはもっと美味いものがあると知ってしまった。


「イヴ、朝から懸命に働いた俺に、褒美はないのか?」


 頬に詰め込んでいたものをごくりと飲み込んだイヴにそう囁くと、彼女は「はいはい」という風に水で口を濯いでから、むちゅっと唇を押し付けてきた。


「……そうではなくて」

「ん? なによ?」


 分かっていたことだが、あまりのムードのなさには、シドはため息しか出ない。

 しかし、勝負をしかけ始めた以上、彼とていつまでもイヴののん気なペースに付き合ってやるつもりはない。

 オルヴァは、離れた河原で水を浴びていて、こちらに背を向けている。

 フェンリルはシドの意図を察したのか、一度憤怒に滾った瞳で彼を睨んだ。

 しかし、期日までは邪魔をしないとの昨夜の約束を守ろうとしてか、悔しげに鼻面を歪めながらも顔を背けて沈黙した。

 最後に、シドの意図も魔物達が抱える闇への不安も知らぬウォルスだが、彼はぺたりと敷物に座り込んだイヴの膝に擦り寄って幸せそう。

 ボタンでできた作りものの目は閉じないので分かりにくいが、昨夜はイヴの寝顔を夢中で眺めていて眠れなかった彼は、今になってうとうととしているようだ。 

 邪魔が入る心配のなくなったシドは、片手を回してイヴの後頭部を掌で包み込むと、押し付けられた彼女の唇を食み返した。


「……ん……」


 気配を察してそれを薄く開く様は、従順で愛らしくもあるが、しかしイヴには決定的に足りないものがある。

 それは、年頃の乙女らしい恥じらいだ。

 キスという行為を異性間の特別なものと認識する前に、一番手っ取り早く体液を魔物に与える手段として、キス自体に慣れ過ぎてしまったのだろう。フェンリルの話では、イヴはほんの幼い頃から自分の体液の価値に気づいていたという。

 だから、彼女を口説き落とすには、まずはシドとのキスが魔物への餌付けとは違うのだと認識させねばならない。

 シドは、覆いかぶさるようにしてキスを深めると、イヴの唇の奥に舌を押し込んだ。

 とたんに口内に広がる甘美な味に、ぐっと腹の底に力を入れて耐える。

 彼とて、気をしっかり保たねば、たちまちイヴの魅了の力に狂わされてしまう。

 極力彼女の唾液を味わってしまわないように、シドは自分が上になる形で唇を合わせた。


「……んん……ふ……?」


 さすがのイヴも、いつもの魔物達相手とは何かが違うと気づいたのだろう。

 訝しげに眉間に皺を寄せ、シドの胸を拳でぎゅっと押退けようとする。 

 もちろんそれに従う気のないシドは、今度は両腕を回してすっぽりと彼女を抱き竦めてしまった。

 小さな身体は温かく、柔らかい女のそれだった。

 自分がどれほど土の中で眠っていたかは記憶にないシドだが、それは久しいであろう彼の情欲を呼び覚ますに充分だった。


 ――イヴが、ほしい


 シドにそう思わせたのは、はたして抗い難き少女の魅惑の体液であろうか。

 それとも、銀狼と交わした昨夜の約束への責任感だろうか。

 あるいは——真実、彼はこの出会ったばかりの少女に惹かれ始めているのだろうか。


 結局、そのどれが正しいのか判断がつかぬまま、邪魔が入ってシドとイヴは引き離された。


「――なっ!! ……ぎゃっ!?」


 イヴの膝で微睡んでいたウォルスが二人の身体に挟まれ、押し潰される息苦しさで目を覚ましてしまったのだ。

 ウォルスは頭上で繰り広げられていた光景に、盛大に悲鳴を上げた。

 すかさず、フェンリルが彼をくわえて遠くに放り投げてくれたが、悲鳴を聞いたオルヴァが何ごとかと川から戻ってきてしまった。


「イヴ、どうした? 顔が赤いぞ。熱でもあるのではないか?」

「……うん」


 ただシドにとって、収穫がまったくなかったわけではなさそうだ。

 オルヴァが訝しんだように、イヴは頬をいくらか色付かせて唇をそっと撫でている。

 そして、何ごともなかったかのような涼しい顔をして、ポットの紅茶をカップに注いで差し出したシドを、ひどく戸惑ったような眼差しで見つめた。 


「シド……」

「どうした?」

「……なんでも、ない」


 少なくともイヴの中で、シドがただの飯炊きの魔物ではなくなった瞬間だった。




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