探り
特産の穀物ムールの収穫期を終えたラムール村の朝は、この日もやはりゆっくりで、村人の誰にも会わなかった。
自宅を出発したイヴ達は、シドが埋まっていた森の中に入り、途中彼を掘り起こした場所を横切った。
あの時大きく開いてしまった地面の穴は、壊れた棺桶の蓋の残骸も放り込んで、シド本人に土で埋めさせて平らに均していた。
若干地面の色が変わった場所を横目で見ながら、その場にまったく未練もないらしいシドを連れて、イヴはさらに森の奥を目指す。
森の中央には川が一本流れていて、それを目印に進んでいけば道に迷うことはまずない。
この川こそがラムール村で穀物ムールを育てるための要であり、辿って山を登ればアグネの郷である水源の湖に通じている。
その山の麓に到着すると、やっと森が開けた。
辺り一面、山の斜面の中腹までが花畑のようになっていて、色とりどりに咲いた花々が実に鮮やかだ。
そんな中、背の低い石の塀でくるりと囲まれた一角に、大きな石碑が一つ立っていた。
「イチゴちゃん、ここは一体何なのかな?」
もちろん初めてこの場所を訪れたウォルスがそう問うと、同じ疑問を感じていたシドもイヴの答えを待った。
「村の共同墓地だよ。慰霊碑の前に祭壇があるでしょ」
なるほど、正面に回って見てみると、石碑にはたくさんの名が刻まれており、その袂には石で組まれた祭壇が設けられていた。
ラムールでは個人の墓というものは存在せず、村人が亡くなれば皆この石碑の袂に埋葬される。
そして、村人全員で故人を悼み、悲しみを分かち合い、冥福を祈るのだ。
一年前に亡くなったイヴの育ての親カポロも、ここに眠っている。
イヴは、オルヴァの背中の荷物の中からボトルを取り出した。
カポロ婆さんは、結構な酒豪でもあったのだ。
自身は酒を飲まないイヴは、祭壇に据えられていた陶器のカップにワインをなみなみと注いだ。
そして、魔物と幽霊が見守る中、しばしの間じっと無言で石碑を見つめていた。
ラムールの故人達はこの世に未練などないのだろうか。
ウォルスのように、イヴの前に現れる幽体は誰一人としていなかった。
彼女を慈しみ育ててくれた、カポロ婆さんさえも。
(……だけど、その方がいいんだ)
天国へ旅立った人達の魂は、この世の全ての柵から解放されて自由になり、もしかしたらもう次の命を始めているのかもしれない。
イヴは自分の中の恋しさと寂しさに蓋をすると、明るい顔を作ってくるりと魔物達の方を振り返った。
「さて、と。私はそこらで薬草集めてくるから、皆は敷物でも広げて適当に寛いでて」
そんなイヴの言葉に、シドは辺りを見回すと呆れたよう返した。
「寛げと言われても……墓地ではなぁ」
「墓地の近くって、質のいい薬草がたくさん生えるのよね。何を、栄養にしてるんだろーねー」
「……」
意味深に微笑んだイヴは、摘んだ薬草を入れる袋を片手に、さっそく墓地を囲う塀の周りをうろうろと探り始めた。
ウォルスは相変わらずべったり彼女の肩に貼り付いているし、フェンリルも当たり前のようにその後ろについていった。
シドはもう一度深くため息をつくと、一緒にその場に残っていたオルヴァの背から荷物を下ろし、さすがに慰霊碑からはいくらか離れた場所に敷物を広げた。
そして、その上に荷物番よろしくどかりと腰を下ろすと、自らが用意したポットの紅茶を注いで一息。
シドはさらに荷物に手を突っ込んで中を探ると、とあるものをわし掴んで引き抜いた。
イヴがせっせと詰め込んできたニンジンである。
それを一本オルヴァに差し出すと、彼は胡乱な目をしてシドをじろじろと眺めた。
「まあ、お前も一本やればどうだ」
「……ふん」
オルヴァはしばしの間葛藤していたようだが、結局は誘惑に負けて、ガブリっとニンジンにかじりついた。
シドは、ちょこまかと緑の中を動き回る少女を目で追いながら、隣でガリゴリ豪快な音を立てて根菜を咀嚼する魔物に話を振った。
「新月の闇について、お前は何か知っているか?」
一角獣ユニコーンは、神獣と称されるほど古く尊く博識な生き物だ。
凶暴で傲慢と言われているが、実際には魔物の中でも一二を争うほど理性的で、知性が豊か。ただし、処女好きなのは通説どおりである。
オルヴァもイヴの元に来てまだ一年ほどらしいが、昨夜フェンリルが語った十一番目の新月に現れる闇について、彼がどんな見解を抱いているのかシドには興味があった。
「……」
シドの問いに、オルヴァは一瞬ニンジンの咀嚼を止めたが、すぐ口の動きを再開した。
そして、噛みしだいたニンジンをごくんと飲み込むと、ふうっと深くため息をついてから答えた。
「あれは、焦燥の塊だ」
「焦燥?」
「あれに、我々のことなど見えてはいまい。こちらの声も聞こえまい。ただ自らの闇の中、手探りに何かを探してい彷徨いながら、実際にはそれに触れることを恐れているように思える」
オルヴァの答えは抽象的で解りにくかったが、闇が何かを探しているという見解はフェンリルやカポロのそれと同じようだ。
イヴの育ての親である魔女は、闇に見つかればイヴが連れ去られてしまうと恐れた。その思いは、魔女亡き後もイヴを護る魔物に乗り移り、彼の心を不安でいっぱいにしている。
そうして、いよいよ切羽詰まったらしいフェンリルから協力を求められ、昨夜シドはそれを請け負ったのだ。
「その探し物が、イヴなのではないかと言う者がいるが?」
フェンリルが己の不安をどこまで他の魔物――オルヴァやアグネ達に知らせているのか、シドは探りを入れようとした。
そんな彼の言葉に、オルヴァは薬草集めに勤しむイヴと、その側に貼り付くフェンリルの姿に目を細めて答えた。
「その者とは銀狼のことだろう」
「……」
「あれは賢い魔物だが、心が弱く閉鎖的だ。何に怯えているのかは知らんが、人型になれることもイヴには隠しているようだな」
そう言うユニコーンは、人型に変じない。プライドの高い彼らは基本的に人間を下に見ているので、わざわざ自分より劣る種族の形を真似る必要を感じないのだ。
フェンリルは、もしもオルヴァが人型になれる魔物ならば、彼にイヴを抱く役目を任せていただろう。
そう思ったシドの眉間に、自然と深く皺が刻まれる。
それには気づかぬまま、オルヴァはさも不満げに吐き捨てた。
「銀狼はイヴに近づく者を警戒する。そんな奴が、何故お前のような得体の知れぬ魔物を招き入れたのか――まったく、理解に苦しむわ」
「……ふむ」
どうやらフェンリルは、イヴを件の闇から匿う手段について、オルヴァには相談を持ちかけてもいないようだ。
確かに、純潔至上主義のユニコーンが、お気に入りの少女を抱けだの抱かせるだのと話を振られて、冷静な議論や判断ができるとは思えない。それは、昨日仲間入りしたばかりのシドでも容易に想像できることだった。
さらに、人の姿になれないと判明した時点で、フェンリルはオルヴァへの期待をなくしたのだろう。
「さすがに、初めての相手を馬にさせるほど、あいつも血迷ってはいなかったか……」
「何の話だ? 新入り」
シドの言葉に訝しげに問いかけたオルヴァに対し、彼は「いいや、何でもない」と答えて視線を逸らした。
オルヴァの例をとって判断するに、フェンリルはおそらくアグネやウォルスにも事情を話していないのではなかろうか。
アグネは雌であるからイヴと交わることはできないし、ウォルスは生身を持たない幽体ゆえ言うまでもなく、しかもオルヴァ同様まともに相談できそうにない相手だ。
(……なるほど。イヴをベッドに誘うには、銀狼以外の住人に気づかれぬが得策のようだ)
シドはそう、心に刻んだ。