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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
16/31

出掛けよう

 

 

 

「シドー、おはよ。お弁当作って」

「お前……そういうことは、昨日の夜のうちに言っておけ」


 むにゃむにゃと眠い目を擦りながら起きてきたイヴは、すでにキッチンに立っていたシドを見つけるなりそう言った。

 肩を少し越えるほどの長さの、甘い色の混ざった真っ直ぐなブロンド。

 踝まで覆い隠すすとんとしたクリーム色の寝間着は、所々にリボンが散りばめられていて、意外に可愛らしいデザインだ。

 イヴの片手は不格好な黒猫のぬいぐるみのしっぽを引っ掴んでいて、彼女をあどけない子供のように見せている。

 朝食を作るシドの側までやってきて、手元を覗き込んで「おいしそう」と微笑む彼女に、それを見下ろす魔物の視線も柔らかく緩んだ。


「それで、弁当を作ってどうする? 出掛けるのか?」

「うん、そう。一日逃避行する」

「逃避行?」


 不思議そうに言葉を繰り返したシドに、イヴはようやくしっかり目が覚めてきたのか、茶色い目をぱっちり開いて視線を返した。


「だって、今日も来るって言ってたでしょ、ハグバルド。あんなのの相手毎日してたら、胃に穴が開く」

「だからといって、留守にしたらしたで、今度は約束を破ったとうるさいのではないか?」


 昨日半日この家に居座った領主の末息子は、シドの目から見ても大変面倒な種類の人間だった。

 無駄に自尊心が高く、他人を見下す事でしか自分を保てない、愚かで哀れな男。

 相手にするに値しないと評価を下したハグバルドに、シドは何を言われようと腹は立たない。

 それは、銀狼フェンリルも同じだろう。

 ただ、その過ぎた悪意がイヴに向けられると思うと、いささか胸がざわついた。

 しかし、そんな魔物の気も知らない娘は、どこまでものん気な様子。


「明日になったらアグ姐さんを説得して、一回だけ顔見せてもらうから。そうやって、誤魔化し誤魔化しいくよ」

「それは、そう得策でもないと思うが……」

「いいの、いいの。とにかくお弁当。三人分、よろしくね」

「三人分?」

「そう。アグ姐さんは今日も引きこもるだろうし、ウォルスは食費がかからなくて大変よろしい。オルヴァさんはにんじん与えとけばご機嫌だから、お弁当は私とフェンリルと、せっかくだからシドも一緒においで」

「……ふむ」


 昨日仲間入りしたばかりの新入りに対しても、化け物屋の主人は大らかだ。

 シドとしてはへたに警戒されるよりは都合がいいが、そんな無防備で本当に大丈夫なのかと心配にもなる。

 そもそも、イヴが彼を受け入れたきっかけというのが、昨日家に来てすぐ作ってやった即席の朝食なのだ。

 年頃の娘がそんなに簡単に男に餌付けされていいのか。

 魔物のくせに真っ当な疑問にため息をついたシドは、ふと彼女を見下ろした。

 自然とかち合った上目遣いの茶色い瞳は、色合いこそ地味だが大きく、明るくて愛嬌がある。

 イヴの少しだけ跳ねた寝癖を手櫛で整えてやりながら、自然とシドの唇から言葉が零れ落ちた。


「……イヴ」

「うん?」

「お前……可愛いな」

「……」


 ところが、彼女は一瞬きょとんとしたかと思うと、乙女らしく頬を染めて照れるどころか「はあ~」と盛大なため息を返してきたではないか。

 そして、仕方がないなぁとでも言いたげにシドに顔を近づけると、緩くほどけていた彼の唇に自分のそれをちょんと押し当てたのだ。

 そのまま、柔らかい舌が隙間に差し入れられ、とたん甘く芳しい蜜のような味がシドの口内に広がった。

 もちろん、おはようのキスではない。

 あまりに躊躇なく与えられたイヴの蜜に酔って、シドは思わず両腕を広げて彼女をかき抱こうとした。

 しかしそれが身体を包み込む前に、イヴは蝶のようにふわりと彼の袂から飛び立ってしまった。


「お世辞言わなくたって、ほしいならそう言えばいいじゃない」

「……世辞のつもりは」

「はいはい。とにかく、お弁当よろしくねっ」


 イヴはそう言うと、「オルヴァさんにも、挨拶がてら声掛けとこう」と呟き、無言になったシドを残して何ごともなかったかのようにキッチンを後にした。

 シドとしては素直な賛美を口にしただけだというのに、イヴはそれが魔物の媚とでも取ったのだろう。

 この上なく心外である。

 シドは昨夜フェンリルに対し、今日を含めた七日の間にイヴを口説き落とすと宣言した。

 しかしあの様子では、いくら睦言を囁こうとも全てが体液欲しさのお世辞と捉えられ、シドの言葉はイヴの心に響くことはないだろう。

 しかも年頃の娘が、ああやすやすと男に唇を差し出すのは、やはり由々しき事態である。


「……なるほど、たしかにこれは手強いかもな」


 そう呟いたシドの腿を、足元を通りかかったフェンリルが「そらみたことか」というように、硬い尻尾でべしりと叩いた。


「お前と婆さんが、育て方を間違えたんじゃないか?」


 負け惜しみにも聞こえる情けない魔物の声を背に、すっかり狼の姿に戻ったフェンリルは、愛しい少女の後を追ってキッチンを出て行った。

 残されたシドは、やれやれと言うように大きくため息をつく。

 そして、ふと視線を巡らせると、ダイニングテーブルの上に置き去られたビロードの塊を発見した。

 ごろごろと机に突っ伏して微睡むのは、イヴ手作りのぬいぐるみに憑依したままの、幽体ウォルスだ。


「おい、お寝坊のコブタちゃん」

「――子猫ちゃん、だ! 間違えるな、化け物!」


 シドが呆れた様子で声をかけると、彼はくわりとフェルトで縫われた口の中を見せて吠えた。

 イヴは黒猫だと言い張るのだが、ポテっとした体型のそれは、どうにも子豚にしか見えない。

 まあ、それなりに可愛らしくはあるが。


「何でもいいが、寝るならよそにしろ。皿がおけん」

「うるさい。私は今幸せを噛み締めているんだ。そっとしておいてくれ」

「その割には、ひどく眠そうだが?」


 ウォルスは昨夜、愛しのイヴとの添い寝を許可され、薔薇色の夜を過ごしたはずだ。

 幽体の時は、彼が寝ている間に悪戯しないようにと、イヴは寝室にありがたい護符を貼付けてその侵入を許さなかった。

 しかし、育ての親であるカポロ婆さんとの思い出の品だからか、ぬいぐるみになったとたんウォルスの扱いは目に見えて良くなった。

 小さなぬいぐるみの身体では、そう悪さはできないだろうと判断したのだろうが、イヴのそういう無防備な行動は時に危なげでならない。


「眠れなかったんだ、ドキドキして……! イチゴちゃんの寝顔、ちょおカワイくって……っ!」

「……そうかい」


 現に、見た目だけは可愛らしい自称子猫のぬいぐるみは、夜の間ずっとイヴに不純な眼差しを注いでいたらしい。

 それを知って何となく胸の辺りがもやっとしたシドは、イヴの寝顔を思い出して身悶えるぬいぐるみをわし掴むと、リビングの方へぽいっと放り投げた。



 裏口の扉を開くと、すぐ正面に厩舎が建っている。

 厩舎と言ってもそう大きいものではないが、オルヴァ一人だけの根城としては充分だ。

 ラメのようにキラキラしたものが混ざった彼の白い体毛と、同じく輝く琥珀色のたてがみが、朝日を反射して実に眩しい。

 ルビーのような赤い瞳は白く長い睫毛にびっしりと覆われ、一見すると美少女的な風貌にも思える。

 だが――


「こらあっ、イヴっ! 夜着で外を出歩くとは、なんとはしたないっ!」


 中身は、少々口煩い頑固オヤジ。性別的には立派な雄の魔物である。 

 ユニコーンの通説に違わず、純潔の乙女をこよなく愛するオルヴァは、普段からイヴの貞操についていろいろと口やかましい。

 ナイトドレスから着替えないままやってきたイヴに、足元の飼葉をドスドス踏みしだいて説教をした。


「はいはい、すぐ着替えてくるよ。それで、もう少ししたら出掛けようと思うから、オルヴァさんも一緒に来て?」

「うむ、よかろう。そなたはわしの背に跨がるといい」

「大丈夫だよ、歩いてのんびり行こう――日が落ちるまで、今日は家に帰らないつもりだから」

「――なっ……! 年頃の娘がそんな時間までどこをほっつき歩く気だっ! 門限は五時だといつもっ……」


 再び説教モードに入りかけたオルヴァを、イヴは「はいはい、分かっております」と従順なふりをして宥めた。


「困った客が来る予定だから、彼が諦めて去るまで帰れないんだよ。オルヴァさんが一緒なんだから、ちょっとくらい帰りが遅くなってもいいでしょ?」

「まあ……わしがいれば、何も心配はないがな」

「でしょ? オルヴァさんが一緒だと、イヴ安心だなー」

「うむ!」


 イヴのよいしょに、オルヴァはまんざらでもなさそうに鼻を鳴らして頷いた。

 

 ユングリング王国には、国主である国王が住まい政治を行う王城と並び、聖廟と呼ばれる尊い場所が存在する。

 聖廟の本来の意味は聖人を祀る墓所であるが、この国ではそれを含めた神殿や寺院のような施設を指す。

 崇拝の象徴として奉られるのは、聖女と呼ばれる選ばれた乙女。

 それを補佐するために多くの司祭が仕え、実際に聖廟を牛耳るのは聖女ではなく、司祭の頂点である司祭長である。

 政教分離の原則を掲げながらも、歴代の司祭長の多くは王族が担い、実質は聖廟もまた国王の支配下にあると言える。

 当代の司祭長には現国王の末弟が就いているが、数ヶ月前から体調を崩して臥せっているらしく、その後釜を狙う権力争いで聖廟内は秘かに混沌とし始めているとの噂だ。

 また、それを助長させているのが、肝心の聖女の不在である。


 一角獣オルヴァは、元々は先代の聖女の馬だったそうだ。


 彼は清らかで美しい乙女にとらわれ、聖廟の中で彼女の愛玩物として暮らしていたが、十数年前のある時、突如聖女が失踪した。

 その原因も行き先も誰にも分からず、司祭達も手を尽くして彼女を探したが、ユングリング中どこにも見つけられなかった。

 聖女は純潔であるとともに、国を出ないことが最低条件である。

 もしも彼女が出国していた場合、その時点で聖女の称号を失うので、捜索の手は国外にまでは伸ばされなかった。

 本来なら、次の聖女が確定してからその交代が行われるので、突然の現役聖女の失踪は異例の事態。

 魔物達が恐れている、十一番目の新月の闇が現れ始めたのも、ちょうどその頃であった。

 崇拝の象徴である聖女の不在を埋めるためにも、神聖なイメージが強く、角から万能薬を作り出せる貴重なユニコーンを、聖廟は手放したがらなかった。

 しかし、オルヴァとしては愛しき人のいない場所になど未練はなく、司祭達の懇願も蹴散らし聖女を探して放浪の旅に出た。

 そうして一年ほど前、カポロが亡くなり弱くなった結界を通り抜けてイヴの元に辿り着き、彼女に一目惚れしてそのままこの村に居着いたのだった。



 初めてイヴと出会った時、オルヴァは一瞬彼女を、愛しき女――失踪した聖女と見間違えた。

 



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