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化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
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哀れな幽体



 家屋は、まだビリビリと身を震わせている。

 どうやら禍々しい怒気を放つ幽体ウォルスを落ち着かせるには、イヴ本人が行って宥める他なさそうだ。

 イヴは「めんどくさいめんどくさい」とぶちぶち言いながらも、仕方なく扉に手をかけた。

 ただし、表の玄関からではなく、オルヴァの厩舎の向かいにある裏口から入ることにした。

 しかし、家から出られないウォルスにとっては、その内部が全てである。

 隅々にまで気配を張り巡らせている彼にばれずに、家に入ることなど不可能なのだ。



「やあ、おかえりイチゴちゃん」



 案の定、イヴが扉を潜ったとたん、どこからともなくふわりと現れたのは、身体の透けたブロンドの男。

 端整な顔には柔らかな笑みを浮かべ、イヴを勝手な渾名で呼ぶ声は蕩けるように甘いが――こめかみに青筋を立てている。

 そのあまりの怒気にうっと仰け反って、思わず回れ右をして屋外に逃亡しようとしたイヴだったが、がばりと抱き竦めるようにして彼に捕われてしまった。


「おかえりって、言ってるんだけど?」

「……ただいま、ウォルス」


 幽体ウォルスからはイヴに触れることができるが、イヴが彼に触れようとすると、するりと幻のように通り抜けてしまう。

 つまり、ウォルスの腕から逃れようにも突っ張りがきかないので、イヴには彼を押退けることはできないのだ。

 こうやって捕まってしまえば、生者には成す術がない。

 ウォルスの気が済んで解放されるのを、大人しく待つしかないのだ。

 おそるべし、幽体。


「僕に黙ってでかけるなんて、いけない子だね」

「……買い物に行ってただけじゃない」

「そうだね――他の男と、ね」


 ちゅっ……と音を立てて、ウォルスは両腕に囲ったイヴのこめかみにキスをしながら、少し離れた位置に佇む黒髪の魔物を呪い殺しそうな目で睨みつけた。

 それから、お気に入りの赤味がかったブロンドに指を通し、それがかすかに湿っているのに気づいたようだ。


「泉に寄ってきたね? 僕の大事なストロベリーブロンドを、人魚が濡れた手で触ったようだ」

「……頼まれものを、渡してきただけだよ」

「裏口から入ってきたってことは、あの凶暴な角持ちにも会ったんだね。服に飼葉がくっついているよ」

「……オルヴァさんには、ニンジンあげただけだよ」


 ウォルスの瞳は、深い青。サファイアのように美しい、濁りのない青だ。

 魔物の赤とは似ても似つかぬそれが、今は火炎でも噴き出しそうなほど怒りに燃え上がっている。

 イヴは今までも何度か護符を貼付けて彼を抑えたことはあったが、その後のウォルスがこれほど怒り狂ったことはなかった。せいぜい、拗ねてまとわりついて鬱陶しいくらいだったのに。

 一方、シドの方もいささか機嫌が悪そうだ。

 胸の前で腕を組んで扉に凭れ、触れれば切れそうな鋭い目でウォルスを見据えている。


(ゴーストと人型の魔物は、相性が良くないのかな……?)


 そう思って首を傾げたイヴの顎を、白くて透けた掌が掴み、ぐいっと自分の方に向けさせた。

 ウォルスが触れている部分は、実際にものに触れているような感触はなく、ただただひやりと冷たい。


「どうせまた、魔物どもに唇を許したんでしょっ!」

「私のキスは、皆にはおやつみたいもんで……」

「だからって、ほいほい安売りしていいものじゃない!――僕だって、君のキスがほしいのにっ……!」

「……いっつも、勝手にするじゃない」

「僕からじゃなくて、イヴからしてほしいのっ! この違いには大きな意味があるのっ!」


 ウォルスはそう叫ぶと、噛み付くようにイヴの唇を塞いだ。

 彼は性急にイヴの唇を抉じ開け舌を押し込んだが、彼女にしてみれば口の中がただただひやりとするばかりで、舌に絡まる感触はなにもない。

 視覚的には確かに深く口付けているのに、何も――吐息さえも分け合えないそれは、ただ虚しい。


「イヴ……イヴ……っ」


 ウォルスは叶わぬ想いが歯痒くてならず、縋るようにイヴの名を何度も呼んだ。


「……」


 イヴの方も、いつになく衝動的になったウォルスに戸惑い、それをどう受け止めていいのか分からなくて困り果てた。

 そんな様子を見かねたのか、いつの間にか傍らにやってきていた銀狼が、静かに寄り添い宥めるようにイヴの手を舐めた。

 そして、同じように扉の方から近づいてきたもう一匹の魔物が、おもむろに口を開いた。

 ――哀れな幽体に向かって。


「この娘を、お前の怨念の中に引きずり込むな」


 シドはそう告げると、イヴの二の腕を掴んで強い力で自分の方へと引き寄せた。

 もちろんウォルスは奪われまいと、さらに深く彼女を抱き竦めようとするが、器を持たぬ魂が生者の力強さに敵うはずがない。そうでなくばならない。


「シド……」

「お前も幽霊を側に置くのなら、流されぬようにしっかりと己を保て。――憑き殺されるぞ」


 シドの逞しい腕の中に匿われたイヴは、ほっとため息を吐きながらも、悔しそうに彼を睨みつけるウォルスを気遣わしげに見やった。

 彼の苛立ちや妬みの感情に反応して、家中の窓や家具が震えてガタガタと大きく音を立て、窓辺に置いていた花瓶が床に落ちて割れた。

 渦巻く負の感情は家の中に充満し、イヴはきいんと耳鳴りを覚えて眉を顰める。

 だが、そんなポルターガイスト現象にも顔色一つ変えないシドは、その元凶たる男の魂に向かい合った。


「それほど報われぬ我が身を憂うなら、よい方法があるだろう」


 そう言う彼を、ウォルスは訝しげな瞳で睨みつけた。


「置物でも人形でも、生きているものを象ったものに憑依すればいい。それが器となって、生者からもお前に触れられるようになるだろう」

「……」


 確かに、それは一理ある。

 たとえ偽りの身体であっても、魂を入れてしまえばそれは一時的に器の代わりになる。

 うまくシンクロできれば、器が受ける感触はそのまま魂の感触となるだろう。

 もちろんその場合、器が受けた痛みも伝わってしまうのだが。

 ウォルスはシドの提案にしばしの間思案していたと思ったら、突然あたりをきょろきょろと見回し始めた。

 しかし、一瞬じっとシドとフェンリルを見つめた彼に、シドはすかさず釘を刺す。


「おい。生きている者へ憑依するのは、なしだぞ」

「……分かっている。誰が魔物の身体になど入るものか」


 そうして、ウォルスの瞳が捉えたのは、ソファにちょこんと置かれていた一体のぬいぐるみ。

 見た目はいささか不格好だが、それはウォルスにとって非常に印象の強いぬいぐるみだった。

 何故なら、イヴがソファへ座る度、それは必ず彼女の膝の上に抱かれるからだ。

 その時、ウォルスに迷いはなかった。

 彼の意識はソファの上のぬいぐるみへと集中し、虚空を見つめる作り物の双眼に一心に想いを注いだ。

 するとどうだろう。

 イヴと二匹の魔物が見守る前で、ウォルスの透けた身体はみるみるうちに形を失っていった。

 そしてついに白い煙のような姿になったかと思うと、すーっと尾を引いて空中を移動し、件のぬいぐるみの中に吸い込まれてしまった。


「――えっ、ウォルス……!?」


 次の瞬間、ソファにくたっと置かれていただけのぬいぐるみが、二本の足ですっくと立ち上がったのだ。

 それは、丸い頭をぎこちなく動かして己の身体を見下ろしては、我が身を確かめるように両の手を上げたり下げたりした。

 そして大きなボタンでできた瞳が、命を宿したかのようにぱああっと輝いて、イヴを見た。



「イチゴちゃああんーーっ!!」

「うわあっ!?」



 ――ベシッ!



 とたん、叫んで飛びついてきたぬいぐるみを、イヴは思わず叩き落とした。

 それはべしゃりと床にうつぶせに貼り付いたが、しまったと思って慌ててしゃがみ込んだイヴの前で、すぐにぴょこんっと飛び起きた。


「痛いっ! ひどいよ、イチゴちゃんっ!」

「あ~……ごめん。……ウォ、ウォルスなのかな?」

「そうだよ、他に誰がいるっていうの? あ~痛い! でも痛みを感じたの久しぶりっ! 生きてるって素晴らしいぃ!」

「……いや、アンタ生きてないよ?」


 二本足で立ち上がったウォルス入りのぬいぐるみは、しかめっ面をして抗議したかと思ったら、今度は喜びいっぱいの顔を作ってみせた。

 布に綿を詰めただけの簡素なぬいぐるみのはずなのに、一体どうやって表情を作っているんだろうと思いながらイヴが眺めていると、その隣に同じようにしてシドがしゃがんだ。

 そして、得たばかりの仮そめの身体に感動しているウォルスの背中を、魔力を込めた掌でぽんっと叩いた。


「――っ!?」


 ほんの軽く叩いただけに見えたのに、ウォルスはびくりと飛び上がって、痙攣したようにぶるぶると身を震わせた。

 その後、一瞬身体を硬直させたかに見えたが、すぐに何ごともなかったかのように動きだし、シドに向かって怒鳴った。


「――貴様っ……何をしたっ!?」


 子犬ほどのサイズのぬいぐるみだが、声はウォルス自身の涼やかな美声だ。

 そのギャップが面白かったイヴは、しゃがんだ膝に頬杖をついてにやにやした。

 対してシドは、食って掛かってくるぬいぐるみを無感動に見下ろし、何でもないことのように告げた。


「その器の中に、お前の魂を封じ込めた」

「――なっ……!?」


 つまり、仮に入ったぬいぐるみの身体から、ウォルスが魂だけで抜け出すことができないように、シドは魔力で彼を閉じ込めたのだ。

 そうなれば、ウォルスはただの動くぬいぐるみ。

 魂を器に収めたということは、その器の許容を超える力を使うことはできなくなるということで、彼は壁や扉を通り抜けることも、家を震わせるようなポルターガイスト現象を起こすこともできなくなってしまった。


「すでに忠告しただろう――悪霊になりかけている、と。禍々しさが溢れ過ぎると、そのうち自分でも制御できなくなる。成仏する気もなく、イヴを面倒に巻き込みたくないなら、その器にいるのが懸命だ」


 シドはそう言うと立ち上がり、荷物を持ってさっさと台所の方に入っていってしまった。

 それを見送ると、イヴは呆然と佇むぬいぐるみの姿をしたウォルスに向き直り、その頬をぶにぶにと突ついた。

 彼は幽体としての特殊能力を失った代わりに、イヴが触れる感触と温もりを感じられるようになった。

 それに、ぬいぐるみの中身がゴーストなどと黙っていれば、信心深いラムールの人々もウォルスを怖がりはしまい。

 彼は小さな魔物のように見え、イヴにくっ付いて家の外にも出ることも可能になるだろう。

 さらに、イヴはウォルス相手には初めてと言っていいほど、無邪気な笑みを浮かべて言った。


「これ、私が生まれて初めて縫った、カポロ婆ちゃんへのプレゼントだったんだよ?」

「え……イチゴちゃんの手作り?」


 ウォルスは、自分の器になった布でできた身体を見下ろす。

 そして、二人は声を揃えて言った。


「そう、かわいいネコちゃん」

「うん、とってもかわいいブタさん」


 ……残念ながら、イヴは裁縫もいまいち得意とは言えなかった。


 幼かったイヴが育ての親のために作ったのは、魔女の使い魔に相応しい黒猫のぬいぐるみ。

 黒いビロードを縫い合わせたそれは、確かにいささかボテッとしていて不格好。縫い目も粗くて大胆だ。

 黒猫というより黒豚と称する方がしっくりきそうな姿だったが、カポロはそれをとてもとても大切にし、死の間際まで離さず側に置いていた。

 彼女が亡くなった今、ぬいぐるみはイヴにとってカポロの形見のような存在になった。

 思いがけずそれに憑依したことで、自分に向けられるイヴの視線がいくらか柔らかくなったと気付き、その後ウォルスはこっそり小さくほくそ笑んだ。

 



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