表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
化け物屋開店  作者: くる ひなた
第一章 化け物屋
10/31

純潔の乙女



「……」


 さて、自宅に辿り着いたイヴと魔物二匹であったが、彼らは玄関の扉の前で逡巡していた。

 カポロ婆さんが残してくれた家はなかなか立派で、大きめの玄関扉には呼び鈴が取り付けられている。

 それが今、誰も手をかけていないというのに、ひとりでに震えてリンリンリンリンと激しく音を立てているのだ。

 いや、震えているのは呼び鈴だけではない。

 扉はもちろんのこと壁から屋根にいたるまで、家屋全体がガタガタと小刻みに揺れているのだ。

 イヴやフェンリルにも、今朝この家に仲間入りしたばかりのシドにも、その原因が何なのかは予想がついた。


「実に禍々しいな。これは、相当お怒りだぞ」

「まあ、そうだろうね……」


 呆れたようにつぶいたシドを見ずに、イヴもうんざりとした様子で頷いた。

 目の前の扉を開けば、たちまち視界に飛び込んでくるだろう光景を、イヴは簡単に想像することができた。

 おそらくそれは、怒りや嫉妬に塗れたブロンド男の、世にも恐ろしい形相に違いないだろう。

 出掛ける前、口やかましく絡んできた幽体ウォルスに、イヴは即席の護符を貼って遠ざけた。

 修行を積んだ高僧が書いたものほど強力な効き目はなく、すでに彼は元通りに復活を果たしている。

 盛大にまき散らされている彼の怒りが、家全体を震わせているのだ。


 ウォルスは、家の外に出ることはできない。

 なぜなら、イヴが家の外壁の四つ角に本物の護符を貼って、結界の中に彼を閉じ込めているからだ。

 信心深いラムールでは、ゴーストは恐れられる。

 イヴのように彼の幽体が見える人間は稀らしいが、もしもということもある。

 ウォルスの存在は村人には内緒なのだ。

 一方、魔物たちは元々受け入れられているので、すべての存在がオープンになっている。

 ウォルスにしてみれば、不公平な扱いに思えるだろう。


「――うん。もうちょっと、熱りが冷めてから家に入ろう」

「……そうやって、面倒を後回しにする性格は直したほうがいいと思うぞ」


 怒りマックスなウォルスと対峙することを放棄したイヴは、玄関扉を開けずに家の裏に向かった。

 シドとフェンリルは、呆れながらもそれに付いて行く。

 途中、先ほどの泉に通じている小さな池があったが、そこにアグネの気配は感じられなかった。

 この後やってくるであろう面倒な上客に、人魚が営業スマイルを向けてくれる可能性は、皆無だろうか。

 いまだビリビリと震える外壁を半周すると、ちょうど裏口の扉の向かいに小屋が建っていた。

 どうやら、厩舎のようだ。


「馬を飼っているのか?」


 荷物を抱えたままイヴの後ろを歩いてきたシドの目に、馬房の柵の隙間から白い巨体が見えた。

 ラメが混ざったようにキラキラした白い毛並みと、金色のたてがみの美しい馬だ。

 しかし、よくよく見てみればそれはただの馬ではなかった。


「――ほう、一角獣か」


 額の真ん中から一本長い角が生えたそれは、一角獣――ユニコーン。

 神話の中でも語られる高貴な獣だが、彼らも魔物の一種だ。


「よく、こいつを飼えたものだな……ああ、イヴは処女だったか」

「そうだよ、悪い?」


 ユニコーンは、非常に獰猛で高慢な魔物で、飼いならしがきかないと有名なのだ。

 ただ、未通の乙女にだけは懐き、その懐に抱かれれば大人しくなると言われている。

 処女と言ってニヤリとしたシドからツンと顔を背けると、イヴは厩舎の中の魔物に手を伸ばして撫でた。


「オルヴァさん、ただいま。エヌーおじさんに、ニンジンいっぱい貰ってきたよ」

「うむ、ご苦労。エヌーには、改めて礼をせねばならんな」


 イヴが“オルヴァ”と呼んだ一角獣は、キリリとした目元が理知的で、さらさらのたてがみが前髪のように額を覆って実に男前。

 思い掛けず人語を紡いだ声は低く重厚で、落ち着いた大人の男の雰囲気を醸し出し、“凶暴”の二つ名とはほど遠く感じられる。

 しかし、好物であるらしいニンジンがいっぱいに詰まった袋を持っていたのが、見知らぬ人型の魔物であると知ったとたん、赤い目は鋭くつり上がり、長い鼻面に皺を刻んでシドを威嚇した。


「イヴ、その男は何者だ。わしに相談もなしに、迂闊に高位の魔物と関わってはならん」


 オルヴァは厳めしい顔をして、我が子を叱るようにイヴを窘めた。

 それに対し、彼女が幼馴染みの保安官ロキに答えたのと同じように、フェンリルが拾ったんだもんと返すと、彼を責めるように睨みつけて叫んだ。


「銀狼め、この愚か者が! 得体の知れぬものをイヴに近づけるとは、貴様血迷ったか!」

「まあまあ、落ち着いてオルヴァさん。ほら、ここはおひとつ」


 しかし、イヴが愛想笑いを浮かべて荷物の中身を差し出すと、オルヴァの視線は一瞬にしてそちらに釘付けになった。

 よっぽど好きなのだろう――ニンジンが。

 彼はわざとらしくこほんと咳払いをすると、イヴが手にもったそれをがじりと齧り、もごもごと咀嚼しながらシドを胡散臭そうに睨んだ。


「……貴様、属性は何だ? 魔力が膨大なのは分かるが、正体が掴めん」

「さあな。土に埋まっている間に皆忘れてしまったようで、俺にも分からん」


 オルヴァは数百年を生きた一角獣らしく博識だったが、そんな彼でもシドが何者なのかは知らないようだ。

 しかし、記憶喪失に不便も不安も感じていないらしいシドは、まったく困った様子もなかった。


「シドは料理が上手いんだ。うちの料理番に就任したから、仲良くしてね」

「なにっ……!? イヴ! そなた、この男を家の中に住まわせるつもりかっ!?」


 すでにシドを化け物屋の一員と認めたイヴは、オルヴァにも彼を紹介した。

 だが年頃の娘と、得体の知れない人型の雄の魔物が一つ屋根の下など、オルヴァが許せるはずがない。

 彼はくわっと目を剝いて、イヴに詰め寄った。


「そうだけど?」

「なっ……ならんならん!」

「だって、部屋余ってるし。三食作ってもらうし」

「ならーんっ!」

「他にも、掃除と洗濯と買い物させる気だし」


 足元の飼葉をガツガツと踏みつけて抗議するオルヴァに対し、危機感の薄いイヴの答えはどこまでものん気だ。

 さりげなく彼女がもらした、新入りをこき使おうと企む本音に、シドは「おいおい、俺は家政婦か?」とため息をついた。


「そなたの貞操が奪われでもしたらどうするっ! 絶対に許さんっ!」


 続けて、目を血走らせたオルヴェがそう叫ぶと、イヴはきょとんと瞳を瞬き、首だけ振り返って背後のシドに問うた。


「シド、私の貞操を奪う予定がある?」

「さあ、どうかな?」


 それに対して、シドは否定も肯定もしなかったが、オルヴァはやはり「ならーん!」と繰り返した。


「大丈夫だよ、フェンリルがいるし」

「……」


 イヴはへらりと笑い、オルヴァを宥めるようにたてがみを撫で回した。

 ところが、無邪気に信頼をよこすそんな少女から、何故かその時フェンリルは気まずそうに視線を逸らした。


「……うん?」


 それに気づいて疑問を抱いたのは、シドだけだった。

 イヴは、なおも納得できずに苦言を繰り返そうとするオルヴァの口に、せっせとニンジンを押し込んで黙らせるのに忙しい。

 大好物をたんまりと与えられたユニコーンは、やがてすっかり骨抜きになってしまった。

 イヴはさらに彼を懐柔しようと、その額から突き出る立派な角に手を伸ばして、さわさわと撫でた。


「――あっ! あっあっあっ、あああ、イヴぅ~」

「変な声出さないでよ、オルヴァさん」


 一角獣の角は敏感で、オルヴァの場合は性感帯にも等しい。

 そう簡単に他人に触れさせない部位を、イヴには無防備に撫で回されて身悶えした。


「ちょっと伸び過ぎだね、角。あとで、少しだけ削ってもいい?」

「あっ……! いっ、いいっ……ぞ……!」


 さらに、ユニコーンの角には強力な解毒作用があり、イヴの薬作りにも一役かっている。

 放っておけばどんどん伸びていくそれをヤスリで削って、できた粉末はそのまま解毒薬になるし、少量ずつ他の薬に混ぜれば腹下しや高熱にも効く。

 水を浄化する力もあるので、濁った泉や井戸などに振り入れて使うこともある。

 当然、やすやすと人間に角を削らせたりはしないユニコーンだが、純潔の乙女――イヴの膝に抱かれて角の手入れをされるのは、オルヴァにとっては至福の一時らしい。

 呼吸を荒げて熱い吐息をもらし、腰は砕けて足は震え。

 その時のオルヴァには、普段のダンディさは見る影もない。


「ニンジンはおいしい? オルヴァさん」

「ああ……最高だな……」

「良かったね。全部食べちゃっていいよ」


 甘い快楽の予感に、鼻息を荒くしながらニンジンを貪る魔物と、飽きずに次々とそれを与えるイヴ。

 そんな様子を後ろから眺めていたシドだったが、この家の料理番としては食材が無くなるのを黙って見過ごせない。

 新鮮なニンジンは、料理に入れると彩りがよく、栄養も豊富な根菜だ。


「おい、そいつにニンジンをやるのはいいが、料理にも使うから何本かは残しとておけ」

「シドの言うことは気にしないで! ぜぇーんぶ食べていいのよ、オルヴァさん」


 ところがイヴは伸びてきたシドの手から袋を遠ざけて、ニンジンをひたすらオルヴァに与える。

 それに、シドはあることに思い至った。


「イヴ……? お前もしかして、ニンジンが嫌いなのか?」

「……」


 どうやら、図星のようだ。

 彼女は口を噤んで、シドの視線から顔を逸らせた。

 足元で、彼女の保護者のような銀狼が、やれやれという風にため息を吐いた。


「ほう、なるほど……」


 シドはそうと呟くと、鋭い犬歯を覗かせて魔物らしい笑みを浮かべた。

 そして、イヴが抱え込んでいた袋の中に強引に手を突っ込んで、大きな掌にニンジンを数本わし掴んで引き抜いた。


「――っ、シド! いや……っ」

「好き嫌いはいけない。お嬢様の料理番としては、黙っちゃいられないな」


 意地悪く口角を引き上げそう宣言したシドを、イヴはべそをかいたような実に情けない顔で見上げた。

 それがどうにも堪らなく可愛く見えて、シドは思わず彼女のストロベリーブロンドをわしゃわしゃと撫で回していた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ